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映画『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々』

F・J記
                              
「ある日、犠牲者の銘板を見たのです。ゾフィー・ショル――彼女の人生が記されていました。私と同じ年に生まれ、私が総統秘書になった年、処刑された――その時、私は気づきました。若かったというのは、言い訳にならない。目を見開いていれば、気づけたのだと」
これは、映画『ヒトラー〜最期の12日間〜』(2004年)の最後に、トラウドゥル・ユンゲ本人が語ったメッセージである(なお、原文に照らして字幕訳に誤りはないが、正確には、ユンゲは1920年生まれ1942年22歳で秘書、ゾフィー・ショルは1921年生まれ1943年21歳で処刑)。
実は、このゾフィーを演ずるユリア・イェンチは、その『ヒトラー』の冒頭、ともに総統大本営「狼の巣」を訪れた秘書候補ハンナ・ポトロフスキーを演じている。このことが一つの対照性を際立たせる。

1943年、ミュンヘン。ヒトラーの虚勢による戦争勝利の掛け声とは裏腹に、人々はスターリングラードでのドイツ軍大敗の噂をしながら見えない明日に怯えていた。そんな中、戦争終結を叫ぶ地下組織的なグループが存在していた。彼らは“白バラ”と呼ばれ、定期的にビラを配り、壁に「自由」「打倒ヒトラー」を書く非暴力的なレジスタンス活動を繰り返していた。

2月18日午前、ミュンヘン大学。“白バラ”に参加していたゾフィー(哲学部、生物学も)と兄・ハンス(医学部、国防軍衛生兵)は、講義中のひと気のない構内の数ヶ所にビラを積み置きしていく。そこでの緊迫感には息を呑む。
しかし、即刻、通告、逮捕され、同日午後、ゲシュタポ(秘密警察)ロベルト・モーアの取調べが始まる。
ちなみに、このモーアを演ずるアレクサンダー・ヘルトも、『ヒトラー』で自殺したヴァルター・ヘーヴェル外務省代表、『シンドラーのリスト』ではSS(親衛隊)官僚を演じている。同様に、この映画でも基本的にヒトラーに忠誠を誓う役人である。
この映画の山場であるゾフィーとモーアの取調べの駆け引きには、息をつく暇もない。この二人がまた対照をなしている。豊かな家庭に育ち恵まれた自由な学生と、地方警察官出身で組織に拘束された社会人。無実と信念を貫こうとする「強い個人」と、体制に順応せざるをえない「弱い個人」。この映画は、次のような裏面も同時に描く。取調べ以外で感情をあらわにする少女としての姿と、取調べで時折垣間見える息子を持つ父親としての姿。これらが互いの対照性を増している。

2月22日午前、ベルリンの民族裁判所長官ローラント・フライスラーによる「正義」の裁判が開かれる。
彼は、かつてソ連で捕虜、共産党員となって身に付けた罵詈雑言をがなりたてるサディスティックな方法で、2年後の休廷中に空襲で死亡するまで、死刑を宣告し続けてきた。ゾフィーの裁判は、その「司法テロ」(1985年連邦議会声明)の最たる例であった。
ちなみに、フライスラーを演ずるアンドレ・ヘンニッケも、『ヒトラー』で粗暴なヴィルヘルム・モーンケSS少将を、『ヒトラーの建築家』では狂信的なルドルフ・ヘス副総統を演じている。
ゾフィーの「深紅」のカーディガンと、フライスラーの「真紅」の法衣が対峙する瞬間、最も対照性が映えてみえる。

