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住んでみてからの沖縄発見
<その2>沖縄の人々の誇りと尊厳

2014年5月19日



河野道夫さん(国際法市民研究会世話人) 



 4月14日に「大自然の尊厳と権利」として報告しました。今回は「沖縄の人々の誇りと尊厳」という視点です。

欺瞞・隠蔽・無視の集積

 沖縄は米軍基地が集中しているばかりでなく、政府による欺瞞・隠蔽・無視の集積する場でもある。
 たとえば2011〜2年、米国のオスプレイ配備方針が報道されているのに、県の照会に対して防衛省は直前まで「聞いていない」といい続けた。県議会と県下の全41市町村長は2013年1月、「オスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去と県内移設断念」の「建白書」を総理に提出したが、まったく無視された。過密地域におけるオスプレイの飛行は、県の調査で2013年10〜11月の2ヵ月間に336件あったが、その事実を県に突きつけられた防衛省は「客観的なデータにより確認できなかった」とした。
 米軍基地の跡から発掘され続けているPCBなどについて、地元自治体が高濃度の毒性を検出しているにもかかわらず、防衛省の検査で「基準値以下だった」とされることがしばしばある。辺野古海岸と大浦湾で確認されるジュゴンとウミガメは、ワシントン条約の絶滅危惧種だが、環境省は国内法に基づくそれに指定せず、情報普及用の「レッド・リストに掲載している」とごまかし続けたため、多くの人が保護対象になっていると信じ込まされた。

継続的な沖縄差別

 欺瞞・隠蔽・無視は近ごろ始まったことではない。上記に加え以下を総合すると、沖縄に対する戦後日本の継続的な差別の証拠になる。
 象徴的なのは1947年9月20日、昭和天皇が宮内庁のスタッフを司令部に派遣し、米軍による沖縄占領継続の要望をマッカーサー元帥の政治顧問シーボルトに口頭で伝達。シーボルトは米国務省と本国帰国中の元帥にそれを報告したが、県はその電文コピーを米国から入手し、2008年県公文書館で公開したため、隠蔽されていた事実が明るみに出た。それは憲法第7条に限定列挙された天皇の国事行為に反し、天皇のあからさまな政治利用だった。戦後沖縄の屈辱は、ここに始まるというべきだろう。
 1952年4月28日、平和条約と日米安保条約が発効したが、前者第3条によって琉球諸島・小笠原群島などが日本から切り離され米軍施政下となった。沖縄県祖国復帰協議会は1961年、この日を「屈辱の日」と呼ぶことに決めたが、安部内閣は2013年のこの日、「主権回復・国際社会復帰記念式典」を開催したため「屈辱の日」の大合唱が蘇えった。
 平和条約発効半年後の1952年11月、アメリカは軍用地の20年契約と超低額補償を公布。翌53年4月「土地収用令」の公布によって、契約に応じない地主の土地強制接収を「銃剣とブルドーザー」で開始。これは1907年ハーグ陸戦法規慣例条約の付属書第43条(占領地の法律尊重)や第46条(私権の尊重)に反するが、日本は潜在主権(残存主権ともいう)があるにもかかわらず、見て見ぬふりをした。普天間基地は、すべてがこの違法な強制収用による新基地だったため、即時閉鎖を主張する者が多いのは当然だろう。
 佐藤総理は1968年1月、施政方針演説で「核政策四本柱」のトップに「核兵器を持たず・作らず・持込ませず」の非核三原則を言明した(四本柱はこのほか核の廃絶と軍縮、核抑止力の対米依存、核の平和利用)。また衆院本会議は71年11月、沖縄返還協定の付帯決議「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」が満場一致で採択された。しかし政府は69年、沖縄返還後の有事の際、沖縄への核再持込みを許容する旨の秘密協定を締結していた。つまり政府の「72年本土並み返還」方針は"核抜き"を信じさせる大がかりなペテンだったのである。

主権国家としての資格

 このように国内の特定の人々を継続的に差別するなら、国際社会はその国を主権独立国家としての資格要件を欠くとみなすことになる。
 その根拠は、1970年の国連「友好関係原則宣言」第5原則(人民の同権と自決の原則)、93年世界人権会議「ウイーン宣言」第2項(自己決定権)などがそれだ。ケベック州の分離独立を検討したカナダ最高裁は98年、それが成立する三つの「例外的事情」を提示した。つまり一部人民が、@植民地の一部にされているなら、本国と別個の地位を持つため分離独立しても本国の領土保全と矛盾しない。A外国の征服・支配・搾取のもとにあるなら、上記第5原則によって分離独立は合法。B自決権行使を妨げられたら、最後の手段として分離独立を合法とするのが学界多数説――というもの。沖縄は、Bに近づいているが、実質的にはAの外国支配下にあると主張する者もいる。

