教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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「権利」から「行動」へ
2010年5月10日
今野晴貴さん(NPO法人POSSE代表)
 

法律と現実の間
  法律と現実の間には常にギャップがある。それは憲法において特にはなはだしい。憲法9条が制定されているにもかかわらず日本は事実上の軍事力を保持しているし、海外派兵も行っている。「自衛隊は戦力ではない」とか、「インド洋は戦闘地域ではない」などといわれてきたが、明らかに不自然な常態だ。同様に、労働基本権が制定されているにもかかわらず労働組合の権利は制限されることがあるし、労働権が定められているにもかかわらず大量の失業者が存在する。さらにいえば、生存権の下で餓死者が発生している。
  このように、憲法と現実は完全に一致することはない。最近では「現実」に合わせて憲法を改正するべきだという議論が目立つようになった。しかしこうした主張には大いに疑問がある。憲法は国家の行動を国民の側から制限し、一定の方向に向かわせるものである。ある意味では理念としての憲法と現実とのギャップが存在することは当然だといえる。憲法の意義はそうした現実に対し国家がどのように向き合うべきなのかを規定しているからだ。「餓死者がいるから25条は現実にあっていない」というのでは、はじめから憲法の存在価値はまったくないことになってしまう。

「新しい憲法観」? 権利から自己責任へ
  「現実に合わせる」という議論以上に危惧していることがある。それは憲法そのものの内容を転換しようとする政治家が現れてきたことだ。新政権になってからは改憲論が一時収束しているように見えるが、ついこの間、自民党時代には常軌を逸した改憲論が展開されていた。自民党の憲法草案は国家の方向性を示すだけではなく、国民に義務を定めるとしていたのだ。これは憲法の本質に真っ向から反するものであり、世界的にも異例の内容だといってよい。
  国民に義務を求める背景には、国家あるいは社会の責任で個々人の生存や人権、社会的生活を保障するのではなく、自助努力・自己責任でそれらを保持すべきだという思想がある。非正規雇用の増加を若者の努力の問題に還元してきた自民党政権の姿勢がまさにこれを表現していた。実際には企業経営が非正規雇用の大量活用によって株主への高配当を行っていた事実や、そうした企業活動を国家が政策的に促進していたという事実があるにもかかわらず、貧困や格差の原因を「個人の努力」に求めていった。
  国家は社会のさまざまな問題に対処する機関であり、その方向性は憲法によって規定されているはずだ。今やこの関係が逆転し、国家はさまざまな問題の責任を諸個人に対して追及する機関になろうとしている。

