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映画『善き人のためのソナタ』


                                                           
F・J記

 あの日、聴こえてきた一曲のソナタ・・・それは自由を体現し、愛を表現する―
 その曲を聴いた彼は、生(Leben)の歓びに、ただ打ち震えるばかりだった―
1984年、冷戦下の東ベルリン。シュタージ(国家保安省)局員のゲルト・ヴィースラー大尉は、劇作家のゲオルグ・ドライマンとその恋人で舞台女優のクリスタ=マリア・ジーラントの生活(Leben)を監視し、反体制的であるという証拠を探るように命ぜられる。しかし、予期していなかったのは、彼らの生活(”Das Leben der Anderen”)に近づくことで監視する側である自分自身が変えられてしまうということだった。国家に忠誠を誓っていたヴィースラーだったが、いつの間にかドライマンとクリスタに影響を受け、それまで知ることのなかった、あの壁の向こう、新たな人生(Leben)へ目覚めていく。しかし、それは、他の者の生命(”Das Leben der Anderen”)を犠牲にすることにもなりかねなかった・・・。

上に繰り返したように、原題は、直訳すれば『他人の生活』(”Das Leben der Anderen”)。ドイツならば、すぐに連想されるのは、旧東ドイツ市民運動の機関紙アンデレ(Die Andere)、そして、シュタージ・非公式協力者による監視国家・相互監視社会である(参照、水島朝穂直言「『壁とともに去らぬ』――旧東独の傷口」同書評「制度が国民を操作する恐怖」アナ・ファンダー著〔伊達淳訳〕『監視国家――東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆』〔白水社〕。とくに同書における「制度が人々を操作する。シュタージさえも操られていた」という証言は、この映画にも当てはまる)。
 なお、日本では、戦前には電話が特高に世間話も隣組に筒抜け、現在でも1999年通信傍受法(「盗聴法」)に問題が残っているにもかかわらず、この原題のままでは観客の目を引くことはなかったかもしれない(韓国ドラマに熱の入った方々も『善きソナ』というほうが、馴染むかもしれない)。

 この邦題の劇中曲「善き人のためのソナタ」(Die Sonate vom guten Menschen)は、実はガブリエル・ヤレドが本作のために書いた楽曲である。しかし、どことなく琴線に触れ、過去に存在したかのように思える曲である。
 また、本作は、かつてのシュタージの建物、部屋、デスクなどを現存する限り用いている。いうならば当時の静物画でもある(高公害の自動車トラバントを今にも壊れそうに走らせている動画さえ時が静止したように見紛う。なお、シュタージ本部は、現在は博物館として見学可能であり、鬱蒼とした雰囲気が残っている。参照、水島朝穂「東ベルリンの『暗黒の水牢』」)。同じくシュタージの登場する時代的には、本作のそれぞれ前後のベルリンの壁に光を当てた『トンネル』(2001年)『グッバイ、レーニン!』(2003年)がある。これらが目に見える躍動感ある観る映画ならば、本作は静的な聴く映画である。その意味では、小さなコンサートでもある。

 もちろん、本作は広義のスパイ映画でもあるとはいえ、同じベルリンを舞台とする『新スパイ大作戦』MISSION 06「壁――最後の脱出」(1988年)や『M:i:III』(2006年)などのような(それはそれで観ごたえがある)チームワークやアクションを期待してはならない。もっとも、20分で完了させる盗聴器設置作業や、タイプライターの照合などの場面には、息を飲む。序盤、ヴィースラー大尉がドライマンの机の引き出しを開ける。出てくるのは、(西)ドイツに接してきた者ならば、誰しもよく手に取る雑誌シュピーゲルや新聞フランクフルター・アルゲマイネ・・・日本でも比較的容易に入手可能だが、旧東ドイツでは禁じられていたものである。ヴィースラー大尉が、ブレヒトの詩集を手にした場面など、思わず口元が緩みそうになるところもある。しかし、とくに終盤のタイプライターをめぐるまで緊張の連続である。
 このような緊張感と閉塞感が終始一場面(一小節)ごとに重く圧し掛かってくる。旧東ドイツの雰囲気、圧力であり、言い換えれば、「国家権力」である。原題に並ぶ見出しにはこうある――「ある権力システムにおいては私的なものは何一つない」。その「国家」に対する「個人」が描かれる本作には、その意味で憲法学が通奏低音のように響いてくるといえよう。

