法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

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日本国憲法の逐条解説

雑誌「週刊金曜日」に連載されたものです。憲法を1条ずつ解説していきます。
103条
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第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

明治憲法では天皇は主権者であり、国家神道と結びついた象徴でもありました。それに対して新憲法の下では、天皇は象徴でしかないことを明確にし、しかも主権が国民にあることを宣言したのです。天皇という平等原則に反する地位を、平等を旨とする国民の象徴としたところに、この憲法が持つ一つの矛盾が現れています。
身分制秩序の中で生きる天皇は、民主的で平等に人権を保障された国民とは異質です。それが国民の象徴とはどういうことなのでしょうか。ただ、天皇制にどのような意味づけを与えるかはまさに主権者たる国民の「総意」、つまり私たちの意識の問題です。
この条文は、私たち国民が天皇の地位すらも決めることができる主体なのであって、けっして「天皇を象徴として敬え」と強制されるような客体ではないことを示しています。一人ひとりの国民がどのように主体的に生きることができるか、それがこの憲法の価値を決めるといっても過言ではありません。(2006年2月3日)

第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

天皇の地位が世襲、つまり一定の血統関係に属するものに限られることを定めています。憲法上は世襲が要求されているだけで、生前退位や女性天皇を認めるかは皇室典範という法律に委ねられています。明治憲法時代には皇室典範はいわば第2の憲法とでもいうべきもので、国会の意思が及ばないところにありました。それを通常の法律と同じく国民の意思で皇位継承資格や順序を決められるとしたのです。現在、天皇となる資格は「皇統に属する男系の男子」(皇室典範第1条)に限られていますが、男女の違いにどれほどの意味を与えるかも国民の意思次第です。皇位の世襲制自体、憲法が認めた平等原則の例外であり、そこにはそもそも憲法上の人権保障など観念できないという考えもあります。しかし、それでも女性を跡継ぎを産むための道具としてみたり、側室つまり一夫多妻制を話題にしたりすることはまた別の問題です。(2006年2月10日)

第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

明治憲法時代の天皇は、すべての統治権を持っていましたが、現在は、主権が国民に移ったため、天皇は一切の政治的権限を失いました。憲法に規定されている国事行為という非政治的、儀礼的行為を行なうことができるにすぎません。しかもその国事行為を行なうときでさえ、内閣の「助言と承認」が必要とされます。一体としての「助言と承認」が事前にあればよいのですが、天皇はこれに絶対的に拘束されます。ここでも国会に責任を負う内閣の意思によって天皇の行為が決定される典で、国民主権が徹底されています。
国事行為については内閣が責任を負うのであって、天皇は一切責任を負いません。なお、天皇の私的行為については、刑事責任は及びませんが、民事責任を否定する理由はないと言われていますから天皇が不法行為責任を負うこともあります。ただし、現在の判例は天皇に民事裁判権は及ばないとしているので、いまのところ天皇を訴えたりすることはできません。(2006年2月17日)

第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

国政に関する権能とは、国政を決定したり影響を与えたりする行為をいいます。国事に関する行為とはそのような政治的決定力や影響力をもたない名目的、儀礼的な行為をいいます。ここで天皇は一切の政治的権限を持たないことを宣言することによって、天皇の非政治化をはかりました。しかも非政治的、儀礼的な行為である国事行為も憲法に列挙されているものに限定し、その権限が拡大していくことのないように歯止めをかけたのです。
また、たとえ天皇の私的行為であっても、国政に関するものであってはなりません。ですから、いくら学術的なものであっても「戦後補償問題について」という論文を発表することなどはできませんし、園遊会での発言も政治的な意味を持つことはありません。
本条2項によって、天皇が海外旅行に出かけているときなどは、国事行為を個別に委任できますが、委任された人が一時的に天皇になるわけではもちろんありません。(2006年2月24日)

第5条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

摂政とは、天皇が病気などで自ら国事行為をすることができなくなったときに、天皇に代わってその行為を行う法定代理機関です。いわば親権者や後見人のようなものです。「天皇の名で国事行為を行う」とは、天皇に代わってという意味であり、天皇自身が行ったのと同じ効果を持ちます。内閣の助言と承認に基づいて行われ、その責任も内閣のみが負います。ですが、摂政は天皇ではありませんから、天皇と同じように象徴になるわけではありません。
また、4条1項が準用されていますから、摂政の権能も、天皇自身の権能と同じく、国政に関するものであってはなりません。摂政が置かれる場合は、皇室典範という法律によって決まっています。天皇が成年に達しないとき、および天皇が精神もしくは身体の重患または重大な事故により、国事行為をみずからすることができないときに置かれます(皇室典範16条)。なお天皇、皇太子、皇太孫の成年は18歳です(同22条)。(2006年3月3日)

第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

7条とともに天皇の国事行為について規定しています。天皇は国政に関する権能を一切もたず、形式的・儀礼的行為である国事行為をすることしかできません(4条1項)。内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決によって指名されます(67条)。天皇は国会の指名した者を内閣総理大臣として任命しなければなりませんし、国会が指名しなかった者を任命することもできません。天皇の行為が名目的なものにすぎないことを強調するためには、たとえ内閣に実質的な決定権のない内閣総理大臣の任命という国事行為であっても、それまでの内閣による助言と承認が必要と解されることになります(3条)。最高裁判所長官に関しては、内閣は、実質的な指名を行うと同時に、天皇の名目的な任命行為への助言と承認を行います(本条2項)。このように行政権の長、司法権の長に対してであっても、天皇はあくまでも名目的な関わり方しかできないのです。(2006年3月10日)

第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2 国会を召集すること。
3 衆議院を解散すること。
4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7 栄典を授与すること。
8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9 外国の大使及び公使を接受すること。
10 儀式を行ふこと。

6条とともに天皇の国事行為について規定しています。天皇は国政に関する権能を一切もたず、形式的・儀礼的行為である国事行為をすることしかできません。この7条列挙事由には、衆議院の解散のように「国政に関する」とも思えるようなものも並んでいますが、内閣などの他機関が実質的な決定を行なうので、天皇の行為が名目的なものにすぎない点に変わりはありません。天皇はこれらの国事行為以外にも、外国訪問など一定の公的行為を行うことがあります。これを「象徴としての行為」として説明する立場もありますが、天皇を政治的に利用するようなことがあってはなりません。(2006年3月17日)

第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

88条とともに天皇の権能を財政面から制限しました。天皇や皇族の財産授受を国会のコントロールの下におくことによって、皇室が財産を通じて政治的影響力を持つことを禁じたのです。天皇や皇族であっても一私人としては、土地の売買などの財産法上の行為をすることができるのですが、そうした私的行為すら旧憲法時代には政治的・軍事的に利用されてしまったので、その弊害を防ごうというわけです。
皇室外から皇室へ、逆に皇室から皇室外への財産(土地所有権、預金、債券、株式、特許権などあらゆる財産)の移転を目的とする契約は、有償・無償を問わず国会の議決がなければ無効となります。ただ、たとえ皇族であっても婚約者へのちょっとしたプレゼントなどをいちいち国会で議決してもらうのでは興ざめです。この条文の趣旨から考えて、皇室の皆さんの日常生活にかかわる程度の財産授受などは、一定の金額内であれば国会の議決は不要となります。(2006年3月24日)

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

侵略戦争はしないなどの何らかの平和条項を持つ憲法は数多くありますが、戦力を持たないと明言している点で極めて特徴的な規定です。1項にいう「国際紛争を解決する手段」は、侵略戦争を意味すると解する立場に立ったとしても、2項によって、一切の「戦力」を保持しないと宣言したことによって、自衛のための戦争もできないと解されています。そのときどきの多数派が「国を守るため」とか、「国際貢献」という美名に惑わされて間違った判断をしないように予め、戦力は持たないと歯止めをかけたわけです。
独立国家である以上、自衛権は持っているので、自衛隊は自衛のため必要最小限度の「実力」であって、戦力ではないというのが政府見解です。9条と前文は日本のあるべき姿を示しますが、それにとどまらず、暴力の連鎖を断ち切り、人類の進むべき道を指し示したものとして世界でも高く評価されています。9条改憲は単なる国内問題ではないのです。(2006年3月31日)

第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

ここから第3章「国民の権利及び義務」つまり人権規定が始まります。憲法は人権保障の体系ですから、この人権規定が憲法の中核部分をなすことになります。その冒頭に置かれていることから、本条は人権の主体である「国民」の具体的範囲を法律に委ねた規定と思われそうですが、実は、国家の構成要素としての国民の範囲つまり国籍保持者の範囲を法律で決めるという意味になります。
「日本国民」は前文1項や1条にも登場しますが、そこでいう「国民」が国籍保持者に限られるのか、国籍保持者の中の有権者を指すのか、またはこの国に生活の本拠を持つすべての人々を意味するのかは議論のあるところです。国籍法は出生の時に父又は母が日本国民であればその子は日本国籍を取得するという血統主義を原則としています(国籍法2条)。
ですが、憲法の理念を徹底させるならば、この国に生きるすべての人々が国民であると解することができるはずです。
(2006年4月7日)

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

人権は、憲法や天皇から恩恵として与えられたものではありません。人間である、ただそのことだけで当然に誰でも保障されるものです。「与へられる」という表現も比喩的にいえば天や自然から与えられたもの、つまり人間が生まれながらに有するものであることを意味しています。また、「侵すことのできない永久の権利」とすることで、一定の限界はあるものの原則として、あらゆる公権力や憲法改正によっても侵害されないものであることを示しています。
さらに「国民」とありますが、これは外国人も含めてこの国で生活するすべての人という意味です。人権が人の権利である以上、権利の性質上適用可能な人権規定はすべて外国人にも適用されると解されています。人(human)として正しい(right)ことを意味する人権(human rights)は、西欧近代キリスト教社会という枠を超え、このアジアの国で私たちが主張することでまさに普遍的な価値としての意味を持つことになるのです。
(2006年4月14日)

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

人権が生まれた国イギリスでも当初、人権はイギリス人の権利でしかありませんでした。フランス人権宣言ですら、そこでは男性しか想定されていません。つまり、人権は、歴史的に見れば人類の普遍的な価値ではありませんでした。人類が過去幾多の試練の中から勝ち取り、普遍的な価値であるべきだと主張し、拡大し続けてきたものなのです。ですから、私たちが権力などの強い力を持ったものに対して人権を主張し続けなければ、人権など消えて無くなってしまいます。私たちが日々の生活の中で主張し続け、実践し続けることによってやっと維持できるものなのです。
もちろん、他人に迷惑をかけたり、自分勝手が許されるわけではありませんから、公共の福祉のために一定の制限は受けます。この「公共」(public)とはpeopleと同じ語源を持つ言葉であり、人々を意味します。けっして天皇や国を意味する「公」や抽象的な国益のために人権制限が許されるわけではありません。
(2006年4月21日)

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

人権は、近代市民革命を経て、特定の身分を持った人の特権から、一人ひとりの個人の人権へと発展してきました。個人に着目することこそが近代憲法の本質なのです。あくまでも個人のために国家は存在するのであって、けっして国家のために個人があるのではありません。誰もがかけがえのない命を持った具体的な個人として尊重されます。お互いの違いを尊重し合い、人種、信条、性別などを越えて、多様性を認め合う社会を憲法はめざします。
幸福の中身もそれぞれ違っていいのであり、ゆえに憲法は幸福権という人権を保障していません。自分が決めた幸福を追い求める過程を幸福追求権として保障したのです。自分の幸せは自分で決める、つまり自分の生き方やライフスタイルは自分で決めることができます。これが自己決定権です。自分に関する情報は自分で決めて管理したい。これがプライバシー権です。こうした新しい人権は本条で立派に保障されています。
(2006年4月28日)

