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今週の一言
日本学術会議任命拒否問題と軍事研究
2020年11月30日

小寺隆幸さん(軍学共同反対連絡会事務局長)

 《はじめに》
 菅首相による日本学術会議会員任命拒否への抗議が広がっている。10月末時点で670以上の学協会が声明を出し、その後も増え続けている。(安全保障関連法に反対する学者の会のHPで各声明を見ることができる)
 国会での追及も続いている。だが菅首相は支離滅裂な矛盾だらけの発言と人事を口実にした答弁拒否を繰り返し、時間切れでの幕引きを図ろうとしている。一方、自民党は学術会議組織見直し案を12月初めにも示すという。このような居直りと問題のすり替えを許してはならない。
 この問題は法的には、政府が違法状態を自ら作りだし、それを糊塗するために法解釈を恣意的に変えたことであり、法治主義の破壊と民主主義の形骸化につながるものである。
 そしてこの問題の本質は学術会議の独立と「学問の自由」の否定にある。菅首相が任命拒否の理由を言えないのは、安保法制などへの反対者を排除するためだからであり、それは学術会議の独立性を侵すだけでなく、批判は許さないという姿勢を政府自ら学術界に示すことで、学問を統制しようとするものである。
 さらに今、学術会議への介入の現実的な狙いが、学術会議の軍事研究にたいする姿勢を覆すことにあることが11月17日の大臣発言で公然化してきた。それだけではない。近日中に自民党が出す改革案もふまえ、政府としても一気に学術会議の解体・再編も含めた改革まで進めるという動きが始まっている。11月26日に井上大臣は学術会議梶田会長に「国の機関からの切り離しについても検討していくべきではないか」と述べたという。選択肢の一つと言ってはいるが、大臣が公的にこういう発言をしたことは重大である。法律に基づいて設置されている学術会議に、「国の機関から切り離す」ことも検討するよう「要請」することは、国会を飛び越えて政府が勝手に法律を変えようとする違法行為である。
 このような状況の中で、本稿では改めて任命拒否がなぜ民主主義の危機なのかについて整理し、次に「学問の自由」が市民社会とどうかかわるかを考えてみたい。その上で、軍事研究を巡る学術会議攻撃を許さないために、自民党などが美化するデュアルユースのねらいと防衛省の「安全保障技術研究推進制度」の現実の姿を見ていこうと思う。

《民主主義の危機》
 今回の事態は3重の意味で法治主義をないがしろにするものである。第一に6名の任命拒否はまずもって日本学術会議法第7条2項「推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」の違反である。その結果7条1項「二百十人の日本学術会議会員をもつて組織する」に反する状態が2か月続いている。学術会議法は任命拒否を想定していないため、学術会議の側から欠員補充の再提案はなしえない。違法状態を解決するためには任命拒否撤回しかありえない。違法状態を平然と続ける国は法治国家とはいえない。
 第二に法規範を形成するものとしての国会答弁を無視・否定していることである。学術会議法7条2項の解釈は、法改正時の中曽根康弘首相答弁(1983年5月12日参院文教委員会)として示されその後一貫して維持されてきた。それは「任命」は「形式的任命」であり、推薦された人は拒否しないということである。
 しかし安倍政権は、2016年以降、学術会議への介入に乗り出し、それを担った当時の菅官房長官と杉田官房副長官は、2018年11月に、学術会議事務局と内閣法制局に「日本学術会議法17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」と題する文書を秘密裡に作らせた。そこで「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」と記されたこの文書は「勉強会メモ」とされ、当時の山極学術会議会長にさえ示されなかった。これは明らかに1983年答弁を否定するものである。政府が国会で国民の代表である国会議員に約束したことを秘密裡に変えることは、国民主権をないがしろにするもので許されるものではない。
 第三に憲法を捻じ曲げていることである。11月に入り菅政権は、83年解釈の変更ではないと強弁するために「憲法第15条第1項により、推薦された方々を必ずそのまま任命しなければならないということではない」という考えは1983年時点から一貫していると言い出した。だが15条1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」は、国民の代表たる国会が法律を通して公務員を選定・罷免することを意味する。特別職公務員としての学術会議会員の問題で言えば、国民は、「選定権」を、国会が定めた日本学術会議法を通じて日本学術会議という機関に付与し、学術会議は17条に基づき「優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣総理大臣に推薦する」のである。こうして国民はその選定を学術会議に託しているのであり、「選定権」は首相の権利ではない。
 このように国民主権の基本さえ踏みにじる解釈を公然と掲げ、人事を通して支配しようとし、しかもその理由も一切言わないというやり方は、民主主義を否定するものである。

