二つの技術の未来予測
現在進行中の技術において、未来世界を根底的に変えかねないものが二つある。誰もが知っていることがだが、一つはAI(人工知能)である。GAFAで象徴される情報独占の行き着く先は徹底した監視社会の到来であり、AIに頼り支配されていく人類の行き着く先は思考停止集団の出現だろう。もう一つは、ゲノム編集技術の人間の遺伝子への適用である。遺伝子の切断によるゲノム改変から新たな遺伝子の挿入による遺伝子操作が際限もなく拡大し、デザイナーベビーのみならずクローンの作成にまで行く着く未来が予想される。さらに現代は技術のデュアルユース(軍民両用技術)時代であり、これら二つの技術が民生技術として人間社会を変えていくとともに、軍事技術として適用され、戦争の様相を大きく転換させてしまうだろう(今回は、軍事技術への転用については述べない)。
このような未来予測に対して、アメリカは自由主義的競争原理を優先して野放しであるのに対し、ヨーロッパでは保守主義的な慎重姿勢を保ちつつ世界の趨勢に従っていくことになるだろう。それに比して日本は、イノベーションを生み出す国ではないとの自覚からか完全な自由主義ではなく、といって保守主義的であっては経済優先が貫徹できないと、どっちつかずの状態をウロウロしつつ、結局アメリカの後を追っかけるということになっている。このような、いささか揶揄的で自嘲的な日本の未来予測は本稿の目的ではないので、これ以上触れず、上に述べたAIとゲノム編集がもたらす人類の将来について考えてみたい。
AIがもたらす監視社会
今、盛んに推奨されているキャッシュレス社会は、売買関係が簡素化されるという意味では実に便利であるのだが、売買に関わる個人情報は全て情報集約産業に集められて(分散的なデータは売買され、巨大情報産業のビッグデータに集約されていくからだ)、プライバシーは失われてしまうであろうことを覚悟しなければならない。むろん売買関係だけでなく、スマホのネットサーフィンは隈なく追跡され、インターネット情報はプロバイダーが把握し、SNS使用は簡単に視聴することができるから、情報仲介産業は私たちの言動を全て手中にしているであろうことも、今や常識であろう。つまり私たちは既に丸裸にされており、GAFAがその気になりさえすれば簡単に全行動が漏洩してしまうのである。その情報を権力が握ることになれば、ジョージ・オーウェルの『1984年』に登場するビッグブラザーが支配する社会に転化することも否定できない。AIが完全監視社会を引き寄せていることを意識しておくべきなのである。
こんなブラックユーモアがある。「日本政府は公文書管理にずさんで、意図的に捨てている。これでは日本の政治史に空白が生じてしまうので心配だ。」「いやいやご心配なく!日本政府のみならず民間の動きもすべてアメリカの情報機関が把握していますから、数十年後にアメリカ国立文書館に開示請求をすればいいのですよ。」スノーデンが明かしたようにアメリカは日本政府の動きを逐一盗聴しており、それにGAFAのビッグデータが加わると、歴史の空白は生じない、というわけだ。
AIが神のようになる社会
もう1つ、ビッグデータを処理するAIの能力が卓越した結果、碁や将棋の勝負のみならず、医療手術に使われ、占いの診断にも使われるようになっている。AIは膨大な数の先例データをいとも簡単に解析し、次に打つべき最適解を教えてくれる。この趨勢は今後ますます強くなって、先行きのことがわからない問題はまずAIに相談しようということになり、その理由はわからないけれど最適の答えだろうとして、受け入れることが当たり前になるだろう。それによって、私たちは、何事にも神頼みならぬAI頼みになり、思考停止に陥ってしまいかねない。何しろ、あらゆる条件を比較対照し、過去のすべてのデータを考慮してのAIの選択なのだから、間違いなかろうとAIにお任せするのが賢明だと思うようになるからだ。
そうなると、いかにもAIが自律的に判断したかのように人々は誤認するようになる。AIがあたかも人格を持っているかのように、AIの決定を人間の判断より優先するようになり、AIが支配する社会に変貌していく可能性がある。私は、「2045年問題」と呼ばれる完全に自律的なAI(これを「強いAI」という)の出現は不可能であると思っているが、実質的にはビッグデータを処理してご託宣を下すAI(これはまだ人間のコントロールが必要だから「弱いAI」なのだが)が主人公のように振る舞う社会になってしまうのではないかと危惧している。それは先に述べた完全監視社会と同一なのである。
ゲノム編集とデザイナーベビー
