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大学非常勤講師問題と憲法

2017年8月28日



松村 比奈子さん(首都圏大学非常勤講師組合委員長・憲法学者)

1.非常勤講師の何が問題か
 2013年3月末、早稲田大学が非常勤講師の就業規則を新たに制定し、契約更新上限を5年、最大担当授業数を週4コマまでとすることを所属非常勤講師らに通知した。そこで私は早稲田大学名誉教授・佐藤昭夫氏とともに労働基準法90条※1違反として東京地方検察庁に刑事告発し、NHKの報道によって全国的な話題となった。この事件は、2015年11月18日に労働委員会で早稲田大学と首都圏大学非常勤講師組合が和解協定を結び、一応の終結となった。
 このいわゆる早稲田問題が、大学の非常勤講師たちに与えた影響は大きい。多くの非常勤講師たちが意識することを避けてきた現実に、もはや正面から取り組まざるを得ないと気づかされたからである。その現実とは、いうまでもなく不平等である。労働組合の目的は、一般に労働条件や経済的地位の向上にあるが、非常勤講師組合の場合はそれ以前に、同じ教育研究業務を行う他の労働者(専任教員)との不平等の克服が重要な課題となる。また早稲田問題を通じて明らかになったことは、例えば「外人講師」(大学表記のまま)のみの給与待遇を設けるなど、同じ非常勤講師の間にも不平等が存在するという事実であった。非常勤講師問題とは、結局のところ不平等という視点から明確になる、様々な労働環境の実態を指す。ここでいう不平等とは、身分や性、出身地(国籍)による差別、また雇用の継続に関する恣意的な権力行使を意味する。

2.民主主義と非常勤講師問題
 西欧近代市民社会が革命によって目指した理想とは、平等の実現であった。中世社会の階級社会と絶対王権、そして伝統主義を否定することで技術革新と産業革命は始まり、資本主義が発達し、民主主義を生み出した。中世における階級社会とは結局のところ、生まれによる人間の差別である。その本質は、本人の意欲や努力の及ばないところで選別され固定化される社会といえよう。階級社会を克服して民主主義は成立したが、その意義は恣意的な権力行使の否定である。法の支配の原理は、元々は中世貴族の特権を維持するための手段であったが、近代からは、権力が特定の人々にのみ恣意的に行使されるのを防ぐための方策として発達した。そしてジョン・ロックの社会契約の理論において、社会的行為の正当性は、同意に基づくことが原則とされた。平等と同意による社会、これが民主主義の基本原理である。
 非常勤講師の処遇に関していえば、本人の意欲や努力とは無関係な賃金格差や評価がある。またある日突然理由を告げずに雇い止めを言い渡される。就業規則は明示されず、そもそも存在しない大学も多い。契約内容があいまいなまま問答無用に業務を指示される。そこには平等も同意もない。
 また非常勤講師問題は、女性差別と深い関連がある。女性差別は、障がい者や外国人といった少数者排除とは異なり、数においては少なくないにも関わらず意図的に異なる対応をするところに特徴がある。日本においては男が外で働き、女が内で働くという家庭内分業のイメージがある。内で働くという言葉の意味は屋内ではなく、一般的な基準によっては評価されない、あるいは評価基準のない労働、いわゆるアンペイド・ワーク担当をさす。その役割分業イメージの延長線上に、研究労働者の問題もある。平成27年度の文科省「学校基本調査」によれば、大学全体で非常勤講師の比率は51.8%であり、私立のみに限れば57.5%で、いずれも教員の過半数は非常勤講師である。過半数を占め、大学で学生に対する同じ講義時間と責任を持ちながら、多人数講義手当や試験時のTA(ティーチング・アシスタント)制度※2からの排除など、非常勤講師への差別待遇があることは、非常勤講師の立場がアンペイド・ワークを担う女性と重なる。実際、首都圏大学非常勤講師組合が過去に実施したアンケートのいずれにおいても、回答した女性の非常勤講師総数は過半数を軽く超える。

