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富山

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天皇コラージュ事件
Y.M.記

 絵画の技法のひとつに「コラージュ」と呼ばれる方法があります。これは、主には新聞の切り抜きや布などを組み合わせ貼り付けていくことによって、ひとつの画像なり画面を構成していく技法のことを指しますが、他方で、実在の人物の写真に別の絵や画像などを組み合わせた形で行われることもあります。そのため、憲法的な視点からみれば、作者側の「表現の自由」と素材となった被写体側の「肖像権」が抵触する契機が生じることにもなりうるのです。

 この問題に関連する有名な事件が、富山県立近代美術館を舞台としたいわゆる「天皇コラージュ事件」と呼ばれるものです。そもそもこの事件は、富山県出身の有名なアーティストが、「遠近を抱えて」というタイトルで昭和天皇の写真と女性のヌード写真などを合成した作品を作成し、それを同美術館が1986年3月に購入して展示・図録掲載していたことに始まります。当初は何事もなく公開されていたのですが、展示会終了後の同年6月に、この作品をみた富山県議会議員が、これに不快感を覚えたとして問題視する内容の質問を県議会で行い、それを皮切りとしてこの作品の非公開や廃棄処分などを求める全国の右翼団体による抗議行動が頻発するようになっていきます。そこで、事態を重くみた県教育委員会は、同美術館の管理運営上の障害と、同作品が昭和天皇の肖像権とプライバシーの権利を侵すことになるという懸念から、この作品を非公開扱いとし、その後この作品を他者に売却、さらにこの作品が掲載された図録を焼却処分するという決定を行ったのでした。一方で、この作品の公開を求める運動も大規模に展開されたのですが、この決定を覆すには至りませんでした。
 これに対し、作者であるアーティストと作品の公開を求める34名の県民たちは、表現の自由と作品を鑑賞する権利や知る権利が侵害されたとして、損害賠償を請求し、同作品に対する富山県の処分の無効確認や作品の買い戻し並びに焼却された図録の再発行を義務づける裁判を起こしたのです。

 1998年12月16日、第1審の富山地裁判決は、原告に対する損害賠償は認めたものの、それ以外の原告による訴えについては退けました。そして、原告被告双方が控訴した2000年2月16日の名古屋高裁金沢支部判決では、原告に対する損害賠償も退けられたのです。とりわけ、第2審判決で問題なのは、作品を鑑賞する権利を「表現の自由」や「知る権利」との絡みとしては捉えておらず、さらには、右翼団体などの抗議行動などによって美術館の管理運営が立ちゆかなくなるという理由で、いとも簡単に作品を鑑賞する権利の制約もやむなしとしている点です。また、第1審・2審判決とも、同美術館における作品の選定や処分について、県教育委員会や美術館長の広範な裁量に委ねてしまったことも問題であるといえます。つまり、本件では、美術館側は、作品の展示を芸術品として一旦認めておきながら、右翼団体などの抗議がひとたび起きるとそれを撤回し特別閲覧さえも認めないという、いわば公共の美術館としての本分を放棄して安易に一方の側の要求に従ってしまったとみることもできるわけです。こうしたことが先例となってしまえば、表現者である作者は、美術館での展示に際して常に、抗議行動などが起きないよう細心の注意を払いながら創作活動を行わなければならなくなるでしょう。これはまさに、表現活動に対する萎縮効果をもたらすことに他なりません。「表現の自由」の意義をあまりにも軽視した判決内容であるといえます。

 もっとも、他方で、第1審・2審判決が共通して明らかにしている重要な点は、天皇も国民としてプライバシー権や肖像権を有するが、しかしながら公人としての地位や職務によってそれらの権利の保障は制約を受けることになるということです。現在においてもなお、皇室をめぐる事柄について言論タブー(いわゆる「菊タブー」)が存在するということを浮き彫りにしたのが、本件の大きな特徴でもありました。実際に、本件の作品を天皇に対する「不敬」として非難する右翼の抗議行動が頻発したといいます。明治憲法下の「不敬罪」を彷彿とさせるような暴論です。残念なことに、とりわけ皇室に関する言論については、それを暴力で封じようとする言論テロが後を絶ちません。こうした点を克服していくことができるかどうかが、今後の日本における「表現の自由」の試金石となっていくでしょう。

