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今もなお続く遺棄化学兵器被害

2018年8月20日



北 宏一朗さん(化学兵器被害解決ネットワーク)


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 この稿でとりあげる遺棄化学兵器とは、旧日本軍(陸・海軍)が製造した毒ガス戦用の兵器と、毒ガスの原材料、中間薬をさします。

1 寒川町の事例
 2002年9月、神奈川県寒川町の国交省さがみ縦貫道建設現場で作業員11名が、びらん性毒ガス、イペリット(マスタード)、ルイサイト等の入ったビール瓶の破裂により被災。
 現場は海軍の極秘の毒ガス製造工場・相模海軍工廠跡地でした。毒ガス溶液の入ったビール瓶1000本以上は本土決戦用に作られた特攻兵器の一部でした。びらん性毒ガスの液体を浴び、同時に滞留していた毒ガスを長期にわたって吸い込んだ被災者は、皮膚のびらん、のどの痛み、視野狭窄、自律神経の損傷による慢性的下痢、さらにヒ素を含んでいるのでヒ素中毒の合併症、免疫力の低下、染色体異常を確認され長期にわたる闘病生活を強いられています。昨年2017年3月、重症だった1名が肺がんを発症し死亡。

2 茨城県神栖市の事例(汚染地下水飲用)
 2003年3月、茨城県神栖町で旧軍の毒ガス由来の有機ヒ素に汚染された地下水の飲用で周辺住民多数が有機ヒ素中毒の症状を訴えていました。井戸からは基準値の450倍の有機ヒ素が検出。検査の結果、旧軍の毒ガス嘔吐罪ジフェニルシアノアルシン酸が検出、有機ヒ素化合物はびらん性毒ガス、ルイサイトにも含まれるものです。
 有機ヒ素は、わずかな量でも長期摂取すると遺伝子に作用し、発癌リスクが高くなります。中枢神経障害、小脳失調、脳血流低下など、めまい、ふらつきなど全身症状としてあらわれ、健康被害は今も続いています。

3 千葉県銚子・銚子沖の被災事例
 1951年4月〜2002年3月まで負傷者129名、死者3名。
 敗戦後、米軍によって関東周辺に保管されていた旧軍の毒ガス兵器等を銚子沖に投棄。
 毒ガス弾や鉄製の容器が漁師の網にかかり、毒ガスのイペリット等を浴び被災する事例があとをたちません。2000年まで発見された毒ガスの処理は、無毒化処理ではなく、海洋投棄で、漁師等の2次、3次被害と海洋汚染をまねいています。尚、被害者の漁師に対する恒久的な医療や生活保障は、ほとんどないに等しい。漁師の被災事例は全国に及んでいます。

4 神奈川県平塚市の事例
 2003年3月、神奈川県平塚市の合同庁舎建設現場で作業員3名が青酸溶液の入った瓶の破裂により被災。現場は海軍毒ガス研究・製造の拠点であった海軍技術研究所科学研究部跡地。後に現場から400本以上の青酸入り瓶が回収された。これは本土決戦用に製造された特攻兵器の一部であり、現場には未回収の多数の毒ガス瓶が今も埋まったままです。(国交省は無害化処理の費用を使い切ったとし、建設中止現場をアスファルト舗装し、"くさいものにフタ"を決めこんだ訳です。
 2006年現場北方から毒ガス嘔吐剤の原料、フェニル亜砒酸が大量に発見、それによる地下水の汚染は今も続いています。汚染土2000tは三重県の産廃処理施設で処理の予定であったが、1600度の高温で処理するも含有ヒ素は無毒化できず、三重県から受け入れ拒否された。(ヒ素は元素であるから無毒化はできない。)
 環境省は拒否されてから数か月以内に"適切に無害化処理をした"と発表。どこで、どのように処理したのかは企業秘密として開示することを拒んでいる。情報開示請求すれば、ほとんど墨で黒く塗られた書類の束が示されるだけです。無害化処理の実態がこれです!

5 中国での被災事例
2003年8月、中国東北部、黒龍江省チチハルの住宅団地工場現場で5本のドラム缶が出てきました。現場は旧日本軍の飛行場弾薬庫の跡地。ドラム缶には日本軍のびらん性毒ガス、イペリットの液体が入っていましたが、住民は知る由もなく解体、その結果毒ガスを浴びた作業員、汚染土による被害も含め44名が被曝。うち1名が死亡。現在も皮膚、呼吸器疾患、中枢神経、自律神経の障害による高次脳機能障害、免疫力の低下など、更に癌のリスク不安におびえる毎日を過ごしています。この間3名の方が40代で癌を発症し亡くなっています。
 被害者は、日本政府に対し損害賠償の訴えを起こしましたが、"政府に責任なし"との最高裁判決で敗訴。司法は日本政府の不作為に免責を与えました。
 被害者に対する医療支援は私達"化学兵器被害解決ネットワーク"を中心に民間の手で細々と行われているのが現状です。

