芦部信喜氏を「知らない」。前首相答弁きっかけに
私は1999年に75歳で亡くなった芦部氏に会ったことはない。ただ縁はあった。
長野県南部、中央・南アルプスに挟まれた駒ケ根市。芦部家の屋敷は小学校の通学路沿いにあった。つまり同郷である。黒い塀と大きな蔵が印象に残る。そして芦部氏の36年後、同じ県立伊那北高校(旧制伊那中)に進んだ。それでも芦部氏がどういう人なのか聞かされた覚えはない。大学も文学部だったため、その著作に触れる機会もなかったと思う。
その名を意識するようになったのは2013年、信濃毎日新聞の論説委員になってからだ。憲法に関わる社説を書くとき、先輩に倣って芦部氏の代表的著書『憲法』(岩波書店・当時は第六版)を参考にしたり、引用したりするようになった。
そんな折、冒頭に紹介した安倍首相の「芦部氏知らない」答弁があった。それ以来、あの黒い塀に囲まれた屋敷の住人だった芦部氏のことをもっと知りたい、知らせたいとの思いが募っていった。
その後、私は難病を発症して入退院を繰り返し、2018年4月に編集委員に異動した。何をやるか考えた時に真っ先に浮かんだのが、詳しい評伝が書かれていなかった芦部氏の軌跡をたどる連載企画だった。
生誕から助手になるまで
第1章「源流 伊那谷から」は生誕から、東大で著名な憲法学者宮沢俊義(長野市出身)の助手になるまでの評伝である。芦部氏が自らの半生を語った伊那講演や学習院大学(東大定年退官後)での最終講義を主な手掛かりに、地元内外の資料や関係者、関係地の取材で肉付けしていった。
尋常高等小学校で向山雅重(後に民俗学者)、旧制中学校で臼井吉見(後に作家)という2人の教師に出会い、影響を受けたこと。学徒出陣で陸軍に入り、遺書と形見を実家に送ったり、特攻隊員の試験を受けたりしたこと。戦後間もなくドイツの法哲学者ラートブルフが発表した論文に感銘を受け、憲法訴訟論を開拓するきっかけになったことなどを描いた。中でも多くの友を失った戦争体験は芦部憲法学の底流をなしている。
憲法研究者になってからの芦部氏は、東大の同僚、小林直樹氏(長野県小諸市出身)に比べ、動きが少なく、描くのが難しかった。しかし、学習院大の最終講義で、自身が開拓した憲法訴訟論を生かすため「いくつかの憲法事件に実際に関係しました」と述べ、その訴訟名を列挙していた。ここに活路を見いだした。
どのように「関係」したのか。当時の訴訟関係者らを訪ね歩き、証言を得たり、芦部氏が裁判所に提出した鑑定意見書や法廷証言記録を集めたりしていると、徐々にその動きや主張が浮かび上がってきた。そうやって構成したのが第2章「憲法改正と自衛隊」と第3章「人権と自由」である。
憲法訴訟において
第2章は憲法改正問題の歴史と恵庭、長沼の自衛隊違憲訴訟が主なテーマ。芦部氏のほか、師の宮沢俊義氏、「平和的生存権」の展開で知られる北海道大名誉教授深瀬忠一氏にも焦点を当てた。
第3章は、芦部氏が直接関わった憲法事件として国家公務員の政治活動が問われた猿払事件(鑑定意見書提出)や総理府統計局事件(法廷証言)、電柱に政治スローガンを貼って条例違反に問われた岩手県屋外広告物条例事件(鑑定意見書提出)、検定と表現・教育の自由が問われた家永教科書裁判(法廷証言)などを取り上げた。
靖国懇における葛藤
第4章「国家と宗教」は芦部氏の真骨頂発揮ともいうべき「靖国懇」を主な舞台にした。靖国懇とは、中曽根康弘内閣の下で1984年に設置された諮問機関「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」。芦部氏は有識者15人の委員の1人で、閣僚の靖国神社公式参拝は政教分離原則に反し、違憲との主張を最後まで貫いた。
だが、1年に及ぶ議論で懇談会は、公式参拝を容認する結論を官房長官に報告する。その6日後の8月15日、中曽根氏は戦後の首相として初めて公式参拝に踏み切る。いかにしてこのような結論に至ったのか。私はこれまで存在が不明だった議事録を昨年、情報公開請求した。懇談会事務局だった内閣官房が書庫から見つけたという議事録前半部分を開示し、議論の流れを初めて再現することができた。そこには事務局の巧みな議事誘導が見て取れた。
そして違憲論を主張しながら最後は公式参拝容認の結論に抵抗しなかった他の委員に対し、芦部氏が割り切れない思いを抱き続けたことも多くの弟子たちの証言で知った。
天皇制に関して
政教分離問題にも関連して第5章は「象徴天皇制とは何か」をテーマに設定した。天皇代替わりの儀式が続くタイミングだった。
芦部氏の天皇制に関しての著作は少ない。けれども東大法学部研究室図書室で見つけた講義録「憲法」(東大出版会教材部刊)をめくると、天皇制だけで33ページもあり、講義ではかなりの時間を割いていたことがうかがえた。概説書にはない芦部氏の主張も垣間見えた。
「国事行為以外の『公的行為』」、「明治憲法の残像」「政治利用問題」「代替わり儀式」「人権の制限」と、天皇制の論点を具体的な事例を踏まえて描いた。