《「学問の自由」の侵害は市民の生活に関わる》
 この任命拒否の本質は、人事を通して学術会議の活動を政府がコントロールすることにある。それは「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的」(日本学術会議法第2条)とし、「独立して」(第3条)その実現を図るという学術会議の独立性を否定するものである。このことは学術だけの問題ではなく、社会のあり方に関わる。学術会議は「科学の振興」「研究成果の活用」「科学を行政に反映させる方策」「科学を産業及び国民生活に浸透させる方策」などについて「勧告」を出すことができる(第5条)が、あらかじめ政府の政策への批判的な学者が排除されれば、その「勧告」も一面的になりかねず、結果として国民生活に多大な影響を及ぼすからである。
 いうまでもなく学術的勧告は時の政権の意向に左右されるものであってはならない。「科学者は、学問の自由の下に、特定の権威や組織の利害から独立して自らの専門的な判断により真理を探究するという権利を享受すると共に、専門家として社会の負託に応える重大な責務を有する」のである。(日本学術会議「科学者の行動規範」(改訂版2013年)勧告も学問的見地から、科学的・多面的・批判的に、そして長期的視野でなされるべきである。
 もちろん学術的見解も絶対正しいとは限らない。また「科学に問うことはできるが、科学では答えることができない」というトランス・サイエンス的領域も存在する。例えば東日本大震災の前から大地震が起こるという予測は科学的になされていた。しかしその発生確率を考慮し、即原発を停止するのか、時間をかけて対策を進めるのか、ということは科学で一意的に答えられるものではなく、政策的判断に関わる。重要なことは科学的知見と緊張関係をもって、様々な問題を考慮しながら、国会などの議論を通して政府の責任において判断することである。その際に判断過程の公開、文書の保存、事後的な検証などが担保されなければならない。しかし政府と東電は、科学的知見を真摯に受け止めず、いい加減な判断で対策を先延ばしにした結果原発事故が生じてしまった。だから9月30日の仙台高裁判決は、科学的予測を政府と東電が無視した結果原発事故が起きたと断じたのである。
 この事例からもわかるように、政府は自らの政策を絶対化せず、科学的見解に緊張感をもって真摯に向き合い、批判的な学者とも議論しながら意思決定を行なうことが求められる。政権に忖度する学者の意見しか聞かない政府では、国民のいのちも守れない。
 対照的にドイツでは、福島原発事故直後、哲学者、社会学者、教会関係者ら17人の知識人からなる「倫理委員会」を設置した。委員会は文明論的な立場から、2021年までに原発を廃止し、よりリスクの少ないエネルギー源で代替することを政府に提言し、メルケル政権は、ほぼ完全に受け入れたのである。
 いま日本社会は、原発再稼働の是非、放射性廃棄物の処理、ゲノム編集の是非、感染症対策と経済の両立などの様々な課題で、専門家の科学的知見を踏まえた意思決定が求められている。そういう問題では、この間行われてきたような、政策に賛同する学者を集め官僚が作った筋書き通りに進めていく審議会方式はふさわしくない。国の在り方を問う議論を行なう場として、政府から独立し、人文・社会・自然科学の英知が結集する学術会議こそふさわしい。その学術的視点からの提言を政府と市民社会が受け止め、丁寧な議論を繰り返して社会的合意を形成していくことこそ、今の日本に最も必要なことである。それを保障するものが「学問の自由」である。
 今回の任命拒否は、学問へのリスペクトを欠いた傲慢さの表れであり、学術的知見を受け止めて議論し判断していく市民社会の知性と良識を軽視し、人々を政府の政策に従わせるための操作の対象としか見ないものである。だが私たちにとって深刻な問題は、非論理的な国会答弁や学術軽視にもかかわらず、菅政権が依然多くの支持を得ていることである。白井聡が指摘するように「反知性主義と右翼ポピュリズム」が支えているとすれば、この問題は特権的な学者の世界の問題ではなく、市民生活にもかかわる問題だということを広く伝えていくことが私たちの課題であろう。(白井聡「菅政権が目指す恐るべき『反知性主義的統制』」サンデー毎日2020.11.8)
 多様な人々、団体が既に声を上げている。「政府の意図に反する市民の活動を委縮させ、封じ込める状況が目前に来ている」(日本消費者連盟声明)、「日本学術会議に政治介入したことは日本の健全な自然保護の推進の観点からも見過ごすことができません。」(日本自然保護協会・日本野鳥の会・世界自然保護基金ジャパン声明)、「これは、表現の自由への侵害であり、言論の自由への明確な挑戦です。」(映画製作に携わる22人の声明)このような声がさらに広がってほしいと思う。

