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追悼碑問題が問いかけるもの

2014年9月15日



角田義一さん(元参議院副議長、弁護士)

 

1,追悼碑の歴史的経緯について

 かつて日本は、朝鮮を36年間植民地支配下に置いた。戦況が不利な状況の下、朝鮮から日本に数多くの朝鮮人を強制連行し、炭鉱、ダム、鉄道、道路、飛行場などの現場で過酷な重労働を強いた。群馬にも6000人ほどの朝鮮人が連れてこられた。当時、太田市に中島飛行機という日本最大の軍需産業である航空機メーカーが存在した。戦火を避けるため、群馬の山間地に洞窟を掘り、そこに部品工場を建築するなど過酷な労働を強いられ、その結果、望郷の念むなしく一命を取り留めた人々も多数存在した。群馬の地には、その他鉄道敷設などで亡くなった人も多く存在した。それらの実態を我々の仲間が調査し、「群馬における朝鮮人強制連行と強制労働」という1冊の本にまとめ世に問うた。その調査の過程で我々の仲間がこの侵略戦争を深く反省し、記録として残し、二度と再び過ちを繰り返さない決意をし、日本と朝鮮およびアジアとの友好関係を発展させるため、「記憶 反省 そして友好」という追悼碑を建てる運動に発展した。県内外の賛同者約600人から募金約1,000万円を集め、2004年4月24日に碑を建立した。碑文の内容については、我々碑を建てる会、県当局、外務省との度重なる交渉の結果、次のように決定された。

 追悼碑の碑文

 追悼碑建立にあたって

 20世紀の一時期、我が国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつて我が国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。
 過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、更なるアジアの平和と友好の発展を願うものである。

  2004年4月24日
 「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会

 強制連行という言葉はないものの、碑文としては内容のある、品格のある文章になっていると思う。問題は碑の建立の場所である。有意義な場所に建てたいと思い、県立公園「群馬の森」に建立すべく知事当局、議会の各派と真摯かつ情熱をもって交渉に当たった結果、自民党王国ではあったが、当時の小寺知事の決断で県有地での建立を決定していただいた。このような碑を県有地に建立するということは全国でも群馬県だけであり、我々は大変誇りに思っている。除幕式には県の幹部も出席し、盛大に行われた。現在まで多くの人々が国内外から追悼碑を訪れ、献花をし、合掌していただいた。駐日韓国大使夫妻も碑を訪れていただいた。そして8年間、毎年碑の前で追悼集会が厳かに行われた。しかし、ここ2年くらい前からネット右翼と称される人々を中心に群馬県当局に対し、「このような追悼碑が県有地に建てられているのはおかしい、ふさわしくない、撤去すべきである。」等の意見が寄せられ、さらには県議会への請願が寄せられ、6月16日県議会で可決されるに至った。県当局は、2年前から我々事務局に対し、諸般の状況から碑の前での集会を自粛してもらいたい旨の申出があり、我々としては、大局的立場から無用の争いを避けるべく、苦渋の選択としてここ2年間は追悼集会を別の会場で開き、献花を行ってきた。しかるところ、平成26年1月末日をもって追悼碑の土地の使用権限が切れることをきっかけに、我々はさらに10年間の使用許可の要請をした。県当局は難色を示したが、我々代表団と県当局との真摯の話し合いは3回にわたり行われた。そして3回目の交渉の時に、県は我々に対し追悼碑の自主撤去を要求した。それについては我々は直ちに拒否し、次の3つの提案をした。@県有地を我々守る会に適正な価格で払い下げをしてほしい。A更新期間を2〜3年して状況を見定め、その後交渉し更新の協議に入る。B10年間更新していただき、当分の間追悼碑前での集会を自粛する。しかし、県当局は、まともに、真剣に検討することもなく我々の3つの提案を拒否し、また、我々が知事とのトップ会談を要請したにもかかわらず平成26年7月22日、都市公園法第5条1項の規定に基づき不許可にするとの決定を下した。

2,県の不許可理由について

 県の不許可理由については多岐にわたるが、要約すれば次のとおりである。

 第1、県は設置許可にあたり、公園管理者として「設置許可施設については、宗教的・政治的行事および管理を行わないものとする」という許可条件を付した。しかるに追悼碑前における集会において次のとおりの発言があったと主張し、これが許可条件に違反しているとしている。
  @2004年4月24日 除幕式
  「碑文に謝罪の言葉がない。今後も活動を続けていこう」
  A2005年4月23日 追悼式
  「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」
  B2006年4月22日 追悼式
  「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事、アジアに侵略した日本が今もアジアで孤立している」「このような運動を『群馬の森』から始め、広めていこう」、「朝・日国交正常化の早期実現、朝鮮の自主的平和統一、東北アジアの平和のためにともに手を携えて力強く前進していく」
  C2012年4月21日 追悼式
  「日本政府は戦後67年がたとうとする今日においても、強制連行の真相究明に誠実に取り組んでおらず、民族差別だけが引き継がれ、朝鮮学校だけを高校無償化制度から除外するなど、国際的にも例のない不当で非常な差別を続け民族教育を抹消しようとしている。」「日本政府の謝罪と賠償、朝・日国交正常化の一日も早い実現」

