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憲法を知ることは、リアルと普遍の間を何度でも行き来すること――『映画で学ぶ憲法』

2014年3月10日



志田陽子さん(武蔵野美術大学造形学部教授)

言葉は抽象的だがリアルな文書

 憲法について学び直したい、という声を今いろいろなところで聞きます。そこにあるのが当然と思っていたものが形を変えるかもしれない、変えてはいけないところをいじって大失敗をするかもしれないとなれば、多くの人がそう思うでしょう。一方で憲法は、抽象度の高い言葉で書かれているため、わかっているつもりなのに掴めない感じがします。そんなとき、映画を見て自分の知識に血が通い始めることがあります。自分の中で生きたイメージ把握ができると、抽象的な憲法の言葉が急に生き生きと感じられてきます。

 憲法はもともと、現実の歴史の中から生まれてきた、大変にリアルな問題を扱った文書です。宗教戦争や社会の思考停止状態、軍事国家化などについて「これは二度と繰り返してはならない」という共通認識が起きたとき、これを防ぐための防波堤として約束されたものが憲法だと言えます。だから「その権利がなかったならば人間はどれだけ生きにくい状況に置かれるか」「その統治システムがなかったら社会はどれだけ自滅の危険にさらされるか」と考えながら歴史を想像したとき、憲法を知ることは大変魅力的な知的営為となってきます。映画は、この営為を手助けしてくれる、もっとも心強い表現ジャンルでしょう。

想像力と、自力で何かを読み取る姿勢

 憲法は国家に向けられた法ですが、その憲法がたとえば「思想良心の自由は、これを侵してはならない」「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と定めているということは、国家に向かってそう言わなければならないほど、国家がそれを侵害してきた事実があったのだろうか?と考えてみてください。「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」(2005年ドイツ)や「宮廷画家ゴヤは見た」(2006年スペイン・アメリカ)、「王妃マルゴ」(1994年フランス)など、そうした歴史的事実を扱った映画は多く、「こういうことを防ぐために憲法があるのか」という気付きを与えてくれるでしょう。

 映画を見ることの魅力は、それを各人が自力で読み取ること、映画の中からリアルな憲法問題を発見・発掘することにあると思います。論点をあらかじめ整理した憲法解説書を読むことは、濃度の高い栄養剤を飲むことに近いと思いますが、これに対して映画を見て考えることは、雑多な食べ物の中から自力で栄養分を見分けて吸収することに近く、これも大切な力だと思います。

 私は美術大学で憲法や著作権法を教えています。そこでは学生が「そこから何を読み取るか」というテンションの高い姿勢で、難解な絵画や映像に向き合うことが日常です。その姿勢を《憲法問題を読み取る》という作業に応用してもらう試みとして、2012年に「映画で学ぶ憲法」という公開映像講座を大学内で開きました(※)。これが土台となって、今回、『映画で学ぶ憲法』という本が出来上がりました。この本は、同じ工夫をしてこられた憲法研究者・教育者が「ぜひ見てほしい」と思う映画作品を持ち寄った成果です。普段、鋭利な理論家と見える人々が、じつはこんな素顔の感性をもっておられたのかというところもまた、本書の楽しみ方の一つです。本書が、「憲法について知りたい、伝えたい」と思っている人々にとって、楽しめる入口であったり、心の扉をノックする刺激になったりして、憲法の世界への橋渡しの役に立つことを願っています。

何かが刺さってくる体験

 私にとって、「憲法で問題になっていることの意味が掴めた!」と思えるような体験をした最初の作品は、「ミシシッピー・バーニング」(1988年アメリカ)でした。この作品はキツすぎる暴力場面があり、憲法の授業で上映するときはかなり編集していますが、それでも文化に織り込まれた《沈黙の権力》を見事に描き出したシーンには凄まじいインパクトがあるので、私の授業に出ている学生のうちの何人かは「これを見せてもらえてよかった」とわざわざ言ってくれます。教育用に作られたものではない作品の中から、こちらに《刺さってくるもの》《訴えてくるもの》ものをキャッチすることもまた、映画で憲法問題を見ることの醍醐味であろうと思っています。