《軍事研究を認めさせる意図を秘めた学術会議改革》
 一方、政府はこの任命拒否問題を棚上げし、違法状態を放置したまま学術会議のあり方にすり替えようとしている。10月23日、井上信治科学技術担当相が学術会議梶田会長に改革について要請し、学術会議側は、提言機能、情報発信、会員推薦プロセス、国際活動、事務局体制の5項目について検証し、年内に井上大臣に報告することで合意したと報じられた。
 だが11月17日の参院内閣委員会で、隠されていた重大な事実が明らかになった。自民党の山谷えり子議員が「民生技術と安全保障の境界がなくなってきている。インターネット、カーナビ、GPS、皆、安全保障研究から始まっている。学術会議は国民の生活を豊かにしいのちを守るための研究、学問の自由を阻んでいるのではないか」と質問すると、井上大臣は「デュアルユースの問題に関しても梶田会長と話をしている。学術会議自身の検討を待っており、意見交換しながら未来志向で考えていきたい」と答えたのである。
 実はこれまでも自民党からこのような発言が相次いでいた。「軍事研究を行わないという提言を盾にデュアルユースの研究が進まない」(柴山昌彦自民党幹事長代理10月25日NHK)、「防衛省の研究を一切認めないのは極端だ。行政機関から外れるべきだ」(下村博文自民党政調会長11月7日毎日新聞)などである。
 しかし大臣が直接学術会議会長にデュアルユース問題の再考を要請することは、学術会議声明の見直しに言及していないとしても、その第一歩になりかねない。また山谷氏の質問自体も意図的である。デュアルユースを「生活を豊かにしいのちを守るための研究」とバラ色に描いて問題の本質を隠蔽し、学術会議こそ学問の自由を阻んでいるように見せかける。その主張のまやかしと軍事研究推進の狙いを見抜かねばならない。

《米国で始まったデュアルユース》
 デュアルユースとは、軍事目的と平和目的の両方に使える軍民両用を意味する。(なお「科学・技術のデュアルユース問題」として、科学・技術は用いる者の意図により善用・悪用の両義性を持つというより広い意味で用いられることもある。それについて学術会議は2012年に「科学・技術に関するデュアルユース問題に関する検討報告」を出している。)
 この軍民両用は、冷戦終結後のクリントン政権がはじめたCommercial–Military Integrationに始まる。戦後米国は兵器生産を防衛産業に依存したが、コスト増を招き、しかもコンピュータ、半導体、新材料など新たな技術は立ち遅れた。冷戦終結で軍需市場が縮小されれば新たな投資もできず、防衛技術の「ゲットー化」が進むと危惧されていた。そこで軍需にも民需にも応じられる先端技術産業基盤をめざす「両用技術戦略」に転換したのである。これは民間の優れた技術を取り入れるとともに、軍民両方の需要を満たす技術開発と生産により調達コストを下げるねらいもあった。両用技術戦略は次の三つの柱からなる。
(1)両用研究開発支援 国防省高等研究計画庁DARPAが軍事的優位を維持する技術開発のため民間企業・大学に投資する 
(2)産業の両用生産 既存の防衛技術の民間への転換と軍需品・民用品の並行生産によるコスト削減 
(3)民間技術の兵器開発・生産への導入
(1996年米国科学技術政策局「両用技術を通じてアメリカの軍事的優位を保持する」海外科学技術調査会編『海外科学技術政策』第6巻第6号所収)
 DARPAが開発したインターネット技術やGPSの民間開放が米国のIT産業発展につながったことなどが(2)の成功例とされる。もっともそれはバラ色ではなく、軍事技術から始まったという負の面を引きずっている。例えばGPSについては、2000年までは軍事上の理由で精度が落とされ、その後も有事の際には米軍の戦略上特定地域で精度が落とされる可能性があった。現在はそうしないという大統領決定がされているが、将来は不明である。そこでEU、ロシア、中国などは独自のシステムを開発している。軍事技術は莫大な費用と研究者を投入することで生み出されたものであり、賞味期限が切れたり、民間に開放することで軍事技術として高度化する可能性があるものを民生に供しているにすぎない。それをありがたがり、だから軍事研究は必要だというのは倒錯である。同じ費用を投資し、民生用にオープン・イノベーションとして世界中の科学者が知恵を集めればより良いシステムができたに違いない。
 別の例を挙げよう。原子力発電所も核兵器開発のための原子炉を商業転用したものである。兵器開発では安全性などは二の次であり、その結果開発された原子炉が日常的な被曝労働を伴い、汚染水を垂れ流し、事故も起こすのは必然的ともいえる。それを商業用に多少改善したとしても、根本的な問題は変わらない。軍事技術の商業転用がバラ色であるはずはない。
 米国のその後に話を戻すと、イラク戦争などを経てハイテク化が進み、戦争にしか使えない技術が増えている。例えば戦闘機のステルス技術や超音速飛行技術などは民間には使い道がない。そこで近年は米国でも「技術のデュアルユースは後景に退き、技術の軍民乖離が主な流れとなっている」と西川純子氏は語った(2016年12月11日講演「安全保障問題と軍産複合体 — 軍民両用技術を考える」)。

