法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

香川(2)

一覧表へ>>
豊島事件と香川県豊島「てしま」
石井 亨(廃棄物対策豊島住民会議)

 豊島事件は、1990年兵庫県警の摘発によって全国に知られることとなったわが国最大の有害産業廃棄物不法投棄事件です。
 舞台となったのは、瀬戸内海のほぼ中央に位置する香川県豊島「てしま」。東西7.5q。南北5.1qのこの島は、面積14.6平方qで実質人口900人余という過疎の島です。同じ字を書いて「としま」と読む東京都豊島区(13.01平方q人口25万人)とほぼ同じ大きさで、同じような形をしています。
 この島は、稲作が早くから栄え、離島では唯一「米を移出できる島」でした。標高340mの壇山、その山頂近くに樹齢200年余のスダジイ群生林があり、そこからクヌギ林が広がり、山の中腹に開けた集落は湧水を湛え350余のため池とともに120fに及ぶ棚田が築かれていました。また、豊島石といわれる凝灰岩を産出し、室町時代以前からすでに「くど」や「流し」などの生活用品加工に始まって実に1000年に及んだ石材業でも賑わった島です。さらに、豊島近海は戦後世界最高の漁場といわれ漁業も盛んでした。
 しかし、米は戦後農政下の生産調整で水涵養システムの崩壊を招き、石材業は1980年代以降の工業製品と引き替えとしての自由化により壊滅状態を迎え、瀬戸内海は今や瀕死の海となってしまいました。
 この島は、日本農民組合創設者賀川豊彦(1888〜1960社会運動家)の著書「乳と密の流れる里」のモデルであるといわれ、農民福音学校が開かれて多くの人材を輩出しました。また、戦前にはサナトリウムが開かれ戦後には乳児院となり、特別養護老人ホームや知的障害者厚生施設、同グループホームが二つと福祉の島としての様相も持ち合わせています。
 悪質な事業者がこの島の西端部海岸線で13年間にわたって有害産業廃棄物を不法に野焼きし、埋立てました。事業者は逮捕され有罪が確定しましたがあとには50万トンにも及ぶ有害廃棄物が放置されたままになったのです。豊島住民等は、事業者の違法行為を知りながら暴力を恐れ、対応を怠った香川県の実態を明らかにし、1993年指導監督責任を負う香川県と事業者を共同正犯として「廃棄物の撤去」を求める公害調停を申し立てました。
 6年半に及ぶ調停期間を含め発端から2000年6月6日の調停成立まで25年にわたるながい運動の末、香川県が責任を認めて住民に謝罪し、10年に及ぶ期間と500億円という巨費を投じて無害化処理及び撤去の事業が進められることとなったのです。
 風評被害で苦しみながら闘った調停成立までの住民の行動は7000回を上回り、もしもこの住民運動に時給800円のアルバイト料を支払ったら6億円以上の人件費がかかったとも言われています。そして今も住民は自らの負担で処理事業を監視する立場で立会続けています。
 しかし、原因者であり処理事業の主体である香川県は豊島住民と結んだ調停上の約束期間よりも短い時間で処理を完了すると県議会に約束し、その約束に対して大幅な処理の遅れを出しています。この状況を受けて、香川県は調停条項の変更をも視野に入れて、処理全体の見直しを豊島住民に提起しようとしており、処理方法・費用負担を巡ってこの夏(08年)処理事業は再び大きく揺れようとしています。
 豊島事件は、廃棄物の問題が排出する側の問題ではなく、押しつけられる側の問題として捉えられてきたこの国の廃棄物行政と、実際の指導に当たった県行政の失態によって引き起こされ、いわば国内の南北問題の様相を呈していました。
 一方で、同じ地域に住む者というだけでこれほどまでの共働を見せた豊島住民の運動は、この国の国民主権を実質化させようとした運動であったと言えます。
 しかし、この事件後も巨大不法投棄事件は後を絶たず、多くの事案で解決の目処がたちません。豊島事件は終わることのない事件として発端から33年たった今も動き続けているのです。