教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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中学・高校の憲法教育への期待――地元をつくる地方自治
2010年12月20日
小林 武さん(愛知大学法科大学院教授)
 

 中高生への憲法教育において、地方自治はどのように扱われているのだろうか。私は、それについて強い関心はあるが、詳しい知識はない。
  大学の教科書、また講義では、地方自治は、通例、「辺境」の地に置かれている。代表的な教科書である芦部信喜〔高橋和之補訂〕『憲法』(第四版、2007年・岩波書店)では、全体400頁近くの中でわずか8ページが割かれているのみで、内容の項目も、地方自治の本旨、地方公共団体の機関および条例にとどまっている。行政の、地方における一分野として扱われることも多い。それにひきかえ、この、中高生のための映像教室『憲法を観る』では、しっかり第3章、つまりはシリーズのまん中に置かれている。そして、「地元をつくる」ことが、未来を生きる中高生にふさわしい課題として呼びかけられている。
  中高の憲法教育については、先に書いたようによく知らず、そのことから、どうしても、あるべき憲法教育を論じることになるが、その点で、『映像教室』の地方自治の位置づけには大いに共鳴できる。その理由を述べておこう。
  地方自治というとき、まず、日本の中のそれぞれの地域が歴史や風土を異にし、それにもとづいて政治・行政のあり方も多様であることから、それぞれの地方自治体が中央の政府から独立したものでなければならないことを意味する。「団体自治」の原則である。それと並んで、いやそれにもまして、その地方の政治をつくる主人公がほかでもなく住民であるという原則が重要である。この「住民自治」を基軸に、2つの原則が相まって地方自治を成り立たせている。
  そして、人々は、この生活の場である自治体の政治・行政のあり方を自ら決めることをとおして民主主義を学ぶ。言い方を変えれば、人々は、そのことで主権者に育つ。それをとらえて、「地方自治は民主主義の小学校である」(イギリスの政治学者ブライスの言葉)といわれるのであるが、そのもつ意味は重い。地方自治とは住民が「地元をつくる」ことだととらえ、その学習を若き住民――中高生――に呼びかける企画は、おそらく、中学高校の地方自治学習に、大切な視角を提供するものだと信じる。

 主権者住民による地域の自治、これが第一の原則である以上、地方自治については、すべての問題を住民を原点にして考え、そのような仕方で問題を解くことが求められる。国が地方を「治める」という観点から考えるのはもってのほかであるが、首長など権力担当者の側から地方自治の制度をとらえることも、根本的に間違っている。すべてを住民を原点に考えることは、未来の主権者住民、中高生を対象にした教育にとって、とくに重要ではないだろうか。
  たとえば、二元代表制がそうである。地方政治にあっては、首長も議会も、ともに住民から直接選挙される。つまり、両者は、同じ民主主義的基盤をもち、対等に位置づけられる機関であって、そのようなものとして両者の間にはチェック・アンド・バランス(抑制と均衡)がはたらいている。たしかに、実際には、ほとんどの自治体で首長が議会に優位する実態がある。議会が、各会派が一部を除いて首長に協賛する「総与党」(オール与党)体制をとって、住民の信頼に値しないものと堕していることなどが、その原因である。しかし、だから首長優位は動かしがたい、と見るのは誤りである。住民をともに代表している2つの機関が本来の対等関係に戻るよう求めること、これが住民主権の原点に立った観方であるといえる。
  さらに踏み込んで憲法を読むと、93条は、首長と議会がともに公選されると定めたのに加えて、議会については「議事機関」だと明記している。首長については公選とした以外の定めはない。「議事機関」とは、審議・決定の役割をもつ機関であることを意味するが、憲法は、合議制の議会にこそ、少数者を含む住民の意思が反映されることを期待しているのである。こうして、議会は、条例制定などをする際に、その過程のさまざまな段階で住民に情報提供をし、住民から意見を聴く。これを繰り返して住民にとってよりよい結論を見出すことができる。議会は、このような「熟議」の機関であることを期待されているのである。
  これにひきかえ、首長は、独任制の機関として、住民の意見を集約して政策を執行することに適している。とすれば、住民意思を反映することにおいては、議会こそ住民代表機関であるといえる。現実とは逆であるが、住民を主人公とする原則に立つなら、憲法の定める二元代表制における首長・議会関係を本来の姿に取り戻すことこそ重要だというべきであろう。

 住民が「地元をつくる」ことを考えるについて、もうひとつ、直接請求制度を見ておこう。地方自治では、住民が議会と首長を公選する代表制民主主義のしくみとともに、国政では見られない直接民主主義の制度が採用されている。条例の制定改廃請求、事務監査請求、議会の解散請求、長・議員・主要公務員の解職請求、それに条例などにもとづく住民投票というように、かなり多くの種類がある。
  これらが、政治の方向を住民が直接決める主権者であるがゆえにもつ手段であることはいうまでもない。この趣旨に反して用いられることがあっては断じてならない。しかし、実際には、これが、首長が自己の権力を強化し、あるいは政策を強権的に実現するために用いられることがある。直接民主主義制度の逆用である。その実例を、私たちたちは今、名古屋市の事態の中に見ている。
  首長は、議会を解散する権限を、国政の内閣とは違って、持っていない。それで、名古屋の現市長は、自らの政策に反対する議会を解散するために、住民の直接請求をその趣旨に反して逆用しようと考え、解散請求運動の先頭に立った。その結果、解散に必要な数の署名が集められて解散請求は成立し(2010年12月)、解散の可否を決める住民投票が来年2月にもおこなわれる運びとなっている。市長の掲げる政策の善し悪しは別にして、その主導・扇動で直接請求が成立した事態は、やはり住民自治の姿ではない。ここでは、本来、首長や議会に向けられる直接請求が、首長の権力強化に使われたのである。
  これは、中高生の地方自治教育にとって生きた教材といえる。直接民主主義の諸制度は誰のためのものか、ひいては地方自治の存在意義はどこにあるのかを考えさせてくれる。明日の地元をつくり、地域をになう中高生にとって、地方自治の学習はとりわけて大切であると思う。地方自治のテーマは「辺境」に置かれてよいものではない。良い教材を準備し、熱意を込めて説く授業は、さぞかし生徒をいきいきとした地方自治へ、そして憲法へといざなうものとなるであろう。中学・高校の憲法教育に期待するゆえんである。

 
【小林 武(こばやし・たけし)さんのプロフィール】
1941年 京都市生まれ
現在、愛知大学法科大学院教授 憲法学専攻。スイス憲法、地方自治論、平和的生存権論などが主な研究領域。
主要著書として、『現代スイス憲法』、『憲法判例論』、『地方自治の憲法学』、『平和的生存権の弁証』など。
趣味は、サイクリング、山歩き、手話。手話で憲法講演をすることが夢。