《被爆75年の今、起きていること》
コロナ感染が再び拡大する中で、広島・長崎は75年目の夏を迎える。平和式典は規模が縮小され、二つの原水禁大会もオンライン開催となった。私たちがこの節目の年に、被爆者の方々と直接出会い、証言をお聞きすることができないのは残念だがやむを得ない。その代わり、様々なオンラインの取り組みが日本語や英語で行われ、国内外からヴァーチャルでヒロシマ・ナガサキを訪ね、ヒバクシャの声に耳を傾ける人々、とりわけ若者たちが増えていることに新たな希望を感じる。
今年はまた、被爆者にとって「2020ビジョン」の目標年だった。「この苦しみを誰にも味わわせたくない、自分たちが生きているうちに核兵器をなくしたい」、この被爆者の願いを受けとめ、平和首長会議※1は、被爆者の存命のうちに核兵器廃絶を実現しようと、2003年に「2020ビジョン※2」を策定し、取り組みを始めた。その目標「2020年に全ての核兵器の解体を」は実現には程遠いが、もう一つの目標「核兵器禁止条約の締結」は大きく前進している。2017年7月7日に122か国の賛成で制定された核兵器禁止条約の批准は40か国に達し、あと10か国で発効する。確かに核保有国や日本も含む「核の傘」にしがみつく国々はそれに背を向けてはいるが、核保有国内でも核兵器廃絶を願う声は確実に広がっている。
6月30日米国の1407市長が参加する全米市長会議は、大統領と連邦議会に対して次の内容を含む決議を満場一致で採択した※3。
「人類のための安全保障について再考し、核兵器や不当な軍事費に割り当てられている財源を、都市づくりや人類のニーズを満たす事業に再配分すること。核兵器の先制使用という選択肢を放棄し、どの大統領にも事前の承認なしに核攻撃を仕掛ける権限を与えず、米国の核兵器の即刻発射可能な警戒態勢を解き、全軍備を見直し強化させる計画を中止し、核兵器廃絶に向けた核保有国間の検証可能な合意を積極的に追求することによって、核戦争防止に向けたグローバルな取組を米国がリードすること」
核超大国の内部からこのような声が公然と上がることに米国民主主義の奥深さを感じるが、これも「2020ビジョン」による粘り強い取り組みの成果である。とりわけ2007年から6年間広島平和文化センター理事長を務めたスティーブン・リーパーが全米113都市で原爆展を開催したことで、全米の市長、そして市民の原爆観も大きく変わっていった※4。また平和首長会議の要請を受けてニューヨークのNGO「ヒバクシャストーリーズ」が2008年から10年間、32000人の高校生に被爆者との直接対話の機会を創ったことも素晴らしい取り組みだった※5。私たち原爆の図丸木美術館が2015年にワシントン、ボストン、ニューヨークで「原爆の図展」を開催したことも、米国市民の意識の変化に多少なりとも寄与しえたと思う※6。
このように米国で、世界各地で、核兵器廃絶をめざす様々な取り組みが行われている。それを担っているのはICAN※7や各国の反核・平和団体の市民とりわけ若者たちである。彼らを突き動かしているのは、米露がINF条約を破棄し、核兵器の近代化や使える小型核の開発・配備を進める中で、近い将来核兵器が使われかねないという危機感である。クリントン政権で米核戦略の再編を進めたペリー元米国防長官も、「冷戦期以上に核の大惨事が起きる可能性がある。この危機は指導者にも市民にも理解されていない。より多くの人が危機を知り、指導者に行動を促すべきだ」と語っている※8。氏は8月1日に長崎市が行うシンポジウム「核兵器廃絶への道※9」でも、「世界の終わりまで、あと100秒」と題した基調講演を行った。その危機感を私たちも共有したいと思う。
そして広島、長崎の平和式典には中満泉国連軍縮上級代表も参加する。氏は国連としての核兵器廃絶の覚悟を再確認するメッセージを発信するという。会場の安倍首相はどう答えるのだろうか。
世界の市民が、国連が、核廃絶をめざして取り組みを強めているのに、被爆国日本は動こうとしない。サーロー節子さんは思いあまって6月24日、安倍首相に長文の手紙を送った※10。
「安倍総理、核戦争の業火を経験した唯一の国の指導者として、核兵器廃絶に向けて真の一歩を踏み出してください。…日本が、自国の安全のためには核兵器による保護が必要であると恥ずかしげもなく公言し続けることは、核兵器廃絶のために行われているあらゆる努力を台無しにするものです。…悲劇的にも、日本政府は核保有国の共犯者になってしまっています。…日本は、自らの歴史的、世界的、道徳的責任を自覚し、核兵器に依存した政策と決別しなければなりません。…」