 先にも書いたように、憲法の条文の背後には、凄まじく痛ましい事実が積もっています。人権だけでなく、統治の条文もそうなのです。「クロムウェル」(1970年イギリス)あたりを見るとわかるのですが、議員の不逮捕特権などは、その背景に相当凄まじい出来事があり、議員の身の安全を守るために切実に必要とされた保護だったのですね。また日本では、大きな犯罪事件が起こると「憲法は加害者の人権ばかりを守りすぎだ」といった談話がメディアに出てきますが、「告発」(1995年アメリカ・フランス)や「BOX 袴田事件 命とは」(2010年 日本)、「それでもボクはやってない」(2007年 日本)といった作品を見れば、それがいかに甘い認識であるかがわかるでしょう。

 私たちが本当に生身でそんな体験をしたら、憲法の意味を理解する以前に生きてはいられないし、少なくとも正気ではいられないはずです。映画は、そこまでのことは私たちに要求しない、いわゆる虚構です。けれどもそこに描かれたことの片鱗が私たちの意識に刺さってきて、ある種の傷を私たちの心に残します。その傷は、憲法問題を感じ取る芽のようなものとして残ります。原罪の感覚と似ているかもしれません。

映画でリアルを掴んだら、本質へと想像力を広げよう

 ところで、映画で得たイメージはあくまでも「入口」や「きっかけ」であって、そこでイメージの固定を起こしてはいけないと思っています。私自身も自戒すべき点ですが、ひとつには、映画は生の現実そのものではなく、作者の視点で再構成され、物語化・映像化された《作品》であって、憲法を取り巻く社会的現実や歴史的背景のひとつの見方を提供してくれているのだ、ということ。もうひとつは、映像で具体的イメージを得たあと、もう一度、憲法の抽象性に思考を戻す必要があるということです。

 「アミスタッド」(1997年アメリカ)、「マルコムX」(1992年アメリカ)、「グローリー」(1989年アメリカ)、「アメイジング・グレイス」(2006年イギリス)、といった映画を見れば、私たちは「奴隷制」や「人種差別」の深刻さやその克服のために要したエネルギーを強烈なイメージをもって知ることができます。けれども私たちが、アメリカのある時期の、肌色の黒い人々が鞭打たれている映像にイメージを固定して、「それはもう終わった過去の出来事だ」とか「日本には存在しなかった外国の話だから『奴隷的拘束』を禁止する条文は日本国憲法には不要だ」と考えてしまうと、憲法への理解がかえって痩せて衰退してしまいます。人間に対する「奴隷的拘束」とは何を言うのか、心に刺さった《何か》を大切にしたままで映像がくれた視覚イメージから離れ、その「本質」を考える姿勢をとることができるならば、この問題はまだ過去のものになったとは言えないことが見えてきます。人身売買被害の問題は、世界のいたるところでまだ克服できずに残っています。

 イメージの固定ではなく、そうしたところに想像力を広げるきっかけとして映画の力を借りることが、憲法と映画の良い関係につながると思っています。
 

※2012年に武蔵野美術大学で開催された「映像特別講座・映画で学ぶ憲法(1)〜(3)」の記録が下記に収録されています。ここで紹介させていただいた書籍『映画で学ぶ憲法』のきっかけとなった公開講座です。
  http://img-lib.musabi.ac.jp/event/event_eigademanabukenpo01.html
  http://img-lib.musabi.ac.jp/event/event_eigademanabukenpo02.html
  http://img-lib.musabi.ac.jp/event/event_eigademanabukenpo03.html

書籍情報 『映画で学ぶ憲法』志田陽子編、法律文化社刊 近日中(3月中旬)発売

 

◆志田陽子(しだ ようこ)さんのプロフィール

早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(法学)。
現在、武蔵野美術大学造形学部教授(法学)。研究としての専門は憲法、教育としての専門は憲法および表現活動に関連する法学一般(とくに著作権法)。主な著書として『文化戦争と憲法理論』(法律文化社、2006年)、『新版 表現活動と法』(武蔵野美術大学出版局、2009年)など。





 
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