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生殖系列細胞ゲノム編集をどう規制するのか?

2018年8月27日



島薗 進さん(上智大学教授、東京大学名誉教授)

ヒト受精卵のゲノム編集が試みられた
 2015年4月の『プロテイン&セル』誌で、中国中山大学の黄軍就副教授らの研究チームがヒト受精卵の「ゲノム編集」を行ったことが報告された。『NEWSポストセブン』(『SAPIO』2015年10月号)は、「中国の科学者がヒト受精卵に遺伝子操作 欧米で激しい論争に」という記事を掲載している。
「欧米ではタブー視される行為であり、激しい論争を巻き起こした。さらに問題なのは、ゲノム編集した受精卵から生まれた子供の遺伝子が永遠に受け継がれる点。これにより、現時点でわかっていない副作用などが将来世代に及ぶリスクがある。」

続いて、サイエンスライターの島田祥輔氏のコメントが引かれている。
「ゲノム編集技術を用いれば、目の色や体質だけでなく、運動能力や体格、IQ(知能指数)すら思い通りに操作できるようになります。SF世界のような"強化人間"も技術的には可能です。しかし、どこまで人間のレシピを書き換えていいのか、そもそも書き換えていいのかという"境界"の議論は世界的に進んでいません。線引きが曖昧な状態のまま中国の論文が発表され、科学界に大きな衝撃が走りました。」

 そして、この記事は「今回、中国の研究チームは胎児に成長する能力のない受精卵を使っており、科学的・倫理的な問題点はクリアしたと主張するが、この研究が「ヒト作り替え」の最初の一歩となりうることは間違いない。欧米の科学者は中国の「暴挙」に激しく反発した」と続けている。
受精卵や生殖細胞(まとめて「生殖系列細胞」という)に自由にゲノム編集が行われるようになったらどうなるか。病気になりにくい身体、長生きできる身体、不安になりにくい脳、運動能力が高い身体、容貌が美しい身体、思考力が高い脳などが求められ、子孫に引き継がれていくかもしれない。
 乳がんになる可能性が高い因子を受精卵の段階で排除してくれるとしたら、あなたはその技術を利用しないだろうか。ゲノム編集により、すでに動植物の育種は進められているが、人間にも適用すれば、親が望む遺伝子配列をもつ受精卵から子どもをつくることができることになる。デザイナーベイビーが可能になるわけで、人間の育種となりかねない。「優秀な品種」とそうでないものを分けるのが育種であることを思えば、「同じ一つの人類」という意識の崩壊まで考えなくてはならないだろう。

倫理より研究推進を優先したい科学者・政府
 科学者とそれを支援する企業や政府は、そこまで考えているのだろうか。欧米ではこうした研究を規制する動きが起こっているのか。むしろ、中国の科学者にこれ以上遅れてはいられないとして、倫理的な配慮をしているとの形を整えながら、研究推進の道を求めている科学者や企業・政府が多いのではないか。
 ヨーロッパには研究推進に慎重な国が多いが、アメリカやイギリスは「中国に遅れをとらじ」と研究加速の態勢だ。日本もそれに追随の様相である。2017年3月9日の『日本経済新聞』は、受精卵ゲノム編集の研究について、次のように報じている。
「内閣府の生命倫理専門調査会は9日、遺伝子を効率よく改変できるゲノム編集技術でヒトの受精卵を操作する基礎研究について、総合科学技術・イノベーション会議(議長・安倍晋三首相)への報告書案をまとめた。生殖補助医療を目的とする基礎研究の指針を国が作ることを求めた。現時点では医療応用は容認できないとした。早ければ2018年度内にも受精卵ゲノム編集の基礎研究が解禁される見通しだ。」

 この記事では、受精卵(ヒト胚)ゲノム編集の基礎研究がすぐにでもスタートしそうに感じられる。次の部分はとくに性急だ。「今後、同会議の決定を経て、文部科学省と厚生労働省が指針策定に乗り出す。指針はまず生殖補助医療に限って受精卵をゲノム編集で操作する基礎研究を認め、その後、難病や遺伝病、がんなどに範囲を広げる」。受精卵ゲノム編集が、難病や遺伝病の治療に用いられるのが間近であるかのような報道だ。そうであるとすれば、倫理的に重大な決断がすでになされたことになるだろう。
 2015年8月に厚労省が出した「遺伝子治療等臨床研究に関する指針」では、「ヒトの生殖細胞又は胚……の遺伝的改変を目的とした遺伝子治療等臨床研究及び人の生殖細胞又は胚の遺伝的改変がもたらされるおそれのある遺伝子治療等臨床研究は、行ってはならない」としている。つまり、難病治療等につながる研究ではあっても臨床研究が禁止されているとすれば、将来的にも臨床的に用いられることはないはずである。
 ところが、首相が主宰する総合科学技術イノベーション会議の下の生命倫理専門調査会が設けた「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」見直し等に係るタスク・フォース 報告書(第一次報告)」(2017年12月)では、そのような臨床応用が将来的にありうるかのような記述になっている。