3.非常勤講師問題の2つの特徴
 非常勤講師は1年契約の非正規教員であるが、他の業種にはない特徴がある。そもそも非常勤講師の労働契約には、業務をするという契約事項はあるが、業務の内容についての具体的な記載がない。せいぜい、担当講義の名称と契約期間・賃金くらいである。
 つまり第1の問題は、労働内容の不明確さである。非常勤講師が担うのは、自らの専門研究に基づく教育という抽象的な業務である。大学によっては講義とそれに付随する業務と定義するが、担当講義の種類や学生数によってその内容は異なる。例えば年間授業計画表(シラバス)の作成と学生の成績評価は必須であるが、それに付随する試験監督・試験/レポート/小テスト問題の作成・採点・点検・学生評価への対応/報告書の作成・学生相談は担当講義の性質や内容、学生数により多様である。また近年では学生の出席状況まで管理・報告する義務が課せられている大学も多い。付随する業務は講師の裁量に任されている部分もあるが、その業務を労働として管理する大学は皆無である。
 第2に、労働時間の不明確さである。一般に非常勤講師の賃金は、一講座当たり90分の講義(実際には120分労働として計算)を半期で15回行うことを前提に、全体で15万円が標準である。つまり月給2万5千円であるが、これを時給5000円の業務ととらえることはできない。講義に必要な資料の作成はもちろんのこと、試験監督・試験/レポート/小テスト問題の作成・採点・点検・年間授業計画表の作成・学生評価への対応/報告書の作成・学生相談・出席の管理や報告作成に要する時間は賃金に含まれない。これらを一切行わない非常勤講師も専任教員も存在しないが、どれだけやっても賃金対象外である。  
 講義外業務の方が労働時間としては長い場合もある。例えば私の担当する社会科学系の講座では、一講座当たりの学生数が400人を超えることがあり、その際の試験作成・採点・成績評価に要する時間は、15回分の全講義時間である22.5時間を軽く超えるが、それに対する手当はない。講義に付随する業務への対価がないため、それをどのくらいやるかは担当者の体力と意欲とモラルのみに任されている。
 国会で国立大学の非常勤講師問題が取り上げられた際には、非常勤講師はパート労働であるからパートタイム労働法が適用されるとの文科省担当者の答弁があった。しかしパート労働におけるパートとは、パートタイムすなわち労働時間の長さが定義の対象である。しかし大学における担当講義の業務において、非常勤であるために専任教員よりも短時間ですむ作業は存在しない。専任教員と非常勤講師の労働時間の違いは、教育労働ではなく、学内行政など他の業務の有無による。それにも関わらず、教育労働に関して専任教員と同等の基準で賃金計算がされることはない。