被爆者の願いを聴こうとしない政府。それを許している私たちもまた問われている。
現在のもう一つの大きな課題は「黒い雨訴訟」である。7月29日、広島地裁は国の被爆者援護行政を厳しく問う判決を出した。「黒い雨を受けた」という証言を聞きいれず、恣意的に決めた線引きで被爆者を分断する行政の在り方を真っ向から否定したのである。しかも「放射性微粒子を含む『黒い雨』が混入した井戸水などを飲用したり、食物を摂取するなどの内部被曝を想定できる」としたことも画期的である。だが、原告の中にはすでに亡くなられた方もいる。『黒い雨』原爆被害者の会が1978年に結成されてから42年間も問題を放置してきた国の責任は重い。県・市は控訴せず、国は早急に被害者全員の救済を行うべきである。残された時間は長くはない。
《二つの問題の根源は何か》
核兵器禁止条約に賛同をという被爆者の心からの訴えを一顧だにしない政治、被爆者の苦しみに寄り添おうとしない行政、それが被爆75年を経た今、私たちがいる現実である。だがそれは単に政権の問題というだけにとどまらず、日本社会が考えるべき大きな問題を孕んでいる。
核兵器禁止条約に賛同できないという政府の主張の根幹は、「核の傘」の護持にある。そして被爆国でありながら米国の「核の傘」に守られたいという意識は国民の中にも少なくない。2015年6月にNHKが行った原爆意識調査※11では、「日本の安全保障のために、アメリカの核抑止力に頼る『核の傘』が必要だと思いますか」という問いに「今も将来も必要ない」と答えた人は44%だった。「核の傘」の是非について、日本社会は未だ共通理解を創りえていない。
日米安保条約下であっても、日本が非核三原則を厳格に守り、米の「核の傘」に依拠しないと宣言すれば核兵器禁止条約に加わることは可能である。しかしこの間北朝鮮の核の脅威が煽られ、米国の核で守ってもらうという意識が醸成されてきた。だがそもそも「核で守ってもらう」とはどういうことを意味するのか。そのことは今議論されている敵基地攻撃能力にもかかわる。それは憲法9条の下で許されるものではない。では改憲へつき進むのか。それとも日本が核兵器禁止条約に加わり、北朝鮮と話しあい、日本と朝鮮半島を含む北東アジア非核地帯の実現を目指す道へと歩み始めるのか。私たちは今、その岐路に立っている。
第二の論点、「黒い雨」問題も根が深い。政府が長い間放置してきた背景には、被爆者認定をなるべく少なくしようとする考えがある。その根底には「戦争という国の存亡をかけての非常事態の下においては、国民がその生命・身体・財産等について、その犠牲を余儀なくされたとしても、全て国民がひとしく受忍しなければならない」という受忍論がある。それ自体も間違っているが、そもそも原爆投下は米国による戦争犯罪ではないか。1995年、国際司法裁判所が核兵器使用の是非について審議した際、平岡敬広島市長は「核兵器の使用が国際法に違反することは明らかである」と証言した。しかし日本政府の見解は「核兵器の使用は国際法に違反するとまでは言えないが、人道主義の精神に合致しない」というものだった※12。
人道主義の精神とは何か。ナチ・ドイツの犯罪を裁いた国際軍事裁判のために英・仏・米・ソの四ヵ国は合意したニュルンベルク憲章は、平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪の三つの戦争犯罪概念を規定している。4か国首脳がそれに調印したのが1945年8月8日だった。広島で罪もない民衆が無残に殺されているさ中に定められ、その翌日米国は長崎に投下した。これを戦争犯罪でないとすることは、今後の核攻撃も容認することに他ならない。
話を戻そう。被爆者の方々は、米国への賠償を国が求めないのならば、その戦争を起こした国の責任を認め国家補償を行うべきだと追及していった。その闘いの中で、政府は妥協として「原爆放射線による晩発障害」だけを「特殊性を持った被害」として「措置対策を講ずる」としてきたのである。
しかもその放射線の影響を外部被曝に限定し、爆心地からの距離で機械的に認定してきたのである。その基準では「黒い雨」を浴びた地域は含まれない。それに対しても長い間闘う中で、厚労省は恣意的に定めた「大雨地域」の人々のみしぶしぶ認定したが、それも「恩恵的措置」という特例だった。受忍論に立つ政府は、空襲など他の戦争被害者に一切保証しないこととのバランスを考え、被爆者認定をなるべく少なくするために線引きを行い、しかも「恩恵」としたのである。地裁判決はそのことも厳しく批判している。
