法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

今週の一言

 

日韓国交正常化50年、今こそ真の協力体制の構築を

2015年6月22日



李泳采さん(恵泉女学園大学准教授)

 2015年は戦後70年になる年で、日韓国交正常化50年になる節目の年でもある。特に、6月22日は日韓基本条約が成立した日である。しかし、国交正常化50年目を迎える今日、日韓両政府は、その記念日に共同の公式イベントもできないほど不信と葛藤の時代に直面している。近来ペ・ヨンジュンの「ヨン様」ブームを始め「韓流」「日流」が流行するなど日韓関係に劇的な転換期があったにもかかわらず、戦後日韓関係はなぜ今のような状態に陥ってしまっただろうか。今後どういう展望があるだろうか。
 戦後日韓関係は、三つの転換期−45年、65年、98年−を節目に展開されてきた。45年8月15日をもって、韓国は日本の35年間の植民地から独立され、日韓は別々の国なったのである。いわゆる「45年8月体制」である。しかし、日韓が国交を正常化し、人々が自由に移動できるようになったのは、20年後の65年6月22日、日韓条約が締結された以降のことである。ところが、当時、日本は朝鮮半島にある二つの政府のうち、韓国だけを選択し国交を結んだ。その半分である北朝鮮とは未だに国交がないまま「白紙状態」となっている。いわゆる「65年体制」の成立である。
 70年代と80年代、日韓の間には、北朝鮮を始め共産主義国家に対する脅威の下、米国と同盟を強化しながら、いわゆる「安保経済協力」を実施してきた。しかし、その間に一般市民の大衆的な交流までは進展してなかった。経済及ぶ軍事強化の日韓関係が文化及び市民交流へと画期的な転換を果たしたのは、98年金大中大統領と小渕首相による「日韓パートナーシップ宣言」が出されてからである。日韓両政府は、歴史問題は棚上げにしたものの、日韓の映画、ドラマ、POPなどの文化開放を始めたのである。いわゆる「98年韓流体制」である。
 対立と葛藤の時期もあったが、2004年NHKでドラマ「冬のソナタ」が放送されて以降、およそ10年間、日韓関係はいわゆる「韓流」「日流」の影響もあり、年間約300万以上の人々の旺盛な交流の時期も続いた。しかし、近年は「親韓」というよりは、「嫌韓」の動きが目立っている。近来の日韓関係は竹島(韓国表記:独島)をめぐる領土問題、戦前の日本軍による女性への性暴力の問題として議論されている「日本軍慰安婦」の歴史問題などあらゆる問題が対立している。日韓国交正常化50年、韓流による日韓市民交流10年の結果が「嫌韓」「反日」という予想外の事態に直面し、戦後日韓関係の再検証とそれに基づいて危機を乗り越える模索が同時に必要とされる時代でもある。
 戦後、日韓両国が植民地支配問題に関する公式的な交渉を始めたのは、50年朝鮮戦争が勃発してからである。朝鮮戦争をきっかけにアメリカは日本にアジアの反共防波堤の役割を期待し、対日講和を急いだ。しかし、韓国が連合国の一員として講和会議に招かれることはなかった。当時李承晩政権は対日講和会議への参加資格を強く要求しており、イギリスや米国さえもその方向に考えていたが、 吉田内閣は最後まで韓国政府の参加を徹底的に排除していたのである。
 朝鮮戦争が勃発し、韓国を戦場、日本を戦争遂行のための後方基地として考えたアメリカにとって、故朝鮮戦争遂行のために日韓関係改善は欠かせない重要な要素であった。朝鮮戦争を背景に始まった日韓交渉は、51年予備交渉を行い、戦争の最中である52年2月から公式的な政府間交渉が始まった。しかし、35年間の植民地支配に対する両国の認識の隔たりは多く、日韓国交正常化交渉は何回もの交渉決裂を重ねながらも、1965年6月22日、約15年の歳月を経て日韓基本関係条約として正式調印された。しかし、この基本条約は最初から戦後日韓関係を「不安定な正常化関係」に限定するいくつかの問題を孕んでいた。
 第一に、植民地支配責任の曖昧な処理である。条約前文は「日本国及び大韓民国は、両国民の関係の歴史的な背景と、善隣関係及び主権の相互尊重の原則に基づく両国間の関係の正常化に対する相互の希望を考慮し、(省略)この基本関係に関する条約を締結することを決定」と述べられている。だが、全文のどこにも植民地支配に対する日本側の反省や謝罪の文句は見当たらない。
 第二に、1910年の韓国強制併合は合法か不合法かの問題である。条約第2条には「1910年8月22日以前大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」と述べられている。これは日本による韓国併合そのものが「もはや無効」という認識に日韓両政府は一致しているが、当時の合併が合法だっかか非合法だったのかについての具体的な説明は書かれてなかった。国会でも論争になり、日本は合法、韓国は非合法だったというそれぞれの解釈に委ねられたまま現在にまで至っている。
 第三に、戦争賠償は経済協力方式で決着づけられたことである。基本条約とともに締結された請求権及び経済協力協定は第1条で、「日本国は、大韓民国に対し、(a)現在において1800億円に換算される三億合衆国ドルに等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、(中略)無償で供与するものとする。(省略)(b)現在において720億円に換算される二億合衆国ドルに等しい円の額に達するまでの長期低利の貸付けで、(省略)前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない」と述べている。
