法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
憲法をめぐる動向
イベント情報
憲法関連裁判情報
シネマ・DE・憲法
憲法関連書籍・論文
今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

今週の一言

 

保育と憲法

2017年10月2日



平松知子さん(熱田福祉会けやきの木保育園 園長)

保育実践は憲法実践だった
 遠い昔、中学校の公民の時間、「日本国憲法前文の暗唱」なる課題が出ました。女子高の教室は黄色い悲鳴に包まれ、われらはブツブツと文句を言いながらも、一人ひとりが暗唱の試験をクリアしたのでした。不思議なことに、一度覚えた前文はあやふやな箇所はあれど、5月3日には「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために…」と言えてしまう自分を誇らしく思ったりしていました。条文と違って、抒情的な前文は年頃の女学生にとっても、心にしみたからかもしれません。
 それから長い年月が経ち保育者になった私は、忙しい日常に憲法を意識することなどなく、子どもたちの発達保障に責任を持ち、職場の仲間や保護者たちと、「戦争はイヤだ、子どもたちに平和を!」と叫ぶときには「憲法=9条」くらいの認識で、日本国憲法を感じていただけでした。

 そんな私がいつものように保育情勢を語り、待機児童解消のために、すし詰め状態の保育現場の現状を訴えていると、知り合いの川口創弁護士が私にこう言ったのです。「それって、子どもの人権問題ですよね」と。大人の都合優先の保育行政に対し、保育の危機を感じていたものの、それが「子どもの人権」として捉えられたことを、私には新鮮に感じられました。常日頃から、「子どもがどうしたいのか」を一番大切にして保育をしている私たちですが、「ほら、先生たちって0歳の赤ちゃんから、その子の意思や気持ちを探るのが当たり前なのでしょう。それって、個人の尊厳を守る憲法実践を既にやっているっていうことじゃないですか」とも言われ、さらに衝撃を覚えたのでした。
 かねてから、保育の力はすごいと実践を通して感じていた私ですが、「一人ひとりを大切にする保育」として普通にやっていた保育が、あの日本国憲法に依拠した「個人の尊厳を守っている」ことであると意味付けられた気がして、体が震えるのを感じました。

保育は福祉 権利を守る営み
 あふれる待機児童を解消しようと、歴代の政権は「待機児童ゼロ作戦」「待機児童解消加速度プラン」なるものを掲げてはいるものの、「最小のコストで最大の効果」を願うそれらの政策では解消されず、目標達成は先送りの状況になっています。同時にそれらの施策からは、規制緩和や企業参入ばかりが広がりを見せ、保育制度だけでなく「保育の営み」そのものが変質させられようとしている危機感があります。たとえば、園庭のない保育園の増加、線路の高架下に増え続ける保育園、複数の公立幼稚園や保育園を統廃合して、1か所に600人もの園児を詰め込む計画などなど、規制緩和で子どもの育ちが阻まれている現状は、確かにそこで暮らす子どもたちの尊厳が守られているとは言えません。
 
なぜ、このようなことが起こってきているのか?
 我が国が戦後からずっと守ってきた保育は、「公的保育制度」でした。保育に欠ける子どもは、自治体の実施責任においてその発達を保障されなければならないという、児童福祉法24条によって位置づけられた制度です。それは福祉であり、子どもの「自分らしく育つ発達権」と保護者が「子どもを生んでも働き続けられる労働権」を守る権利保障行政です。
 しかし、現代の「家族総出で働かなければ人並みの生活を手にすることが困難になった時代背景」とともに、待機児童は増え続け、公立保育所を一般財源化により設置しにくくされた自治体では、機動力のある企業に運営を委託するようになりました。働きたい親と保育の受け皿を増やしたい自治体という、大人の都合によって、規制緩和が受け入れられ、子どもの権利は二の次になっている現状があります。

 そんな今だからこそ、この「保育実践は憲法実践だ」という気づきは、私たち保育者を大きく励まし続けています。子どもが「あぁ、楽しかった」と一日を終えるために、子どもだけでなく、その保護者の生活背景まで思いをはせて密接にかかわる保育者たちの処遇は、決して豊かだとは言えません。子どもと保護者の権利だけでなく、そこで働く保育者たちの「自分らしく働く権利」も守るべきものであります。自分たちや子育て中の保護者のしんどさが、どこからきているものなのか。視野を広く持って見回せば、それらが経済効率優先で社会保障や公共行政が縮小されてきている社会にその根源があることが見えてきます。
 自分らしく生きることが困難な現代社会にあって、「待機児童が多いのだものね」「財政が行き詰っているから仕方がないのだよね」と、諦め、うなだれていた保育関係者に、「いや、保育は民主主義を担う未来の主権者を育てる大切な営みなのだから、国や社会にもっと声を上げようよ」と頭を上げさせる勇気を与えてくれるものでした。
 私たちには、どの親やどの地域に生まれた子にも、等しく健康で文化的な「福祉としての保育」を保障するという守るべき保育の質があります。「保育と憲法」のつながりは、その根本であるわけです。