さらに内部被曝を認めたことは重要な意味を持つ。この問題は米原爆傷害調査委員会(ABCC)が、「原爆投下後の放射性降下物の人体への影響はない」という見解を出したことに根源がある。
先週、7月25日の毎日新聞は、ABCCの幹部が1950年代半ばに、「黒い雨」などの放射性降下物が病気の原因になった疑いがあると指摘し、詳細な調査が必要だと米政府関係者に伝えていたが無視された、という証言を報じている※13。こういう事実が今、明らかになるように、75年間を経てもまだ解明されていないことは多い。
ではなぜ米政府は無視したのか。そもそもABCCの調査は、核戦争の際に原爆が相手の兵士をどれだけ殺し、どれだけ動けなくするかを知るために始められた。だから即死や急性症状が主に問題とされ、内部被曝により将来疾病が起こりうるということなどはいわばどうでもよかったのだろう。
その後、今に続く広島・長崎原爆被爆生存者寿命調査(LSS)が行われているが、そこで用いられている被曝線量推定も爆心からの距離と遮蔽物の有無で計算される外部被曝に基づいており、内部被曝を無視している。そしてこのLSSをもとに、国際放射線防護委員会ICRPが放射線防護基準をつくっているが、そこでは内部被曝と外部被曝のリスクは同じと仮定している。しかし核実験やチェルノブイリ事故などでの低線量被曝調査研究では内部被曝の方が数百倍も影響が高いという結果も出ている。現在、ICRPの基準に基づき、福島原発事故による健康被害はないとされているが、そもそも内部被曝のリスクが過小評価された基準でよいのかを問わねばならない。
このように内部被曝の評価は福島原発事故で被曝した人々にとっても重要な意味を持つ。広島地裁の判決を機に、原爆投下責任や日本の戦争責任をどうとらえるのか、戦争被害者に国は何をなすべきか、放射線被害をどうとらえるのか、福島原発事故で被爆された方々の今後の健康維持と補償をどうするのか、等様々な問題を考えていかねばならない。
本稿では第一の論点「核の傘」、すなわち核抑止論の問題に絞って考える。そのためにまず「核の時代」をどうとらえるのかを考えてみよう。
《核時代には戦争は放棄しなければならないという認識》
「1945年8月6日、あの広島原爆の日に新しい時代が始まった。いつ何時あらゆる場所が、いや世界全体がヒロシマと化してしまうかもしれない時代が始まったのだ。」(p.127)
これは1958年に広島での原水禁大会に、続いてウイーンでのパグウォッシュ会議に参加したドイツの哲学者ギュンター・アンダースが、翌59年にベルリン自由大学で行ったゼミの最初のひと言である※14。彼はヒロシマ後の世界は「人類が自滅するかもしれない」(p.80)時代であり、そこでは「戦争は破滅を意味するから、私たちは破滅に反対しなければならず、人間が存在する限り、私たちの後に破滅への反対者が続かねばならない」(p.100)と考えた。
この認識は1955年7月の「ラッセル・アインシュタイン宣言※15」に根差すものだろう。以下、一部を記すがぜひ全文を読んでいただきたい。
「私たちには新たな思考法が必要である。…軍事的勝利に導く手段はもはや存在しないのである。私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。」
「避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。」
「私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。」
50メガトンもの水爆実験を米ソが競争して行っていたこの時代に生きるものとしての切実な訴えである。ここで核兵器放棄は最終解決ではないとしているのは、戦争が起きてしまえば、その中で放棄された核兵器が再びつくられる可能性があるからであろう。核兵器を一度手にしてしまった人類にとって、戦争を放棄すること以外には生き残ることができないのである。そして人類が続く限り、アンダースの言うように戦争そのものに反対し続けねばならない。それがこの核の時代の本質なのである。
このような認識は、1945年にも示されている。哲学者ジャン・ポール・サルトルはこう記した。