 これは日韓請求権交渉の結果、日韓両政府は植民地支配に対して、「日本による無償供与3億ドル、有償貸付け2億ドル」で決着を付けたものである。交渉の過程で、韓国政府は請求権を放棄する代わりに、日本政府は経済協力を行う方式で決めたのである。そして、日韓両政府は請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決されたことになることを確認」したとまで合意している。
 後に問題になる戦後補償の多くの課題−日本軍慰安婦問題、強制動員の未払金問題、被爆者の問題、BC級韓国朝鮮人戦犯の問題、シベリア抑留韓国朝鮮人兵士問題、サハリン韓国人引き上げ問題など−は当時の国交正常化交渉のなかで具体的に取り上げられないまま、日韓政府がその請求権を放棄した結果による。これは国家が個人請求権の放棄を行うことが可能なのかという国家の請求権放棄の範囲をめぐる論争ともなっている。だが、最近の国際人権法に基づく西欧の裁判では個人請求権を認める判例が多く出ている。韓国の裁判はその流れを反映し、個人請求権を認める高等裁判の判決を出しているのが現状である。
 このように、「65年日韓国交正常化体制」は、 日本の植民地支配責任をあいまいにした条約の問題もあるが、もう一つ朝鮮半島には48年以降、二つの政権が樹立されていたにもかかわらず、日本は北朝鮮との日朝国交正常化を同時にセットしないまま韓国だけを選択した「未完の国交正常化体制」であったともいえる。
 日韓国交正常化50年を迎えるいま、日韓関係の間には友好関係ではなく葛藤と不信の溝が広がっている。このような日韓関係を長期的に改善し安定化させていくためには何が必要であろうか。
 第一に、65年の国交正常化体制でも、98年の韓流体制でも棚上げにしてきた歴史問題の解決はこれ以上避けられない。特に、日本軍慰安婦問題は当事者の人々が毎年何名もなくなりつつあることを考慮すると、その解決は時間を急いでいるものである。日本軍慰安婦問題は、90年代半ばのアジア女性基金の失敗の経験を生かしながら、それを乗り越える仕組みを両政府が作り出す方法しかない。
 一方、日本軍慰安婦問題が解決されたとしても日韓の歴史問題の解決を意味するわけではない。日韓の間には、強制連行被害者、未払い賃金問題、シベリア抑留朝鮮人日本軍兵士、韓国朝鮮人BC級戦犯問題など様々な戦後補償問題は、当事者が高齢者になっていることもあり、包括的な早急の解決を図るための日韓両政府による「共同財団」構想も必要であろう。
 また、戦後補償問題の解決と同時に、植民地支配に対する歴史認識の問題を解決していく必要がある。しかしその解決を国にのみ任せるのは、自国中心の歴史観の平行線を辿るだけである。両政府が認める第三者の視点を入れた歴史共同委員会を通じて、長期的で歴史的な視点で研究及び共同歴史教材の開発まで委任する必要があるだろう。
 第二に、日韓関係は歴史問題以外にも東アジア地域の様々な懸案問題を共同で管理する体制の構築が必要である。その意味で歴史問題と政治・経済問題を分離して対応する柔軟性を持つ必要もあるだろう。米中が台頭している中、日本と韓国はその狭間に置かれているのは共同の運命である。日米同盟強化や中韓接近だけで、東アジアの安定的な秩序が形成されることはない。日韓が協力し合い、米国と中国を東アジアでどう位置づけていくのかがこの地域の安定には何より重要なキーである。しかし、今は日韓関係が不信と葛藤に基づいてお互いの必要性を感じてないことがもっとこの地域の不安定さを高めているだけである。
 第三に、日韓関係は政治的な対立にもかかわらず、民間交流は中断しないで持続することが必要である。長期的な視点からみると、日韓の間には朝鮮通信史の時代から戦争−交流−協力−葛藤の繰り返してきた歴史がある。98年の21Cパートナーシップ宣言、そして、2004年から始まった約10年間の「韓流・日流」ブームは、まさに市民同士が作ってきた東アジアの新しいネットワークである。このような市民交流日韓信頼の礎となってその持続性を保障する必要があるだろう。

 最後に、戦後50年を迎えた日韓関係が現在抱えている課題を克服して、今後50年に真の協力関係を構築するためには、ヘイトスピーチや反日のような感情論や差別でなく、相互の文化と歴史を尊重し合うことが必要である。そのためには日本と韓国は市民社会も含めてお互いを平等に受け入れる真のパートナーシップの構築が必要であろう。

◆李泳采(イ ヨンチェ)さんのプロフィール

 韓国全羅南道生まれ。1998年来日。
 慶応義塾大学大学院修了(政治学専攻)。専門は日韓・日朝関係。東アジア国際政治。 韓国新聞のコラムニスト、日韓の市民団体のコーディネーター、韓国映画や映像を通して現代韓国社会を語る市民講座の講師、東アジア4地域キャンドル行動事務局長などを務めている。現在恵泉女学園大学国際社会学科准教授。

 主な著書に、『なるほど!これが韓国か―名言・流行語・造語で知る現代史』(朝日選書)、『東アジアのフィールドを歩く―女子大学生がみた日・中・韓のすがお』(梨の木舎)など多数ある。


 





 
[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]