<投稿>

天皇コラージュ事件裁判について

坂本義夫(弁護士・法学館憲法研究所賛助会員)

私はこの事件の訴訟等には関わってはいないが,判決書を読んだ感想を述べさせていただく。

1 本件作品と図録の非公開・廃棄を求める動きはすさまじかったようである。
1986年6月4日,富山県議会議員が,本件作品を見て不快感を覚えたとして,県議会において本件作品の選考意図等について質問し,この質疑が翌日の新聞紙上で大きく報道されると,本件作品及び本件図録の廃棄等を求める行動が次々と出てきた。第1審判決が認定した事実に限ってみても,以下のような行動が行われた。
同年6月6日と7日県内の神主らによる美術館に対する抗議(電話・訪問)に始まり,同月中に右翼団体等による県や美術館に対する抗議が5回行われている。同月21日には,「大日本量武会」なる団体等30数団体の約220名,車52台が富山城址公園に集合し,県庁周辺,富山市内において街宣活動をし,同月23日には,「日本国士会」なる団体が,県に対し,「我々は極右の団体である。作品が将来展示されないといっても,そこにあるということが納得できない。過激な行動をとらざるを得ない。」旨の電話をかけている。
その後も,1990年5月20日までの間に,県に対し,本件作品の引き渡し,廃棄,作者への返却等を要求する行動が数回あった。
また,同年8月17日には,「大東塾」なる団体の構成員が県知事宅にまで現れ,本件作品の廃棄等を求め,さらには,1992年8月4日,同構成員が県庁知事室に侵入し,県知事に対し棒で殴りかかろうとする事件(「県知事暴行未遂事件」)が発生した。
同月8日,「皇室の尊厳を護る県民の会」は,県に対し,「あらゆる手段をとっても破棄させる。こんなもの残せばまた犯罪を出すことになる。これでよいのか。」,「我々はやさしくはない。裁判が長引いても徹底してやる。県が破棄しないなら美術館を壊すことだってある。それでもよいのか。」などと告知し,同年12月16日,野田なる人物が,美術館に対し,「なくなるまでわれわれは行動する。」などと言って,本件作品・図録の廃棄を要求した。
 第1審判決は,上記のような行動を,「常軌を逸した不当な活動」と表現している。県は,このような「常軌を逸した不当な行動」に屈する形で,本件作品を非公開とした上で他に売却し,図録を焼却したのである。

2 第1審は,県民の知る権利の重要性の観点から,美術館の作品非公開措置が許される場合を厳格に限定して,以下のように判示した。
「美術館が管理運営上の障害を理由として作品及び図録を非公開とすることができるのは・・・利用者の知る権利を保障する重要性よりも,美術館で作品及び図録が公開されることによって,人の生命,身体又は財産が侵害され,公共の安全が損なわれる危険を回避,防止することの必要性が優越する場合であり,その危険性の程度としては,単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず,客観的な事実に照らして,明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である」(下線部引用者)
そして,本件においては,危険を回避しうる他の方法があること等を指摘し,非公開措置を違法と認め,原告らの慰謝料請求認容した。

3 これに対し,第2審は,
「美術館という施設の特質からして、利用者が美術作品を鑑賞するにふさわしい平穏で静寂な館内環境を提供・保持することや,美術作品自体を良好な状態に保持すること(破損・汚損の防止を含む。)もその管理者に対して強く要請されるところである。これらの観点からすると,県立美術館の管理運営上の支障を生じる蓋然性が客観的に認められる場合には,管理者において,右の美術品の特別観覧許可書を不許可とし,あるいは図録の閲覧を拒否しても,公の施設の利用の制限についての地方自治法244条2項の『正当な理由』があるものとして許される(違法性はない)」(下線部引用者)
と判示して,第1審よりも緩やかな基準を立て,慰謝料請求を棄却した。

4 第2審に従うと,ある作品の公開に反対する者が「常軌を逸した不当な行動」を取れば,美術館はその作品を公開しなくてもよいということになる。表現の自由や知る権利の重要性からすると,行政は,「常軌を逸した不当な行動」をこそ規制すべきなのであって,作品の非公開を安易に認めるべきではないと思う。