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憲法改正について改めて考える 〜 日本国憲法施行70周年を迎えて

2017年5月1日



藤井正希さん(群馬大学准教授)

 今年の5月3日の憲法誕生日(私はこのように呼んでいます)で日本国憲法は施行70周年を迎えますが、今ほど憲法が危機にさらされている時はかつてありませんでした。国会では衆参両院とも憲法改正に前向きな勢力が3分の2を占め、何よりも支持率が50パーセントを優に超える内閣の長である安倍晋三総理は、盛んに憲法改正を主張しています。国民、とりわけ若者や大学生の中にも、憲法改正を支持する声が以前では考えられないほど強くなっています。それでは、今、本当に憲法を改正するべきなのでしょうか。日本国憲法施行70周年を迎える2017年の春に、もう一度そのことを考えてみたいと思います。
 憲法改正を支持する人びとはその理由として例えばつぎのような点をあげています。「世界の国ぐには、時代の要請に即した形で憲法を改正しています。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、イタリアは15回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行なっています。しかし、日本は戦後一度として改正していません」。そう言われると、我われは「憲法が70年近く改正されていないのはおかしい」とか、「憲法は時代に対応していないのでは」と思ってしまいがちです。
 しかし、フランス人権宣言にもある通り、憲法は人権の保障と統治の機構を定めるものであり、その眼目は、専断的な権力を制限して、国民の権利・自由を保障することを目的に、憲法にもとづいて政治を行わせることにあります(これを近代立憲主義と言います)。すなわち、憲法は、国民の権利・自由を保障するために、政治権力を縛るためのものなのです。この近代立憲主義が、政治権力と血を流して闘いながら100年以上の時間をかけて市民が勝ち取った人類普遍の共通原理であることは疑うべくもない歴史的事実です。よって、憲法で国民に保障された人権保障を切り下げる方向で、また、憲法により権力に課せられた縛りを緩める方向で憲法改正をすることは原則的に許されるべきではありませんし、少なくとも先進国でそのような憲法改正がなされたことは皆無に等しいのです。憲法改正はその回数よりも、その方向性に注意が払われなければならないことには注意が必要です。
 イギリスでは1215年のマグナ・カルタ(大憲章)、1628年の権利請願、1689年の権利章典が、フランスでは1789年の人権宣言が、ともに憲法を構成する重要な基本法として今でもその効力を保っていますし、さらにアメリカでは1776年の独立宣言の理念が、そのまま合衆国憲法に継承されて今でも生き続けています。このように、100年たっても200年たっても変わってはならない普遍的価値を書き込むのが、国家の根本法で最高法規たる憲法なのです。実際、日本国憲法には、前述の近代立憲主義を始め、個人の尊厳、国民主権、民主主義、自由主義、三権分立、法治主義、法の支配、現代立憲主義等、様ざまな西欧の歴史的な宣言文書や憲法から学び、継承した多くの普遍的価値が書き込まれています。そして、それらの価値はもちろん西欧において今でも普遍性を失ってはいません。とするならば、日本国憲法が70年間、一字一句、改正されなかったとしても少しもおかしくはないのです。なかには、「押しつけ憲法だから」とか、「法律の素人が8日間で作ったから」とかを憲法改正の理由にあげる人もいますが、これは狂気の沙汰です。憲法の価値は人間の価値と同様、出自ではなく中身で判断されるべきです。それらの理由には、日本国民が70年間、一貫して日本国憲法を日本の憲法と認め、一字一句を改正することなく、大事に護ってきたという重い事実を打ち消す力はとうていないことは言うまでもありません。
 もちろん私も憲法改正が絶対に許されないものと考えている訳ではありません。日本国憲法も不磨の大典ではないのですから、必要に応じた憲法改正はあって然るべきです。だからこそ日本国憲法には改憲規定があるのです(96条)。例えば、知る権利やプライバシー権、環境権等の新しい人権、あるいは、自衛隊の位置づけや役割、原則(例えば専守防衛の原則)については、ゆくゆくは憲法に明記するべきだと私も考えています。しかし、それをいつ、誰に、どのような政治状況でやらせるかは別個、慎重な判断が必要です。私は、戦後の日本の経済成長、技術立国・文化立国としての成功は、今の日本国憲法のおかげだと考えています。私は、日本国憲法が大好きですし、世界一素晴らしい憲法だと思っています。少なくとも、「今の憲法は、アメリカに押しつけられたとんでもない憲法だから、さっさと変えなければだめだ」と主張する人びとに憲法改正を任せる訳にはいきません。今の憲法の価値や有用性を十分に理解している人に改正を任せなければ、良い憲法になるはずがなく、憲法の改悪にしかならないからです。