 第2、さらに、以上の発言は政治的発言であり、これらの発言があったということは、除幕式および追悼式の一部内容を政治的行事とするもので、「政治的行事および管理」を禁止した許可条件に対する違反であり、当初許可の取消を命ずることができる違反行為である。本件処分にあたり調査した結果、このような違反行為が繰り返し行われ政治的行事に利用されてきたことで、本件追悼碑の設置目的が、日韓、日朝の友好の推進に有意義なものであるという当初の目的から外れてきたと判断せざるを得ない。
  政治的発言が行われた結果、本件追悼碑は存在自体が論争の対象となり、街宣活動、抗議活動など紛争の原因となっている、このような本件追悼碑は、憩いの場である都市公園にあるべき施設としてはふさわしくないと判断せざるを得ない。
  以上によると、本件追悼碑は、都市公園の効用を全うする機能を喪失しており、法第2条第2項に規定する公園施設の要件に該当しない。併せて、本件追悼碑は、法第5条第2項第1号に該当する公園施設にあたらず、かつ、都市公園の機能の増進に資する施設とは認められず、法第5条第2項第2号に該当しない施設と判断する。
  法第2条第1項の規定による公園施設の設置の許可は、この公園施設が法第2条第2項に規定する「公園施設」の要件を満たした上で、法第5条第2項各号のいずれかに該当する場合にのみ与えることができるものである。
  本件真正は、以上の通り、法第2条第2項に規定する「公園施設」および法第上第2項各号のいずれにも該当しないと判断し、不許可とするものである。

 第3、不許可決定の不当性について

  県が提示した不許可決定は到底我々の納得しうるものではない。いずれ近々に弁護団を結成し、不許可取消の行政訴訟を提起する予定である。当方の反論の柱は弁護団会議にて決定するが、次の点が問題になる。
  1,「都市公園法第1条  この法律は、都市公園の設置および管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もって公共の福祉の増進に資することを目的とする。」
   条文によれば、「公共の福祉の増進に資する」ことを目的とする以上、その設置条件に付款する宗教的、政治的行事を行わないとする、特に政治的行事を行わないとの付款は、憲法が保障する言論の自由、集会の自由を保障している条項に違反するのではないか。民主主義の根幹は言論の自由、集会の自由が保障されることである。それを付款により制約することが許されるのかどうか。特に記念碑の前での発言の一部をとらえ、それを政治的発言と決めつけることが憲法上許されるのか、ということが最大の論点である。
  2,さらに設置目的が変化することがあり得るのか。政治的発言により本件追悼碑の設置目的が変化するということがあり得るのか。政治活動により本件追悼碑の意義が没却されることがあるのか。本件追悼碑の存在は、現在もなお日韓、日朝の友好な推進に有意義であり、「歴史と文化を特徴とする本都市公園の効用を全うする」ことは明らかであり、仮に政治的行為に利用されてもその意義が消失するということはない。よって、我々は次のように考える。
   @政治活動によっても、日韓、日朝の有効な推進に有意義という設置目的は変化しておらず、現在も日韓、日朝の有効な推進に有意義という機能を果たしている。
   A追悼碑は、かつて日本が「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明」し、「過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するために」建立されたものである。政治的発言があったとしても、都市住民全般の観賞に供され、都市住民の教養につながり、ひいては人間性の確保に資するものである。
  3,県知事は碑の存在そのものが紛争の種となり、市民の憩いの場所が傷つけられたなどと暴言を吐いているが、碑そのものの存在を否定することは碑文そのものを否定することであり、あの侵略戦争に対する反省はひとかけらもないのである。このような言質を弄し碑の収去を求めることは、我々はもとより在日の朝鮮、韓国の人々は到底許しがたいことである。この問題を巡り、当職は韓国の三紙と雑誌社からそれぞれインタビューを受け、ことは国際問題化している。

 来年は敗戦70周年を迎える。追悼碑を巡る問題は、戦後をどう総括し、未来を切り開くのかが問われる問題となるのである。我々は行政訴訟を提起し、県議会にも更新を許可するよう請願書を提出するべく準備を進めているところである。裁判闘争と民衆による請願行動が一体となって、県の不許可決定を撤回させるべく運動を展開してゆきたい。多くの皆様のご支援を請う次第である。(平成26年9月10日)




 
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