「人類はいまや自分自身ですっかり死滅してしまうかもしれない可能性を核兵器によって得た。…人類が死滅するか、生き延びうるかということは、いまや人類全体の日々の選択の問題だ。※16」
物理学者仁科芳雄も1946年11月にこう記している.※17。
「原子爆弾の使用を国際条約をもって禁止する」だけではなく「戦争そのものを根本的に地球上より追い払わなければ(世界文化破滅の防止という)目的は達せられない。」
戦後直後に原爆が世界を変えるに違いないと考えたという点で特筆すべきは、幣原喜重郎による1946年3月20日の「枢密院における幣原首相の憲法草案説明要旨」である※18。
「戦争抛棄は正義に基く正しい道であって日本は今日此の大旗を掲げて国際社会の原野をとぼとぼと歩いてゆく。…原子爆弾と云ひ、又更に将来より以上の武器も発明されるかも知れない。今日は残念乍ら各国を武力政策が横行して居るけれども此処二十年三十年の将来には必ず列国は戦争の抛棄をしみじみと考へるに違ひないと思ふ。」
9条がつくられた経緯については様々な意見もあろうが、幣原が戦争放棄を核時代におけるあるべき姿として考えていたことは先見の明があり、ラッセル・アインシュタイン宣言につながるように思われる。
しかしその後GHQによる日本の再軍備が進み、さらに朝鮮戦争が勃発するとその特需で潤う中で、戦争そのものをなくすという視点は薄れ、日本は再び戦争をしないということに人々の意識は収斂してしまったのではないだろうか。
多くの人々が核時代の恐ろしさを認識したのは1954年3月1日のビキニ水爆実験と第五福竜丸被ばく事件であった。湯川秀樹が3月31日の新聞に「原子力の脅威から人類が自己を守るという目的は、他のどの目的よりも上位におかれるべきではないだろうか」と記したことも人々の意識に影響を及ぼしたに違いない※19。そして杉並の魚屋さんと主婦たちが始めた原水爆禁止署名運動は全国3000万の署名を集め、翌年の原水爆禁止世界大会へ発展、さらにその広がりの中で被爆者も立ち上がり1956年8月10日日本被団協を結成した。「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と訴えた「被団協結成宣言=世界への挨拶」に、今に続く被爆者の思いが込められている※20。
(なお62年までの8年間に太平洋で行われた核実験で1000隻もの日本のマグロ漁船が被害を受け、大量の放射性物質が世界を汚染した。それについては、先週の本欄の伊東英朗氏の論考をぜひお読みいただきたい※21。)
《核抑止論に抗して人間の安全保障を》
このように核の時代には人類は戦争自体を廃絶しなければならないという認識に立てば、核兵器に対して核兵器で対抗する核抑止論はそもそもありえない。しかし米ソの核軍拡が続く現実の中で、ラッセル・アインシュタイン宣言から始まった世界の物理学者によるパグウォッシュ会議でさえ、「ラッセルの反対を押し切って、『原子爆弾と共に生きよう』という方策の正当化として核抑止の教義を採択し、1958年の第二回会議でその定式化に精力的に乗り出した」と豊田利幸は指摘している(※21p.23)。
その動きに抗して、湯川秀樹・朝永振一郎がよびかけた科学者京都会議は、1962年5月の第一回声明※22で明確に核抑止の虚妄と危険を指摘した。
「大量殺戮兵器による抑止政策が取られる限り、必然的により大きな報復力の保持につとめ、ますます巨大な戦争遂行能力を持つ。…核兵器による戦争抑止の政策は、戦争廃絶の方向に逆行する。」
後に朝永振一郎は「『恐怖の釣り合い』が抑止論の前提条件だ」とし、しかも「科学者の『恐怖』こそが兵器つくりに駆り立てる」と科学者の責任を論じている※23。
さらに1975年の第25回パグウォッシュシンポジウムが京都で開催された際に、湯川秀樹は「何は国益であるとか何が正義の戦いかというような部分的・相対的な価値判断を超えて、核兵器は人類全体に破滅的打撃を与えるが故に絶対悪である」と世界の科学者に訴え、さらに次の湯川・朝永宣言「核抑止を超えて」を発した。
「今日の時点で最も緊急を要する課題は、あらゆる核兵器体系を確実に廃絶することにある。…究極目標は、人類の経済的福祉と社会正義が実現され、さらに、自然環境との調和を保ち、人間が人間らしく生きることのできるような新しい世界秩序を創造することである。…核兵器を戦争や恫喝の手段にすることは、人類に対する最大の犯罪であるといわざるをえない」(※21p.200)。
