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今週の一言
沖縄の美ら海を違法に埋め立てる国との闘い
〜沖縄県の埋立承認撤回に対する国の見苦しい反法治主義的法的対応
2018年12月10日

白藤博行さん(専修大学法学部教授)

◆翁長知事の遺志を継ぐ玉城デニー知事の誕生
 故翁長雄志知事は、2018年7月27日、「辺野古に基地はつくらせない」という強い意思をもって埋立承認撤回の意思を表明し、埋立承認撤回手続の開始を指示されました。不幸なことに、8月8日、翁長知事が急逝されるといった不測の事態が生じましたが、埋立承認の撤回は所定の手続きを経て行われました(8月31日)。そして、まさに辺野古新基地建設の賛否が争点となった沖縄県知事選においても、「辺野古に基地はつくらせない」という翁長知事の遺志を継ぐことを明言していた玉城デニー氏が勝利し、辺野古新基地建設反対の沖縄県民の民意は明確に示されました。玉城デニー知事は、さっそく国との真摯な対話を求めましたが、防衛省沖縄防衛局はこれを意に介せず、公有水面埋立法(以下、公水法)の所管大臣である国交大臣に対して、埋立承認撤回の審査請求と執行停止申立を行いました。これを受けて、国交大臣は、ただちに執行停止決定を行い、これに基づき埋立工事は再開されました。この間、国は、期限付きで協議に応じる態度を示してはいますが、埋立工事は止められないままであり、毎日のように工事資材の搬入等は続いています。これが対話といえるかどうか、多くの批判のあるところです。沖縄県民の民意をおそれての「対話・協議をするふり、したふり」というしかありません。安倍総理や菅官房長官は、しばしば「沖縄県民に寄り添う」などと言われますが、人をいじめるために近づくことを、「寄り添う」とは言わないのではないでしょうか。。

◆沖縄の正義〜なぜ埋立承認の撤回をしたのか
 さて、埋立承認撤回とは何を意味するのでしょうか。故翁長知事は、2015年10月13日、元沖縄県知事・仲井眞弘多氏が行った埋立承認が違法であったとして、埋立承認を取り消しましたが、国の違法な関与が明白であったにもかかわらず、裁判所の不十分な審理によって阻まれました。今回の埋立承認撤回は、これとは違って、埋立承認以後に生じたさまざまな事情によって、もはやこのまま埋立承認を維持し埋立工事を続行させることが公水法違反や公益侵害を引き起こしたり、あるいはそのおそれがあったりする場合にあたり、将来に向かって埋立承認という行政処分(以下、単に処分)の効果をなくしてしまう必要があるときに行われる処分のことを意味します。具体的には、埋立承認撤回通知書に書かれているところを読んでいただきたいのですが、(1)承認の際に付された条件(留意事項)を無視して沖縄県との実施設計に関する事前協議を行わずに工事を開始し続行していること、(2)これに対して行政指導を繰り返してもまったく従わないこと、(3)承認時には示されなかった軟弱海底地盤や活断層の存在が明らかになったこと、(4)基地周辺建物の高さ制限を超える建物の存在や新基地建設後の普天間基地の返還条件の存在などの事実が承認後に明らかになったこと、(5)承認後に策定したサンゴやジュゴンなどの環境保全対策の不備から環境保全上の支障が生じることなどなど、留意事項違反や国土の適切合理的な利用、環境保全・災害防止に関する十分な配慮といった公水法の承認要件違反が山ほど示されています。