近くに感じてほしい「個人の尊厳」
 思いがけず、自分の「保育」という軸に日本国憲法が寄ってきたという感覚がある私ですが、法律家の川口さんと話す中で、憲法の奥深さやさまざまな解釈があることも知りました。私のような社会的な運動をしている人間でも、憲法の代表選手は「平和」なのだと思い込んでいる人は多いと思います。それはある面からみると正しく、戦争放棄は世界に誇れる優れたものだと思います。しかし、戦争放棄も、男女平等も、職業選択の自由も、憲法がなぜそれを謳っているのかと問えば、まさに個人の尊厳を守ることに依拠しているからだと知ったとき、日本国憲法のもっとも大切なことは13条なのかもしれないと気づきました。
 赤ちゃんでもどうしたいのかを探り、子どもにはどのような姿や行動であっても「必ず理由がある」と、その子さえも気づかぬ本当の気持ちに寄り添い理解する保育実践は、まさに「個人の尊厳ってこれなのだ!」と声を上げる驚きでした。

 しかし、同時にこのことは保育に限っていることではないことも、次第に見えてきたのです。専業主婦の妻が自分の余暇を楽しみたいときに、「夫に聞かないと決められない」ことはどうなのか?LGBTの人たちが、自分らしく生きようと決意したときに、仲間が他のジェンダーレスの人を指さし「キモイな」と言った瞬間に、言えなくなった経験はどういうことなのか?混雑する公共交通機関で、「早くしろって言っているだろっ!」と教条的な父親に公衆の面前で罵倒された少年はどんな気持ちなのか?私たちの周りには、「それってその人の尊厳が守られている状況にあるのだろうか?」と胸が締め付けられる事象であふれています。
 「使える奴なのか使えない奴なのか」と人を簡単に選別する今の時代。生産性のない人間は生きている価値がないと切り捨てられる事件。自分の夢をつかみたいと願う15歳が、家庭の状況で選択肢を阻まれる現代。こんな時代にため息をつき、諦めている人を一人でも少なくしたいと、私たちは保育をしています。人生の最初の6年間で、自分の成長を楽しみにしている大人がこんなにいることを実感し、誰かより優れていなくてもありのままの自分をまんざらでもないと感じ、一人よりも仲間で過ごしたほうがずっと楽しいことを知って、小学校に送り出したい。自分に気持ちがあるのと同じように、相手にも事情や気持ちがあることに想いをはせ、違いのある他者とともに生きる折り合いの付け方を、6歳の子どもたちはもう身に着けていきます。それはまさに「民主主義を育む力」です。私は保育の現場で、この子どもたちやそれにかかわる保護者や保育者の尊厳を守っていこう。そうすることで、民主的な社会をつくる営みの一翼を担っていこうとあらためて感じています。
 50歳を超えた今、保育者として、人として、憲法を身近に感じ自分の軸足がさらに強くなったことは、本当にありがたいことだと思います。私が、憲法を感じて新しいやるべきことが見えてきたように、誰のそばにも憲法が息づいていることを、多くの人に知ってもらい、保育が社会をつくる憲法実践であることを多くの人に知ってもらえたら、こんなにうれしいことはありません。

◆平松知子(ひらまつ ともこ)さんのプロフィール

名古屋市にある社会福祉法人熱田福祉会けやきの木保育園園長。
貧困が子どもの育ちを阻んでいる現状を、保育の現場から発信。保育所や社会的資源が子どもの全面発達に欠くことのできない役割があることを伝えている。著書に「発達する保育園 子ども編・大人編」(ひとなる書房)「現場の視点で新指針・要領を考える」(ひとなる書房)、「貧困と保育」(かもがわ出版)、「保育と憲法」(大月書店)他。全国保育団体連絡協議会副会長。現在名古屋大学大学院教育科学博士課程在学中。


 



 
[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]