この日本の科学者の粘り強い提起もあって、1995年7月に広島で行われたパグウォッシュ会議は、「最小限抑止論」も「論理的につきつめていくならば、最終的にはすべての国が核抑止力を備える事態が想定され、世界は非常に危険な場所になると核抑止論を明確に否定したのである※24。
そして科学者の科学的・論理的批判を受けとめて、広島の平和宣言でも核抑止論が否定されるにいたった※25。最初にこれを取り上げたのは1968年の山田節男市長だった。
「核兵器を戦争抑止力とみることは、核力競争をあおる以外のなにものでもなく、むしろ、この競争の極まるところに人類の破滅は結びついている。」
さらに1992年に平岡敬市長もこう述べている。
「国家の安全保障を核兵器という力に依存する核抑止論を、ヒロシマは絶対に容認することができない。」
このように核抑止論は核廃絶につながる道ではなく、恐怖の均衡に基づくものであるがゆえに一層の核軍拡を引き起こすということは論理的には明らかなのだが、国際政治の上でその克服は容易ではない。
そこで人道的アプローチに立って核兵器禁止条約を創り出す過程でオーストリア政府は次のような議論を展開した。少し丁寧に紹介しよう。(「核抑止論は安全保障の面で現実的という考えを批判するオーストリアの論理」(2016年2月国連作業部会提出)長崎大学核兵器廃絶研究センター訳※26
まず核抑止を次のようにとらえている。「敵とみなす相手に対し、受け入れがたい破壊や結末をもたらすという説得力のある威嚇を行うことによって、両者の側において自制的、合意的な行動が導かれること。核攻撃を遂行できる能力の維持のためには核兵器を常に使用できる状態に置いておくことが必要。」
そしてそれが何を結果するかを人間の立場から考察する。
「人道性の観点から、核抑止は本質的に、敵味方の区別なく、すべての人類に受け入れがたい破壊と結末をもたらす。核兵器爆発に対処できる能力は、国においても、国際レベルにおいても存在しない。核兵器と核抑止によって安全が保障されるという見方は安心と安全に対する不確実な幻想に依拠し、そのリスクはあまりにも高い。」
それに対して人道イニシアティブの考え方を提起する。
「核兵器使用の結末は世界規模で拡散し、核武装国、非核兵器国を問わず、人間の安全保障、健康状態、生存に影響を与える。すべてにとっての安全保障に対するリスクはあまりにも高い。人道イニシアティブの中核にあるのは、核兵器による安全保障とは何か、核兵器をめぐる議論や核兵器のない世界の実現に向けた国際努力において、いったい誰の安全が焦点に据えられるべきか、等の問いである。」
さらに核兵器は自国の国民のいのちも守らないことを明らかにしている。
「国家の主たる機能は、国民を守り、安全を提供すること。国家の安全保障のみに焦点を当てることは、その国民の防護や安全はどうなるのかという疑問を呼ぶ。軍事的な論理が主導する世界のなかで、核兵器は報復攻撃を誘発する。核兵器が存在することはその国の人々の防護や安全を強化するのではなく、反対にそれを低下させる。」
私たちが考えるべきは、国家を守るのか、国民を守るのか、という点である。核戦争には勝者はないということがラッセル・アインシュタイン宣言以来の真理である。国家の安全保障ではなく人間の安全保障を、それが核の時代に進むべき道ではないだろうか。
このような議論を経て生み出された核兵器禁止条約の第一条に「核の使用の威嚇の禁止」も含まれている。相手が攻撃すれば核兵器を使うぞという脅し、核抑止論の根幹を明確に禁じているのである。太田昌克は「使用の威嚇」こそが、「米国を中心とした核保有国の核戦略体系のまさに核心を衝く重大要素」であるとし、次のように指摘する※27。
「核兵器禁止条約が今回、『使用の威嚇』を明示的に禁じたことは、『核の傘』に依拠しながら半世紀以上続いてきた米国の同盟政策、ひいてはその世界戦略に真正面から倫理上の戦いを挑み、その正統性と正当性を根源から鋭く問い直す行為と断じていい。…その結果、核兵器禁止条約は核抑止論を土台とする『日米核同盟』への『アンチテーゼ(対抗的命題)』を内包している。」
《北朝鮮の核に対して核抑止で対抗する愚かさ》
では日本政府はどう考えているのだろうか。核兵器禁止条約に賛同しない理由を河野太郎外務大臣(当時)は2017年11月にこう記している※28。少し長いが引用しておこう。