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。

自由と並んで平等は近代憲法の基本原理の一つです。日本国憲法は平等原則を定め、特権的な制度を禁止することで平等を徹底しようとしました。本条により人々は権利として平等を主張することができます。この平等は、事実上の差異を考慮して法律上違った扱いが許される相対的平等です。人は皆違うのですから、それぞれの個性に着目して違った扱いになるのは当然ともいえます。しかし、どのような違いに着目してどのような違った扱いを認めることが合理的なのかの判断はそう簡単ではありません。
また「国は人々に活動の機会を保障して自由競争に任せておけばよく、結果の不平等は自己責任である」というかつての近代国家の考えは、格差社会を広げるだけであり不十分です。社会的・経済的不平等を是正して実質的平等を実現することも現代国家の重要な役割のひとつとなっています。自由でフェアな競争はあくまでもその前提が保障されてこそ可能なのです。
(2006年5月12日)

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

自由で平等な社会を築くためには、一人ひとりが対等な立場で政治に参加できなければなりません。この国政に参加する権利(参政権)の中で最も重要なものが選挙権です。ただし、国民が直接選挙で選べるのは、国会議員、地方公共団体の首長と議員だけで、罷免することができるのも憲法上は最高裁判所裁判官だけです。よって、1項はあくまでも、公務員の地位が最終的には国民の意思によるという国民主権の原理を表したものと解されています。
そしてすべての公務員は国民全体の利益のためにその職務を行なわなければならず(全体の奉仕者)、特定団体の利益のために行動してはなりません。しかし、全体の奉仕者であるからといって、当然に公務員の労働基本権などを制限できるわけではありません。あくまでもその職務内容によって必要最小限の制限が許されるだけです。よって、たとえば消防職員の争議権を制限することはできても団結権までうばうことについては疑問です。
(2006年5月19日)

第16条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

請願とは、国または地方公共団体の機関に対し、その職務に関する事項についての希望、苦情、要請を申し出ることをいいます。
選挙権や政治的言論の自由が十分に保障されていない時代においては、請願権は民意を為政者に伝える手段として重要な役割を担っていました。今日その意義は薄れたとはいえ、選挙以外の場で国民の意思を国政に反映させる一つの手段となりますから、参政権的な意味を持つ重要な権利です。損害の救済などが条文にあがっていますが、そこに列挙されていないことであってもあらゆることがらについての請願が可能です。
請願を受けた機関は、これを受理し誠実に処理する義務を負うだけで、なんらかの判断をして回答することまでは義務づけられていません。確かに法的にはそのとおりなのですが、顧客満足度を高めるための努力が民間企業に必要なように、公的機関であっても利用者の声にできる限り応えることは必要なのではないでしょうか。
(2006年5月26日)

第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

かつては諸外国と同様に日本においても、国がその権力行使に関して不法行為責任を負うことはありませんでした。しかし、公務員の不法行為を放置してよいわけもなく、現在は国家賠償法によって本条の権利が具体化されています。
国会議員が違憲の法律を作ったことや、必要な法律を作らなかったことによって損害を被った市民が国家賠償請求できるか否かは議論されています。立法内容または立法不作為が、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害することが明白な場合などには国会議員の行為は違法となり、国家賠償請求できると解されています。立法、行政、司法などあらゆる権力が違法行為を行なったときにこれを正すための重要な権利といえます。
なお、不法行為をした公務員個人の責任について本条は何ら定めていないため、判例はこれを否定しています。しかし、国や公共団体が我々の税金を使って、公務員の肩代わりをするだけというのでは納得できません。
(2006年6月2日)

第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服さない。

不当に身体の拘束を受けないことは、人間の尊厳に関わる重要な人権です。本条が禁止する奴隷的拘束とは、拘束の方法や労役の有無を問わず、個人の人格を無視した拘束をいいます。人身売買などはもちろん、そこまで至らない強制労働であっても、意に反する苦役として許されません。
ただし、奴隷的拘束は例外なく絶対禁止ですが、意に反する苦役を受けない自由は、公共の福祉の観点から制限されます。よって、緊急災害時に国民に協力を要請することは許されます。
また、軍隊を持たない憲法の下では、徴兵制は各人の意思に反して一定の労役を強制することになりますから、本条によって違憲となります。しかし、軍隊を持つことになれば、憲法上に兵役が義務づけられていなくても、いつでも法律によって徴兵制を採用することは可能となるでしょう。なお、本条は国家権力による行為を禁止するのみならず、企業による人格を無視した拘束や労役も許しません。
(2006年6月9日)

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

人は誰もが自分らしく生きる権利をもっています。自分らしく生きるためには、それぞれの人生観や世界観など心の内面について国や社会から干渉されないことが必要となります。そこで憲法は、人の内心におけるものの見方ないし考え方の自由を思想・良心の自由として保障しました。よって特定の思想の強制や、思想を理由とする不利益な取り扱いは禁止されます。
また、思想を強制的に告白させたり推知したりすることも禁止します。日の丸、君が代についてどう感じるか、愛国心を持つかどうかという問題はまさに個人の内心領域の問題であり、多数意思によって一定の考え方を強制することはできません。
そもそも憲法は、政治的な多数意思によっても介入してはいけない個人の私的領域を保障することにその本質があります。さまざまな思想統制をして国民を戦争に駆り立てていった日本の過去への深い反省から、外国には例をみない本条が生まれたことを忘れてはなりません。
(2006年6月16日)

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

西欧諸国においては、信教の自由は、教会権力からの解放という意味をもち、すべての精神的自由の原型ともいうべきものでした。本条1項前段には、信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由が含まれています。さらに1項後段、3項及び89条前段において政教分離原則を規定しました。国家が特定の宗教と結びつくとき、異教徒や無宗教者に対する宗教的迫害が行われた人類の苦い歴史があります。こうした少数者の信教の自由への侵害を避けるために、国家の非宗教性、宗教的中立性が要請されるのです。
明治憲法時代は、天皇を神として崇める神社神道を事実上、国教として扱い、国は軍国主義政策の精神的基盤としてこれを利用してきました。その反省に基づいて、日本においては特に政治権力が宗教を利用することを厳格に禁じているのです。よって、内閣総理大臣による靖国神社参拝のみならず、天皇家の行なうさまざまな宗教的儀式に公金を支出することも問題です。
(2006年6月23日)

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

人はその内面に持つものを外に表現して他者に伝えることができたときに、一人の人間として幸せを感じることができます。また、一人ひとりが自分の意見を自由に他者に伝え政治に反映させることができてはじめて民主主義は成り立ちます。このように表現の自由は個人にとっても社会にとっても不可欠の重要な権利です。こうした言論活動は、その多様性が確保され自由活発に行なわれることでより進化します。
本条の核心は、既存の概念や権力のあり方に異論を述べる自由を保障するところにあるといってもよいでしょう。そこに国家が予め介入してコントロールすることは許されません(検閲の禁止)。公権力が思想内容の当否を判断すること自体が許されていないのです。
なお、本条によって情報を受け取る側の知る権利も保障され、公権力に対する情報公開請求が民主主義の実現にとって重要な役割を果たします。情報を持つ者が持たない者を支配することがあってはならないのです。
(2006年6月30日)

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

自己の職業を決定するとともにそれを行なう自由(営業の自由)は、29条と並んで経済的自由と呼ばれます。この経済的自由は市民革命のころから重要な人権として保障されてきましたが、もちろん公共の福祉による制限も受けます。不良医薬品の販売のように国民の生命や健康を害するような営業活動を規制することは、権利に内在する制約として許されます。
のみならず、たとえば、地域の商店街を守るために大規模スーパーの進出などをある程度制限することも、社会的経済的弱者の救済という観点からの政策的な制約として許されると解されています。
なお、人を土地に結びつけた封建制を否定して人々の移動を認めることによってはじめて自由な経済活動が可能となりますから、国内外への移動もここで保障されています。ですが、強制隔離などによってこの居住移転の自由を不当に制限することは、個人の精神活動や人格に対する重大な侵害にもなることを忘れてはなりません。
(2006年7月7日)

第23条 学問の自由は、これを保障する。

学問は真理の研究にかかわります。既存の価値や考え方を疑うところにその本質があるので、その批判的性格のために、ときの権力による干渉を受けやすい面をもちます。特に日本では、明治憲法下で滝川事件や天皇機関説事件など学問の自由が国家権力によって侵害された歴史があるため、精神的自由権の重要なひとつとして位置づけられています。
また、伝統的に大学が学問の中心であったため、大学への権力の干渉を排除する「大学の自治」が制度として保障されています。特に、治安維持に名を借りて警察権力が大学構内で警備公安活動を行なうことは、自由な学問研究を萎縮させる効果を持つために許されません。
なお、今日、原子力や遺伝子技術、医療技術など先端科学技術の発展にはめざましいものがあります。その危険性から規制も必要となりますが、13条が保障する「人間の尊厳」が抽象的な制約根拠としてひとり歩きすることは避けなければなりません。
(2006年7月14日)

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

13条の「個人の尊厳」を踏まえた上で、夫婦は対等な立場であることを謳ったものです。明治憲法時代、「家」制度の下で、女性が個人として尊重されなかったことに対する反省から、あえて憲法に盛り込みました。
憲法は「家族」についてこうあるべきとは規定していません。「男性は外で働き、女性は家庭を守る」という性別分業を押しつけることや、個人よりも家族が大切、つまり個人より団体が大切という考え方を憲法は否定しますから、家族を作ることも含めて、そのあり方はそれぞれの個人が自分たちで決めればいいとしたのです。
13条、14条と相まって、性別分業や男らしさ、女らしさといった行動規範にとらわれないで各自が自由な選択ができる社会を憲法はめざしています。民法もこうした個人の尊厳と両性の本質的平等の理念のもとにあるはずなのですが、非嫡出子の相続分差別、女性の再婚禁止期間制限、夫婦同姓の強制など多くの問題を残しています。
(2006年7月21日)

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

20世紀になって、福祉国家の理念の下に、社会的経済的弱者を保護し実質的平等を実現するために保障されるようになった社会権の原則的規定です。1項で生存権を保障し、2項でその実現のための国の義務を定めましたが、単に政治的道義的義務を定めたのではありません。私たちの人権としての要求に応える法的義務です。
そして国がその要求に応じて生活保護費を支給する際に、「クーラーは贅沢品だから買ってはいけない」というように、その使い道の自由を奪い、「金は出すけれども口も出す」というのでは、本末転倒です。あくまでも被保護者が人間らしく自由に生きることができるように自立を手助けすることが、その趣旨ですから、自由を伴わない福祉であってはならないのです。
また、自立支援といいながら安易な自己責任論のもとに国家の果たすべき役割を市民に押しつけることは許されません。経済の自由な競争は充実した生存権の保障があって初めて成り立つのです。
(2006年7月28日)

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

誰もが一人の人間として、一市民として成長し発達して自己の人格を完成させていくために必要な学習をする権利を持っています。特に子どもは必要な教育を大人に対して要求する権利を本条で保障されています。
子どもへの教育は、子どもの学習権を充足させるためにあるのであって、子どもを大人たちの都合のいいように教育することは許されません。ましてや国家が支配しやすいような国民に仕立て上げるために教育が手段として使われることがあってはなりません。国家の役割は教育条件の整備などに限定されるべきであり、教育内容に対する介入は許されないと考えます。
また、親の経済力によって教育の質が違ってはなりませんから、義務教育の無償制も単に授業料の無償にとどまらず就学援助など、よりひろく実質的に考えられるべきです。教育は明日の主権者の育成という意味を持つのであり、その条件整備は何よりも優先して実現されるべきだからです。
(2006年8月4日)

