文化の日と文化国家
1946(昭和21)年11月3日、日本国憲法公布式典において、昭和天皇は「朕は、国民と共に…自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ」と述べた。その記録映像は、2007(平成19)年にNHKが制作したドキュメンタリー『日本国憲法誕生』に収録されている。初めて観たとき、想像以上に力を込めて「文化国家」と発声している昭和天皇の姿に衝撃を受けた。
「文化国家」という目指すべき国家像は、憲法の本文では言及されないものの、帝国憲法改正案(注:今日の日本国憲法)に対する附帯決議の4項で、このように述べられている。
四、憲法改正案は、基本的人權を尊重して、民主的國家機構を確立し、文化國家として國民の道義的水準を昂揚し、進んで地球表面より一切の戰爭を驅逐せんとする高遠な理想を表明したものである。(後略)
その後1948(昭和23)年に制定された「国民の祝日に関する法律」2条によって、明治天皇の誕生日だった11月3日は、「文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる」と定められた。
それから70年あまり経ったが、私たちの暮らす国は、果たして文化国家たり得ているだろうか。
2020年代初頭の文化国家
2020(令和2)年4月に新型コロナウイルス対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令される1カ月以上前から、文化芸術関連分野は、コロナ対応に苦慮してきた。2020年2月20日には厚生労働省のメッセージが出され、2月26日には内閣総理大臣による全国的なスポーツ・文化イベント等の中止、延期又は規模縮小等が要請された。当初「今後二週間」という見込だったが、それで済まなかったことは周知のとおりである。翌2月27日には総理大臣によって全国の学校の一斉臨時休校が要請され、子育て世帯に衝撃が走った。コロナ禍が自分事になった人が増えたのは、この一斉休校からではないかと思う。
いち早く自粛要請に応じてコロナ対応に取り組んできた文化芸術関連分野だが、コロナ禍が長引くにつれて、文化は不要不急なのかという問いが、改めて突きつけられることになった。実際、コロナ禍は、文化芸術関連分野に大打撃を与えた。例えば、舞台芸術、音楽、映画等、文化芸術に関わる23の関係団体で構成される「文化芸術推進フォーラム」によると、芸術活動による事業収入(芸術収入)は、2019(令和元)年と比べた2020(令和2)年通期の減少率において、ほぼ全てのジャンルで−50%を超える。これは、一般にコロナ禍によって多大な影響を受けたと考えられている飲食業(−26.6%)、宿泊業(−37.2%)を超えて、航空業(−51.7%)と同等以上の減少規模だという※。政策的な支援も行われているが、コロナ前に戻ったとは言い難い。
一方でコロナ禍にあって、文化を必要とし、文化を支えようとする新たな動きも顕在化した。例えば国内最大級のクラウドファンディングサービス「READYFOR」においては、2020(令和2)年に文化芸術分野で約3,000件のプロジェクトが立ち上がり、約24万人の支援者から約36億円が集まったという。2019(令和元)年度と比べて1,000万円以上の支援を集める高額プロジェクト数は約3倍、支援者数も約3倍となり、文化芸術を必要として支えたいと願う人々のニーズが、寄附というかたちで明示されたと言えよう。このような状況は、人びとの思いに支えられる、新たな文化国家の嚆矢とも言えるのかもしれない。
2020(令和2)年8月に亡くなった評論家・劇作家の山崎正和は、2019(令和元)年3月19日の産経ニュースで、マンガの輸出と観戦後に掃除するサッカーのサポーターの姿を例挙げて、「日本は文化文明を輸出できる」「初めての文化国家になっていきました」、「国力が、力や金ではなく、品格とか文化とかに移っていくのではないか。それが私の見方です」と述べた。1年の延期を経て2021(令和3)年に開催された東京オリンピックでは、開会式で各国選手が漫画の吹き出しをイメージさせるプラカードに率いられて入場したこと、会期中を通してのボランティアの活躍も、記憶に新しい。
実はオリンピック憲章は、「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」ことを根本原則に掲げ、少なくとも会期中は「文化イベントのプログラムを催すものとする」こと、「そのようなプログラムは IOC 理事会に提出し、 事前に承認を得なければならない」ことを定めている。このオリンピックの文化プログラムを念頭に、二度目の東京開催が決まった2013(平成25)年9月以降の日本の国レベルの文化政策においても、大会を契機として様々な施策が進められてきた。開催地東京の場合はもっと早く、当初2016(平成28)年開催を目指して招致活動を始めた2005(平成17)年以降、都レベルの文化政策の充実に取り組んできた。振り返ってみれば、オリンピックを契機に十数年かけて、東京都だけでなく日本全体で、文化政策の様々な環境整備が進んできたことになる。その道程は果たして、文化国家と呼べるものだっただろうか。