芦部氏ゆかりの識者へのインタビュー
第6章「インタビュー 芦部憲法学から現代を問う」は、芦部氏ゆかりの識者13人に語ってもらった。掲載順に登場人物とテーマは次の通り。
前川喜平氏(元文部科学事務次官)「精神的自由と教育」
樋口陽一氏(東京大名誉教授)「芦部憲法学の神髄」
辻村みよ子氏(東北大名誉教授)「平和的生存権」
高見勝利氏(北海道大学名誉教授)「知事の護国神社への関与」
戸波江二氏(早稲田大学名誉教授)「憲法改正」
青井未帆氏(学習院大学大学院教授)「9条の木」
江田五月氏(元参議院議長)「憲法と現実」
長谷部恭男氏(早稲田大学大学院教授)「メディアの自由」
渋谷秀樹氏(立教大学大学院教授)「憲法訴訟論」
那須弘平氏(元最高裁判所判事)「平和主義の理想と自衛隊」
木村草太氏(東京都立大学教授)「憲法制定権力論」
石川健治氏(東京大学大学院教授)「憲法改正の限界」
遠藤比呂通氏(憲法研究者・弁護士)「『日本に憲法はあるんか』」
靖国懇議事録、前半だけ開示の不可解
また、連載に関連して2件のスクープを報じ、連載と合わせ昨年の平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞した。
1件は前述の「靖国懇談会 議事録が存在」である。
靖国懇の議事録は、中曽根首相が戦後初の靖国神社公式参拝をした後の1985年11月、衆院外務委員会で野党議員が公開を求めた。だが、内閣官房は内容を公にしないとの懇談会の申し合わせを盾に拒否していた。それから20余年後の2006年。国立国会図書館が「新編 靖国神社問題資料集」を編さんするに当たって議事録を内閣官房に照会したが、「存在が確認できない」との回答だった。このため、議事録は作成されなかったとの見方も出ていた。
靖国懇の流れを追うため、内閣官房に議事録を情報公開請求したのは昨年2月中旬。意外な結果だった。議事録はあった。だが、21回の会議のうち開示決定は第2回から第12回までの11回分(計644ページ)だけ。残る第1回と第13回~第21回の後半部分は「不存在」だった。
少なからぬ委員が違憲論を主張していたのに、なぜ参拝容認の結論になったのか。後半の議事録が「不存在」のため、詳しい検証はできない。
後半の議事録は廃棄されたのか、あるいは作成されていなかったのか。内閣官房の担当者は取材に「ない理由は分からない」と答えた。記事本記は憲法記念日の5月3日付1面トップ、サイド記事「半分『不存在』 理由は『不明』」を3面トップで掲載した。
議事録が半分しかない問題は同年5月下旬の参院総務委員会で取り上げられた。その時の内閣参事官の答弁に驚いた。見つかった議事録は「古い行政文書や文房具などの備品が保存されている書庫内の棚の上に平積みの状態」だったというのだ。
しかも、議事録の後半部分は「作成されたと推測される」(内閣参事官)が、「確認する資料がなく、廃棄したか否かも含めその後の管理状況は不明」(同)というありさまだ。
私は、「結論」に向かう重要部分の議事録だけが「不存在」なのは不自然として情報公開審査会に審査を求めたが、審査会は今年7月、内閣官房の説明に「不自然、不合理な点は認められない」として開示決定は「妥当」と答申。疑問は解消されていない。
長野県知事が護国神社を支援、「個人として」?
もう1件のスクープは「県護国神社 支援組織会長に阿部知事」である。そのリードの内容は次の通り。
長野県の阿部守一知事が、宗教法人長野県護国神社(松本市)の支援組織「崇敬者会」の会長を務め、鳥居修復の寄付集めの趣意書にも名を連ねていたことが分かった。4月の同神社例祭にも過去3回、出席・参拝していた。知事は「個人としての活動だ」としているが、複数の憲法学者や弁護士が憲法の政教分離原則に反すると指摘しており、論議を呼びそうだ――。
2019年8月22日付朝刊の1面トップと、3面トップ(サイド記事「『個人として』通用するか」で掲載された。その後、知事が社殿改修の寄付集めにも関わっていたことが分かり、ことし9月10日付でも1面トップで報道した。
知事は「私的な活動であり、憲法に反しない」と繰り返している。しかし、崇敬者会の会長職は知事だからこそ依頼されたのであり、歴代知事が務めていたことも考えると知事と会長は表裏一体だ。寄付募集に知事の肩書は使っていないが、「阿部守一」が知事であることは県民のほとんどが知っている。「個人として」という言い訳が通用するか疑問のままだ。
この2つのスクープの詳細は拙著に「番外編」として収録。開示された靖国懇議事録は第7回会合分を附録にした。
◆渡辺秀樹(わたなべ ひでき)さんのプロフィール
1959年、長野県駒ケ根市生まれ。伊那北高校、早稲田大第一文学部卒。1983年、信濃毎日新聞社入社。報道部長、編集局次長、論説副主幹などを経て2018年から編集委員。