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憲法が保障する「信教の自由」を守るために

2018年2月19日



佐原透修さん(公益財団法人 新日本(しんにっぽん)宗教団体連合会事務局長)

 公益財団法人 新日本宗教団体連合会(新宗連・しんしゅうれん)は1951年に結成された、諸宗教の連合体です。「信教の自由」「宗教協力」「世界平和」を掲げ、広く社会に貢献する様々な活動を展開してきました。その中から、「信教の自由」に関する新宗連の考え、活動を紹介します。

1.出発点としての「信教の自由」—宗教弾圧の歴史とスローガン
 新宗連結成には、戦前・戦中の宗教弾圧の歴史が大きくかかわっています。加盟教団の一つであるパーフェクト リバティー教団(PL)の前身、ひとのみち教団は教祖をはじめ幹部等は不敬罪その他で検挙され、1937年4月、内務大臣命令により、治安警察法が適用され、解散させられました。他にも、加盟教団である円応教や立正佼成会、修養団捧誠会なども、さまざまな形で宗教弾圧を被りました。このような塗炭の苦しみを経験した方々が中心となり、新宗連は結成されました。新宗連初代理事長・御木徳近PL二代教祖は、ひとのみち事件を振り返り、こう語っています。

宗教団体という社会的・歴史的な存在から見れば、国家権力のエゴイズムは、その国と国民にとっては最大の悲劇でしょう。信教の自由、結社の自由ということの重みをひときわ強く感じます。信じているものを失わされるということほど、人間にとって非道なことはありません。〔中略〕昭和21年9月にPL教団を立教して、のちに新宗教の集合体である新日本宗教団体連合会(新宗連)を結成するに至るのも、この信教の自由、結社の自由は、国民福祉の上からも断固として守らねばならないと、強く思ったからです。(御木徳近「ひとのみち事件」小池健治他編『宗教弾圧を語る』岩波新書、1978年、74〜75ページ。)

 新宗連は戦前・戦中の宗教弾圧を繰り返させないために、自由な宗教活動を行うために、「信教の自由を守ろう」とのスローガンを掲げ、結成以来活動をしてきたのです。

2.国家護持よりも国民護持を — 靖国神社法案への対応
 「信教の自由」を守る活動のひとつとして、新宗連は1960年代から70年代にかけて、靖国神社国家護持問題と対峙してきました。戦後、靖国神社はGHQによる「神道指令」により、国家の管理を離れ、民間の宗教法人となっています。しかし、1964年から1974年頃、靖国神社を再び国家管理しようとする法律の制定が提案されていました。これに対して、新宗連は大規模な反対運動を展開しました。
 1968年には、「神社という宗教施設を国家管理することは、政教分離の原則に反し、信教の自由を侵害する」と反対の姿勢を示しました。この後、新宗連は1969年から靖国神社国家護持反対の署名運動を展開し、最終的には1360万人の署名を集めました。また、1970年には「靖国神社問題特別委員会」を設置し、新宗連の青年会組織である新日本宗教青年会連盟(新宗連青年会)は1974年、靖国法案抗議集会を各地で実施し、デモ行進などを行いました。
 当時、こういった活動を展開した理由は、靖国神社の国家管理は靖国神社を特別扱いすることとなり、政教分離原則に違反するという点にありましたが、宗教団体である靖国神社の「信教の自由」を侵害する点にもありました。憲法の規定上、国家管理をするためには、靖国神社は「非宗教施設」とならなければならず、靖国神社の宗教性を排除することが必要になります。具体的に言えば、信者への教化活動の禁止、おみくじの禁止、「祝詞」から「英霊に対する感謝の言葉」への変更、修祓の儀の禁止、などが靖国神社に課されるということです。これは「何が『宗教』か」を国家が決めることを意味し、靖国神社は宗教団体ではない、と示すことは、靖国神社の宗教性を否定することになり、靖国神社と靖国神社を崇敬する人たちの「信教の自由」を侵害することになります。こうしたことから、当時の新宗連は慰霊とは国家権力に強制されるものではなく、国民一人ひとりの心によって支えられるべきだと主張し、「靖国神社国民護持」を提唱しました。靖国神社の宗教性を大切に思うからこそ、国家護持に反対し、国民護持を訴えたのです。
 その後も、新宗連は総理大臣らの靖国神社「公式」参拝に反対をしています。その大きな理由は、靖国神社への参拝が宗教的な心情からではなく、政治利用されている点に問題を感じるからです。ここでも靖国神社の宗教性が蔑ろにされていることを批判しています。

3.国家による価値判断に対する疑義 — 自民党改憲草案に対する見解
 さらに、2012年に発表された自民党改憲草案、特に、「信教の自由」を定めた第20条第3項に「ただし」文を追加しようとすることに対して反対を訴えてきました。
 現行憲法では第20条第3項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」となっていますが、自民党案では「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」と記しています。
 自民党案に則れば、国や地方自治体は、「社会的儀礼」や「習俗的行為」であれば「宗教的活動」をしてもいい、ということになります。言い換えれば、社会的に誰もが行って「当たり前」だと思われる行為——自民党が想定しているのは地鎮祭などです——であれば、国や地方自治体も行えるということです。しかし、何が「当たり前」なのかは、曖昧です。日本人でも、宗教によっては家を建てるときに地鎮祭を行わない人もいるでしょう。そういう人にとって、地鎮祭は「神道儀礼」、「宗教的活動」であって、「社会的儀礼」や「習俗的行為」ではありません。
 この「当たり前」を判断するのは政府などの行政庁です。つまり、行政が、何が「宗教」で、何が「習俗」かの判断を行うということです。それは行政による宗教に対する価値判断です。「宗教」ではない「習俗」や「社会的儀礼」は、強制される可能性があり、そうなれば個人の信じない自由が損なわれてしまいます。また、「習俗」や「社会的儀礼」と判断された「宗教」は特別扱いされることになり、「公式」と目される宗教が生まれることで、その他の宗教を信仰・実践することに引け目を感じさせるなど、個人の信じる自由、信じない自由が脅かされます。さらに言えば、国家や行政という権力に歯止めをかけるはずの憲法が、権力者の権力を増大させてしまうという意味では、自民党の憲法改正案は立憲主義の破壊にもつながりかねません。

4.おわりに
 憲法が保障する「信教の自由」は、私たち一人ひとりにとって根本的に重要なものです。そして、実に壊れやすいものです。国家権力による宗教に対する価値判断により、いとも簡単に「信教の自由」は侵害されてしまいます。だからこそ、新宗連は「信教の自由を守ろう」をスローガンに活動を続けてきました。
 具体的には、組織内の「信教の自由委員会」、「憲法研究会」で検討を重ね、問題に応じて意見書の提出などを行っています。また、地方組織の総支部・協議会で、2016年度に「信教の自由と立憲主義」をテーマに平和学習会を開催し、2018年度は「憲法改正と国民投票」をテーマに全国で平和学習会を行う計画です。このような活動を通して、これからも「信教の自由」の重要性を訴え、「世界平和」実現に向けた運動を展開していきます。

公益財団法人 新日本宗教団体連合会

◆佐原透修(さはら ゆきのぶ)さんのプロフィール

1968年生まれ。公益財団法人 新日本宗教団体連合会事務局長。



 



 
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