文化国家と憲法25条「文化」
日本国憲法制定時に国家の理想像として掲げられた文化国家について、当時は戦後日本の文化国家論として盛んに論じられたものの、早くも1950年代には議論が衰退していった。その後の日本社会において、文化国家が注目されることは、ほとんどなかった。
日本国憲法の条文で「文化」という言葉が使われたのは、憲法25条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」のみである。現在の25条1項につながる文言はGHQ草案にはなく、衆議院の小委員会の議論において日本側の提案で挿入された経緯がある。その際、生存権を具体化する文言として「文化」という文言が用いられたが、その意味するところについては、原始的の反対の意味の、国や時代の状況に応じた水準であるという以上の議論は行なわれなかった。従来の憲法学や社会保障法においても、25条はもっぱら生存権として理解され、「文化」という文言はほとんど注目されてこなかった。
25条の「文化」とは一体何なのか。「文化国家」概念を参照しつつ、戦後直後の日本において「文化」という言葉に込められた意味内容を明らかにし、その「文化」という言葉が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として憲法25条生存権に含まれることの意義を戦前との比較から考察したのが、コロナ禍の出版となった拙著『文化的に生きる権利―文化政策研究からみた憲法第二十五条の可能性―』(春風社、2021年)である。
戦前の生存権の理解においては、「文化」は最低限度の保障である「生存権」に含まないという理解が一定の位置を占めていた。それに対し戦後制定された日本国憲法25条1項は、「生存権」の条項に「文化」を含めたことが画期的な変化だったと言える。
25条1項挿入に際して論陣を張った立役者の一人である鈴木義男は、戦後の著書『新憲法読本』(鱒書房、1948年)において、次のように説明している。
人間が動物と違ふところは、ただ働いて食べて寝て起きて死ぬといふのではなく、生活に必要なだけは働くが、できるだけ余裕を作つて、芸術を楽しむ、社交を楽しむ、読書や修養につとめる、つまり文化を享受し、人格価値を高めるといふところにある。これも贅沢を云へば、きりがないが、最小限度の人らしい生活だけは保障されるといふのである。(61-62頁)
贅沢を云えばきりがないと断りつつも、鈴木が25条「文化」に託したのは、人間らしい生活という希望だった。
日本国憲法25条1項では、「健康」「文化的」「最低限度」の3つが揃って生存権として保障されている。新型コロナウイルス感染症に脅かされない健康、コロナ不況でも路頭に迷わない最低限度の生活、どちらも今の時代に改めて重要であることに異論はないだろう。
では「文化」はどうだろうか。その意味を、コロナ禍が続く文化の日に改めて考えたい。一文化政策研究者としては、こんな時代だからこそ、憲法25条に「文化」があることの意義と可能性を大切にしていきたいと思う。
※「新型コロナウイルス感染症拡大による文化芸術界への甚大な打撃、そして再生に向けて 調査報告と提言」文化芸術推進フォーラム(2021年7月7日)
◆中村美帆(なかむら みほ)さんのプロフィール
東京大学法学部卒、同大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士課程単位取得満期退学、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(DC2)、静岡文化芸術大学講師を経て、現職。埼玉県富士見市文化芸術振興アドバイザー、神奈川県文化芸術振興審議会委員、日本文化政策学会監事なども務める。著書に、『文化的に生きる権利―文化政策研究からみた憲法第二十五条の可能性―』(春風社、2021年)。近刊予定の共著に、『法から学ぶ文化政策』(有斐閣、2021年12月発売)。
【関連HP:今週の一言・書籍・論文】
今週の一言(肩書きは寄稿当時)
「今日の博物館と博物館法の課題」
浜田弘明さん(桜美林大学教授)
「リスペクトか盗用か 民族文化と模倣」
志田陽子さん(武蔵野美術大学造形学部教授)
「鈴木義男とフクシマ ~忘却された日本国憲法ナラティヴズのために」
金井光生さん(福島大学行政政策学類教授)
"人間らしく生きたい!" 生存権裁判は生存権・人権保障を求める闘い
荒井純二さん(生存権裁判を支援する全国連絡会事務局次長)
東京生存権裁判の判決について
高橋力さん(弁護士)