なぜこのようなことが起きているのでしょうか。
 アジア太平洋戦争に於いて日本の陸・海軍は国際法(ハーグ陸戦協定、ジュネーブ議定書等)に違反して毒ガス戦を行っていました。極秘に研究、製造、実戦配備、使用された毒ガス兵器、備蓄されていた原材料は、敗戦後どのように処理・処分されたのでしょうか?
 敗戦時、陸海軍とも、いち早く証拠隠滅に動きます。極秘文書の焼却から毒ガス兵器等は海、湖、川に、山中に掘った特殊地下壕、鉱山の坑道や古井戸等にも隠します。占領軍が進駐するまでの短い時間のことです。海外でも部隊駐屯地等で同様のことが行われていました。
 後に米軍(GHQ)に提出した陸、海軍の書類は、あくまでも防禦用として各地に残存する数量のつじつま合わせに他なりません。
 敗戦後、膨大な量の毒ガス兵器、原料の行方を突きとめ、回収する作業を日本政府は一切やってこなかった。それどころか戦犯になることを恐れて隠ぺいにつとめていた。米軍などの占領軍も一部を回収し、海洋投棄(瀬戸内海、土佐沖、豊後水道、銚子沖等)して幕を降ろしてしまいました。
 その結果、戦後の日本各地に於いて遺棄・隠匿された毒ガスにふれ、多くの死傷者が出ても、1972年になるまで政府は動こうとしませんでした。
 1972年、瀬戸内海にある大久野島(陸軍毒ガス製造雄工場・陸軍造兵廠忠海兵器製造所)周辺を含む全国各地で旧軍による遺棄毒ガス被害が多発。そこでやっと全国調査が行われました。1973年防衛庁の用紙に書かれた手書きの(案)があります。タイトルは「旧軍毒ガス弾頭全国調査結果報告(案)」となっています。これによると78件の被災事件、被災負傷者129名、死者4名となっていますが、極めて杜撰な調査でしたが、何故か調査結果が公表されることなく、倉庫に眠ったままでした
 2002年〜2003年にかけて前記の様に神奈川県寒川町、平塚市、茨城県神栖町に於いて毒ガス被害が続出したことにより、環境省が全国調査を行います。2003年11月28日に公表された「全国調査フォローアップ報告書」がこれです。報告によると1945年〜2003年までの毒ガス生産保有34か所、廃棄・遺棄44か所、被災発見823件、うち被災62件(死者11名、負傷者355名)不明多数となっています。
 日本国内に於ける遺棄毒ガス問題で政府調査は2回、公表されたのはこの「報告書」のみです。
 戦後60年以上たっての調査です。第1回の調査以降、倉庫に調査結果を眠らせたままの不作為、その間も多くの被災事件が起き、被害者は後を絶ちませんでした。被害者の救済も行わず、被害の予防もとらず、更に現出した毒ガス兵器(爆弾、砲弾、原材料)を海中投棄して処理した姿勢に環境庁(環境省)をはじめとする政府の悪意ある無策を示しています。環境破壊に手をかしている「毒ガス処理」は今も変わりません。海洋投棄は2000年以降はしていないが、産廃処理としてヒ素を含む土壌を焼却処分しています。残留ヒ素は空中拡散か、他の廃棄物に混ぜセメント材料にというわけです。
 毒ガス被害者に対する施策はどうか。毒ガス被害者の追跡調査はなされず、治療を受けなかった人や、後遺症などは考慮に入っていません。毒ガスの種類や、それ等を浴びたり、汚染された地下水を飲用したりと態様は別々であり、幼児から成人まで男女個体差もあり、長期にわたる治療が必要となります。治療法が見つからず、現在は対処療法のみであり、治療法も研究しなければならないのに、無責任にも放り出したままです。
 中国をはじめ東南アジア全域ではどうでしょうか。日本軍が侵略したアジア太平洋全域にわたって毒ガス兵器は配備されました。これらの地域で日本政府は遺棄毒ガスの調査活動をほとんどしていません。中国では戦後多くの遺棄毒ガスによる被災、多数の死傷者も出ているのに責任をもって被害に向き合うことはありませんでした。1997年化学兵器禁止条約発効後、1999年、日中覚書協定が結ばれ、ようやく遺棄毒ガスの処理が始まりました。(推定200万発)。処理事業は毒ガス弾等の処理だけで、被害者に対する医療、生活支援は行われていません。
 戦後73年、未だ戦時の負の遺産は放置され、政府は正面から被害者に向き合おうとはしていません。人間の尊厳、生存権に対する重大な侵害は今も続いています
 私達、化学兵器被害解決ネットワークは、戦時、日本の加害に向き合い、遺棄化学兵器による被害者の救済、医療支援を行っております。国に対しては、被害者の医療、生活の補償を、毒ガス製造企業に対し、賠償を求める活動を続けています。

化学兵器被害解決ネットワーク

◆北 宏一朗(きた こういちろう)さんのプロフィール

1941年広島市中島本町(爆心地)に生まれ、入市被爆者として戦後のヒロシマを生きる。
在野の研究者として、日本軍の毒ガス戦を研究。
化学兵器被害解決ネットワーク、歴史を学ぶ市民の会・神奈川 代表。





 
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