労働法の活用と憲法
  このように、憲法を政策的に作り出された「現実」にあわせ、さらに国民の側に自助努力を要請するようになっている今だからこそ、国家や憲法に対する考え方をしっかりと教育する必要がある。その上でPOSSEの経験はひとつの参考になるだろう。
  POSSEの中心的事業は労働相談活動である。労働相談は当人に客観的な情報を提示し、当人自身の意向をサポートすることを目的としている。しかし使用者の違法行為を訴えるのは容易ではない。ほとんどの相談者が「法律」のライン(判例)以下での妥結を希望する。よく遭遇するのは「会社に悪い」、「自分だけ争うのは勝手じゃないだろうか」という悩みだ。こうしたとき、私たちは情報を提供するだけではなく相談者の精神的な後押しを積極的に行うことにしている。法律のライン、あるいはそれ以上を求めて交渉や訴訟を行うことを勧めるのだ。例えば残業代を支払わない使用者は多い。多くの使用者が違法行為をしているために、「残業代を請求する」という当たり前の法律行為が「自分勝手」であるかのように思えてしまう。しかし、事実は逆である。考えてみれば、中にはまじめに法律どおり経営を行っている企業もあるわけだ。違法行為を行う企業はそれだけ「ずるい競争」をしている。法律をどの企業にも守らせていくことで、この当たり前の法律のラインが社会に実現していく。これによって社会は法律の理念に近づいていく。これは「現実に法律をあわせる」という論理の逆を行くものだが、その根幹には「一つ一つの係争」が社会全体に法律どおりの経営を促していくという理屈がある。
  また、残業代のような明白ではない違法行為も存在する。例えば有期雇用の雇止めだ。3ヶ月契約の労働者を3ヶ月目に解雇する。これは悪いことなのだろうか? 多くの企業では契約の更新をしていたり、雇うときに「ずっと働ける」と口約束をしている。だから、今では有期雇用だからといって安易に解雇ができないという新しい「ライン」が設定された。これは一人ひとりが、それまでの「ライン」を超えて争った結果である。こうしたさまざまな争いによって作り出される「ライン」は、あたかも市民社会に描き出された「地図」のようなものだ。どのような主張が人々によってなされ、どれだけの社会的合意が形成されたのか、その不断の問いかけによって法律と社会の関係は成立している。
  法的な権利を主張することは、自分の身を守るだけではなく、社会全体の基準を引き上げていく可能性をも持っているのだ。自分が悪い、という「自己責任」の論理を超えて社会と自分の関係をつなぎなおすきっかけは、個々人の行動なのである。もし行動がなければ権利は実現せず、それどころが「現実」にあわせて権利そのものが削減されてしまう。もちろん社会をよくするチャンスもない。
  すでに述べたように憲法の本来の機能は、不当な行為や人権侵害を、「自己責任」ではなく国家や社会のあるべき姿への問いへと変換するものだ。憲法の理念を学ぶとは、「労働法を使い(行動によって)、社会を変える」ということを学ぶことに等しい。逆にこれを学ぶことができなければ、いくら具体的な権利や規定を学んでも意味がない。実際、9条や25条は「現実に合わない」という一言でかき消されそうになっている。憲法の動的な側面を学ぶことで、自分たち自身が「市民社会の地図」を作り変えていくアクターであることが理解できるはずだ。

反貧困の取り組みと憲法
  POSSEはさらに、労働相談だけではなく、(1)労働相談活動→(2)調査活動→(3)政策提言という三つの柱をすえて活動を行っている。労働相談の中からは、違法な企業活動が若者の生活や精神にどのような影響を与えるのかを直に知ることになる。これをより普遍的な知見にするために調査活動を行い、さらに政策の提言まで行っている。こうした社会的な取り組みを行うことも、本来の憲法の理念に沿っている。
  実際に、POSSEの取り組みは、行政の側から若者へ向けられた「自己責任」というロジックを調査と労働相談の実践から覆していくというものだった。私たちは発足当初に「若者3000人調査」を行い、「自己責任」では済まされない企業の違法行為の実態、「フリーター」の長時間労働の実態を明らかにした。こうした調査の実践と労働相談活動の中から、行政がするべきさまざまな施策を検討し、昨年からは雑誌『POSSE』を発行し全国の書店で販売するにいたっている。こうした私たちの取り組みはささやかなものであったが、そのほかのさまざまな「反貧困」団体の力によって、民主党政権はこれまでの政策とは大きく異なったマニフェストを打ち出すこととなった。これらの取り組みは労働法の活用と同様に、まさに「憲法的」なものだといってよいだろう。憲法を学ぶことはさまざまな社会的な局面の個々人がかかわっていくことを学ぶということでもある。
  以上のように、憲法の学習を通じて国家・社会のビジョンは自分たちで作り出せるもので、それを実現していくためには市民社会への自らの働きかけが重要であるということを学ぶことができれば、これは今後の日本社会の将来にとって極めて有意義なものとなる。しかし、私個人の義務教育体験を振り返っても、憲法をそのようなものとして学べたという実感はない。本サイトにおける憲法学習の取り組みが「権利の学習」から、市民社会へと向かう権利の自覚へと社会の認識が発展する契機となることを強く期待している

 
【今野晴貴(こんのはるき)さんのプロフィール】

1983年生まれ。一橋大学大学院博士課程。NPO法人POSSE代表。
POSSEは労働相談活動や調査活動、労働法教育活動などを東京、仙台、京都で行っている。
2008年9月 雑誌「POSSE」創刊
著作に『マジで使える労働法』イーストプレス、2009年など