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ヘイト・スピーチ規制の現状と課題──ヘイト・スピーチをなくすために 

2017年7月24日



榎 透さん(専修大学法学部教授)

現在の問題状況
 在日コリアンに対するヘイト・スピーチは、近年、日本における大きな社会問題の1つです。東京・新大久保におけるヘイト・デモや、京都朝鮮学校に対する侮蔑的発言を伴う示威活動などは、多くの人が知っています。この世の中で生活するさまざまな人びとが、お互いの個性を尊重し合いながら仲良く暮らす社会を目指す者からすれば、ヘイト・スピーチの存在はいたたまれません。ヘイト・スピーチが世の中からなくなることは、多くの人の望みと言えるでしょう。しかし、どのようにそれをなくしていくのか、という点について言えば、意見の違いがあります。では、この問題をどのように考えるべきでしょうか。

ヘイト・スピーチ対策法の制定と施行
 2016年には、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)が公布・施行されました。これが、しばしばヘイト・スピーチ対策法と言われる法律です。この法律は、「ヘイト・スピーチ」という言葉を用いずに、「本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの」に対する差別的言動にその対象を限定し(2条)、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策について、国に当該施策の実施する責務を課し、また、地方公共団体には当該施策を実施する努力義務を課しています(4条)。さらに、同法は基本的施策として、相談体制の整備(5条)、教育の充実等(6条)、啓発活動等(7条)を掲げています。それを受けて、行政は啓発や教育活動を進め、相談体制を整えています。また、地方公共団体はこの法律の趣旨を踏まえて、新たな条例の制定や、既存の条例の運用によって、対策を講じているところもあります。
 この法律をどのように評価すべきでしょうか。これまでヘイト・スピーチ対策に特化した法律がなかったことから、この法律をヘイト・スピーチ対策の「第一歩」であると肯定的に評価する人がいるでしょう。しかし、本邦外出身者に法律の対象を限定したことや、ヘイト・スピーチの行為者に対する罰則がないことには、法的規制に積極的な立場からも異論があると思われます。また、同法が教育や啓発という権力的でない方法で対策を定めたことについては、肯定的な評価が示されるかもしれませんが、そもそも国家が教育や啓発を行うことができるのか、できるとすれば、どのような内容の教育や啓発であるのか、という疑問を持つ人も少なくないはずです。

法的規制の是非
 ヘイト・スピーチ対策として、教育や啓発、相談だけでは不十分だと考える人も多いでしょう。しかし、現行の民法や刑法で対応できるものがあります。個人や特定の集団・団体に対するヘイト・スピーチ等については、刑法の名誉毀損罪、器物損壊罪や、民法の不法行為などによって対処可能な事案も多くあります。例えば、在日特権を許さない市民の会(在特会)が京都朝鮮学校に対して行った侮蔑的発言を伴う示威活動について1200万円もの賠償支払いを命じた判決(大阪高判平成26・7・8)は、司法が現行法を最大限に活用している事例です。もっとも、不特定多数の集団を傷つける言動は現行法で犯罪とされていないことから、さらなる法的規制を主張する声は大きいことも事実です。国際条約やヨーロッパ諸国の国内法では、しばしば行為者に対して刑事罰を科することにより、ヘイト・スピーチに厳しく対処しています。
 しかし、刑事罰を科する規制は劇薬です。刑事罰を科するような法的規制には慎重であるべきです。というのも、ヘイト・スピーチも憲法上の表現の自由で保障される言論ですので、まずは対抗言論によってヘイト・スピーチをなくすことを目指すべきだからです。
 表現の自由は、自分が自分らしくあるために、また、民主主義のために、真理の発見ために、なくてはならない重要な権利です。表現行為が自由にできない社会では、個人の自己実現や、民主政治、真理への到達が上手くいきません。
 ですから、「言論として意味がないから」「傷つく人がいるから」「危ない言論だから」「そのようなものは、そもそも言論ではない」などという理由で、安易に表現の自由を制限することは許されません。
 問題となっている「ヘイト・スピーチ」は、どのような文脈で行われたのか、また、どのような役割を担う表現かを判断しなければなりません。例えば、「○○は劣っている!」といった人種的ヘイト・スピーチが社会に現れることは、そうした発言がどのような偏見に基づいているかを考察し、そうした発言の根底にある問題を解決するためには何がなされるべきかを検討する契機になります。
 そうであるならば、「○○は劣っている!」という発言は一定の社会的意味を持っているはずです。そして、こうした発言を法的規制によって封じ込めることは、各人にこうした検討を行う機会を失わせてしまい、真理への到達や政策決定への参加といった価値に対してマイナスに作用する可能性があります。
 ですから、表現の自由を重要な権利と考えるのであれば、当該権利を規制する法律の憲法適合性については、権利の重要性に見合う説明がなされるべきです。そして、どのようなヘイト・スピーチにどのような規制を加えるか、また、その規制を加えなければヘイトスピーチは解消しないのかなど、仮に規制を導入するのであれば、その前に立法事実に基づく丹念な検証が必要でしょう。

ヘイト・スピーチをなくすには
 そもそも、法律による規制を行えば、ヘイト・スピーチはなくなるのでしょうか。
 もちろん、その行為者に刑事罰が科されるのであれば、一定の抑止効果は見込めるでしょう。しかし、確信犯は次々に「犯行」に及ぶでしょうし、そうでなくとも、規制を行うことによってヘイト・スピーチの存在は地下に潜るのではないでしょうか。この問題で重要なことは、ヘイト・スピーチをなくすこと、そして、その背後にある被害者に対する差別意識や差別感情をなくすことであるはずです。
 しかし、ヘイト・スピーチに対する法的規制をしたからといって、憲法上の人権を制約する危険を伴うわりには、ヘイト・スピーチの解消、そして差別意識や差別感情の解消には至らないでしょう。
 ですから、国家が行うべきは、新たな法的規制を行うことよりも、ヘイト・スピーチを生じさせている差別意識や社会の分断状況を踏まえ、それらをなくすための適切な施策を講じることです。もちろん、心ある市民が対抗言論により、ヘイト・スピーチを批判し続けていくことも重要です。私たちは、ヘイト・スピーチをなくすために、新たな法的規制の導入を叫ぶ前に、他の手段があることを知るべきでしょう。

◆榎 透(えのき とおる)さんのプロフィール

専修大学法学部教授。専門は憲法学。著書は、『憲法の現代的意義──アメリカのステイト・アクション法理を手掛かりに──』(比較社会文化叢書)(花書院、2008年)。ヘイト・スピーチに関する論文に、「ヘイト・スピーチ規制考 ──米国の議論を通じて考える、公私区分、国家権力、そして、思想の自由市場──」専修法学論集129号(2017年)、「ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライム規制」法律時報2017年8月号など。





 



 
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