総統秘書、ゲシュタポ取調官、民族裁判所長官。異なる三つの角度から照らされることで、一人の女性、一人の大学生、一人の「個人」が浮き彫りにされる。
『ヒトラー』は群像劇、『アドルフ・ヒトラー―最後の10日間』(1973年)や『ヒットラー』(2003年)はヒトラーという「権力者」にスポットを当てる。それに対して、『白バラは死なず』(1982年)は群像劇、『最後の5日間』(同年)は同房のエルゼ・ゲーベルの視点、そして、本作はゾフィーという「個人」に初めてスポットを当てる。
彼女の姿は、『裁かるるジャンヌ』『ジャンヌ・ダルク裁判』『ジャンヌ・ダルク』を想起させるものの、決定的に異なる点が二つある。それは、「平和」と「愛」を躊躇いなく貫いた点である。決して「武力」で訴えようとはせず、その毅然とした姿勢と同時に、スターリングラードに送られた婚約者との「大空と海と二人の夢と風だけ」があった日々を振り返る一面もみせていた。 

「今にあなたがここに立つわ」。彼女の法廷での最後の言葉である。史実を基にした『ニュールンベルク裁判』を観れば、それはわかる。ナチス時代の憲法・法律を司った元裁判官・司法大臣エルンスト・ヤニング(オットー・ティーラックがモデル?)に対して告げられる言葉が有名である。「最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」と。 
ちなみに、エルンスト・ルドルフ・フーバー(憲法学)などがナチスの桂冠学者であったのに対して、反共で経済的理由からナチス党員であったにもかかわらず“白バラ”に協力したミュンヘン大学教授のクルト・フーバー(哲学、音楽学、心理学)は死刑に処されている。
そして、ドイツの裁判では、今も当時も「国民の名において」と判断の冒頭で読み上げられる。「国民」は「何も知らなかった」では言い訳になりはしないだろう。

この映画では、取調べや裁判の場面で、統一後90年代に旧東ドイツから発見された尋問記録を基にしている。ゾフィーの繰り返し強調する言葉をいくつか確認し、終わりにつなげることにしよう。
まず、「ノンポリ」である。ある意味、これは偽りの証言ではない。彼女も“白バラ”にも共産党など特定の党派的な色彩はない(仲間との会話でソ連の侵攻は嫌う台詞もある)。「ノンポリ」という彼女は、「無党派」であって「政治的無関心」ではないのである。その意味で、裁判官(審判)としては政治的中立であるべきだが、市民(プレイヤー)としては中立である必要はない。“白バラ”は、「任意の自発的な個人」による反ナチスのグループといえよう。
また、彼女は自身の「信仰」を強調し、「祈り」が心の拠り所となっている。もっとも、“白バラ”には、プロテスタント、カトリック、ロシア正教の者もおり、特定の宗教的な教義に依拠するものではない。
そして、「良心」に基づいていることを強調する。「制定法の不法」に対する良心を説くのである。さらに、彼女が訴えたのは「人間の尊厳」である。これは「制定法を超える法」として戦後のドイツ基本法(憲法)1条に明記された。

2月22日午後、ゾフィーの最後の「最期」の声が耳に残る。池田理代子は、フランス革命で戦死を遂げた伍長をモデルとした『ベルサイユのばら』の“白ばらの人”オスカルと彼女を重ねていう。「“死に際”こそがその人間の生き様を語る証として歴史に刻まれ語り継がれることを、彼らは知っていたかのようである」。

山下公子(早稲田大学教授)はいう。「社会の大半が沈黙を守る中で、不正と言い、おかしいと思うことをおかしいではないかという、普通の感覚と市民としての勇気〔…〕1943年2月のドイツでは、『白バラ』のメンバーはそのために命を懸けなければならなかった。しかし、社会の大半が彼らと同じく市民としての勇気を示し、それを貫くのであれば、そんなことに命を懸ける必要はなくなるのだから」。

ミュンヘン大学で見上げた「光の間」(Lichthof)に、ここで日本の具体的な事件・判決の屋上屋を架すことはしない。
ただ、ゾフィー(Sophie, Sophia)の意味を知ってほしい。

【原題】 "Sophie Scholl ? Die letzten Tage"
【製作】 ドイツ、2005年
【監督】 マルク・ローテムント
【出演】 ユリア・イェンチ、アレクサンダー・ヘルトほか
【上映】 2006年1月28日より、日比谷シャンテ・シネほか公開

                              

 

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