• HOME
  • 今週の一言
  • 浦部法穂の憲法雑記帳
  • 憲法関連論文・書籍情報
  • シネマde憲法
  • 憲法をめぐる動向
  • 事務局からのご案内
  • 研究所紹介
  • 賛助会員募集
  • プライバシーポリシー
今週の一言
感染症対策のデジタル化:期待と課題
2022年5月9日

河嶋春菜さん(慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)特任准教授)


はじめに
 保健医療分野におけるデジタル化がすすめられている。感染症対策一つをとっても、新型コロナウイルス感染症(以下「コロナ」)の蔓延防止のため、「ワクチン接種記録システム」(VRS)、「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム」(HER-SYS)、「接触確認アプリ」(COCOA)などが導入され、感染症対策が効率化されてきた。感染症対策は「公衆衛生の向上及び増進」(憲法25条2項)施策の一部として、「生存権」の保障を具体化する重要な国家活動である。一方、感染症対策は自由の制約を伴うことも多く、過度な自由の制約に警鐘が鳴らされてきた。では、感染症対策のデジタル化についても、憲法の観点からどのような期待と課題を見出すことができるだろうか。筆者の所属先である慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)では、デジタルプラットフォームと保健衛生に関する研究会等を開催してきたので、そこで得られた知見も踏まえて考えてみたい。

1 患者情報のデジタル化
 迅速かつ正確に患者の情報を得て、医療的対応と疫学的分析を行うことは感染症対策の基本中の基本であるといわれる。そのため「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(「感染症法」)は患者情報の収集手続を定めているが、コロナ対策では、それを集積するシステムとしてHER-SYSが導入された。
 HER-SYSは、コロナ禍で、感染症患者を診断した医師による都道府県知事への届出(感染症法12条)が、手書き・Faxで行われていたことが問題になったことにより、猛スピードで開発導入されたシステムである。医師による届出情報を受け取った保健所は、患者本人に「積極的疫学調査」(同15条1項)とよばれる聞き取り調査を実施し、コロナの発症日から2週間前までの行動歴をHER-SYSに登録する(2021年2月12日の法改正で、積極的疫学調査への協力命令に対する拒否や虚偽回答は30万円以下の過料の対象になった)。
 さらに、都道府県知事は、患者を入院させること(同19・20条)や、健康状態の報告と自宅・宿泊療養への協力を求めることができる(同44条の3)。この健康状態の報告(保健所による健康フォローアップ、患者による申告)もHER-SYSを通じて行われる。こうしてHER-SYS上には、経時的で豊富な患者データが一元的に集約されることになる。届出や積極的疫学調査で収集されたデータの分析によって分かった知見は、都道府県知事によって公表される(同16条)。しかし、収集データは、分析だけでなく、個別的できめ細やかな医療の提供にも役立てられることが期待される。

2 予防接種記録のデジタル化
 一方、予防接種に関する情報はVRSに集積される。VRSでは、被接種者の情報、接種日や、ワクチンロット番号等の接種記録情報、統計情報等がクラウドに記録され、マイナンバーを使って市町村間で共有される。被接種者が市町村をまたいだ引っ越しをした場合にも、引っ越し先の市町村で最新の接種データを参照することができ、正確な接種事務の実施に役立つ。マイナンバーを利用した住民情報の共有は番号法(行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律)で制限されているが、デジタル庁は、接種記録の提供は同法19条16号の適用除外に該当するという解釈を示した。すなわち、「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合において……本人の同意を得ることが困難であるとき」にあたるとし、はじめて本規定を適用したのである。また、職域接種等、自治体の枠を超えた新しい接種体制は、ニーズに応じて迅速に接種を行うための工夫に富んだしくみであったが、そのような体制でも重複接種等を避け、接種情報を正確に保存することにもVRSが一役買っている。