《安全保障技術研究推進制度のねらいと現実》
 これまで自衛隊の装備は主に防衛省の「装備研究所」で開発し、民間の軍事産業が生産してきた。1950年、67年の二度の学術会議声明により、大学で軍事研究は行なわないということが市民も含めた社会的合意のように受け止められ、政府もそれを尊重してきたのではないだろうか。しかし第二次安倍政権は、2013年に「国家安全保障戦略」を策定し、「国家安全保障上の戦略的アプローチとして防衛装備品の国際的な共同開発・生産に参画する」とともに「産学官の力を結集させ安全保障分野においても有効に活用する」ことを掲げた。そして同時に閣議決定した防衛大綱に「大学や研究機関との連携の充実等により、防衛にも応用可能な民生技術(デュアルユース技術)の積極的な活用に努めるとともに、 民生分野への防衛技術の展開を図る」と明記したのである。
 それを受けて2015年に「安全保障技術研究推進制度」が創設された。その背景を2016年の「防衛技術戦略」では次のように記している。
 「近年、防衛技術と民生技術との間でボーダレス化、デュアルユース化が進展し、両者の相乗効果によるイノベーションの創出が期待されており、既存の防衛産業が有する技術のみならず、我が国が保有する幅広い分野の技術にも目を向け、これらを進展させることにも留意しなければ、真に優れた装備品の創製にはつながらなくなってきている。」
 このように日本でも、AIやロボットなど優れた民間の研究成果を軍事に活用するとともに、民間の研究と生産を軍民両用で進展させることを意図してデュアルユースが導入された。そこで「安全保障技術研究推進制度」の公募要領にも、「防衛分野での将来における研究開発に資することを期待し、先進的な民生技術についての基礎研究を公募するもの」であり、「研究成果が広く民生分野で活用されることを期待し」「そのため成果の公開を制限せず」「秘密に指定することもしない」と記されているのである。
 だが、基礎研究だから軍事研究ではないわけではない。将来の兵器開発に資することを期待して防衛費から費用を出すのである。「基礎研究」といっても学術的な意味ではなく、兵器開発の第一歩として位置づけられた基礎研究であり、「ゲームチェンジャーとなり得る先進的な技術分野を提示することで、優れた民生先進技術の取込みや、外部における関連技術の育成促進を期待」(「防衛技術戦略」)している。先端兵器に関わる技術と研究者を発掘し囲い込むとともに、大学や民間の研究を軍事が必要とする分野へ方向付ける意味も持つのである。実際、この5年間で採択された研究には潜水艦・艦船部門、極超音速飛行体、センサー技術、光学素材(電磁波領域の革新)、新素材などの分野が多い。(詳細は井原聰「防衛装備庁安全保障技術研究推進制度の5年と二次募集の結果について」軍学共同反対連絡会ニュースレター45号、連絡会HP)
 一例をあげよう。2017年から、宇宙航空研究開発機構JAXAに岡山大、東海大が分担研究として加わる「極超音速飛行に向けた流体燃焼の基盤的研究」が始まっている。防衛省はマッハ5以上の極超音速滑空飛翔体(巡航ミサイル)の開発に取り組んでおり、そのための「極超音速飛行の基盤技術は研究機関等との共同研究を進める」一環である(防衛装備庁「スタンド・オフ防衛能力の取組」2019年8月)。8月に自民党は、これが将来完成すれば敵基地攻撃に用いることも明言した。専守防衛を逸脱した憲法違反の兵器のための基礎研究がJAXAと大学で始まっているのである。
 また防衛省が「ゲームチェンジャーとなり得る先進的な技術分野」をテーマとして掲げることにより、大学や民間の研究を方向付ける危険性も看過できない。2020年度の応募要項に掲げられた35のテーマには次のようなものがある。
(2)多数の移動体の協調制御に関する基礎研究(多数のロボットを社会性昆虫、魚または鳥のように群れとして自律制御させる、(3)生物模倣に関する研究(軽量で運動性能に優れ、エネルギー効率の良い、生物の身体構造を模倣した移動体の研究)、(6)サイバー攻撃自動対処技術、(11)高出力レーザーに関する基礎研究、(16)先進的な耐衝撃・衝撃緩和材料に関する基礎研究、(20)革新的な耐熱材料に関する基礎研究(極超音速飛翔体や航空機のジェットエンジンの高圧タービン部の材料)など。
 例えば(3)のテーマでは、昨年山口大と物質材料研究機構の二つが採択された。今後、純粋な生物学研究では資金が得られないため、「移動体への応用」へ研究をシフトして防衛省の費用をもらう研究者も出るかもしれない。ここで防衛省がめざすのは、生物を模倣した新たな兵器の開発である。現にオックスフォード大教授がトンボの羽の動きを模倣した20gのドローンを開発し、英国防省が兵器への応用を進めている。純粋な生物学研究にも軍事が入り込み、学問自体が歪んでいく。
 さらに2019年度から装備庁は「安全保障技術研究推進制度の成果を装備品の研究開発につなげるために,装備品としての出口に向けた橋渡し研究を推進する」ことを決めた。
 これまではこの制度の研究成果をもとにした兵器への実装化の研究は防衛省の装備研究所で行ってきた。だが基礎から実装化の間には多くの困難があり「死の谷」と言われる。それを乗り越えるために大学等の力を動員しようというのである。今後、安全保障技術研究推進制度を通じて「萌芽技術の発掘、育成」を行い、有望であれば「橋渡し研究」として大学・独法・企業へ委託することになるだろう。兵器をめざす実用化の研究も大学で始まりかねない。そしてそれが実用装備される段階で、軍事機密に指定される可能性がないとは言えない。もしそうなればその研究は公表できず、研究を本当は人々の暮らしに役立てたいという科学者の願いも絶たれる。