第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

労働に関する契約はもともと労使間の自由に委ねられていましたが、経済的弱者である労働者に真の契約の自由などなく、低賃金や過重労働などの不利な条件を強いられてきました。こうした歴史的経緯をふまえて、労働条件の設定に国が関与し、労働者の立場を保護しようという趣旨に基づく規定です。
国に対して労働の機会を要求し、それが不可能なときには相当の生活費を要求することができます。また、使用者の解雇の自由も本条によって制約されます。さらに労働条件の劣悪化を許してはなりませんから、2項で特に国に必要な措置をとることを要請しました。本条は、職業安定法、雇用保険法、労働基準法など多くの法律によって具体化されていますが、いわゆるニート対策はまさに急務となっています。なお、勤労の義務が課されていますが、働く能力も機会もあるにもかかわらず、働こうとしない者は、生活保護を要求できないという意味に解されています。
(2006年8月11日)

第28条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

契約自由の原則を労使間においても貫くと、現実の経済的力量の差ゆえに、労働者は使用者に対して不利な条件を強いられてしまいます。そこで、弱い立場にある労働者を使用者と対等な立場に立たせることを目的として、団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)を労働基本権として保障しました。
国に対して労働基本権を保障する措置を要求することができるほか、正当な労働基本権の行使に刑事罰を科すことを禁じ(刑事免責)、不法行為や債務不履行として民事責任を課すことを許さない(民事免責)ところに意味があります。もともとは労働者の生存権を保障するためのものでしたが、今日においては、13条が保障する自己決定権の現れとして、自らが服する労働条件の決定に主体的に参加していくための権利と位置づけることができます。こう考えると、ある程度の収入を得ている労働者にとっても、労働基本権が重要な権利であることが説明しやすくなります。
(2006年8月25日)

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

フランス革命のころから重要な人権とされてきた個人の財産権を保障しています(1項)。この財産権は人の生命や健康などに対する危害や災害を防止するために各種の内在的制約を受けるほか、私的独占の禁止などの政策的制約を受けることもあります(2項)。また特定の個人の財産を、道路拡幅など公共のために強制的に奪うこともできますが、そこで生じた損失は、国民みんなで負担するのが公平だという趣旨の規定です。
したがって、土地や家屋などの市場価値や、それを失うことによる損失を含めて完全に補償されますが、さらにたとえばダム建設に伴い生活の基盤を失う人の生活再建措置のあっせんなどもここに含まれるべきです。また、社会を伝染病から守るために事実上強制された予防接種によって生じた健康被害についてもなんらかの形で国民全体つまり国が負担するべきです。
(2006年9月1日)

第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

教育を受けさせる義務、勤労の義務と並ぶ数少ない国民の義務規定の一つです。国民が自分たちの権利を守るための組織として国家をつくったのですから、それを維持するための費用を自分たちで負担するのは当然のことです。ただし、天皇や外国人も負担します。
また、納税の義務は法律によって具体化されますから、84条とともに租税法律主義を規定しているともいえます。国民が納税者としての意識を強く持つことは、自分の払った税金の使い道について関心を持つことにつながりますから、それは同時に主権者意識を高めることになります。
効率的に戦費を調達するために始まった所得税の源泉徴収制度がいまだに続いているため、それが多くの国民の納税者意識を希薄にしてしまっているとしたら危険です。自衛隊のイラク派遣やミサイル防衛にどのくらいの税金が使われて、どのような意味があるのかをしっかりと監視することは、納税の義務に伴う国民の責任といえます。
(2006年9月8日)

第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

人身の自由に対する基本原則を定めた規定です。アメリカ合衆国憲法の「法の適正手続き」(due process of law)に由来します。そのため、条文上は刑事手続の法定だけが要求されていますが、手続の適正も保障されると解されています。
適正な手続を保障するということは、告知・弁解・防御の機会を保障することを意味します。公権力を手続き的に拘束することによって国民の人権を保障していこうとする本条の趣旨は、税務調査のような行政行為についても及びます。そこで、刑事手続でなくても、公権力が国民に不利益を課す場合には、当事者に予めその内容を告知し、弁解と防御の機会を与えなければなりません。判例は常にそのような機会を与える必要はないとしますが、原則としてこうした機会は保障されるべきです。
また、犯罪と刑罰は予め法律で定めなければならないという罪刑法定主義も本条によって要請されると解されています。
(2006年9月15日)

第32条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

すべての人は平等に、政治権力から独立した公平な裁判所の裁判を求める権利を有しています。
この裁判を受ける権利が保障されてはじめて、個人の権利が救済され、社会秩序が維持されるのですから、近代国家における重要な人権として位置づけられます。
その意味では、たとえば原子力発電所の安全性を争う行政訴訟などで手続的な要件を厳格にしすぎて、住民からの請求を容易に門前払いにするようなことは許されません。また、裁判所に違憲審査権(81条)が与えられている日本国憲法の下では、個人の人権保障を確実なものとし、憲法価値を実現するための権利としても重要です。よって、たとえば自衛隊の合憲性が争点になっているにもかかわらず、高度に政治的な問題だからといって裁判所が憲法判断を避けてしまうのは疑問です。なお、経済的な負担から裁判による救済を断念することがあってはなりませんから、法律扶助制度の確立も本条の要請するところと考えます。
(2006年9月22日)

第33条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

犯罪捜査の場面はもっとも人権侵害の危険が高まります。そこで、捜査機関による恣意的な逮捕を避けるため、被疑者を逮捕するには、予め裁判官の発布した令状がなければならないという令状主義を定めて人身の自由を保障しました。
この令状主義はあくまでも独立した立場の裁判官による厳格なチェックが働くことを前提にしていますが、請求された令状を安易に発布してしまうことがある現状は問題です。なお、現行犯逮捕の場合には逮捕権の濫用のおそれがないであろうということから、令状主義の例外となります。刑事訴訟法では逮捕の直後に逮捕状が発せられる緊急逮捕も一定の要件の下に認められています。
また、重大犯罪である本命の犯罪(本件)について容疑が固まらない場合に、より軽微な他の犯罪(別件)によって逮捕して取調をし、本件についての証拠収集をしようとすること(別件逮捕)は、実質的には令状主義の潜脱であり許されないと考えます。
(2006年9月29日)

第34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

逮捕のような一時的な身体拘束を抑留といいます。逮捕に引き続いて行われる勾留のように、より継続的な身体拘束を拘禁といいます。どちらも人身の自由に対する重大な侵害ですから、その身体拘束の理由の告知を受ける権利、弁護人を依頼する権利、そして拘禁についてはその正当な理由を公開法廷で示すよう要求する権利を保障しました。
身体を拘束され、社会から遮断された被疑者が自らの権利を実効的に防御するためには、弁護人の援助が不可欠です。そこで、被疑者は弁護人を選任したうえで、弁護人に相談し、助言などの援助を受ける権利が保障されます。
警察官の立会なく弁護人と面接したり書類などの授受をしたりする接見交通権は最大限保障されなければなりません。このように被疑者の人権を保障することは、被疑者を捜査機関と対等な当事者として扱うことにより、その人権保障に役立つのみならず、自白強要などを原因とする誤判を防ぐことにもつながるのです。
(2006年10月6日)

第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基づいて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

「各人の住居はその城郭である」という法諺(ほうげん)が示すように、個人の住居は権力によって侵されない私的領域として古くから保護されてきました。本条は、プライバシー保護の一環として、住居、書類及び所持物について、国家権力による恣意的な侵入、捜索及び押収を禁止しています。ただし、裁判官の発する目的物を明示した令状によるときと(令状主義)、33条の場合つまり現行犯逮捕を含めて逮捕に伴う合理的な範囲における無令状の捜索を認めました。警察による職務質問に伴う所持品検査もこの35条の規制を受けますから、令状がない限りあくまでも任意処分として許されるだけです。
電話盗聴、強制採尿など犯罪捜査の必要性と人権保障がときには鋭く対立しますが、常に令状主義の精神に沿って解決しなければなりません。なお、犯罪の証拠収集の過程で令状主義の精神を没却するような重大な違法があったときには、その証拠を裁判で使うことができません。
(2006年10月13日)

第36条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

拷問と残虐な刑罰は「絶対」に禁止されます。公共の福祉による例外は認められません。テロリストには人権などないと言われてしまう今日、かつて警察や検察による拷問と自白強要が日常的に行われた苦い歴史を持つ日本では、特にこの「絶対」は重い意味を持ちます。拷問とは自白を得るために肉体的生理的な苦痛を与えることですが、精神的な苦痛を与えることも同じように禁止されていると解すべきです。
絞首刑による死刑は残虐な刑罰に含まれないとするのが判例ですが、死刑そのものが個人の人間としての尊厳を否定する点で残虐であり違憲と考えます。冤罪をなくすことが不可能である以上、国家権力による殺人たる死刑は速やかに廃止されるべきです。世界では既に123カ国が死刑を事実上廃止しています。もちろん犯罪被害者に思いをよせることは重要ですが、被害者の応報感情を満たすことが刑事司法の目的ではないことを忘れてはなりません。
(2006年10月20日)

第37条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

刑事裁判はもっとも重大な人権侵害を伴うことがあります。そこで、特に、公平・迅速・公開の裁判を受ける権利を被告人の人権として保障しました。ただし迅速すぎる裁判によって被告人の防御権が侵害されることがあっては本末転倒です。
被告人は裁判の場においては、検察官と対等な当事者として扱われます。その主体的な地位を確保するため、不利益な供述をする証人に対する反対尋問権と、有利な証人を呼んでもらう権利が保障されています。また、その当事者としての立場を補強して手続の適正を確保するために、弁護士を依頼する権利も保障されており、その費用を国が負担することがあります(国選弁護人)。
最も人権侵害の危険がある捜査段階ではこれまで認められていませんでしたが、10月から新たな被疑者国選弁護制度が始まりました。世界の水準に近づく貴重な一歩ですが、利用できる人の資源額基準の設定、法務省と関わりの深い組織が運用するため弁護士の独立性が保てるのか等の問題を残しています。
(2006年10月27日)

第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

刑事手続における被疑者や被告人に限らず、証人も刑事責任を問われる可能性のある供述を強要されることはありません(1項)。この供述拒否権は、刑事裁判のみならず民事裁判や議院における証言の場においても、また行政手続においても保障されます。
2項は強制された自白など、任意性のない自白を証拠として使うことを禁じます。強制や利益誘導されて得られた自白は虚偽である危険が大きいですし、捜査機関に黙秘権侵害をさせないようにするには、証拠として使えないとすることが効果的だからです。2項に列挙された事由はあくまでも例示であり、たとえば、長時間にわたる取調べによって得られた自白も、その任意性に疑いを生じさせるようなものであれば証拠として使うことはできません。
3項は、自白を唯一の証拠とする場合にも有罪とできるとすると自白強要のおそれや誤判の危険が高まるので、その自白だけでは有罪にできないとしました(補強法則)。
(2006年11月3日)

第39条 何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

何かを行なうときにそれを犯罪として処罰する法律がなかったにもかかわらず、後から法律ができて罰せられたのでは、人は安心して自由に行動することができません。そこで、犯罪と刑罰は予め法律で定めておかなければならないという罪刑法定主義が要請されます。「実行の時に適法であった行為…については、刑事上の責任を問われない」とは、この罪刑法定主義から派生する遡及処罰の禁止を意味します。
また、被告人は、すでに無罪とされた行為について刑事責任を問われず、同一の犯罪について重ねて刑事責任を問われない権利を保障されます。これは、単に同一事件について二重に処罰することが禁止されるのみならず、処罰の危険にさらすことも許されないという意味です。無罪判決を得た被告人に対して検察官が上訴することを判例は合憲としますが、被告人は1審ですでに有罪とされる危険にさらされているのですから、上訴審で再び有罪の危険にさらすことは許されないと考えられます。
(2006年11月10日)