3 個人のための感染症対策システムへ
 コロナ対策では、感染症対策行政の効率化だけではなく、個人が自らの健康管理をよりよく行うことができるよう手助けするシステムが望まれた。たとえば、「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」を使えば、自分の接種記録情報をいつでも参照することができるので、副反応や後遺症に関する公開情報と照らし合わせたり、次回接種を予定したりすることができ、自身の健康管理に役立てることができる。予防接種を受けたことの証明(「予防接種済証」)は、種痘が罰則付の義務であった頃には法定されていたものの、現在は省令で定められている。義務の履行を証明する手段であった予防接種済証は、予防接種の「任意化」に伴い重要性が小さくなっていったのだろう。しかし、予防接種歴情報は、免疫がなくなる頃に追加接種を受けるかどうか等、健康に関する自己決定を行うために必須の情報である。1994年の予防接種法改正時に「個人の健康の積み重ねとしての社会防衛」が提言され(1993年12月14日、公衆衛生審議会答申)、個人の自己決定による健康の向上増進を「公衆衛生の向上及び増進」につなげるしくみの構築こそが、憲法25条2項にいう国の責務であると考えられるようになったこともあわせて考えれば、コロナ予防接種済証の一元化・ポータブル化は、望ましいデジタル技術の活用であったといえる。今後は、デジタル化が「公衆衛生」と「自己決定」とを接続するツールになるかもしれない。

4 デジタル化によって生じる問題
 コロナ対策のデジタル化によって、新しい課題も生じている。
 「COCOA」にGoogleとAppaleの提供するAPIを利用したことで、システムの仕様やデータの使い道がこの2社によって予め決められてしまっていた、と指摘されている(なお、HER-SYSはマイクロソフトのサービス、VRSはアマゾンウェブサービスを使用)。
 日本と対照的な国としてよく挙げられるのがフランスである。フランスでも接触確認アプリやワクチン接種証明アプリが活用されたが、海外プラットフォーマーの提供するサービスは退けられ、国内企業のサービスのみでアプリが構築されたからである。「公衆衛生政策は国の責任で行うべきであり、そのシステムやアルゴリズムを決め、プライバシーを守るのも国の役割である」とフランスのデジタル政務長官が述べる通り、その選択の背景には公衆衛生の統治とプライバシー保護の2つの観点がある。
 1つは、1946年憲法前文11項に定められた、国の「健康保護目標」を実現すべく、公衆衛生政策は国のガバナンスの下で行われるべきであって、海外プラットフォーマーのコントロール下にあるアルゴリズムには委ねられないという観点である。いま1つは、フランス法とEU法に基づき、国が個人データを保護する構造(制度やシステム)を確保しなければならないという観点である。たとえばGAFAのシステムを採用した場合に、アメリカ連邦法CLOUD Act(2018年)に基づき、適切な手続を経ずにフランス人の個人データがアメリカ政府に提供されるおそれがある限り、個人データ保護が十分であるとはいえない(2021年3月12日コンセイユ・デタ判決も参照)。

おわりに
 公衆衛生は社会集団的な衛生・健康の観点からの統治を導くものとして、健康に関する自己決定権や個人の健康の向上とは両極端にあると思われてきたきらいがある。感染症法や予防接種法は、それを克服し、集団的な健康保護と個人の健康・人権との調和を目指してきたが、デジタル化がその実現をすすめてくれるかもしれない。ただし、感染症対策のデジタル化はまた、「国は……公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(憲法25条2項)という国の責務の具体的意味を改めて問うているのではないだろうか。

参考:
曽我部真裕「『接触確認アプリ』の導入問題から見える課題」法律時報1154号(2020年)
山本龍彦「新型コロナウイルス感染症対策とプライバシー」憲法問題32号(2021年)
河嶋春菜「COVID-19に対峙する感染症法制の枠組み」国際人権32号(2021年)
KGRI「2040独立自尊プロジェクト」セミナー「『デジタル主権』とは何か:接触確認アプリから考える」(2022年3月3日開催)

◆河嶋春菜(かわしま はるな)さんのプロフィール

慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート特任准教授。帝京大学法学部助教等を経て現職。主な著作として、「フランス—新たな法律上の『緊急事態』の創設」大林啓吾編著『コロナの憲法学』(弘文堂、2021年)。

【関連HP:今週の一言・書籍・論文】

書籍『コロナの憲法学』
大林啓吾さん編

書籍『AIと社会と法―パラダイムシフトは起きるか?』
宍戸常寿さんほか編

書籍『AIと憲法』
山本龍彦さん編著




バックナンバー
バックナンバー

〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町17-5
TEL:03-5489-2153 Mail:info@jicl.jp
Copyright© Japan Institute of Constitutional Law. All rights reserved.
プライバシーポリシー