《軍事研究と「学問の自由」》
 山谷議員は学術会議が「学問の自由」を奪うと言うが、「学問の自由」とは研究者が何をやってもよいという自由ではない。例えば2005年ユネスコ総会で採択され日本政府も賛同した「生命倫理と人権に関する世界宣言」第二条は、「科学的研究の自由及び科学技術の発展から派生する利益の重要性を認識すると同時に、そのような研究及び発展がこの宣言に定める倫理的原則の枠組みの範囲内で行われ、人間の尊厳、人権及び基本的自由が尊重される必要性を強調すること」と明記している。
 あらゆる研究に関して、人間の尊厳、人権及び基本的自由が尊重されるべきであるが、軍事研究にそのようなことはありうるだろうか。直接殺傷する武器は非人間的だが、ガスマスクのように自分を守るための装備の研究は人道的だという考えもある。だが、高性能のガスマスクがあれば、自分は安全なまま毒ガスを用いて相手を殺傷できる。自衛と攻撃は表裏一体である。
 基礎研究であっても、防衛省が将来それをどのように使うかを研究者は見極める責任がある。「科学者の任務は、法則の発見で終わるものではなく、それの善悪両面の影響の評価と、その結論を人々に知らせ、それをどう使うかの決定を行うとき、判断の誤りをなからしめるところまで及ばねばならぬ」と、元学術会議会長だった朝永振一郎博士も述べている。(『平和時代を創造するために』岩波新書)。学術会議の「2017年声明」が、防衛省の制度は「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」としつつも一律に禁ぜず、「目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設ける」ことを大学等に提起したのも、このような研究者の自覚を促す意味もあったに違いない。しかし応募している大学のうち、どれほどこのような倫理的審査を行なっているだろうか。
 11月17日、日本の軍事研究に関わる衝撃的なニュースが飛び込んできた。米レイセオン社と三菱重工業が共同で開発した迎撃ミサイルSM3-2Aが大陸間弾道弾ICBMの迎撃実験に成功したのである。このミサイルは横須賀を母港とする米海軍イージス艦に搭載される。これは北朝鮮や中国が米本土を狙って打ち上げるICBMを撃墜するためのもので、日本の防衛には関係ない。そしてこの成功は新たなICBMを生み出す核軍拡競争の再燃につながりかねない。そうなれば加担した日本の研究者の責任は厳しく問われる。核廃絶を目指す平和国家であったはずの日本の技術が核軍拡に使われてよいのだろうか。これは企業の研究者の例だが、「安全保障技術研究推進制度」で防衛省がめざすのも世界最先端の技術開発なのである。 
 核と共に深刻な問題が、AIが自ら標的を判断し攻撃する自律性致死兵器システム(キラーロボット)の開発である。それに対し2015年に故ホーキング博士やチョムスキー博士らが「人工知能兵器の開発でグローバルな軍拡競争が避けられない」という公開書簡を発した。国連や多くの国が規制を呼びかけているが、米・露などは反対し、日本も未だ規制に賛成していない。そういう中で、ロボット研究で世界の先頭を走る日本の科学者が軍事研究に関わるのか、それとも軍事利用に対する明確な反対を打ち出すのか、それが個々の研究者と共に科学者コミュニティに問われている。