第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

人間が行なうことに間違いがないことなどありえません。捜査機関であってもときに過ちを犯します。真犯人であると信じて逮捕し起訴したところ、実は無実であり無罪判決が出ることもあります。その際に身体拘束を受けた被告人は、捜査機関に故意、過失がなかったとしても、国に補償を求めることができます。
ただ、あくまでも条文上は無罪の裁判を受けたことが必要なので、逮捕・勾留されたものの不起訴処分となって釈放されたときや、少年鑑別所に収容されていた少年が非行事実なしとの理由で釈放されたときには、補償を受けることはできません。事実上は無罪判決に等しいにもかかわらず補償されないのは妥当ではありません。
少年事件に関しては、立法によって解決が図られましたが、不起訴処分の場合は依然として補償されないままです。マスコミ報道に無罪の推定への配慮などないに等しい日本では、特にこの身体拘束という重大な人権侵害に対する何らかの補償は必要と考えます。
(2006年11月17日)

第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

立法権を国会に帰属させることで、行政権についての65条、司法権についての76条1項とともに三権分立を規定します。さらに国会をこれら統治権の中で最高機関としていますが、国会が内閣や裁判所を統括するというような法的な意味はありません。国会が主権者たる国民に直結していて国政の中心的地位を占める機関であることを強調するだけのものと解釈されています。
国会は「唯一」の立法機関ですから、およそあらゆる人や事件に適用される一般性のある法規範を、国会以外の機関が定めることは許されません(国会中心立法の原則)。ただし、立法によって個別具体的な委任を受けて行政権が命令という形で法規範を作ることは許されています(委任立法)。また、国会以外の機関が立法行為に関与してもいけません(国会単独立法の原則)。しかし法案の提出という形で、内閣が関わることは許されています。あくまでも立法行為の本質は審議・議決にあるからです。
(2006年11月24日)

第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

国会が2つの議院から構成され、国会の意思形成に原則として両議院が参加する制度を二院制といいます。ヨーロッパでもかつては、貴族などの身分代表の議院と国民代表の議院による二院制が形成されていきました。ところが、フランス革命の際には、二院制は「上院は下院と一致するなら無用であり、下院と対立するなら有害だ」と批判されましたし、マッカーサー草案でも一院制でした。それにもかかわらず、日本は二院制を選択しました。
一般に二院制は、議会自体の権力を分散させて専制を防止したり、下院の誤りを正したり、地域代表や職能代表の役割を果たしますが、憲法上は必ずしも明確ではありません。任期の違い(45条、46条)と衆議院の優越が憲法上規定されているだけで、それぞれの院の議員定数や選挙区、選挙方法などはすべて法律に委ねられています(43条2項、47条)。参議院にどのような役割を持たせるべきかをしっかりと考えなければなりません。
(2006年12月1日)

第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 両議院の定数は、法律でこれを定める。

衆議院議員も参議院議員も、それぞれの選挙区の有権者の代表なのではなく、全国民の代表です。ヨーロッパにかつてあった身分制議会における貴族や僧侶などの特定の身分を代表する制度をやめて、あくまでも全国民のために行動するべきだとしたのです。ですから、選挙区の有権者の意思に従って国会で活動しなかったとしても、法的に責任を取らされることはありません。これを命令委任の禁止といいます。国会議員に対するリコール制は認められないと解されていますが、政党による党議拘束は政治的なものであり禁じられていません。
議員定数は法律で定めるのですが(2項)、全国民の意思が適切に反映されるようにしなければなりません。よって、各選挙区の議員定数を定めるに際しては、人口に比例するようにして、それぞれの選挙区の有権者の持つ1票の価値が平等であることが要請されます。1票の影響力が地域によって異なるのではとても民主主義とはいえないからです。
(2006年12月8日)

第44条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。

選挙権について公職選挙法は、日本国民であることと、満20歳以上であることを定め(公職選挙法9条)、被選挙権については、日本国民であることと、衆議院議員については満25歳以上、参議院議員については満30歳以上であることが要件として規定されています(同10条)。また、成年被後見人や禁錮以上の受刑者など一定の者の選挙権・被選挙権を否定しています(同11条)。
憲法はこうした選挙権・被選挙権の要件を法律に委ねていますが、どのように定めてもいいわけではありません。まず、本条但書にあるような差別をすることはできません。財産や収入、性による差別なしに選挙権が与えられる制度(普通選挙)や、一人一票の原則(平等選挙)が要請されます。さらに、一票の価値は実質的に平等でなければなりません。また、民主主義は被治者(国民)と治者(議員)ができるだけ一致することを理念としますから、選挙権・被選挙権の年齢要件の引き下げが検討されるべきです。
(2006年12月15日)

第45条 衆議院議員の任期は、4年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

任期とは、公務員に就任した者がその地位にある一定の期間をいいます。無期限にその地位にあることによってその権力が強大になるのを防ぎ、選任する者の影響力を確保しようとするためのものです。その公務員が任期の到来時に再選を求め、有権者がその適否を判断することを通じて、有権者からの民主的なコントロールを働かせることができます。つまり、国会議員について任期を定めることによって、任期満了の際の選挙で、有権者は自らの意思を国会に反映させるのです。
国会議員はこのように、選挙で示される民意を反映しなければなりませんが、あくまでも全国民の代表(43条1項)であることを忘れてはなりなせん。なお、衆議院議員は参議院議員より短い4年で任期満了となりますし、任期満了前でも解散がありますから、より国民の意思を反映しているということができます。そこで憲法はいくつかの衆議院の優越を認めました(59条、60条、61条、67条、69条)。
(2006年12月22日)

第46条 参議院議員の任期は、6年とし、3年ごとに、議員の半数を改選する。

参議院議員の任期については、衆議院議員より長い6年とされています。さらに参議院は解散されず、半数交替制を採用しています。有権者の意思がより敏感に反映する衆議院と異なり、より安定的・継続的な民意が反映されることを期待しているのです。ですが、参議院議員であっても全国民の代表(43条1項)である点に変わりはなく、選挙区選出の参議院議員もアメリカの上院のような地域代表ではありません。
こうした点から考えると、選挙区によって1票の価値に差が生じている議院定数の不均衡を衆議院と参議院で区別することは正しくありません。判例では衆議院についてはおおむね3倍、参議院については6倍を超えないと違憲判断がなされませんが、こうした不平等はとうてい許されるものではありません。
立憲民主主義体制の基本である「多数決」は、すべての有権者が平等の立場で行なうことを当然の前提としているからです。国会みずからが速やかに是正するべきです。
(2007年1月12日)

第47条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

衆議院では選挙区ごとに数人が当選する中選挙区制が長く続きましたが、現在は小選挙区と比例代表の並立となっています。
選挙区ごとに一人を当選させる小選挙区制は、少数政党に不利なだけでなく、選挙区ごとの死票が多くなり、得票における政党間の格差が大幅に増幅されて議席分布の格差をもたらします。二大政党制が実現すれば、わずかの票の移動によって政権交代が可能となりますが、逆に、一党だけが大きな勢力を持つような社会では、事実上の一党支配を許すことになりかねません。
比例代表制は有権者の政党への支持を、議席分布に正確に反映することが可能となりますが、他方で、多くの政党の分立状態となると、有権者の選択とは別のところで政権の離合集散が行われることになります。また、比例代表名簿の作成権限を握る政党幹部による議員への統制力が強まることになります。選挙制度は法律で規定されますが、ときの多数党の思惑に左右されることがあってはなりません。
(2007年1月19日)

第48条 何人も、同時に両議院の議員たることはできない。

両議院の議員の兼職を禁止します。二院制を採用し、それぞれの議院に独自の意味を持たせようとした以上は、各院が別々の議員によって構成されなければならないことは当然です。明治憲法にも同様の規定がありました。
本条を受けて、公職選挙法では、現職の国会議員が他の院の議員の候補者として立候補をしたときは、その届け出があった日に、当該議員を辞職したものとみなすとしています(89条、90条)。本条以外には憲法上の兼職禁止はありませんが、国会法によって、国会議員は国や地方公共団体の公務員との兼職が禁じられています(39条)。
職務専念義務の現れですが、立法の担い手である国会議員と、行政や司法に携わる公務員との兼職禁止は、権力分立を人的側面から担保しているということもできます。総理大臣や国務大臣が国会議員を兼ねることは議院内閣制の趣旨から憲法上むしろ要請されており、当然、許されます(憲法67条、68条)。
(2007年1月26日)

第49条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫からの相当額の歳費を受ける。

財力を持たない者も国会議員になることができるように、議員としての勤務に対する報酬が支払われます。憲法には相当額と規定されていますが、「一般職の国家公務員の最高の給料額より少なくない歳費」が保障されています(国会法35条)。歳費の他にも通信手当、旅費など合計約3430万円が新人からベテランまで平等に支給されます。国会閉会中も支給されますし、他にもJR無料パス(グリーン車乗り放題)、格安の議員宿舎など経済的利益は多岐にわたります。
諸外国では英仏独で1100万円を少し超えるくらい、アメリカでも約1800万円ですから、日本の国会議員はずば抜けて優遇されています。これらをお手盛りで決めるのは国会議員自身ですし、すべて国民の税金から支払われます。報告義務もなく領収書も不要の文書通信交通費は年間1200万円が支給されますが、ブランド時計に化けていないことを祈るしかありません。
(2007年2月2日)

第50条 両議院の議院は、法律の定める場合を除いては、国会の期間中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。

議員の不逮捕特権は、歳費受領権(49条)、免責特権(51条)と並ぶ議員特権のひとつです。君主の持つ行政権による議会への妨害から議員の職務遂行を守るために近代議会制と共に生まれたものです。警察・検察という行政権から、国会議員という立法権の担い手を守ろうというわけです。ただし、院外における現行犯の場合には不当逮捕のおそれがないとの理由から、また、議院の逮捕許諾がある場合も逮捕が許されています(国会法33条)。
民主的な基盤を持つ議会と君主の勢力が対立していた時代には重要な意味を有していた議院の許諾ですが、国会の多数党と政府が協力関係にある現在においては、こうした意味は希薄になっています。むしろ議院の許諾そのものが、多数派によって支配された政治権力による少数派議員への不当な弾圧になっていないかを、国民がしっかりと監視していく必要があります。逮捕許諾が政治的動機に左右されることがあってはなりません。
(2007年2月9日)

第51条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

議院における発言や表決について法的責任を問われないこととして、国会議員の言論活動の自由を保障しようとしたものです。地方議会議員にはない国会議員だけの特権です。あくまでも国会議員としての活動を保障するものですから、議員が議員としてではなく、総理大臣や国務大臣として行なった演説などには免責の効果は及びません。免責の対象となる行為は、国会議員としての正当な職務行為ですから、ヤジや私語は含まれませんが、委員会活動や地方公聴会での発言なども含まれます。
この規定によって一般国民ならば負うべき損害賠償責任や名誉毀損罪などの民事・刑事上の責任を免れることができるのですが、国民が選挙で落選させたり、マスコミが政治的・道義的責任を追及したりすることは可能です。なお、個々の国会議員が法的責任を負わないことと、国会議員の立法行為や立法不作為に違法があった場合に国が国家賠償責任を負うかはまた別問題です。
(2007年2月16日)

第52条 国会の常会は、毎年1回これを招集する。

アメリカ、イギリス、ドイツなどでは議員の選挙から選挙までを一議会期とする選挙期制をとっていますが、憲法は、一定期間に限って国会に活動する権限を与えています。これを会期制といいます。常会(いわゆる通常国会・本条)、臨時会(53条)、特別会(54条1項)の3つが国会の会期として認められています。これらは国会としての権能において差異がないため、種類を問わず通し番号で第○回国会と呼ばれています。
常会は毎年1月中に召集され(国会法2条)、会期の長さは150日とされています(同法10条)。会期の延長は両議院の議決によりますが、常会の延長は1回しか認められません(同法12条2項)。各会期は、独立して活動するのが原則で、会期中に議決されなかった案件は後会に継続せず(会期不継続の原則・国会法68条)、審議未了で廃案になります。この点から会期制は少数派による多数派への対抗手段としての意味を持つことになります。
(2007年2月23日)