辺野古・大浦湾の土地利用と環境保全

 前述したようにジュゴンとウミガメは国際希少野生動植物種(いわゆる絶滅危惧種、約900種)として国際取引を禁じられているが、環境大臣はこの二つを絶滅危惧種保存法に基づく絶滅危惧種(89種)に指定していない。このため辺野古・大浦湾は、その生息地等保護区(第36条)と保護増殖事業(第45∼48条)の対象にならない。対象になれば、埋立て承認はできない。
 2006年、県は「希少野生動植物種保護条例案」を公表し、これによって国が指定していない県内希少種を保護するという(同案概要の「背景」の項)。しかし県が、条例に基づいてジュゴンとウミガメを指定し保護しようとすると、やはり辺野古・大浦湾を生息地等保護区とし保護増殖事業を計画しなければならず、埋立て承認はできない。条例案が8年間も提案されない理由は、そこにあるだろう。政府と県は、埋立て工事によってジュゴンとウミガメが来なくなれば提案できると考えているに違いない。
 そもそも、国の管理水面(辺野古海岸と大浦湾)を国自ら埋め立てるのに、なぜ知事の承認が必要なのか。承認基準には自治体が中心となる環境保全と災害防止が含まれ、「土地利用または環境保全」に関しては(国の計画はもとより)、地元の県・市町村の計画に違反してはならないとされているからである(公有水面埋立法第4条「免許基準」の準用)。つまり、政府は指定すべき絶滅危惧種を指定しないことによって、また県は制定すべき条例を制定しないことによって、それぞれ埋立て承認に道を開けていた。
 承認の経緯には、自民党幹事長による沖縄選出国会議員に対する恫喝と翻意、同党県連による県外移設方針の撤回などが含まれるため、人々は改めて屈辱を味わい、激怒した。その怒りをエネルギーにして勝った稲嶺市長の登録団体は「誇りある名護市をつくる会」、スローガンは「名護は屈しない、市民の誇りにかけて」だった。私を含む675名の原告が承認取消しを求めて那覇地裁で闘っている背景にもそれがある。

非武の琉球文化

 人々の誇りと尊厳の証しとして、非武の文化を挙げないわけにはゆかない。琉球伝統の組踊りと江戸時代に育った歌舞伎のジョイントを演出した坂東玉三郎が、組踊り側から「琉球には人が殺される場面はない。殺陣を変更せよ」といわれ、困惑しながら改めたことを思い出す(2013年、NHKテレビのドキュメンタリー)。このように、床の間に刀剣ではなく三線を架ける琉球文化の水準は、想像よりもはるかに成熟している。憲法記念日に向けた県民世論調査で6割が9条堅持(改正3割)と答える背景にも、それがある。
 成熟した文化の土壌には、固有の歴史性・民族性があるはずだが、まだ十分に解明されてはいない。しかし琉球統一30年後の1458年、首里城正殿の梵鐘に刻まれた銘文「万国津梁」(世界のかけ橋の意)と、16世紀後半、守礼門に掲げられた扁額「守禧之邦」とが一対の思想と考えると、多角的貿易と平和外交が琉球の国是ということになり、なかでも琉球と日中韓4ヵ国関係が重視されていたことが判る。非武装の起源は、1609年薩摩藩侵略よりはるか以前からという見解が一般的なのは、このためである。

自然と人間の「尊重」と「尊厳」

 1993年世界人権会議「ウイーン宣言」は前文で、「すべての人権は人間固有の尊厳と価値に由来する」という。日本国憲法に「人間の尊厳」はないが、第13条「個人の尊重」、第24条「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」がある。これは、憲法が英米法の個人主義に影響されたためで、「個人の尊重」が「人間の尊厳」と同等の意義を持つといわれている。なお、1948年世界人権宣言は「人間は生まれながらにして自由であり、かつ尊厳および権利において平等」とし、1949年ドイツ基本法(第1条)、99年スイス憲法(第7条)、2000年EU基本権憲章(第1条)は、「人間の尊厳」の保護と尊重を国家の責務としている。
 「人間の尊厳」はカントに由来し、「人格の内なる人間性」を尊ぶ価値感情とされ、理解するには先験的・直観的な認識が必要といわれる。ところで「大地との精神的な関係」を強調する世界の少数民族が2010年、「母なる大地の権利宣言」を採択したことは前回紹介した。「ウイーン宣言」の論法に従うと、「大地の権利」は「大地固有の尊厳と価値に由来する」。つまり「自然の尊厳」が認識されていることになる。これは自然の擬人化といった人間中心の理解ではなく、生態系のなかまとしての自然との一体観であり、宇宙的生命への共感というべきかもしれない。そう考えると「尊重」が法律的・政策的に多用されるのに、「尊厳」は哲学的・宗教的な認識に基づく概念で、限定的にしか使われないことも納得できる。

