未だ、終末は来ていない
あなたは、「猿の惑星」のラストシーンを覚えているだろうか。猿たちに追われて、命からがら逃げたチャールトン・ヘストンが、海岸で胸から上だけを出した自由の女神像を見て、「とうとうやっちまいやがった」と泣き崩れるシーンだ。核戦争を経た地球では、猿たちが支配者となり、人間たちは野蛮で臭い生き物として取り扱われている。日本での公開は1968年だけれど、いつ見たのかの記憶はない。けれども、この最後のシーンは、いまだに、はっきりと思い出すことができるのだ。
米ソの間に核戦争が起きるのではと危惧されたキューバ危機は、1962年である。この映画が公開された当時、米国は約3万発、ソ連は約9500発の核兵器を保有していた。核戦争により、人類社会が滅亡することが本気で心配されていたのである。
この映画のラストシーンが、現時点までは、現実化することはなかった。人類はそこまで愚かではなかったのである。
核不拡散、核軍縮の現状
1968年、核不拡散条約(NPT)の署名が始まり、1970年に発効する。とにもかくにも、核の拡散を止めよう、核軍縮に取り組もう、ただし、核の平和利用は認めようという国際条約が発足したのである。けれども、核軍拡競争は終わらなかった。世界の核兵器の数がピークに達するのは、1986年である。その数は7万発を超えていた。核兵器国は、他国に核兵器は禁止するけれど、自国の核兵器を減らすことなどしなかったし、新たな核兵器国が出現したのである。
他方、核超大国である米ソ(ロ)は、反核運動に押されて、戦略核兵器制限条約(SALT、1972年)、戦略核兵器削減条約(START、1991年)、新戦略核兵器削減条約(新START、2011年)、中距離核兵器(INF)全廃条約(1987年)などの合意はしてきた。なんやかんやで、現在は、13865発まで減っている。
ところが、トランプ米国大統領はそのINF全廃条約を反故にしてしまったのである。この条約は失効し、米ロの中距離(射程500キロないし5500キロ)の地上発射型ミサイルの開発、実験、保有の縛りがなくなってしまったのである。合わせて、21年に期限を迎える新STARTの行方も不透明になっている。配備戦略核やその運搬手段を相互に削減するシステムがなくなる危険性が現実化しようとしているのである。核軍拡競争の再来である。
「核の時代」だということを忘れてはならない
トランプ米国大統領は、どうして核兵器を使用してはいけないのかをブレーンに何回も質問しているという(拙著『「核の時代」と憲法9条』115頁以下)。プーチンロシア大統領は、ウクライナを併合する際に、「ロシアが核兵器国だということを忘れるな」とうそぶいた。こういう男たちが核兵器の発射ボタンを押す権限を持っているのである。彼らに核のボタンを押させてはならない。そして、この国の安倍晋三首相はトランプの言いなりだし、プーチンは彼を手玉に取っている。どっちにしても情けない限りである。彼に、この国を託すことはできない。
そして、この国の政府は、核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、核兵器の廃絶を目指そうとする「核兵器禁止条約」には背を向けている。核兵器の使用は、文明を滅ぼすことになるとの指摘は「猿の惑星」だけではない。1946年の日本の制憲議会でも指摘されていたのである。それが、日本国憲法9条2項として結実しているのである(拙著12頁以下)。安倍晋三と改憲勢力は、トランプやプーチンとともに、地球と人類を滅亡へと導こうとしているかのようである。私は、現在も、将来も、猿たちに支配されたくない。私たちは、私たちが「核の時代」に生きているということを片時も忘れないで、平和と憲法について語らなければならない。(2019年8月3日記)
◆大久保賢一(おおくぼ けんいち)さんのプロフィール
1947年1月1日、長野生まれ。弁護士。日本反核法律家協会事務局長。
著書に『日本国憲法からの手紙―拝啓お母さん こんにちは子どもたち』、『護憲論入門―カンバレ!日本国憲法』(以上、学習の友社)、
『肥田舜太郎が語る「いま、どうしても伝えておきたいこと」―内部被曝とたたかい、自らのいのちを生かすために』、『「核の時代」と憲法9条』(以上、日本評論社)。