人間の究極のプライバシーはゲノムが担っている遺伝子情報である。ゲノムは4種の塩基が並ぶラセン構造のDNAであるということはよく知られている。そのDNAの構造が具体的なタンパク質の発現に対応している部分を遺伝子と呼ぶ。だから、遺伝子部分の塩基配列を切断すると当該のタンパク質は形成されなくなり、遺伝子として機能しなくなる。このようなDNA上の目的の遺伝子部分に効率的に接近して切断することを可能にしたのがゲノム編集技術である(具体的には「クリスパー・キャス9」と呼ばれる手法が最有力)。さらに切断箇所に新しい遺伝子を挿入すれば、遺伝子組み換えが可能になる。
そうすると、人間の身体(眼の色・身長・体重など)や能力・知能(運動能力・数学的才能・寿命など)に関わる遺伝子部分を同定して、思いのままにゲノム編集技術で改変することが可能になり、終局的には人間改造を行うことができる。特に受精卵の段階で遺伝子操作を行えば、生まれてくる赤ん坊は設計通りの個体なって成長する。これがデザイナーベビーで、性細胞を改変するからその子どもにも遺伝するから、これが大々的に行われるようになると、人体の改造が広がっていく可能性がある。果たして、そのような気に入った人間を作り出す(逆に、気に入らない人間は淘汰させる)ことは果たして倫理上許されることなのだろうか。
ゲノム編集技術の拡大は今が正念場
ゲノム編集技術の拡大の話まで一気に広がってしまったが、現在はまだそこまでは行かないが、既に高校生の授業やサイエンスカフェでの実験にゲノム編集が採用されている。遺伝病の治療や食糧生産についての有用性が評価されて、どんどん広がっているのが現状である。それに呼応するかのように、中国でエイズに罹りにくい遺伝子への改造だと称した受精卵のゲノム編集が行われ新生児を誕生させている。今のところ、この先走った実験に対して世界中が批判的なのだが、さていつまでこのような状態が続くか不明である。今のうちにしっかり議論し、デザイナーベビーの生産に向かわないよう歯止めをかけておく必要がある。
日本政府は、遺伝子の切断だけならば突然変異と同じだからという理由で、野放しにする方針を決めている。それによって、筋肉抑制遺伝子をゲノム編集によって切断して働かないようにした、筋肉隆々の牛や肉質の厚い鯛が生産されており、そのうちに一般販売が行われるようである。ふつう遺伝子は1つだけの形質を決めているのではなく、いくつかの形質を決定することにも働いている。だから、そのように処理した肉牛や鯛が集団に混じった時、どのような副作用が生じるのかわからないのだから、よほど慎重に扱わねばならない。しかし、日本政府は経済的利益を優先して解禁しつつある。さらには、挿入する遺伝子が小さければよいというふうに制限を緩めていく可能性があり、私たちは遺伝子操作された食物に囲まれることになりかねない。もっと実験を積み重ねて安全性を確認するという「予防措置原則」に則った方針を確立すべきであると思う。
二つの技術がもたらす人類の未来
AIとゲノム編集という二つの技術は、判断(つまり経験とか学習)という側面と遺伝という側面という、人間を構成する二つの根本要素に大きな影響を与えることは明らかである。人間は経験(学習)と遺伝との相互作用によって存在が保証し得ており、その両側面が二つの技術によって改変されてしまう可能性があることから、人類存在の危機を迎えているのではないかと懸念される。さて、自己を認識できる動物として人類は生きのびることができるのだろうか。それとも人類は自己認識力を失った動物群集に成り下がってしまうのだろうか。
◆池内 了(いけうち さとる)さんのプロフィール
名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。宇宙物理学者。
1972年京都大学大学院博士課程修了。専門は宇宙論・銀河物理学、科学・技術・社会論。軍学共同反対連絡会共同代表。世界平和アピール七人委員会委員。著書に『科学の考え方・学び方』(岩波ジュニア新書)、『親子で読もう宇宙の歴史』(岩波書店)、『科学者と軍事研究』『科学者と戦争』(いずれも岩波新書)、『司馬江漢―「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生』(集英社新書)、『原発事故との伴走の記』(而立書房)、『科学者は なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか』(みすず書房)がある。
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