 研究者は自由意思で研究すると考えがちだが、現代の制度化された科学は、政治的社会的な影響を受ける研究パラダイムの中で資金を得て行われている。だからこそ研究者は、現実社会の中で自らの研究の意味を不断に問い続ける社会的責任がある。
 日本を守るための軍事研究は必要だという人は改めて、「人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?」と問いかけたラッセル・アインシュタイン宣言(1955)を読み直してほしい。
 今、私たちが直面しているのは、核軍拡競争が再び始まり、殺人ロボットによるおぞましい戦争が現実のものになりつつある世界である。そういう時に、新たな兵器を開発し、軍拡競争を推し進める側に立つのか、軍事に頼らず、外交と民間の交流を通して人間の安全保障を実現する側に立つのかが、科学者と市民すべてに問われている。
 日本学術会議が1949年に政府から独立した機関として設立されたのは、軍国主義の下で言論の自由が圧殺され、学問が捻じ曲げられ、さらに科学者が軍事研究に動員され非人道的な研究に従事させられたことへの反省に基づいていた。
 そして1950年の「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という声明は、戦争の惨禍を肌で受け止めてきた科学者たちの本音であり、戦争放棄を掲げた憲法から必然的に生み出されたものであり、日本が蹂躙したアジアの民衆に対する謝罪と誓いの表明であった。その後自衛隊が創設されていくが、それでも他国への攻撃力は持たないとしてきた。
 今、「専守防衛」を踏み越え、敵基地攻撃能力を保持しようという動きが強まっている。それに並行して、学術会議と「2017年声明」への攻撃が始まっているのは偶然ではない。「戦争ができる国」にするために、軍事研究へと研究者を動員し、教育の場でもある大学に軍事が自由に侵入しようとしているのである。だからこそこれは学術だけの問題ではなく、平和を希求する私たちすべての問題である。学術会議が圧力に屈せず、「2017年声明」を守り学術の独立を貫くように、私たち市民も全力で支えていきたい。

◆小寺隆幸(こでら たかゆき)さんのプロフィール

1951年神奈川県生まれ。
名古屋大学理学部卒業、東京学芸大学修士課程修了。
東京都公立中学校教員、京都橘大学教授、京都大学非常勤講師を経て、現在、明治学院大学国際平和研究所研究員、明星学園中学校非常勤講師。
公益財団法人原爆の図丸木美術館副理事長、チェルノブイリ子ども基金共同代表、軍学共同反対連絡会事務局長。
専攻は、数学教育学。
主な編著書に、『時代は動く!どうする算数数学教育』(編著・国土社、1999年』、『数学で考える環境問題』(明治図書、2004年)、『世界をひらく数学的リテラシー』(編著・明石書店、2007年)、『主体的・対話的に深く学ぶ算数・数学教育』(編著・ミネルヴァ書房、2018年)などがある。

 


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