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戦争の過酷さ伝えたい 小説「海鳴りの詩 〜愛と哀しみの日々に生きて〜」を上梓

2017年5月15日



村城 正さん(社会福祉法人協同福祉会 理事長)

 1945年に終結した太平洋戦争において、300万人もの日本人が尊い命を亡くし、アジア全体では2000万人もの人々がその犠牲となりました。
 この物語は、東京大空襲によって家族全員を亡くし、戦争中におきた事故によって両足切断という瀕死の重傷を負った婚約者を支え、戦後の困難な時代を生き抜いてきた一人の女性と三人の男性の生き様について書いたものです。
 戦争とは何か。そこで一体何が起きていたのか。
 私は、戦争によって翻弄され、過酷な人生を生き抜いてきたこの人たちの願いや想いを、多くの人たちに知っていただきたく、この本を書き上げました。

 2001年、生協の総務部に勤務していた私のもとに、旧知の友人から一通の手紙が届いた。その手紙には、亡くなった戦友「島津」氏の墓参りがしたいというA氏(依頼者:札幌在住)のことが書かれており、彼の住んでいた場所を探してほしいという内容だった。
 しかし、その戦友は生前に奈良県に住んでいたことしか分からず、随分昔のことなので「島津」という苗字しか思い出せないことや「美鈴さん」という女性と一緒に住んでいたことなどが書かれていた。
 島津氏は、生前にA氏の居場所を10年間程探し続け、見つけてから、A氏と電話では何度か話をしていたが、最後まで一度も会わずに(連絡先も教えないで)亡くなってしまっていた。
 私は最初、何故、戦後50年以上も経ってから昔の友人を探しているのだろうかという疑問を持ったが、手紙を読み進むうちにその内容に驚いた。

 A氏と島津氏、そしてもう一人の友人B氏の三人は、学生時代からの友人であり、それぞれの大学から選抜されてレーザーの研究に取り組んでいた。しかし、半年たっても期待された成果が得られず、途中で研究を断念して、志願して海軍に入ることにした。入隊後、三人は別々の道を歩んでいたが、空母「信濃」の乗組員となって偶然の再会を果たした。
 世界最大の戦艦である「大和」や「武蔵」についてはご存知の方が多いが、世界最大の航空母艦である「信濃」のことを知る人は少ない。何故なら、三人が乗り込むことになった空母「信濃」は、極秘の中で建造され、沈没後も長く国民に知らされることがなかったからである。
 この空母は、当初大和型の第3号艦として計画されていたが、当時の事情から急きょ航空母艦として改造され、1944年10月に完成した。しかし不運なことに、出港後アメリカの潜水艦に攻撃され、1435人の兵員たちと共に、竣工からわずか10日間で潮岬沖の海底深くに沈んでしまったのである(総員2515名のうち生存者は1080名)。
 三人が再会を果たし、この空母「信濃」に乗り合わせて、それぞれの任務についていた時、思わぬことが起こった。甲板士官として任務についていたA氏が、敵艦からの魚雷攻撃を受け「総員退去」の命令によって、重いハッチのふたを閉めるために手を離したその時である。火傷で顔中を包帯でぐるぐる巻きにした一人の男が艦内から飛び出してきた。その男は、A氏の閉めたハッチのふたに足を挟まれて、両足がつぶれてしまった。A氏は、それが誰であるかよく分からなかった。近くにいたB氏は、彼を救うためにボートに乗せて、駆逐艦まで付き添って泳いでいたが、途中で力尽きて海に沈んでしまった。
 A氏は、別の駆逐艦に救助され、他の訓練地で敗戦を迎えたため、その後の戦友の生存については分からないまま、長い年月が過ぎていった。
 そして、戦後50年余り経ったある日、A氏のもとに島津氏から突然の電話がかかってきた(A氏は、戦後養子に入っていたため、苗字も違っていた)。その声を聴いて、A氏が腰を抜かすほど驚いたのも無理はない。彼は、その男はすでに亡くなっているものとばかり思っていたからである。それから、A氏は再び昔の悪夢に悩まされることになった。
 それでも、二人は何度か電話で話す中で、「一度会おう」といつも電話口で約束をするのだが、いつまでたっても島津氏は自分の住所を教えようとはしなかった。そして、とうとう最後まで居場所を知らせることなく逝ってしまった。

 私は、知人からの依頼を受けて、「島津」という名前だけを頼りに、電話帳と住宅地図で奈良県内を訪ね歩いた。そして、北海道にも赴いてA氏とも会った。その時に島津氏を支えた美鈴さんからの手紙(もちろん住所は書かれていない)も見せてもらった。
 そこには、両足を失くし荒れる島津氏を支えながら、冷ややかな世間の目線に耐え、幾度となく死を選ぶことを考えながらも生きてきた美鈴さんの壮絶な人生が端々に見て取れた。 
 A氏や島津氏、そして美鈴さんにとって、亡くなるまで戦争は終わっていなかった。戦争で大切な家族や友人を失った人たちの悲しみや心の傷は、何年たっても癒されることがない。「こんな体験は、もうさせないでほしい」「戦争はしてはならない」美鈴さんは、最後まで平和を望んで亡くなっていった。

 憲法「改正」が現実味を増し、再び戦争のする国へと進みだしつつある中で、少しでもこの本が、みんなで戦争というものをもう一度見つめなおし、考えるきっかけになれば・・と思っており、そのことを願ってやみません。
是非一度、お読みいただきたいと思っています。

海鳴りの詩 〜愛と哀しみの日々に生きて〜

◆村城 正(むらき ただし)さんのプロフィール

1950年、京都府生まれ。宇都宮大学卒。
社会福祉施設(奈良県)に勤務。
地域福祉の向上をめざすオピニオンリーダーとして活躍。
小説を書くために57歳で大阪文学学校の門をたたく。
仕事のあと、通信制、夜間部に通いながら小説を書き始める。
栃木県民生協常務理事、生協連合会北関東協同センター専務理事、株式会社CWS代表取締役、市民生協ならコープ常任理事などを歴任。現在、社会福祉法人協同福祉会理事長。
ちっちゃいもん倶楽部代表、坂本冬美FC会員、日本民主主義文学会準会員。

■著書
『協同センターの現状と到達点』(東銀座印刷出版)
『どうする!高齢社会日本』(光陽出版社)





 



 
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