第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

通常国会の会期は1月から150日と決まっています。そこでそれ以外に国会の活動が必要になったときに備えて、この臨時会(臨時国会)の制度が設けられています。臨時会の召集を決定するのは内閣ですが、通常国会閉会後、秋に臨時国会を開会するのが通例となっています。また、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があるときは必ず召集しなければなりません。少数派の意思を尊重する趣旨から4分の1以上とされており、この要求を受けた内閣はすみやかに召集するべきであり、召集要求の理由に納得できないなどといって召集を引き延ばしてはなりません。
なお、国会法は衆議院議員の任期満了による総選挙が行なわれたときや参議院議員の通常選挙が行なわれたときには臨時会を召集しなければならないとしています(国会法2条の3)。臨時会の会期の長さは両議院一致の議決で定め(同11条)、2回に限り会期延長が認められています(同12条2項)。
(2007年3月2日)

第54条 衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後10日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

衆議院が解散された後、所定の期間に総選挙を行ない国会(特別国会)を召集しなければなりません。国民から選ばれた国会議員の地位を内閣が一方的に奪ってしまう解散が民主的な意味を持つとしたら、それはこうして解散に続く選挙で民意を問うことが保障されているからに他なりません。そこで任期満了後の総選挙と異なり、特に憲法自体が解散後の選挙までの期間に限定したのです。
衆議院が解散されると参議院も同時に閉会となります(両院同時活動の原則)。そこで国会閉会中の緊急事態に対処するために参議院の緊急集会が用意されました。これは、国会とは異なりあくまでも臨時の措置にすぎませんから、改憲発議のような重大な案件は議決できません。国会開会後10日以内に衆議院の同意が得られなかった場合には、臨時の措置は将来に向かって効力を失います。なお、衆議院の任期満了による閉会中の事態に対処すべき制度について憲法上規定はありません。
(2007年3月9日)

第55条 両議院は、各〃その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

権力分立の観点から、議院内部の問題は基本的には議院自体で処理するべきです。そこで、議員の資格に関する争いを各議院が自律的に実施する手続で決することにしました(争訟とは訴えを起こして争うこと。訴訟より広い意味で使われる)。
国会議員となるためには被選挙権を有し、兼職禁止に違反していないことが必要です。こうした議員としての資格を有していないにもかかわらず、当選し議員となってしまった場合に、選挙の効力を争うのではなく、各議院が主宰する手続で資格の有無を審査するようにしたのです。
議員資格を失わせるためには、出席議員の3分の2以上の賛成が必要です。多数派による恣意的な運用を避けるために特別多数を要求したものです。仮にこうした議院の判断に不服があったとしても、議院の自律権を尊重する趣旨から、裁判所に提訴してさらに争うことはできません。このように最終的な判断になるのですから、その争訟手続は当事者の言い分を十分に聞くなど、裁判に準じた適正なものでなければなりません。
(2007年3月16日)

第56条 両議院は、各〃その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

両議院における会議の定足数と表決の方法について規定しています。一貫した先例として議長は議員としての表決権を行使しませんが、可否同数のときには議長が決済権を行使します。発議または提出された議案については、委員会の審査を先行させた後で本会議の審議に付すのが原則になっています(国会法56条)。委員会に関する規定は憲法上ありませんが、国会は委員会中心主義によって運営されています。
なお、本条で定足数とは議事を開き議決するために必要な出席者の数となっていますが、自民党の新憲法草案では、議決のみに必要な数に変えられています。つまり、誰もいなくても議事は開かれ議決のときだけ議員が集まればよいという案になっています。外国にはそうした例もありますが、本来、議会は十分な審議討論をするための場であるはずです。十分な議論がなされずときに強行採決がまかり通る日本で、議事を開くための要件を不要にしようとはどういうことなのでしょうか。
(2007年3月23日)

第57条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
2 両議院は、各〃その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
3 出席議員の5分の1以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。

国会での自由な審議討論の過程が公開され、国民の知る権利に応じることは、国民に選挙の際の判断材料を提供するという点において重要であり、また、国民による国政の監視・批判という民主主義のためにも不可欠です。特に議会における少数派は国会において問題点を指摘し国民に知らしめることによって、将来の多数派になりえます。こうした交替可能性こそが議会制民主主義の基本です。
報道機関の傍聴は優遇されていますが、報道も一定の価値観に基づいてなされる以上、多様な一般国民の傍聴が可能な限り尊重されなければなりません。また、実質的な審議を行なう委員会は議員以外の傍聴を許さないことを原則としていますが(国会法52条)、テレビ放送される委員会も限られておりさらに公開性を高める必要があります。なお、秘密会の開催はこれを限定するため出席議員の3分の2以上という特別多数が要求されています(同62条)。この秘密会も含めて会議内容はすべて記録、保存されます。
(2007年3月30日)

第58条 両議院は、各〃その議長その他の役員を選任する。
2 両議院は、各〃その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。

各議院が内閣・裁判所などの他の国家機関や他の議院から監督や干渉を受けることなく、その内部組織および運営などに関して自主的に決定できる権能を議院の自律権といいます。本条で規定される議長などの役員の選任や議員規則の制定、懲罰のほか、会期前に逮捕された議員の釈放要求権(50条)、議員の資格争訟裁判権(55条)などがあります。
歴史的にみても民選の議院が貴族院や政府などの干渉を排除してその権原を全うするために重要な機能を果たしてきました。議院の建物の内外を問わず議院の秩序を乱す行為は懲罰の対象となり、軽い順に戒告、陳謝、一定期間の登院停止、除名の4種が規定されています(国会法122条)。自律権の重要性に鑑みて、こうした懲罰などの議院の自律権に関する事項については裁判所ですら裁判することができません。ただし除名された議員でも再当選した場合には有権者の判断が優先し、議院はこれを拒むことはできません(国会法123条)。
(2007年4月6日)

第59条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて60日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

国会が唯一の立法機関であるため、立法は国会の意思だけで完結し、他の機関の関与を許しません。この国会単独立法の原則を1項は示しています。また、両議院で可決したときに法律が成立するのが原則ですが、本条2項および参議院の緊急集会(54条)はその例外です。衆議院で可決された法律案を参議院が否決した場合や修正を加えて可決した場合には、衆議院で出席議員の3分の2以上の特別多数で再び可決したときは法律となります。「衆議院の優越」のひとつです。
両議院の意思が食い違った場合には、2項による再可決の手続をとる前に両院協議会を開催することができます(3項)。予算や条約、内閣総理大臣の指名の場合と異なり、開催は任意です。ここで得られた成案について両議院一致の議決がなされると法律として成立します。なお、本条4項は、参議院が衆議院から送付された法律案を放置して会期終了を待って握りつぶすことを防止するための規定です。
(2007年4月13日)

第60条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて30日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

予算の作成は内閣の権限です(73条5号)が、予算は国民が負担する税金をどのように調達し、使っていくのかを決めるものですから、国民生活に重大な影響を与えます。そこで、予算について民主的コントロールを及ぼすべく国会の審議と議決が必要となります(86条)。
本条は国会の議決方法を定めたものです。任期が短く解散の可能性がある衆議院の方がより直接に国民の意見を反映していると考えられるため、予算について先議権が与えられ、議決についての優位性が認められています。衆議院で可決された予算案を参議院で否決したときには、両院協議会は必ず開かれますが、参議院の意思にかかわらず予算は成立することになります。また、衆議院の可決した予算案を受け取った後30日以内に議決しないと、その期間終了とともに自然成立します。法律案の議決と異なり、これらの場合、衆議院の再議決は不要です。なお、通常の議案と同様、実質的な審議は委員会で行われています。
(2007年4月20日)

第61条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第2項の規定を準用する。

条約とは文書による国家間の合意をいいます。条約は国民生活に重大な影響を与えるため、国会による承認を必要として民主的コントロールを図っています。条約、協約、協定、議定書、憲章などの名称は問いませんが、条約の規定を実際に施行するための細目的事項に関する国際約束などは、国会の承認は不要と解されています。
国会の承認は、署名のみで成立する条約の場合には署名の前に、批准という国家による最終確認行為が必要な条約の場合には批准前に行われることが必要ですが、緊急やむを得ない場合には、事後承認も許されます。この承認手続きに衆議院の先議権はありませんが、予算と同様の衆議院の優越が認められています。
条約締結に際して、事前承認を求めて承認が得られなかった場合には、不成立となります。署名や批准後の事後承認を求めて不承認となった場合の効果について議論がありますが、国会の意思を尊重して条約は無効となると考えるべきです。
(2007年4月27日)

第62条 両議院は、各〃国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

国会がその権能を十分に発揮するためには、国政上のさまざまな事実を十分に調査した上で、適切な判断を下すことが必要となります。そのための調査権を各議院に与えました。これが国政調査権です。
明治憲法と異なりこれを明文化したことにより、証人の出頭および証言、記録の提出についてそれぞれの議院が強制権を持つことが明確になりました。これを受けて議院証言法が偽証罪の制裁の下での証言の強制を定めています。これが証人喚問です。これに対して「参考人」として呼ばれたときにはこうした強制力はありません。この国政調査権は国政全般にわたり及びますが、裁判官の職権行使に事実上重大な影響を及ぼし、司法権の独立を侵害するような調査は許されません。よって、個々の具体的な裁判の内容や裁判官の訴訟指揮を批判する目的の調査は許されません。但し、現在進行中の事件の事実について、裁判所とは異なる観点から並行して調査することは許されます。
(2007年5月11日)

第63条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

国務大臣は、国会議員であると否とを問わず、議院への出席権と出席義務を持ちます。米国は厳格な権力分立の下、大統領制を取りますから、大統領には議会での出席発言権はありません。それに対して、憲法は国会と内閣の関係に関して、内閣が国会に対して連帯責任を負う制度(議院内閣制66条3項)を採用しました。その実質化のために内閣の構成員である国務大臣にこのように国会で発言する権利と義務を認めたのです。
各議院で審議の対象となるあらゆる案件について、説明したり質問に答えたりするために、本会議のみならず委員会にも出席することになります。議院から出席を求められたら、正当な理由なく拒否できません。かつては内閣提出法案の審議において政府委員という官僚の答弁が目立っていましたが、現在はこれを廃止し国務大臣が責任をもって答弁にあたることになっています。国会による重要な行政監視手段ですから、実質的な答弁が求められます。
(2007年5月18日)

第64条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

裁判官が裁判をするにあたって、外部から圧力や干渉を受けることなく独立して職権を行使できるようにすることは公正な裁判の実現のためには不可欠です。そこで憲法は裁判官の職権行使の独立を規定し(76条3項)、それを実効化するために、裁判官の身分を保障しました。たとえば罷免される場合を心身の故障、公の弾劾、最高裁判所裁判官の国民審査に限定しています。
反面、裁判官といえども独善が許されるわけではありません。そこで、司法権を民主的にコントロールするために国会議員からなる弾劾裁判所による裁判を認めたのです。但し、罷免事由は、「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき」または「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」(裁判官弾劾法2条)に限られています。無罪判決や違憲判決を出したからというように裁判内容の当否を理由に罷免することは許されません。
(2007年5月25日)

第65条 行政権は、内閣に属する。

立法でも司法でもない一切の国家作用を行政といいますが、非常に広範多岐にわたるものです。本条はこれを内閣に担わせることを規定したもので、41条、76条1項とともに権力分立を表しています。ただし、内閣以外の機関が行政を行なうことを禁じているわけではありませんので、たとえば最高裁判所が裁判官の人事行政を行なうことや、人事院、公正取引委員会など内閣から独立して行政を行なう機関も、行政の中立性確保のために認められると解されています。
実際の行政事務は内閣を構成する主任の国務大臣が分担管理し、権限を与えられた各省庁がその所掌事務を実施していきます。内閣は行政各部を指揮監督し統括する地位にあるわけです。この内閣は総理大臣及び国務大臣からなる合議体であり、内閣の意思は閣議によって決められます。この点で、大統領という一人の人間に行政権が帰属する大統領制(首長制)に比べて慎重な意思決定ができるという長所があります。
(2007年6月1日)

