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テレビ「取り残された民衆〜敗戦の満州・悲劇の逃避行」

H・T記
                              

 中国を侵略した日本軍(関東軍)は、1932年3月、中国からその東北部を分離して、満州国を建国し、かいらい政権を作りました。日本政府は、直後の10月から日本人の満州への移住を開始しました。「王道楽土」「五俗協和」が旗印でした。実際は、満州国の国防強化、対ソ防衛や満州鉄道沿線の産業開発のための要員として、昭和恐慌で疲弊した日本各地の農民を中心とした労働力を充てるという国策のためでした。多くは軽い軍事訓練を受け、「満蒙開拓団」として、ソ連国境近くに「入植」させられました。“夢の別天地”との歌い文句で移住した彼らを待っていたのは、日本軍によって土地を強制的に奪われた中国人の抵抗運動と、慣れない土地での過酷な労働・生活でした。1938年からは、集団移民を補うため15歳〜18歳の「満蒙開拓青少年義勇軍」を送り出しました。彼らを含む移住者総数は27万人〜32万とされています。
 
 1945年8月初旬、移住者を含む日本人たちは、突然のソ連の参戦によって大混乱に陥りました。それまでに青壮年男子のほとんどは徴兵され、残っていたのは婦女子、老人、 病弱者が多かったとされます。本来彼らを守るはずの関東軍の主力部隊は、予め立てられていた方針どおり、ソ連軍がやって来る前に、満州南部に撤退し、南に逃れる手段である主要な鉄道の利用は軍(とその家族)に独占され、開拓団などの民間人は無防備のまま敵前に取り残されました。自力で避難した彼らは進撃してきたソ連軍の標的にされ、言語に絶する悲惨な結果を生みました。犠牲者だけでも17万人以上です。日本人の幼児の一部は、肉親と死別したりはぐれたりして現地の中国人に保護され、あるいは肉親自身によって現地人に預けられたりして戦後も中国に残り、いわゆる残留孤児として、苦難に満ちた人生を送ることとなりました。

番組では、残された資料と映像を組み立て、また元兵士と民間人の証言により、この間の経緯を検証します。「軍隊は国民を守るためにある」という言葉は、いつの世でも言われますが、「現実」はそうではないことを実証する一つの例です(リンクしている残留孤児判決では、政府が主導して満州移民を進めたことについては言及しましたが、ソ連の参戦後、満州を防御するはずだった関東軍が、移民団を置去りにして撤退したことについては触れていません。残留孤児が発生した理由は―さまざまなケースがあることは事実でしょうが―他に求めています)。

【放送】 NHK BS1 8月15日(火)午後11時10分〜0時
【関連放送】 NHKスペシャル「満蒙開拓団」8月11日(金)午後10時〜10時50分

                              

 

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