◆またしても「私人・国民なりすまし」の国の愚考・愚行
 沖縄防衛局と国交大臣の罪〜なぜ行政不服審査法上の審査請求・執行停止申立なのか
 国は、知事選までは、沖縄県民の民意をおそれ埋立工事を停止してきましたが、知事選に敗北するや否や、またしても私人・国民になりすまして、埋立承認撤回の取り消しを求める審査請求と、すぐにも工事再開を可能とするための執行停止申立を行いました。国の行政機関である沖縄防衛局が、行政不服審査法(以下、行審法)の審査請求と執行停止申立を行うことの違法性については、拙稿「沖縄の民衆の怒りと祈りの争訟〜辺野古新基地建設問題に寄せて」(2016年6月20日)で指摘したところです。すなわち行審法第1条には、「行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に関し、国民が簡易迅速かつ公正な手続の下で広く行政庁に対する不服申立てをすることができるための制度を定めることにより、国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする。」と書かれており、違法・不当な行政権の行使によって侵害された一般国民の権利利益の救済を目的としたものであることが一目瞭然です。このことをより明確に示すため、2014年に改正された(2016年施行)行審法第7条第2項には、「国の機関又は地方公共団体その他の公共団体若しくはその機関に対する処分で、これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の相手方となるもの及びその不作為については、この法律の規定は、適用しない。」というように、行審法の適用除外が定められ、これまで以上にはっきりと審査請求人適格が書かれることになりました。
 ところが沖縄防衛局は、自分たちはたしかに国の行政機関ではあるが、「固有の資格において当該処分の相手方となるもの」に該当せず、一般国民・私人の立場で公水法の埋立承認を受けているに過ぎないい。したがって、埋立承認を撤回されれば、一般国民・私人が埋立免許を撤回された場合と同様に、行審法の審査請求も執行停止申立もできるんだと言い張るのです。ほんとうにそうでしょうか。ここでは、長くなるので詳述は避けますが、たしかに民間事業者や地方公共団体が事業者になる場合には、埋立免許を取得し、国が事業者になる場合には、埋立承認を取得しなければ、埋立工事が始められないという点では同じなのですが、たとえば免許を得た民間事業者が公水法に違反した埋立工事を行えば、免許等の処分の取消、効力の制限、条件の変更、工作物その他の物件の改築・除却命令、損害防止のための必要な施設の設置、原状回復の命令、免許条件違反・義務違反に対する違法事実の更正、施設の設置命令、免許の失効等、原状回復義務など、さまざまな制裁措置が用意されています。しかし、国が公水法に違反した埋立工事を行った場合には、これらが準用されることはありません。
 また、民間事業者は埋立工事が竣功しても、知事の竣功認可を得ない限り埋立地の所有権を取得することはありませんが、国は工事の竣功認可を知事に通知するだけで埋立地の所有権を得ることができます。このように、公水法は、埋立免許と埋立承認を単なる用語の違いではなく、そもそもそれを受ける事業者の立場の違いを前提に区別しているのです。つまり、民間事業者は当然ながら「私人の資格」に立ち、国は一般国民・私人が立つことができない立場の状態を意味する「固有の資格」に立つものであると定めているのです。したがって、国の行政機関である沖縄防衛局は、公水法上、固有の資格に立って埋立承認を得る立場にあり、それゆえ行審法第7条第2項の「固有の資格において当該処分の相手方となるもの」に該当し、行審法の審査請求も執行停止決定もできないというのが、普通の解釈になるのです。
 それにもかかわらず、国交大臣は、早々に沖縄防衛局の審査請求と執行停止申立を受理し、ただちに執行停止決定をしてしまいました。とんでもない誤った解釈です。しかも国交大臣は、マスコミの前で正々堂々と、審査請求書も執行停止申立書も「全部は読んでない。スタッフが読んでいる」と豪語しました。これをみるだけでも、「名ばかり審査庁」の国交大臣が、審査請求書・執行停止申立書を「読んだふりして」、内閣でご一緒する仲間である防衛省の沖縄防衛局の「私人・国民になりすまし」に目を瞑り、これに有利な判定を下したのです。これでは、例のボクシングの山根氏の「奈良判定」ではありませんが、まさに「沖縄判定」(正しくは、「沖縄防衛局判定」とでもいうべきでしょうか)ではありませんか。このような反法治主義的な措置を取りながら、沖縄県が提出した審査請求にかかる弁明書(11月19日)に対しては、「法に基づき対応」というのですから、あきれてものも言えません。