第66条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

1項は内閣が合議体であることを示していますが、明治憲法下の総理大臣は、他の国務大臣と対等の権限しかありませんでした。これに対して日本国憲法では、総理大臣に首長としての地位を与え、国務大臣の任免権を付与するなどしてその権限を強化しています。
2項の文民条項は、憲法制定過程の衆議院で9条2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が入ったため(いわゆる芦田修正)、日本の再軍備を懸念した極東委員会の強い要請を受けたGHQの申し入れによって貴族院審議段階で入ったものです。この懸念はアメリカの要請による日本再軍備という形で的中してしまいました。政府見解によると「文民」とは、職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっていると考えられる者および自衛官の職にある者以外となります。
3項は内閣が国会に対して責任を負うという点で議院内閣制の本質を示していますが、明治憲法下では、各国務大臣が個別に天皇に対して責任を負っていただけでした。
(2007年6月8日)

第67条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先立つて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

内閣が国会に対して責任を負う議院内閣制を徹底させる趣旨から、内閣総理大臣は国会議員でなければなりません。よって、これは総理大臣として選任される際の要件であるばかりでなく在職の要件でもあると解されます。総理大臣が就任後に除名などで国会議員の地位を失った場合には当然に総理大臣としての地位も失うことになります。総理大臣の指名は政治の空白を避けるため速やかに行なわなければなりませんが、各院で独立に議決することになっています。
議決が両院で一致しないときは、必ず両院協議会を開かなければなりません。そこでも意見が一致しないときは、衆議院の議決が国会の議決となります。また、衆議院による指名の議決のあと参議院が10日以内に指名の議決をしないで放置しているときも同様です。これらは衆議院の優越の一場面です。国会における指名の議決が成立すると、総辞職後の残務処理内閣(71条)の助言と承認によって天皇が内閣総理大臣を任命します(6条1項)。
(2007年6月15日)

第68条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

内閣総理大臣は国務大臣の任命権と罷免権を持ちます(1項前段、2項)。これは総理大臣の首長としての地位に鑑み、閣内における統制力を強化するためのものです。閣議決定などは不要で、総理大臣の自由な裁量によって国務大臣を任命したり罷免したりすることができるのです。これらの任免権は総理大臣の一身専属的な権限ですから、副総理のような臨時代理が代わりに行使することはできません。
各省の大臣は国務大臣の中から内閣総理大臣がこれを命ずることになっています(国家行政組織法5条2項)。国務大臣への任命と各省大臣への任命は法的には別ものですが、実際上は同時に一体として行なわれています。国務大臣となるための要件は文民であること以外はありませんが、議院内閣制を徹底させる趣旨から、国務大臣の過半数は国会議員でなければなりません(1項後段)。これは、内閣全体の構成に関する要件ですから、内閣の成立要件であると同時に存続要件でもあります。
(2007年6月22日)

第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

衆議院で内閣不信任決議が可決されるか、信任の決議が否決された場合には、内閣は衆議院を解散するか、総辞職するかの選択を迫られます。仮に衆議院を解散した場合であっても、総選挙後の特別国会が召集されたときには総辞職しなければなりません(70条)。よって、この衆議院だけに認められた不信任決議は内閣に対する国会からの抑止力として機能します。
逆に内閣から衆議院を69条の場合に限らず自由に解散することができるかについては議論があります。形式的な解散権は天皇にありますが(7条3号)、天皇は国政に関与できませんから(4条)、実質的には天皇への助言と承認を通じて内閣が決定します。こうして衆議院の解散は内閣から国会への抑止力ともなりますが、それと共に解散後の総選挙で民意を問うという民主主義的意義もあります。ただし、国民の選んだ代表者の地位を内閣が奪うのですから、民意を問う正当な理由がなければ解散を認めることはできません。
(2007年6月29日)

第70条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

内閣が国会に対して責任を負うという議院内閣制を徹底させる観点から、内閣の総辞職を規定しました。内閣総理大臣は国会から指名され、内閣の首長として重要な役割を果たします。その総理大臣が欠けてしまったのですから、内閣は国会からの信任の基礎を失うことになり存立しえないのです。ここで総理大臣が欠けたとは、死亡の他、総理大臣が除名(58条2項)や資格争訟裁判(55条)の結果、国会議員としての地位を失った場合も含みます。自発的な辞職も含むと解されています。
衆議院の任期満了や解散のあとに総選挙が行なわれますが、その後初めて国会の召集があったときも総辞職しなければなりません。総理大臣を選んだ側である国会の構成が変わったことにより、内閣の存立の基礎が失われてしまったため、新たに総理大臣を選び直す必要が生じたからです。総辞職後、新たな内閣が組織されるまではそれまでの内閣が日常的な事務処理を行ないます(71条)。
(2007年7月6日)

第71条 前二条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

内閣が衆議院から不信任決議を突きつけられて衆議院を解散しなかったとき(69条)、内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときは(70条)、内閣は総辞職しなければなりません。
この場合に総辞職した内閣が直ちに職務を離れてしまうと、行政権が帰属すべき内閣が存在しないことになってしまい、円滑な行政運営を阻害します。そこで、新たな内閣総理大臣が国会で指名され天皇によって任命されるまでは、総辞職した後も、従来の内閣が引き続きその職務を行なえるようにしました。
しかし、もともと国会からの信任を失った内閣ですから、その職務の範囲は行政の継続性維持のため必要な事務処理のみに限定されるべきです。そして、新たな総理大臣が任命されれば、それまでの閣僚は全員その地位を失います。よって、総理大臣が新たな国務大臣を任命するまでの間は総理大臣一人の内閣ということになります。
(2007年7月13日)

第72条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

内閣総理大臣に内閣を代表する権限があることを定めています。ここに議案の提出が規定されているので、内閣には予算のみならず、法律案の提出権があると解釈されています。現実には議員立法よりも内閣提出法案の方が圧倒的多数を占めます。この議案に憲法改正案が含まれるか争いがありますが、国会のみに憲法改正発議権を認めている96条の趣旨から否定すべきと考えます。
内閣の職務であるすべての行政事務についても総理大臣が国会に報告しなければなりません。さらに「内閣を代表して」行政各部を指揮監督します。これはあらかじめ閣議で決定された方針に基づいてという意味です。よって総理大臣の単独の意思で指揮監督権を行使することはできません。しかし、内閣の明示の意思に反しない限り、行政各部に対し、随時、その所掌事務について一定方向で処理するよう指導、助言等の指示を与える権限は有していると解されています(ロッキード事件最高裁判例)。
(2007年7月20日)

第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

内閣が行なう行政事務のうち、特に重要なものが列挙されています。内閣は法律の誠実執行義務を負うため(1号)、裁判所が違憲と判断した法律でない限り、独自の判断で執行を拒否することはできません。逆に最高裁で違憲と判断された法律を執行する義務は免れると解されています。
条約の締結(3号)や予算の作成(5号)は内閣の職務ですが、共に国民生活に重大な影響があるため、民主的コントロールの必要性から条約については国会の承認(61条)、予算は国会の議決(86条)を必要としています。
政府が作る政令や各省庁が作る省令など行政権が制定する法規範を命令といいますが、6号では法律を執行するための命令(執行命令)を認めています。さらに国会が法律事項を命令に委任する委任命令も解釈上肯定されていますが、包括的な白紙委任を認めたのでは国会を唯一の立法機関とした趣旨が没却されますから、あくまでも個別具体的な委任でなければなりません。
(2007年7月27日)

第74条 法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

明治憲法の時代は、法律や勅令の制定には天皇の裁可が必要で、その裁可には天皇に対して責任を負う国務大臣の副署が必要となっていました(明治憲法55条2項)。現在、国会は唯一の立法機関ですから(41条)、法律は天皇の関与なく国会の議決だけで成立します(59条)。本条は、その法律についての執行責任を明確にするために主任の国務大臣の署名と内閣の首長である総理大臣の連署を要求したものです。
政令に関しては、内閣が制定するものですから、その制定の責任と執行の責任を明確にするための規定といえます。明文化されていませんが、憲法改正、条約、予算なども国務大臣の署名と総理大臣の連署が必要と解されています。本条の署名および連署を欠いた法律などの効力が問題になりますが、これらを要求した趣旨が執行責任を明確に表示する点にあるだけだとして、法律などの効力や執行責任には影響しないと解されています。
(2007年8月3日)

第75条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

検察は行政機関ですが、刑事事件の犯人を起訴できる唯一の国家機関です(刑事訴訟法247条)。
検察官としては犯罪の重大性などから起訴が必要であると考えた場合には、たとえ国務大臣であろうが、起訴して裁判所の判断を仰ぐべきです。しかし、国務大臣に対する起訴を無条件に許してしまうと、訴追された大臣の進退が問題となり内閣の一体性を保つことが難しくなります。そこで内閣総理大臣の首長としての地位に鑑み、国務大臣の訴追には総理大臣の同意が必要としました。
なお、検察による不当な圧迫から国務大臣を保護するという趣旨から、起訴だけでなく、逮捕、拘留などの身体拘束をする際にも、総理大臣の同意が必要と解する見解も有力ですが、政府は反対の立場をとっています。
本条但書は、総理大臣の同意がないため国務大臣を起訴できないとしても、その期間中に公訴時効が完成することはない、つまり時効の進行が停止するということを意味しています。
(2007年8月10日)

第76条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

司法権とは、具体的な争訟について、法を適用し宣言することによってこれを裁定する国家作用です。これを行使するのが裁判所の役割ですが、衆議院の解散の効力が争われた事件で最高裁は、司法権に含まれ法律的な判断が可能であっても、極めて政治性の高い行為であることを理由に司法判断しない場合があることを認めました(統治行為論)。しかし、精神的自由権や選挙権、平和に関する問題などについては、法の支配の担い手として、裁判所は判断を差し控えるべきではありません。
なお、明治憲法と異なり、行政事件も含めたすべての事件についての裁判を通常の裁判所に担当させ、戦前の軍法会議のような通常裁判所の系列に属さない裁判所(特別裁判所)や行政機関による終審裁判を禁止しています(2項)。弾劾裁判所(64条)は憲法が認めた例外です。そして公正な裁判を実現するために、裁判官が政治的圧力を受けないよう裁判官の職権の独立を保障しました(3項)。
(2007年8月24日)

第77条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
2 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
3 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

権力分立の見地から裁判所の自主性と独立性を確保し、司法内部における最高裁の統制権と監督権を強化するとともに、実務に通じた裁判所の専門的判断を尊重するために、最高裁に規則制定権を認めました。この規則も一種の立法ですから、国会が唯一の立法機関(41条)であることの例外となります。ただ、31条が刑事手続きについては法律で定めることを要求していることとの関係から、刑事手続きの基本構造や被告人の重要な権利に関することはあくまでも法律で規定するべきと解されています。
他方、本条に列挙されている事項は法律でも制定できるものですから、たとえば刑事訴訟法の規定と刑事訴訟規則の規定が矛盾した場合のように、法律と規則が競合した場合の優先関係が問題となります。国民主権原理の下、国民代表機関である国会の制定した法律の方が優先すると考えるべきです。この裁判所規則には検察官も従わなければなりませんし、一般国民も拘束されます。
(2007年8月31日)

