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山口

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自衛官合祀訴訟

 山口県に住む中谷康子さんの夫で、自衛官だった孝文さん(当時37歳)は、1968年1月、勤務中の交通事故で亡くなりました。1972年3月、自衛隊山口地方連絡部の広報員が中谷さんのお宅を訪れ、孝文さんを護国神社に合祀するために、孝文さんの「殉職証明書」がほしいと言ってきました。中谷さんはクリスチャンであり、孝文さんの遺骨を教会の納骨堂に納めていたこともあって、合祀してほしくない旨を伝えました。しかし、彼女の意思は無視され、孝文さんは護国神社に合祀されました。

 1973年1月、中谷さんは合祀の取消しと損害賠償を求める訴訟を提起しました。請求の根拠は、意に反する合祀をされたことで中谷さんの信教の自由が侵害されたことと、自衛隊が護国神社での合祀に関与したことにより、憲法20条3項が禁止する政教分離に違反したことです。

 この訴えに対し、山口地裁(1979年3月22日判決)と、広島高裁(1982年6月1日判決)は、中谷さんの主張を一部認め、損害賠償の支払いを命じました。しかし、上告を受けた最高裁は、1988年6月1日に、逆転敗訴判決を言い渡しました。

 最高裁判決の論理の詳細は省きますが、政教分離違反については、いわゆる「目的効果基準」(問題となっている行為が宗教的な目的を持つかどうか、その行為が宗教に対する援助・助長・促進ないし他の宗教に対する圧迫・干渉になるかどうか)を用いて、違憲ではないという結論を導き出しました。中谷さんの信教の自由に対しては、合祀によってキリスト教への信仰が妨害されたわけではないとし、また中谷さんに対して「寛容の精神」を説いて、信教の自由に対する侵害はないとしました。

 この判決に対しては、合祀という行為が宗教的な目的を持つものであり、違憲だとする伊藤正巳裁判官らの少数意見がつけられています。学説も、地裁・高裁判決を支持し、最高裁判決を批判するものがほとんどです。この判決が少数者に対して「寛容の精神」を求めたことに対しても、「寛容の精神」は、多数者に対して求めるものであるとの批判もされています。

 政教分離原則は、小泉前首相の靖国神社参拝で問題とされたように、今なお、憲法上のホットイシューとなっています。また、2007年3月には、靖国神社への戦没者の合祀に厚生省(現厚労省)が主導的に関わっていたことを示す資料が公にされたことがメディアでも大きく取り上げられ、政教分離の問題がクローズアップされています。しかし、政教分離原則の目的がもともと、日本の軍国主義を精神的に支えた靖国神社と、それを利用した政府との分離にあったことを考えれば、「目的効果基準」を用いるまでもなく、自衛官合祀事件においても、小泉前首相の靖国参拝についても、厚生省の関与についても、いずれも政教分離原則違反という結論は、明らかであるように思います。

 2005年の秋に自民党が発表した「新憲法草案」では、この政教分離原則を緩和する条項が盛り込まれていますが、日本国憲法が定める信教の自由・政教分離原則の意義を改めて確認し、自民党が目指す改憲の方向性の是非について、きちんと考えていくには、本件は非常によい素材であるように思います。

<投稿> 靖国神社合祀取り下げ訴訟と私

西山誠一(06年8月・大阪地裁提訴「靖国神社合祀取り下げ訴訟」原告、憲法を守り暮らしに生かす加賀市民の会代表、九条の会・加賀事務局長)

 「国のための死」は「国の間違った戦争のための死」と言い直すべきではないでしょうか。いかなる戦争も正しい戦争はありません。戦争は人殺しであります。人殺しを誇りにし、戦死を名誉にするには戦争を正しいものとしなければなりません。そこに「聖戦」が生まれます。

 間違った戦争の戦死は、悲しみと傷みと悔しさだけが残ります。この悲しみを無にしないためには、戦争を繰り返さないことしかありません。殺されても戦争をしない覚悟が必要です。戦没者に応える道は再び戦没者を生み出さないことしかありません。その意味で戦没者を追悼するならば、日本国憲法9条に礼拝すべきであります。

 靖国神社は戦争を正当化し、戦争を賛美する、戦争になくてはならない施設であり、戦争犯罪施設であります。戦争によって殺されるか、九条を守ったがために殺されるか、どちらにしても命がけであります。私は後者を選びたいと思います。

 宗教法人『靖国神社』の目的に、「本法人は明治天皇の宣らせ給うた“安国”の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務を行うことを目的とする」とありますが、靖国神社を信奉しなかった父の立場のようなものにとっては、祭神とされたことは“安国”に奉仕する永遠の奴隷とされたものであり、靖国神社を信奉しない遺族は、靖国神社は切り捨てることは出来ても祭神とされたものを切り捨てることは出来ないジレンマに陥り、地獄の苦しみを受けます。
 何卒祭神を解放し、遺族に対してこの苦しみから逃れる自由をお与えください。