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映画『TOKKO−特攻−』


                                                           
F・J記

 「生きたかったよ。死にたくはなかったよ」

日系アメリカ人2世の監督が、海の向こうからの視点も交え、「神風特別攻撃隊」の「本音」を引き出す。

彼女は、“KAMIKAZE”が「自爆テロ」と結びつけて語られることに違和感を覚えていた。他方で、特攻隊員を「狂信的なテロリスト」と信じて疑わずにいた。しかし、叔父が特攻隊の訓練を受けながらも、戦後それを語らず、この世を去っていったことを知って衝撃を受け、彼のいた日本を訪れる。映画はそんな監督の旅から始まる。
彼と同じく、日本で会った元特攻隊員らも、特攻の体験をすすんでは語ろうとしなかった。その隠れた生の声に、監督は正面から問いかけ、耳を傾ける。「軍神」でもなく、もはや「軍人」でもない、「個人」と向き合うのである。
映画では、「特攻をした者」だけでなく、「特攻を受けた者」の声も集めている点が光る。後者のアメリカ側の生還者も語り出す。「死ぬつもりで突っ込んでくる者」と「生きるつもりで戦っている者」の話を。

 映画は、「特攻」「神風」の意味や、かの戦争の経緯も、視覚効果を交えて教えてくれる。この点で、何も知らない観客を置きざりにして、話が先へ飛んでゆくことはない。(戦争の発端の)アジア、真珠湾、(転換点の)ミッドウェー、(敗色濃厚の)マリアナ、(特攻が始まった)フィリピン、オキナワ、ヒロシマ・ナガサキ、8・15・・・と史実に即して進む(史実を歪めた『パールハーバー』〔2001年〕を「神風」と誤解することもなくなるだろう)。そして、「特攻」には、事実上の「強制」が確かにあったことも・・・(「狭義」か否かは問題ではない)。
このことは、今も昔も学校では、何を教え込ませ、何を教えたがらないか、歴史「教育」の重要性を痛感させる。

 声なき声にも耳を傾ける。志願ではなく特攻「第一号」とされた関行雄大尉、精神訓育担当ながら志願した藤井一中尉。ベテランであれば、「特別」攻撃ではなく「通常」攻撃で戦果を上げ生還し得るという。より高い命中率がある特攻を「戦術的に合理的」とみるか、生還できず戦力は減るばかりの特攻を「戦略的に非合理的」とみるか――それは別として、彼らには彼らの意味があった。いや、意味を持とうとしていた。ある者は、「国」のためではなく、「妻」のため、「仲間」のために。しかし、時に、守るべきものは、すでになかった・・・。

 「アメリカでもあり得る」。特攻を受けて沈没した駆逐艦ドレックスラーの乗員、つまり、特攻隊員と相見えたことになる生還者はそう言う。東海岸をドイツから、西海岸を日本から守るためなら、自爆作戦をした「愛国者」もいただろうと。そこでは、日本のように情報がコントロールされ得るとも。これは、特に現在の「9・11」後にも当てはまるのではないか。
彼らのこの声を直に引き出した監督の眼差しには敬服する。この「互換」的な視点は、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』2部作、『ドレスデン、運命の日』にも描かれた「双方」という視点を卓越している。

また、ジョン・ダワー(日本近代史)も特攻につき説く。「生」を選ぶか「死」を選ぶかではなく「どうやって死ぬか」を迫られていったと。しかし、その中でも「生」があったことがわかる。飛び立つ前、ある整備兵は、いい機体ではないから悪いときは「帰ってきてください」と言ってしまう。旧式の爆撃機(九九艦爆)や練習機(赤とんぼ)が、戦闘機(コルセア)の迎撃を受け、対空砲火(近接信管)をくぐり抜け、敵艦に命中できることはまずない。その時、集中砲火から奇跡的に一命をとりとめた浜園重義・中島一雄両氏は「本音」をこう洩らす。「帰ろうや」と。「生きること」を選んだのである。

 もはや、大戦末期、特攻は、一つの「戦術」から「現象」へと変わっていたと映画は語る。いわゆる「一億総玉砕」である。しかし、ヒロシマの廃墟をみて、元特攻隊員・江名武彦氏は、闘志が萎えた。中島氏は、もうこれで戦争は終わる、生き延びることができると感じた。8・15、特攻訓練生の上島武雄氏は生きていることに驚いた。もちろん、だからといって、「原爆の犠牲者」「原爆のおかげで助かった者」が20万または1人であろうと日本人またはアメリカ人であろうと、「個人の尊重」からは原爆は正当化できない。この日米双方の視点も、今後の監督作品に期待したい。

 いま、江名氏は言う――2度と戦争をしない、させない。矛盾を戦という手段なくして解決する人類の知恵を見出さなければ、この地球はもたない――この言葉には重みがある。解決のヒントは日本国憲法前文にあるのではないか。また、海上自衛隊を退役した中島氏ら元特攻隊員2人の声にも説得力がある(同様に元航空自衛隊の信太正道『最後の特攻隊員――二度目の「遺書」』高文研参照)。
終わりにさしかかった旅を振り返り、監督は「〔特攻隊員は〕生き残って、野心に目を眩ませる国家がいかに制御不能となりうるか私達に警告するはずではなかった」と言う。この警告は、国家権力への懐疑、すなわち、「国家」権力制限と「個人」権利保障を旨とする「立憲主義」が基本の、憲法の重要性を物語っている(久田栄正・水島朝穂『戦争とたたかう――一憲法学者のルソン島戦場体験』日本評論社も参照)。

最近では『ホタル』『俺は、君のためにこそ死ににいく』などの作品あるが、政治的な立場によっては「観ず嫌い」されがちな方は、ドキュメンタリー映画の真髄である「生きた画」をまずはおすすめしたい。
筆者は、海軍最初と陸軍最後の特攻の地であるフィリピン・マバラカットと知覧を訪れ、元特攻隊員や遺妻と対談したことがある。しかし、これほど「個性」豊かな「生きた声」「生き抜いた顔」「生きている本音」を観聴きするのは初めてである。監督が母語ではない日本語で真摯に問いかけ、元特攻隊員たちは曖昧ではなくストレートな言葉で応答していることによって、「本音」が聴こえてくるのだろう。この夏、スクリーンの向こうから、彼らが語りかける「いまを生きるひと」へのメッセージの意味を考えてほしい。

【原題】 "Wings of Defeat"
【製作】 USA・日本、2007年
【監督】 リサ・モリモト
【上映】 2007年7月21日より、渋谷シネ・ラ・セットほか公開

 
                                                           

 

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