では、その「個人」に耳を傾けよう。上述のソナタと同様に、本作自体も、実在する人物そのものではなく、史実を元に彼らをモデルとした物語、小説である。映画に携わる者たちも同様の監視社会を体験していることがリアリティを増している。2000年から4年の歳月にわたる徹底的な取材を経て、若干31歳で初の長編映画を撮ったドナースマルク監督も、東ドイツ出身の母親や友人との少年時代の記憶を背負っている。監視する側のヴィースラー大尉を演ずるウルリヒ・ミューエは、旧東ドイツの舞台俳優時代、監視される側であった。彼は、自身の妻で女優のイェーニー・グロルマンに十数年間も密告され続けていた事実を記載したファイルを2001年になって知る。これは、映画のストーリーの核心とも関わる、映画の背景にある事実である。ここでは、これ以上は秘匿しておこう。

 その俳優ミューエがかつて演じた、『ラストUボート』(1993年)の艦長、『ファニーゲーム』(1997年)の理不尽な死を遂げた夫、『ホロコースト――アドルフ・ヒトラーの洗礼』(2002年)の人体実験で悪名高い親衛隊軍医メンゲレなどから、本作ではさらに名演に磨きがかかっている。
 逆に、監視される側の劇作家ドライマンを演ずるセバスティアン・コッホも、上掲『トンネル』の壁を越えた亡命者、『飛ぶ教室』(1993年)の壁によって別離したボブ、『オペレーション・ワルキューレ』(2004年)のヒトラー暗殺を企図したシュタウフェンベルク大佐、『ヒトラーの建築家――アルベルト・シュペーア』(2005年)でも主演を、『ブラックブック』(2006年)でも諜報部大尉という重要な役どころを演じ、頭角を現している。
 二人の過去の役が、本作の役と対照あるいは重なっているところが興味深い。そして、本作でも、二人の人物は、ある部分で対照性をなし、ある部分で共通性がある。ヴィースラー大尉は、静かな抵抗、決して仰々しくない抵抗を徐々に始める。他方、劇作家ドライマンは、文字通り劇的な抵抗、センセーショナルな抵抗を計画する。たしかに、公人(公務員)が「私」(秘密)に、私人(詩人)が「公」(公開)に、行動を移すところは対照的である。しかし、デスクワーカーと物書きらしく、二人の手段がタイプライター、すなわち「文字」によるものであったことは同じくしている。決して銃をとって「武力」には訴えなかったのである。
 その二人と接点をもつ舞台女優クリスタを演じたマルティナ・ゲデックの演技にも魅了される。ある場面では、演技をする女優を演技する女優なのか二重に深読みしすぎたほどである。そこに、その全てを抱え包み込もうとする強さと、巨大なものに飲み込まれてしまいそうな弱さ、という両面(人間の本性の一つの局面)が映し出しされている。
 三人に着目すれば、この映画は二重の意味で演劇もみせてくれるのである。

 また、本作では、シュタージの幹部も一様には描かれてはいない。ブルーノ・ヘムプフ大臣(『ヒトラー』〔2004年〕で党官房長ボルマンを演じたトーマス・ティーメ)や、部長アントン・グルビッツ中佐(『白バラ』〔1982年〕の一人ヴィリや上掲『ホロコースト』の親衛隊研究員ゲルシュタインを演じたウルリヒ・トゥクール)は、組織で体制(転換)を生き抜く世渡り上手と見受けられる。彼らに対し、中間管理職のヴィーラー大尉の、旧東のデスクの色のように淡々と公務に生きながら、他者を傷つけてまで出世を望もうとしない実直さが、葛藤を経て浮き彫りにされる。

 このように「国家(権力担当者)」と、それに抗う「個人」の様相が、(役者の個人的体験・経験も相俟って)観えてくる。ドライマンとクリスタが語らう「個人」の「芸術」「美」「自由」「愛」を聴いたとき、ヴィースラーは静かに変わり始めた。そこでは、「個性」を抹殺されたはずのコードネーム「HGW XX/7」が意味を持ち始めてくる。
 その後の彼らの生活を観れば、「この映画は勧善懲悪を主題とするドラマではない。それは加害者と被害者の『和解』の物語でもある」という見方もできる(高橋秀寿〔ドイツ現代史〕)。また、次のような見方もできよう。この作品で最後に映し出された者の表情を観れば、その「個人」にとっては「善き生」を送ることができたのだ、と。
 ある「国家」に忠誠を誓うことが「善」で抵抗することが「悪」であるわけではなく、逆もまた然りである。その意味で、「個人」それぞれの「善き生」を見出せる、「悪しき人」から「善き人のための映画」となるかもしれない。また、自分にとって「善き人」とともに観て、疑われ、信じることもできるおすすめの1本である。

【原題】 "Das Leben der Anderen"
【製作】 ドイツ、2006年
【監督】 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
【出演】 ウルリッヒ・ミューエ 、マルティナ・ゲデック 、セバスチャン・コッホほか
【上映】 2007年2月10日より、シネマライズほか公開

 
                                                           

 

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