◆沖縄では、日本国憲法の正義が通用しないのか
 もはや「沖縄虐待」といえるほどの醜悪な事態が沖縄では続いています。憲法が保障する自治権のはなはだしい侵害が生じているにもかかわらず、この間地方分権改革を推進し、その成果を誇る地方分権改革論者は、なぜ沈黙を続けるのでしょうか。これで国と沖縄は対等で協力できる関係でしょうか。国と沖縄は最適な役割分担の関係でしょうか。改正地方自治法は、沖縄の自治と分権を保障する基本法と言えるでしょうか。ぜひとも意見を聞きたいところです。
 たしかに行政法研究者110名は、このような国の対応を「法治主義に悖る」と早々に批判しましたが(10月26日の共同声明)、それ以外の行政法研究者(広くはすべての法律家)のみなさんは、いったいこの事態をどのように見ているのでしょうか。このような国の解釈・運用がまかり通れば、まっとうな行政法解釈は壊されてしまうのではないでしょうか。正々堂々とした法的議論を交わして、ぜひとも行政法研究者の矜持を見せてほしいと思います。
 そしてなにより、沖縄から遠く離れた日本本土に住む日本国民は、いつまでこのような「沖縄虐待」から目をそらすのでしょうか。同じ日本国に住み、同じ日本人でありながら、これほどまでに日本国憲法の基本理念・基本価値・基本的人権の保障がないがしろにされることがあっていいのでしょうか。亡くなった翁長知事は、自由・平等・人権・自己決定権に対する喪失感を「魂の飢餓感」と呼んでいました。翁長知事は、沖縄県民の「魂の飢餓」を嘆くだけではなく、これを克服するために「誇りある豊かさ」を唱えました。ただただ経済的な豊かさを追求するだけではなく、人間の尊厳を保障することができる豊かさを追い求めるというものです。これは決して沖縄だけの問題ではありません。私たちみんなの課題です。みんなで平和への希いを語り合い、「誇りある豊かさ」を現実のものとしたいものです。

【追記】
 本稿脱稿後、2018年11月29日、沖縄県は、沖縄県の埋立承認撤回にかかる国土交通大臣の執行停止決定が違法であるとして、国地方係争処理委員会に対して、審査の申出を行なった報復であろうか、防衛大臣は、12月14日の土砂投入宣言を行い、沖縄の民意を威嚇する挙に出た。しかも、台風により施設損壊で土砂の搬出がままならない本部(もとぶ)港からではなく、琉球セメントの私設桟橋からの搬出という奇策に出たが、これも沖縄県国土交通省所管公共用財産管理規則や沖縄県赤土等流出防止条例に違反する疑いが強いものである。どこまで違法な埋立工事をすれば、気が済むのだろうか。
 国自身が行政不服審査法上の審査請求と執行停止申立を行い、国土交通大臣が早々に執行停止決定で応ずるなど、行政争訟の自作自演を演じてきたが、審査請求にかかる承認撤回そのものの適法・違法はいまだ審査中である。その裁決を待たずに、辺野古の埋立工事を再開し、しかも美ら海への土砂投入といった取り返しのつかない大愚を繰り返す国の行為は、「窮すれば、焦する」といったところであり、まさに国の暴挙である。
 権力とは、条件不利人間や条件不利地域を選別し、もっと不利な条件を押しつけ、ねじ伏せることができる力のことをいうと承知するところであるが、まさに国家権力は、すでに圧倒的な基地負担を押し付けている沖縄県と沖縄県民をまたしても選別し、沖縄県の自治と沖縄県民の生命・自由・財産・安全に対して、さらなる不利な条件を押し付け、無法にねじ伏せようとしている。ただただ理不尽であり、憲法はこれを決して許しはしない。日本国民は、これを決して許してはならない。
 沖縄県と沖縄県民のたたかいは、国と沖縄県の勝ち負けが問題の闘いではない。人間の尊厳と自治の尊厳を守るためのたたかいであり、憲法の基本精神・基本価値・基本権を守るたたかいである。

普天間・辺野古問題を考える会

◆白藤博行(しらふじ ひろゆき)さんのプロフィール

専修大学法学部教授、日本学術会議会員、弁護士、自治体問題研究所顧問。行政法学、地方自治法学などが専門。最近の編著書・著書は、『アクチュアル地方自治法』(法律文化社、2010年)、『行政法の原理と展開』(法律文化社、2012年)、『新しい時代の地方自治像の探究』(自治体研究社、2013年)、『3.11と憲法』(日本評論社、2013年)、『民主主義法学と研究者の使命』(日本評論社、2015年)、『Q&A辺野古から問う日本の地方自治』(自治体研究社、2016年)、『現代行政法の基礎理論Ⅰ』(日本評論社、2016年)、『地方自治法への招待』)自治体研究社、2017年)、『自治制度の抜本的改革−分権改革の成果を踏まえて』(法律文化社、2017年)、『翁長知事の遺志を継ぐ 辺野古に基地はつくらせない』(自治体研究社、2018年)

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