最小単位の地域共同体

 沖縄では、字など最小単位の地域共同体において、自然と人間の尊厳を基盤とする「二つの生活軸」が生きている。その一つは、金銭上の損得を顧みず助け合い分かち合う人と人の関係(福祉・教育などを含む)、もう一つは、畏敬と感謝の念に支えられた人と自然の関係(農林漁業などを含む)。二つは相互に補完し合い、一方だけでは機能しないと思われる。二つによって生物多様性も維持され伝統文化も継承されているのだが、米軍基地、都市化とリゾート開発、さらには大量生産・消費・廃棄の現代文明がこれを阻害する。 
 グローバリゼーションのもとで、若い世代の経験が「親やそのまた親やその共同体の老人たちの経験とは劇的に異なっている状況」(マーガレット・ミード著、太田和子訳「地球時代の文化論」東大出版会1981年p55)において人と人、人と自然の関係は激変し、やがて二つの生活軸は壊滅するだろう。しかし、それにめげない地域共同体の再生事例が国の内外から報告されており、その比較研究を始めたところ、新たな地域密着事業が二つの生活軸にどう影響しているかに着眼した報告はほとんどない。
 人類にとって地域共同体の中核機能は「子育て」にあるから、「小学校区を人類の人工的生態系の核社会に」という見解を沖縄の学者が提起している(沖縄国際大教授・大城保「地域分権・ネットワーク型社会経済」沖縄教販2004年p199∼201とp209~10)。子育て機能こそあらゆる「種の社会」共通の自己保存機能という理由からである。FEC(F=食と農、E=エネルギー、C=ケアや教育をはじめあらゆる「人間関係産業」)の自給圏の形成――という内橋克人の持論とともに考えてみたい。

自分たちのデモクラシー

 沖縄では異なる支配者の時代がサツマ世(ゆ、以下同じ)、アメリカ世、ヤマト世と呼ばれている。日本国沖縄県としてさえ差別されるうえに、日米安保条約と在日米軍地位協定による過大な負担を背負わされ、さらに特定秘密保護法によって軍事・外交機密が増大する。これでは「自分たちのデモクラシーは存在しない」と感じるのは、当然ではないだろうか。
 しかし、あきらめるわけにはいかない。必要なのは「内外の法・制度に関するリサーチと研究討論の組織化」と前回書いたが、それは政府の欺瞞・隠蔽・無視を許さないためであると同時に、「法は闘争なしではすまない」からである(イエーリング「権利のための闘争」日本評論社1978年p21。原著は1872年)。このため、真相に関する説明責任を政府・自治体に求めることが必要になる。定期的にそれが設定されるようにし、沖縄選出のすべての国会議員が協力すべきで、県庁と県会議員についても同様だ。それが「自分たちのデモクラシー」構築に向けた重要なステップになると考えている。

 ご意見、ご連絡をお待ちしています。
(メール)international_law_2013@yahoo.co.jp
 (電話)080-4343-4335河野
(ブログ)「国際法市民研究会」で検索。

◆河野道夫(こうの みちお)さんのプロフィール

1942年東京都生まれ。1945年5月25日の空襲で家が全焼。早大政経学部政治学科卒。1968年社会党本部書記。政策審議会に配属され、2002年の退職まで立法政策活動が中心。その間、1995∼6年村山総理大臣秘書官、00∼02年「今週の憲法」編集長。退職半年後、スコットランドに留学。英語スクールの後、05年からアバディーン大学院で国際法を学ぶ。修士論文「対テロ戦争の合法性」で「非合法性」を精査し08年4月パス。この間、警察からアルカイダの友人扱いされ、でっち上げ事件で1年間刑事被告。むろん無罪。比較宗教学やスコットランド独立運動も学んだ。





 
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