第78条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

裁判官は職権の独立が保障されていますが、それを確実なものとするためにはその身分が保障されなければなりません。そこで罷免される場合を心身の故障、弾劾裁判(64条参照)、最高裁裁判官の国民審査(79条2項)に限定し、行政による懲戒処分を禁じました。
懲戒権限は司法府の自主性を尊重して裁判所自身に与えられ、行政機関や立法機関による懲戒は許されません。裁判所による懲戒処分も、裁判官の身分保障の観点からは特に公正さを要求されますから、裁判手続によらなければなりません(裁判所法49条)。しかし、最高裁は懲戒処分は純然たる訴訟事件ではないから非公開で行なって良いとしますが疑問です。
なお、日本では「積極的に政治運動をすること」は懲戒事由にあたりますが(裁判所法52条)、ドイツではミサイル配備に反対して座り込みをした裁判官も懲戒処分を受けておらず、個人として政治的意見を持つことは当然とされているようです。
(2007年9月7日)

第79条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
5 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。
6 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

最高裁判所長官は内閣の指名に基づき天皇が任命し(6条2項)、その他の最高裁判所裁判官は内閣が任命します。実質的にはすべての最高裁裁判官を内閣が任命することになるため、裁判官の党派的な偏りを避けるためにも政権交代は必要です。最高裁判官に任期はなく定年(70歳)があるだけでその身分は保障されています。
最高の司法機関であり最終的な憲法解釈権を持つ最高裁の裁判官を民主的にコントロールするために国民審査が制度化されていますが、これは直接民主主義的な性格を持つリコール制と解されています。
国民審査によって罷免された裁判官は過去に一人もいないため実益に乏しいという声もありますが、裁判官の独善に対する最後の安全弁として必要な制度であり、むしろ国民に適切な判断材料を提供するなど制度をより実効的なものにする方向で改善を図るべきです。なお、裁判官の報酬規定は司法権の独立のための身分保障を経済的側面から担保するものです。
(2007年9月14日)

第80条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
2 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

最高裁判所以外の裁判所を下級裁判所といいます。これらの裁判所の裁判官も最高裁裁判官と同様に内閣が任命しますが、最高裁の指名に基づくように枠をはめられています。これは、三権分立の観点から任命権を内閣に与えるとともに、司法の自主性を尊重して司法権の独立が侵されないように配慮したものです。よって、明らかに裁判官としての資格要件を欠いている場合の他は、内閣は最高裁の指名した者の任命を拒否できないと解すべきです。
下級裁判所裁判官は任期が10年とされ、再任されることができますが、再任は任命権者の裁量に委ねられているとすると裁判官の身分保障が著しく不安定になってしまいます。あくまで再任が原則であり、裁判官の弾劾事由に該当する場合や心身の故障に基づく職務不能の場合などの他は再任を拒否できないと解すべきです。裁判官の独立は司法内部にあっても必要であり、上司の意に添わない裁判官が排除されることがあってはならないからです。
(2007年9月21日)

第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

ドイツや韓国では、具体的な事件を前提とせずに抽象的に法令の憲法判断を行なう憲法裁判所を設けていますが、日本国憲法はアメリカと同様に、通常の司法裁判所が具体的な事件の解決に必要な限りで憲法判断を下す付随的違憲審査制を採用しました。
この違憲審査権は下級裁判所も含めてすべての裁判所に認められていますが、最高裁が終審として最終的な判断権を持っています。ただ日本では法令に対する最高裁による違憲判決は7つしか出ておらず、全般的に違憲判断に極めて消極的です(司法消極主義)。
しかし、国会の多数派によって作られた法律により少数派の人権が侵害されている場合や表現の自由や選挙権など民主主義に不可欠の人権が不当に制約されている場合には、むしろ積極的に違憲判決を出して少数者の人権を回復する役割を果たすべきです。なお、違憲判決が出ても国会にはそれに従う法的義務はありませんが、最高裁への礼譲の観点から速やかに当該法令を改廃すべきです。
(2007年9月28日)

第82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

刑事裁判については公開裁判を受ける権利を人権として保障していますが(37条1項)、本条はすべての裁判についての公開原則を定めます。裁判の公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するために、裁判のやり取り(対審)及び判決は公開法廷で行ないます。判決と3類型の事件(2項但書)の対審は絶対に公開しなければなりませんが、それ以外は、厳格な要件の下で非公開にすることができます。
公開とは一般公開の意味で誰もが傍聴できることを意味し、報道の自由も認められますが、被告人その他の訴訟関係人の正当な利益を不当に害することは許されません。よって法廷における写真撮影、録音、放送は裁判所の許可が必要です。傍聴人がメモを取ることも従来は大きく制限されていましたが、最高裁(1989年3月8日判決)は傍聴人が法廷でメモをとる自由は憲法21条1項(表現の自由)の規定の精神に照らして尊重されるべきであるとして、原則認めるようになりました。
(2007年10月5日)

第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない。

国家の歳入と歳出を財政といいますが、財政の適正な運営は国民の重大な関心事です。そこで憲法は他の一般行政作用と区別して財政については特に1章を設け(第7章財政)、国会のコントロールを強く認めました。国家が活動するために必要な資金は国民が税金などの形で負担するのですから、財政は国会の議決に基づいてなされるべきであるという財政民主主義の原則を規定したものです。
そもそも議会は国民が不当な税負担を負わされることのないようにするために生まれたといっても過言ではありません。憲法によって国家権力に歯止めをかける立憲主義の考え方も、国王や国家の財政活動をいかに適切に縛るかという観点から生まれたといえます。
明治憲法でも財政処理に関しては議会の協賛が要求されていましたが、皇室経費などの多くの例外がありました。現憲法では例外を認めずに財政民主主義を徹底しようとする決意を本条で表しているといえます。
(2007年10月12日)

第84条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

財政民主主義を歳入面から具体化した規定です。租税の新設及び税制の変更は、法律の形式によって国会の議決を必要とします(租税法律主義)。イギリスのマグナ・カルタ(1215年)を渕源とする近代立憲主義の歴史は、「代表なければ課税なし」と言われるように租税への議会の関わり方の歴史でもありました。権利章典(イギリス)、フランス人権宣言にも登場する普遍的な原則といえます。
租税は、納税義務者、税率などの課税要件、及び賦課・徴収の手続が法律で定められなければならず(課税要件法定主義)、しかも誰でも理解できるように明確でなければなりません(課税要件明確主義)。地方自治体が課す地方税にもこの原則は適用されます。
なお、国民健康保険料のように賦課徴収の強制の度合いの強い金銭給付については、たとえ一定の行政サービスに対する対価の性質を持っていたとしても、本条の趣旨が及びますから、賦課要件は明確でなければなりません。
(2007年10月19日)

第85条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

財政民主主義(83条)を歳出面から具体化した規定です。国の金をどう使うかは、財政処理の中核ですから、国費の支出は国会の議決に基づくことを要求しました。この議決は予算の議決という形式で行なわれます。明治憲法では議会の承諾を経ない緊急の支出などの例外を認めていましたが、現行憲法では許されません。
国費の支出とは、国庫に属するすべての金銭の支出をいいます。法令に基づくものであろうと、私法上の契約に基づくものであろうとその原因は問いません。
また、現時点で債務を負担する行為にすぎなくても、それは将来において支出を伴うことになりますから、債務負担を伴う行為をした時点でも国会の議決を必要として、国会の財政処理への監督・統制を強化しました。国債の発行、土地建物賃貸借契約などがありますが、議決の方式は予算の形式と法律の形式があります。
法律の形式によって負担した債務の弁済の際には改めて予算による国会の議決が必要です。
(2007年10月26日)

第86条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

財政民主主義(83条)を財政計画の面から具体化した規定です。国の歳入と歳出は、毎年の予算という形式で国会の審議と議決を経るべきものとして、国会による財政コントロール権限を明確にしました。予算の作成・提出権限は内閣にあり(73条5号)、国会の議決にあたっては、先に衆議院に提出され、かつ衆議院の優越が認められています(60条)。
予算とは、一会計年度における国の歳入、歳出の見積もりを内容とする国の財政行為の準則です。単なる見積表ではなく政府を拘束する法規範です。アメリカのように法律の形式をとる国もありますが、憲法は予算という、法律とは別の法形式を採用したと解されています。
予算と法律は成立手続が違いますから不一致が生じることがありますが、法律は予算がなければ実施できません。内閣は法律を誠実に執行しなければなりませんから(73条1号)、補正予算を組んだり、予備費を支出するなどの措置をとる義務があると解されています。
(2007年11月2日)

第87条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。

予算の歳出項目はあくまでも予測に基づくものですから、予見しがたい事情によって、想定外の支出が必要になることがあります。そこで、予算の中のある項目の見積金額に不足が生じたり、予算にない新たな項目の支出が必要になった場合に備えて、予備費の制度を設けました。不測の事態が生じたときには補正予算を作成して国会の議決を求める手段もありますが、それでは緊急事態に対処できません。そこで予め、一定金額を予備費として予算の中に計上して、国会の承認を得ておき、内閣の責任で支出できるようにしました。
具体的な支出についての国会の事前承認がないのですから、財政民主主義の原則の重大な例外といえます。支出した後は、内閣は事後の国会で承諾を得なければなりません。この国会の承諾によって内閣の責任が解除されますが、仮に承諾を得られなかったとしても、すでになされた支出そのものの法的効果に影響はなく、単に内閣の政治責任が生じるだけと解されています。
(2007年11月9日)

第88条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。

明治憲法時代には、天皇及び皇族の財産は一般の国有財産と区別され、政府や議会の関与が一切認められない特権的なものでした。本条は、そうした特例を認めず、従来の皇室財産をすべて国有にし、皇室経費には国会の議決を要することにして、財政民主主義を皇室財産においても徹底しました。
なお、純粋に私的な個人財産の保有まで否定されませんが、国民と同様に民法が適用され、相続税なども課税されます。皇室の費用は、内廷費(内廷にある天皇・皇族の生活費であり、支出されたものは天皇・皇族の私財となり公金ではない)、宮廷費(天皇の公的活動の経費であり宮内庁管理の公金である)、皇族費(皇族の品位保持などのために支出されるものであり、私財となり公金でない)に分類されます。宗教的色彩を持つ天皇の葬儀や即位の儀式の経費を公金たる宮廷費から支出することは許されないはずですが(89条前段)、1990年の即位に伴う大嘗祭の費用を宮廷費から支払ったのは問題です。
(2007年11月16日)

第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

本条前段は、政教分離原則(20条)を財政面から徹底させたものです。戦没者遺族会のように宗教団体でないものが「宗教上の組織若しくは団体」にあたるか問題になりますが、最高裁は、この規定の「組織」「団体」を、特定の宗教の信仰、礼拝または普及等の宗教的活動を行なうことを本来の目的とする組織ないし団体に限定し、遺族会の宗教性を否定しています(箕面市忠魂碑訴訟)。しかし、本条は、宗教上の事業・活動への公的財政援助を禁止したものであり、その事業・活動を行なう主体が厳密な意味での宗教団体でなかったとしても、その宗教的活動への公金支出は禁止されていると解すべきです。
後段に関連して、現在の私学助成は「公の支配」が及んでいないため違憲だという考えもありますが、後段の趣旨を、公金の乱費防止のために公の支配を要求したものと解すれば、現在行なわれている会計報告のような緩やかな監督でも「公の支配」にあたり許されることになります。
(2007年11月23日)

第90条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

本条は、財政に関する事後的な民主的コントロールとして決算の検査について規定しています。予算によって事前審査を受けた国の収入・支出が、現実になされた後でそれが適正であったかを審査し、国会に報告します。会計検査院は内閣による財政支出を事後審査しますから、内閣に対し独立の地位を有しなければなりません。
そこで会計検査院の検査官は裁判官のように身分保障がなされています。会計検査院が決算を違法・不当と判断したときでも、その収入・支出が無効となるわけではありません。検査報告は明治憲法時代にはかなり遅れて議会に提出されることがあったので、本条は「次の年度」の提出が求められています。報告を受けた国会は、各院でそれぞれこれを事後審査しますが、仮に国会が収入・支出を違法と判断して不承認の決議をしても、それに法的効果はなく、政府の政治責任を追及する意味しかありません。
(2007年11月30日)