4.憲法と非常勤講師問題
 労働組合として非常勤講師問題に関わる時、私は日本の民主主義が実に空虚であることを日々実感する。憲法とは社会契約論における、国家と国民との基本契約であるが、契約を守ることが前提になければ、社会契約論は意味を為さない。しかしこの国では、「事情変更の原則」と称するものを悪用し、しばしば契約の破棄を繰り返してきた。自社さ連立政権(村山富市首相)時代の、自衛隊・消費税反対公約の成果を思い起こしてほしい。あれは100年も前の話ではない。現政権に至っては、言うべき言葉もない。政治家の公約一つとっても、この国では約束という意味合いはなく、利己的なスローガンでしかない。「契約の絶対」という原理原則がなければ、国民主権も信託統治も機能しない。そして今では憲法に書かれている人権条項のほぼ全てが、実質的に否定されていると私は思う。人権は憲法の生命線であるが、その本質は「特権の否定」である。一部の人だけが持つ特権を、全ての人々にシェアする運動が民主主義だからである。自分のお友達に便宜を図る首相を持ち、その首相を辞任させることができない日本は、韓国よりもさらに後退した「自称」民主主義社会ではなかろうか。
 これは残念ながら教育の現場であり、「知の創造」の場である大学においても変わらない。まず労働契約なるものが明らかでないために、何をもって契約違反とするかが不明である。故に恣意的に雇い止めを言い渡す大学は多い。労働契約法の改正以降に突然契約の更新上限をつけ、それを遡って適用するなど、契約を交わしてそれを守るという精神のかけらもない大学が多々見られる。
 もちろん民主主義の理想は平等ではあるが、労働契約に関しては、元々弱い立場に立つのが労働者である。だからこそ、憲法は労働者に特権を認めている。それが労働組合の権利である。しかしその人権を、大学は非常勤講師に対してのみ、いろいろな形で妨害する。組合のチラシを配布させない等はよくあることで、組合員を雇い止めしようとする大学もある。専任教員の労働組合との団体交渉に理事が出席しても、非常勤講師の組合には出席しない。また労働組合を特殊な思想団体だと吹聴する人々は、大学内外に多い。労働組合は憲法21条※3ではなく、28条※4で保障される権利であるから、特定の政治思想・運動団体であってはならないことが労働組合法第2条※5で定められている。そういう原理を無視して非常勤講師の組合員をキワモノ扱いし、人権を否定することが「知の創造」の場で平然と行われているのである。

5.非常勤講師問題の解決に向けて
 非常勤講師問題を解決するための具体的な処方箋は、別の原稿で指摘しているのでここでは省略するが、憲法という視点からこの問題を見た場合、やはり日本全体を覆う階級意識、特権構造を追求しない限り、進展は見込めないように思う。例えば、ほとんどの日本人が何の疑問も感じないような企業の新卒採用制度は、民主主義の原理から考えれば、特定の立場(=能力ではない)の人々のみを優遇する特権制度である。実際、主要な先進国で新卒だけが優遇される就職慣行を聞いたことがない。これを異常と思えない日本では、人権の意識を高めることは難しい。
 民主主義とは平等と同意の社会であり、特定の人々を身分によって差別しない社会である。だから人権は新しい権利を人々に与えるものではなく、元々一部の人々が持っていた特権の対象者を拡大するものとして考えなければならない。大学の全ての正規教職員は、今自分の特権を意識し、目の前にいる非常勤講師を同じ教育労働の仲間とみなすことができるだろうか。それを考え、克服することが民主主義への道であり、非常勤講師問題解決の糸口になると私は考える。そして私たちの日常生活での身近な努力、すなわち常に相手に対して具体的に契約を交わし、それを絶対に守るという民主主義の精神が培われて初めて、憲法は憲法として機能し、個人は尊重されるのではなかろうか。

※1 労働基準法90条
①使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。
②使用者は、前条の規定により届出をなすについて、前項の意見を記した書面を添付しなければならない。

※2 優秀な大学院学生に対し、教育的配慮の下に、学部学生等に対するチュータリング(助言)や実験、演習等の教育補助業務を行わせ、大学教育の充実と大学院学生のトレーニングの機会提供を図るとともに、これに対する手当ての支給により、大学院学生の処遇の改善の一助とすることを目的とした制度。(文部科学省HPより)

※3 憲法21条
①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

※4 憲法28条
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

※5 労働組合法第2条
この法律で「労働組合」とは、労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。但し、左の各号の一に該当するものは、この限りでない。
(一〜三略)
四 主として政治運動又は社会運動を目的とするもの

◆松村 比奈子(まつむら ひなこ)さんのプロフィール

駒澤大学公法学研究博士後期課程修了、博士(法学)。専門は憲法学で、『政教分離原則における適用基準に関する研究』により国家と宗教の関係を論考。他に『性同一性障害の戸籍の性別変更』など人権分野が主要な研究。現在は複数の大学の非常勤講師で、首都圏大学非常勤講師組合の委員長。











 



 
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