「北朝鮮は先日も、『日本を沈める』といった声明を出しました。戦後ここまで明確な形で我が国の安全を脅かす言動を行ったのは、北朝鮮が唯一かつ初めてです。核兵器の使用をほのめかす北朝鮮のような存在にその使用を思いとどまらせるには、もし核を使えば自らも同様の、あるいは、それ以上の堪え難い報復にあうと認識させることが必要です。こうした考え方を抑止といいます。実際に核兵器の使用をほのめかし、多数のミサイルの発射すら行いかねない相手に対しては、通常兵器だけで抑止を効かせることは困難であり、核兵器による抑止がどうしても必要となります。…核兵器を直ちに違法なものとする核兵器禁止条約に参加すれば米国による抑止力の正当性を損うことになり、結果として、日本国民の生命や財産が危険にさらされても構わないと言っているのと同じことになります。
地道に核軍縮を進める道筋とは、まず世界に一万六千発程あるとされている核兵器を、米国、ロシア、中国といった核兵器国が実際に削減していくことが必要です。その数が極めて低くなった時点で、核兵器の廃絶を目的とした法的な枠組みを導入することが最も現実的です。…」
あまりに幼児的な議論で、これが外交のトップと思うと情けない。そもそも北朝鮮に対しては植民地統治に対する謝罪も賠償も未だ行っていないという歴史的視点が欠落している。また外交としての主体性・継続性も感じられない。その後安倍首相が無条件で日朝会談を要請している現状をどう見るのか。そして相手の言葉のレトリックに直対応するお粗末さ。北朝鮮が先に日本に核ミサイルを撃ち込むと本当に考えているのなら愚かである。北朝鮮もこの間緻密な論理で行動している。また日本に撃ち込まれた時は米国に核を打ち込んでもらうというのは権力者の目で、双方の罪もない数十万の民衆が犠牲になることへの痛みはない。相手が核を使う場合のみ核で報復するというのならば、オバマ政権が先制核使用はしないという政策を検討したときになぜ日本は反対したのか。通常兵器で攻められた際も、核兵器で反撃してもらうためではないか。…これ以上直対応してもむなしい。
北朝鮮や中国と、離島や海洋権益を巡る小競り合いはありうるとしても、日本に戦争を仕掛けることは現実的にありえない。経済も人の行き来もグローバル化した現在、全面戦争が起こりうるというほうが空想的である。考えられるとすれば、2017年、米朝の対立が激化する中で真剣に検討されたように、米軍による北朝鮮の核施設および政府中枢への先制攻撃ではないか。それに対し北朝鮮も自爆覚悟で反撃する場合、韓国や沖縄、岩国、横田などの米軍基地が標的になる。そうなればその地域の数十万の民衆が犠牲になる。こういう事態を起こさないことが政治の役割だろう。
日本がなすべきことは、粘り強い外交や民間レベルの様々な交流によって北朝鮮・韓国・中国との信頼関係を築くことである。そのためには、未だ植民地統治に対する謝罪も賠償も行っていない北朝鮮に対して誠意ある態度をまず示さねばならない。そうして9条の精神に則り、日本は戦争を絶対しない、それにつながる戦力も持たない、米国の核の傘にも入らず核攻撃も容認しないという断固とした姿勢を示すことで、北朝鮮の核兵器を放棄させ、北東アジア非核地帯を構築していくこと、それこそが日本の、そして北朝鮮の民衆のいのちを守る最も現実的な方法ではないだろうか。
しかも、パンデミック後の世界でなお核兵器や軍事費の膨大な費用を投じることの愚かさは誰の目にも明らかだ(5月18日の本欄拙稿参照)。8月2日、原水爆禁止世界大会国際会議において国際平和ビューローのブラウン事務局長は「世界が毎年2兆ドルを軍備に費やす一方、毎秒1万人の子どもが飢えて亡くなっている」とし、「核兵器も戦争もないより民主的で持続可能な世界を創ろう」と訴えた。
そのような世界の人々が切望しているのは、被爆国日本が核兵器禁止条約に参加し、核のない世界に向けた道義的リーダーシップを発揮することである。核兵器国が核の近代化と増強を進めている今、河野発言のように、核兵器国が削減してからというアプローチは現実的にも破綻し、核廃絶を彼岸化するものでしかない。核兵器禁止条約が発効し、核が絶対悪であるという倫理的規範が国際法となれば、保有国の人々の中にも核兵器を放棄すべきだという声が広がり、核廃絶へ向けた大きなうねりが創られていく。
8月2日の東京新聞は、日本国民の72%が核兵器禁止条約に参加するべきだとしている世論調査結果を報じた。日本政府は今こそ、被爆者の願いと国民の声をしっかり受け止め、核兵器禁止条約に署名・批准してほしいと願う。
※1 広島市と長崎市が呼び掛け、7月現在で164か国7909都市首長が参加する国際NGO