 憲法の条文のなかでもっとも批判され危機的状況にあるのが憲法9条の平和主義です。「中国が尖閣を狙い、北朝鮮が日本海にミサイルを撃ち込む現在、戦争しない、武器を持たない、闘わないでは国を護ることはできない」という意見が非常に強くなっています。「平和主義は、理想論できれいごと」、そう主張されることも多いです。しかし、それでは、武力や軍事力があれば必ず国を護れ、平和になれるのでしょうか?
 戦争の反対が平和なのですから、平和とは、少なくとも戦争のない状態を言います。戦争をする国、戦争をしている国は平和な国ではありません。この点、アメリカは戦後、一貫して世界最強の軍事力を誇り、多数の核兵器を保有する国家でした。軍事力で平和になれるならアメリカが世界一平和な国になっているはずですが、残念ながら、アメリカの戦後は、戦争と武力行使の連続でした。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争、シリア空爆、枚挙にいとまがありません。今ではアメリカは、世界でもっとも敵が多い国と言われ、アメリカの敵は世界中に散在し、武力行使される危険、テロの危険、人質になる危険、それらがもっとも高い国がアメリカなのです。また、アメリカは、世界最強の軍事力や多数の核兵器にもかかわらず、ベトナム戦争には負け、ツインタワーも護れませんでした。もし日本が世界最強の軍事力を持ち、多数の核兵器を保有したとしても、中国との戦争には負け、尖閣も護れないということは十分にありえます。
 「日本の安全保障のためにはアメリカとの同盟関係を強固にするしかない」、このように主張する人も多いです。しかし、これはまさにジャイアンに擦り寄るスネ夫の発想です。「日本はアメリカに護ってもらうしかない」という考えでは、日本はやがてアメリカの属国、腰巾着にならざるをえず、日本の自立性や主体性はありえなくなってしまいます。アメリカはあくまで自らの国益が第一なのですから(「アメリカ・ファースト」)、アメリカがいつも日本を護ってくれると信じるのは脳天気な考えです。日本の運命を左右しかねない国防の問題において、このような他人任せでいいのでしょうか?
 私は、東日本大震災の直後に韓国人の潘基文・国連事務総長が述べたつぎの言葉を決して忘れることができません。「日本は世界中の困っている人びとを最も援助してきた国です。今度は国連が日本を支援する番です」。この言葉は、平和主義の有効性を端的に物語るものとして、深く心に明記される必要があります。やはり日本は、世界で唯一の被爆国であるからこそ、率先して反核・軍縮の立場に立ち、非軍事の面から世界の平和に貢献するべきなのです。例えば、アメリカとISが対立した場合、アメリカの側に立ちアメリカと一緒にISと戦うのではなく、あくまで中立の立場で両国の間に立ち、平和外交に尽くすべきです。その際、武器を持たないからこそ、丸腰で行くからこそ信用されるのです。血と汗は、このような平和外交や、世界中で災害救援や難民救助、停戦監視活動等の非軍事的平和活動を積極的に行うことにより流せばよいのです。確かに、世界平和のためアメリカとともに"ならず者"を武力制圧する国も必要ですが、中立的立場で和平交渉する国も絶対に必要です。その役割にもっともふさわしいのは平和憲法を掲げる日本なのです。まさに役割分担と言えましょう。
 そもそも相手が本当に素晴らしくて、学ぶべき点がたくさんあるのであれば、喧嘩をするよりも、仲良くして多くを学んだ方が得なのはもちろんです。「日本を攻めたら世界中を敵に回すことになる、日本とは仲良くした方が得だ」、「日本の技術や文化は実に素晴らしい。ぜひ取り入れたい」、そう世界中の国ぐにから思われる日本や日本人になるために最大限の努力をするべきです。戦争に命をかけるのではなく、平和主義に命をかけるべきなのです。それこそがまさに憲法9条の立場です。このような立場に徹するならば、日本は世界中の国ぐにから感謝と尊敬を集め、決してどこの国からも侵略されることはないはずです。もし日本が他国から攻められれば、ほとんどの国は日本を助けてくれるはずです。そのことは、前述の潘・国連事務総長の言葉が如実に物語っています。このように、武器ではなく人間の尊厳によって国を護るのが平和主義なのです。このような活動を地道に積み重ねることにより培われる国際社会における発言力・説得力こそが、領土紛争や拉致事件等の国際問題を解決する力となります。この憲法9条の平和主義を改正、放棄する必要性は1ミリもありません。
 日本国憲法施行70周年を迎える今、以上のことを踏まえ、もう一度、憲法改正の必要性について各自がじっくりと考えてみて下さい。その努力を怠るならば、いつの間にか日本が70年前に逆戻りしてしまうかもしれません。憲法について考えることは、将来の世代に対する責任であり、義務なのです。

◆藤井正希(ふじい まさき)さんのプロフィール

出身地: 群馬県
最終学歴/学位: 早稲田大学大学院法学研究科/修士(法学)
早稲田大学大学院社会科学研究科/博士(学術)
所属学会: 日本公法学会、全国憲法研究会、憲法理論研究会、社会情報学会
専門分野: 憲法学
著書:『法学・憲法への招待』(敬文堂)(共著)、『マスメディア規制の憲法理論』(敬文堂)(単著)




 



 
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