中山大学でのヒト受精卵ゲノム編集実施を受けて
 倫理学者の香川知晶は、以上の「遺伝子治療等臨床研究に関する指針」の一節を引き、中国中山大学のヒト受精卵(ヒト胚)へのゲノム編集について次のように述べている。
「このように、ヒトの生殖系列細胞の遺伝子改変については禁止というのが国際的な了解であると思われてきた。遺伝子改変の影響がその個体に留まる体細胞の場合とは違って、生殖系列細胞の遺伝子改変では影響が次世代以降に及ぶ可能性がある。生殖系列細胞の遺伝子改変はいわゆるエンハンスメントをはじめ、人類改造に直結している。そのため、国際的に禁止の方向で考えられてきたのである。そうしたタブーを中山大学のチームの報告はあっさりと破るものだった。」(59ページ)

 基礎的研究であっても臨床応用を前提とした研究であることは明らかだからである。βサラセミアという病気を排除する可能性についての研究だからだ。だが、難病を治す技術は、ふつう以上に力ある身体や脳を作ろうとすること、つまりエンハンスメント(増進的介入)にも使える。人類改造が始まるかもしれない。香川は、世界の科学者らはこの「衝撃」が来ることを予想して、2015年の早い段階から慎重にことを進めるよう、意見表明を行ってきたことを示している。
 2015年3月12日の『ネイチャー・ニューズ』は、再生医療協会代表のエドワード・ランフィアや第二世代ゲノム編集TALENの開発者の一人であるフョードル・イワノフらの「ヒト生殖系列を編集するな」というコメントを掲載した。また、3月19日には『サイエンス』電子版に、「遺伝子工学と生殖系列遺伝子改変のこれからに慎重な道筋を」という意見が掲載された。こちらは、クリスパー・キャス9の開発者ダウドナ、ノーベル賞受賞者である分子生物学者、デイヴィッド・ボルティモア、ポール・バーグら18人が名を連ねている。さらに、このボルティモアとバーグらが中心となって2015年12月に米国ワシントン市で国際会議「ヒト遺伝子編集国際サミット」が開かれた。

ヒト遺伝子編集国際サミット(2015年12月)声明
 香川のまとめによると、この会議がまとめた「国際サミット声明」では、生殖系列細胞へのゲノム編集の問題につい6点があげられている。——(1)オフターゲットやモザイクといった技術上の問題(ねらい以外の効果が出てしまう可能性)、(2)遺伝子改変の有害な結果を予測する難しさ、(3)個人のみならず将来の世代への影響を考える義務、(4)人間集団にいったん導入した改変を元に戻すのは難しいという事実、(5)恒久的エンハンスメントによる差別や強制、(6)人間の進化を意図的に変更することについての道徳的。倫理的検討。
 この(3)(4)(5)(6)を見ると、確かに生殖系列細胞へのゲノム編集は「人間改造」に至るという重大な問題があることが示されている。この点で、日本の生命倫理専門調査会の「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」見直し等に係るタスク・フォース 報告書(第一次報告)」よりはましである。
 だが、香川はこの「声明」は生殖系列細胞へのゲノム編集に歯止めをかける意志を示したものとは見なせないという。この「声明」には、「科学的知識と社会的見解は進化するのであるから、ヒト生殖系列細胞の編集の臨床利用は定期的に見直されるべきである」との留保がついている。この留保は1975年のアシロマ会議を思い起こさせると香川は論じている。ボルティモアとバーグは2016年4月の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に「人類を変える前に一時停止ボタンを押そう」という記事を掲載し、そこでアシロマ会議に言及し、「研究に従事していた科学者たちは安全性の問題(safety issues)が評価できるようになるまでモラトリアムをおくことを受け入れた」とし、今回もアシロマ会議方式をたどることを示唆している。