第91条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少なくとも毎年1回、国の財政状況について、報告しなければならない。

財政というもっとも重要な行政作用を国民代表機関である議会の統制の下に置こうとする財政国会中心主義の原則は、天皇主権の明治憲法下においても外見上は採用されていました。しかし、当時は天皇が主権者であるため、議会による財政統制も弱められ、多くの例外規定が設けられていました。本条は、国の財政状況を国会のみならず国民に報告することを内閣に義務づけることによって、財政を監視するのは最終的には主権者たる国民であることを明確にし、財政民主主義の徹底を示しています。
ここで報告しなければならない財政状況とは、予算や決算に限定されず、国有財産や債務の状況、予算の使用状況など国の財政全般を意味します。明治憲法時代に軍事費が増大して戦争に突入していった歴史的経緯に鑑みれば、現在、防衛費などがどのように使われているかを国民が正確に把握することは、国民の知る権利であると同時に、政府を監視する主権者たる国民の責任でもあるといえます。
(2007年12月7日)

第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

明治憲法には地方自治に関する規定がなく、府県制も知事が国から派遣されるなど強力な中央集権を基調としたものでした。本条は、国が法律をもってしても侵すことのできない地方自治の核心的部分を制度として保障したものと解されています。
その核心的部分つまり「地方自治の本旨」とは、住民自治と団体自治を指しますが、住民自治とは地方自治が住民の意思に基づいて行なわれるという民主主義的要素をいい、これは中央の議会制を補完する役割を果たします。また団体自治とは地方自治が国から独立した団体に委ねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという地方分権的要素をいいます。これは中央の権力に対する抑止力となり地域住民の人権を守る自由主義的意味を持ちます。
これらの観点からみると、たとえば、米軍基地の移転に反対している地域住民の意思を無視して国が基地を押しつけたり、補助金を使って国が自治体をコントロールしたりすることなどは許されません。
(2007年12月14日)

第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

地方公共団体の組織として、住民に直接選挙された議員によって構成される議事機関として議会を設置し、執行機関である首長と法律で定める職員も住民の直接選挙で選ばれることを規定しています。特に首長の公選制は明治憲法時代にはなかったものです。国の政治については行政機関たる内閣が国会に責任を負う議院内閣制をとっていますが、地方政治では首長制(大統領制)を基本としています。行政の長たる首長が住民から直接選任され、民意を背景に議会と独立・対等の関係に立ち、抑制均衡を保ちつつ地方政治の運営にあたることが望ましいとされているのです。
地方自治法では住民の直接請求として、条例の制定改廃請求、監査請求、議会の解散請求、議員・首長などの解職請求を認めています。この他に条例によって住民投票を行なうことは、投票結果が議会や長を法的に拘束するものでなければ適法と解されており、住民自治の観点からさらなる活用が期待されます。
(2007年12月21日)

第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

地方公共団体の権能を列挙した規定です。特に条例制定権が重要ですが、条例とは、地方公共団体がその自治権に基づいて制定する自主法をいいます。憲法上は国会が唯一の立法機関ですが(41条)、その例外として本条によって条例制定権が付与されたのです。条例は民主的な自主立法ですから、必要最小限度であれば人権の制限も可能です。また、刑罰を科すことは国の仕事であり、本来、自治体の権能ではありませんが、一定限度の刑罰を条例で定めることも法律で認められています(地方自治法14条3項)。
ただ、条例は「法律の範囲内」で制定できるだけです。条例が法律に反するかどうかに関して判例は、その趣旨、目的、内容および効果を比較して両者の間に矛盾抵触があるかどうかで判断します。街の景観保護のために建築基準法よりも厳しい建築規制が問題になることがありますが、地方の特性を活かす方向で考えるべきです。
(2008年1月11日)

第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

特定の地方公共団体(これは複数でもかまいません)だけに適用される法律を国がつくって、それらの地方公共団体の地方自治権を侵害することがないように、その制定には住民投票による賛成を必要としました。国会以外の機関が立法に関与してはならないという国会単独立法の原則の例外ですが、いわば立法に関する国の横暴から地方を守るための規定です。これまでの実例として広島平和記念都市建設法、首都建設法などがありますが、これらの多くは財政援助を与えることを主目的としたものであり、本来、住民投票が必要なものではありませんでした。逆に、衆参両院の9割の賛成で可決された米軍用地特別措置法改正(1997年)は、形の上では全国の米軍基地に適用されるものとしながら、実質的には使用期限切れの米軍用地の継続使用に反対する沖縄を狙い撃ちにしたものであり、本条の趣旨からも許されるものではありません。なお、自民党新憲法草案では本条は削除されています。
(2008年1月18日)

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

本条で、通常の法律の改正手続きよりも困難な憲法改正手続きを定めることで、法律のように簡単に改正を許さないものとしました(硬性憲法)。憲法改正はもとの憲法の存続を前提とするものですから、もとの憲法との同一性を失わせるような改正は不可能です。また、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権という基本原理に反する改正は許されません(憲法改正限界説)。現行憲法の最大の特長である9条2項を削除するような改正は日本国憲法の本質を変えてしまうものであり許されないと考えます。
なお、憲法に違反しない範囲での条文解釈の変更は可能ですが、憲法違反の解釈を解釈改憲の名の下に行なうことなどは許されません。たとえば集団的自衛権の行使は憲法上許されないのであって、政府がその解釈を変えたとしても行使できるようになるものではありません。2007年5月に成立した憲法改正手続法により、2010年には国会による憲法改正案の発議が可能となります。
(2008年1月25日)

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

人権は、イギリスのマグナカルタ(1215年)、権利請願(1628年)、権利章典(1689年)、アメリカ独立宣言(1776年)、フランス人権宣言(1789年)などをめぐる市民革命、その後の全体主義との闘いを経て、まさに苦闘の歴史の上に生み出されました。日本国憲法が保障する人権もそうした人権獲得の歴史の延長線上にあることを示しています。
こうした人権の本質に関わる規定がなぜ、第10章「最高法規」の章の冒頭に位置づけられているのか議論のあるところです。この点、憲法は人権や自由を保障するための法ですから、その人権や自由の重要性を謳うことで、憲法がなぜ最高法規なのか、その実質的な根拠を示していると理解することができます。
なお、「信託されたもの」との表現がありますが、これは次世代のために人権を保持し続ける責任があることの自覚を国民に促すものといえます。人権を主張することは今を生きる者の責任なのです。
(2008年2月1日)

第98条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部はその効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

1項は、憲法が法律、命令、規則などの国法秩序の中で最高法規であることを規定します。これは、すべての国家権力が憲法に拘束されることを意味するものであり、いわゆる「法の支配」の現れです。法の支配とは、このように憲法という法によって権力が支配されることを意味するのであって、けっして法律によって国民が支配されることを意味するものではありません。憲法と抵触する法令その他の国家行為は違憲であり無効となります。その憲法適合性判断は最終的には最高裁判所が違憲審査権を行使して行ないます(81条)。
2項は、日本が締結した条約はすべて誠実に遵守することを宣言した規定です。国際協調主義を謳ったものですが、憲法の最高法規性から憲法に抵触する条約は無効となる(憲法優位説)と解するのが一般です。例えば国連憲章51条で集団的自衛権を認めていたとしても、それが憲法9条に反する以上、行使することは許されません。
(2008年2月8日)

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

およそ近代立憲主義の憲法は、国家権力を制限して個人の人権を保障する法です。したがって、憲法を守る義務を負うのは国民ではなく、権力を行使する公務員です。本条にあえて国民を含めなかったのは、国民こそが憲法制定権者であり、憲法を守る側ではなく守らせる側にいることを明確に示したものといえます。
憲法を尊重し擁護する義務とは、単に憲法違反をしないことではなく、憲法違反行為を予防し、これに抵抗し憲法を守るために積極的に努力することを意味します。国会議員が憲法改正手続(96条)に則った改憲の主張をすることは許されますが、改正の限界を超えた変更を主張したり、現行憲法との同一性を否定する新憲法の制定を主張したりすることは許されないと考えます。
政治家による99条違反に対しては、罰則などが設けられているわけではありません。あくまでも憲法制定権者であり主権者たる国民が選挙を通じて監視し統制することが求められているのです。
(2008年2月15日)

第100条 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日(昭和二二・五・三)から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。

憲法は、1946年11月3日に公布され、その日から起算して6ヵ月後の1947年5月3日から施行されました。この間、国民に憲法を周知徹底させるため、国費を使って、講演その他の方法で普及に努めました。その後も、文部省は『あたらしい憲法のはなし』(中学1年生用)、『民主主義』(中学、高校用)といったわかりやすい教科書を作って憲法教育を実践しましたが、これらのすばらしい教科書は、朝鮮戦争、警察予備隊による再軍備、教科書検定のなかで廃止されていきます。
2項は、憲法施行のため必要な準備手続をなし得ることを規定していますが、この条項だけは事柄の性質上、公布と同時に効力を持ちます。憲法によって認められた新しい制度や人権を実現するために必要な法律は、帝国議会の協賛と天皇の裁可によって制定されました。それは、皇室典範、国会法、内閣法、裁判所法、地方自治法、教育基本法などで、憲法と同時に施行されました。
(2008年2月22日)

第101条 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。

新憲法施行に伴って、衆議院は明治憲法時代のメンバーがそのまま移行しますが、新憲法下では貴族院が消滅するため、参議院の新たな議員を選出しなければなりません。その選挙のための法律制定と手続は憲法施行前でも行えるようにしましたが(100条)、仮に参議院議員選挙法の制定や選出手続が遅れ、憲法施行時に参議院が成立していないときであっても、衆議院のみで国会としての権限を行えるようにした規定です。
ただ実際には、参議院議員選挙法は1947年2月24日に公布施行され、第1回参議院議員選挙が4月20日に実施されて、当選者は憲法施行の5月3日に参議院議員の資格を得たので、この規定は使われませんでした。
全250議席の内訳は、与党である日本自由党が38、野党が日本社会党47、民主党28などで合計101、無所属111でした。無所属が多く、衆議院とは異なる独自の存在意義のある参議院がここから始まりました。
(2008年2月29日)

第102条 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

参議院議員の任期は6年ですが、その半数を3年で改選することになっています(46条)。そこで第1期の参議院議員のうち、誰を任期3年議員とするかを法律で決めることにしました。
本条に基づいて参議院議員選挙法が制定され、1947年4月20日に行なわれた第1回通常選挙において、地方選出議員と全国選出議員のそれぞれについて、得票数の多い半数の当選者を任期6年の議員とし、残りの半数を任期3年の議員としました。
任期3年とされた議員は、1950年6月4日に改選が行なわれ、以後、任期3年の議員は存在しなくなり、本条の役割も終わりました。
(2008年3月7日)

第103条 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によって、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。

明治憲法の下での、帝国議会の議員や国務大臣、裁判官はみな主権者たる天皇に奉仕する立場でした。民主主義体制に切り替えることを宣言したポツダム宣言の受諾によって、これらの公務員の地位は失われるのが筋です。そして国民主権の新憲法の下で、主権者の名の下に新たに任命し直す必要があったはずです。
しかし、ポツダム宣言を受諾してから、憲法施行までの間は、陸海軍は解体されたものの、天皇制を支えた枢密院、貴族院、行政裁判所などは温存されていました。憲法施行後も、本条によって、重要な役職の公務員の地位が継続することになりました。
天皇主権から国民主権へ一種の革命的変革が行なわれたにもかかわらず、国政の急激な変化を避けるために人員の交替は穏健になされたのです。ですがこれらの公務員も憲法尊重擁護義務を負うことにかわりありません。なお、現憲法における天皇の地位は本条ではなく主権者たる国民の総意に基づくと解されます(1条)。
(2008年3月14日)



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