※2 http://www.mayorsforpeace.org/jp/ecbn/
※3 http://www.mayorsforpeace.org/jp/ecbn/resolution/20200630.html
※4 スティーブン・リーパー「アメリカ人が伝えるヒロシマ」岩波ブックレット.2016年
※5 https://hibakushastories.org/jp-about-hibakusha-stories/
※6 http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2015/151216
※7 The International Campaign to Abolish Nuclear Weapons
※8 朝日新聞2020年7月24日
※9 https://digital.asahi.com/articles/ASN7D7W75N6JPTIL01Z.html
※10 朝日新聞2020年7月6日
※11 原爆意識調査(PDF)
※12 平岡敬「希望のヒロシマ」岩波新書.1996. p.12
※13 毎日新聞2020年7月25日
※14 ギュンター・アンダース「核の脅威」法政大学出版局.2016.p.127
※15 ラッセル・アインシュタイン宣言 https://www.pugwashjapan.jp/russell-einstein-manifesto
※16 ジャン・ポール・サルトル「大戦の終末」サルトル全集11巻収録.人文書院.1953(大江健三郎「核時代の想像力」新潮社.2007年.p.109より重引)
※17仁科芳雄「原子力問題」岩波書店「世界」1947年1月号(なお仁科は1946年の時点で原爆管理と戦争放棄を一体で考えるという意見を記している。それについては※18山崎論文参照)
※18 山崎正勝「原子爆弾と戦争廃絶・放棄論 1945~1946」「科学史研究」58巻290号.2019年7月所収
※19 飯島宗一・豊田利幸・牧二郎編著「核廃絶は可能か」岩波新書.1984.p.10
※20 http://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/about/about2-01.html
※21 伊東英朗「今もこの日本に存在し続ける核実験による放射線」法学館憲法研究所「今週の一言」2020年7月27日
※22 http://www.riise.hiroshima-u.ac.jp/pugwash/kyoto1.html
※23 朝永振一郎「パグウォッシュ会議の歩みと抑止論」『科学者の自由な楽園』岩波文庫.2000所収
※24 沢田昭二「監訳者まえがき」ジョセフ・ロートブラット他編著『核兵器のない世界へ』かもがわ出版.1995.
※25 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/9818.html
※26 http://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/datebase/document/no6
※27 太田 昌克「『対抗的命題』を内包―日米同盟と核兵器禁止条約」長崎大学核兵器廃絶研究センター編「核兵器禁止条約採択の意義と課題」所収(PDF)
※28 河野太郎 ブログ2017年11月21日 核兵器禁止条約
◆小寺隆幸(こでら たかゆき)さんのプロフィール
1951年神奈川県生まれ。
名古屋大学理学部卒業、東京学芸大学修士課程修了。
東京都公立中学校教員、京都橘大学教授、京都大学非常勤講師を経て、現在、明治学院大学国際平和研究所研究員、明星学園中学校非常勤講師。
公益財団法人原爆の図丸木美術館副理事長、チェルノブイリ子ども基金共同代表、軍学共同反対連絡会事務局長。
専攻は、数学教育学。
主な編著書に、『時代は動く!どうする算数数学教育』(編著・国土社、1999年』、『数学で考える環境問題』(明治図書、2004年)、『世界をひらく数学的リテラシー』(編著・明石書店、2007年)、『主体的・対話的に深く学ぶ算数・数学教育』(編著・ミネルヴァ書房、2018年)などがある。
【関連HP:今週の一言・書籍・論文】
今週の一言「パンデミックの危機の最中だからこそ、今、軍事を問う」
小寺隆幸さん(明治学院大学国際平和研究所研究員、明星学園中学校非常勤講師)