受精卵等ゲノム編集の法的規制の可能性
 しかし、これは結局、(1)(2)の問題がある程度、解決されるようになるうちには、一般社会の合意を形成し、生殖系列細胞へのゲノム編集の臨床利用にも道をあけることを匂わせたものではないか。そうだとすれば、日本の生命倫理専門調査会の立場と大差ないものと言わなくてはならないだろう。
 どちらにも言えることは、重大な人類の倫理課題であるにもかかわらず、当該領域の科学者が先導して方向づけがなされていることだ。先端科学推進のための地ならしという動機がすけて見えるものである。
 (3)(4)(5)(6)のような懸念を考慮するとき、どのような規制がなされるべきだろうか。日本国憲法第13条、第25条などが規制の根拠となるだろう。だが、1国で規制しても他国が進めてしまえば規制の意味はなくなる。先駆けして研究を進め、特許を取得し、経済的利益を得る企業や国家や科学者が得をすることになる。恥ずかしいことだが、これが現代世界の現実だ。
 そうだとすれば、規制は国際条約によって行う他はないことになる。国際条約によって、ヒト生殖系列細胞へのゲノム編集の臨床応用を原則禁止することである。だが、完全全面禁止は難しいだろう。そこで、ゲノム編集によってしか救うことができない病気への適用の可能性は、国際的に合意された倫理原則に基づき、国際協議を行って考慮する。科学が経済的・政治的利益に奉仕するものではなく、倫理を踏まえ、人間の尊厳を尊ぶものであるためには、こうした規制が必要な時代に入っている。
 そもそも国境を越えて、生命科学・医学を利用して自国の法制度では許容されない利益を得ようとする例は増えるばかりである。臓器移植、非配偶者間人工授精、代理出産、安楽死等々。これらすべてを規制することは、現段階では困難である。だが、次世代に引き継がれる遺伝子操作は特別である。「人類を変える」ことは踏みとどまらなくてはならない。
 とりあえずは、ヒトの生殖系列細胞遺伝子操作について国際規制を行う必要がある。それは、人類の未来にかかわる重大な事柄である。京都議定書にこぎつけた環境問題と同じように、私たちの後に、この地球で生きる将来の人間たちに対する責任を果たさなくてはならない。
 これはまた、グローバル化が進む現代世界での法秩序を考え直す契機ともなるだろう。国際社会では未だに法の及ばない地帯がある。国家の枠内でものごとが動いている間は、それでも何とかやっていけた。だが、国家の枠を超えて動く事柄がますます増えている。現代世界の科学と倫理と法の関係をこのような観点から考え直す必要があると思う。憲法学の新たな課題領域かもしれない。

参考文献
石井哲也『ゲノム編集を問う——作物からヒトまで』岩波書店、2017年
香川知晶「ヒト生殖系列細胞の遺伝子改変と「尊厳」概念」『思想』1114号、2017年2月
島薗進『いのちの始まりの生命倫理——受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか』春秋社、2006年。
同 『いのちを"つくって"もいいですか?−−生命科学のジレンマを考える哲学講義』NHK出版、2016年。
同 「医学・医療領域におけるゲノム編集の倫理問題——人をつくりかえる技術は許容できるか?」香川知晶他『〈いのち〉はいかに語りうるか?——生命科学・生命倫理における人文知の意義』公益財団法人日本学術協力財団、2018年。
同 「倫理が科学技術に追いつかない世界——いのちをつくる科学技術の制御」『世界』910号、2018年7月号。
須田桃子『合成生物学の衝撃』文藝春秋、2018年。
山中伸弥・島薗進・青野由利「特別対談 幹細胞研究の倫理的課題」、山中伸弥監修、京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門編『科学知と人文知の接点ーiPS細胞研究の倫理的課題を考える』弘文堂、2017年。
山本卓編『ゲノム編集入門』裳華房、2016年。

◆島薗 進(しまぞの すすむ)さんのプロフィール

上智大学大学院実践宗教学研究科研究科長・教授、同グリーフケア研究所所長、同モニュメンタニポニカ所長。東京大学名誉教授。1948年東京生まれ。1977年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。筑波大学哲学思想学系研究員、東京外国語大学助手・助教授を経て、東京大学文学部(大学院人文社会系研究科)宗教学宗教史学科教授。専攻は近代日本宗教史、比較宗教運動論。
著書:『国家神道と日本人』(岩波書店、2010年)、『日本人の死生観を読む』(朝日新聞出版、2012年)、『つくられた放射線「安全」論 科学が道を踏みはずすとき』(河出書房新社、2013年)、『日本仏教の社会倫理』(岩波書店、2013年)『倫理良書を読む 災後に生き方を見直す28冊』(弘文堂、2014年)、『いのちを"つくって"もいいですか? 生命科学のジレンマを考える哲学講義』(NHK出版 2016)、 『宗教を物語でほどく』(NHK出版 2016) 、『宗教ってなんだろう』(平凡社、2017年) など。





 
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