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今週の一言

 

何が常識だったのか―65年前の夏

2010年8月9日

平山基生さん(沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動運営委員長・共同代表)

 

 アメリカ合衆国独立革命の啓蒙家トマス・ペインはその名著『コモン・センス』のはしがき冒頭で次のように述べています。
「おそらく、これから先のページにのべてある意見は、まだ十分に普及していないので、一般から歓迎されないだろう。現在存在しているものを、まちがっているかどうか考えようとしない長い間の習慣のため、それが、表面上は、正しいものであるかのような様子を示すものだ。また、その習慣のために、ひとは、これまで愛着していたものを守ろうとして、はじめはおそろしい叫び声をあげるものだ。しかし、その騒ぎ声は、まもなくしずまる。時の方が、議論よりも、考えをかえさせるものだ。」(岩波文庫版11ページ)」

現在、まだ、日本政府、マスコミ、多数の国民は、「日本はアメリカに守ってもらっている」というまちがった「常識」にとらわれています。「日本は、米軍占領の事実上の継続の下にあり、半ば占領状態が続いている。」という正しい常識は、まだ十分に普及していません。日本国民は、ある意味で頭の中まで米国に占領されているのです。それが、「独立」後58年という長期の米軍駐留を許しているのです。普天間飛行場問題は、子どもたちと住民の命がかかっているという点で、極めて重大な問題ですが、その重大さは、米国による日本半占領のひとつの現われという点でも重大なのです。

敗戦―戦争・戦力放棄が常識

65年前の、敗戦・終戦記念日8月15日、私は、栃木県の矢板国民学校一年生でした。私の父は牧師で、母も、今沖縄で判事をしている妹が小学校に入学した後に牧師資格試験を受験して牧師になりました。父は、全国伝道で見つけた栃木県矢板町の小さな教会に、母と兄弟姉妹6人と祖母の家族8人を疎開させたのです。
ジージーと油蝉が鳴く、小さな教会の庭から、開け放たれた牧師館の四畳半の部屋に、縦長30センチ位の茶色い真空管ラジオを囲んで、大人たちと年上の姉たちが座っていました。空は真っ青に澄み渡っていました。大人たちは、玉音放送を聞いていたのです。
その情景と重なって目に浮かび、耳に残っているのは、矢板国民学校校庭の情景です。1年生は、早く授業が終わり、人のいない授業中の校庭に校舎の窓から聞こえてくるのは、「神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安・・・」と神話も含む歴代天皇の名を斉唱している生徒たちの声でした。

父が徴兵された天皇制軍隊は皇軍と呼ばれました。徴兵された父は、大学出で幹部候補生になれるのに、信念から志望しなかったため、殴られながら2等兵(最下級兵士)として、中国中部に「出征」中でした。敗戦後、父は運よく現地除隊し、生き残って復員帰国できました。もし父が戦死していたら、ささやかな私の今日さえなかったことでしょう。

 この65年前の夏、天皇の家臣という意味で臣民とよばれた1億の日本国民は、「鬼畜米英」と呼んだ米軍を筆頭とする連合国軍に敗北した天皇制国家が、国民が神とあがめた天皇みずから「玉音」放送で、米国、ソ連などのポツダム宣言を受託する宣言「終戦の詔書」を読み上げるのを聞きました。日本は、憎むべき敵と教えてきた米国などに敗北し、絶対に敗北しない「神国」日本という神話が崩壊したのです。

戦争だけはしてはならない

この時、多くの国民は、泣きながらも、「戦争は終わった」「生き残った」「夫や息子や兄は帰ってくる」「もう(灯火管制で)暗い夜でなく明るい夜を過ごせる」とほっとした思いでいました。しかし、侵略先の戦地と東京大空襲、沖縄戦、広島長崎など国内で300万を超える日本人、2000万のアジア人、6000万ともいわれる世界の人びとが命を失っていました。国土は焼け野原になり、主要駅は浮浪児で満ちていました。敗戦後も、中国東北部から約60万人がソ連に抑留され、その1割の6万人はシベリアなどで亡くなりました。また、中国残留孤児などが残りました。

 1945年夏、国民の常識は、13項目に上るポツダム宣言の各条項と、戦争だけはしてはならない、というものでした。その中で、敗戦の次の年1946年11月3日に新憲法が公布され、6カ月後の翌1947年5月3日施行されました。この憲法は、すでに書いたような、恐るべき数の人命の犠牲の上にあがなわれた珠玉のような日本国民と人類の宝なのです。

 日本国民は、憲法前文の最初の文章で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」「主権が国民に存することを宣言し」「この憲法を確定」しました。繰り返しますが、戦争だけはしてはならない、米軍は占領軍で独立したのちには撤退するということは、当時の国民の常識でした。なぜなら、戦争はあまりに悲惨であったし、ポツダム宣言には「前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せられるるに於いては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし」(第12項)と明記されていたからです。

日本は独立国であるという錯覚

1952年4月28日、前年9月8日に締結されたサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄県を除く本土の国民は、独立が回復したと思いました。ここから、国民の「日本は独立した」という「常識」と「米軍がそのまま居座っている」という半占領の実体との大きな差が生まれ始めました。いまや、軍国主義天皇制政府からアジア諸国民と日本国民を解放したはずの連合国の一国である米政府は、講和条約と同時に、国会にはもちろん条約案を提示することもなく、吉田首相だけの調印で、米軍の駐留を継続する日米安保条約(旧)を結ばせ、講和条約と共に発効させました。現在の地位協定に当たる行政協定も国会の批准を経ていません。講和条約第3条によって祖国から分断され切り離された沖縄県民にとって、1952年の日本の「独立」は、同時に沖縄県の直接占領政治の継続を意味しました。1972年5月15日、沖縄米軍基地を維持するために、サンフランシスコ講和条約3条はそのままにし、日米沖縄協定によって、「基地つき本土並み」返還・復帰を強行しました。沖縄県民、本土国民の「核も基地もない沖縄全面返還・復帰」要求は踏みにじられました。この時、初めて沖縄県を含む日本全土に、憲法と日米安保条約(現)が矛盾と共に適用されたのです。

主権回復こそが国の安全保障の前提

前述したように私の意見では、日本は、まだ米国の半ば占領下にあり、しかも、日本国民は、頭の中まで占領されている、というものです。言いかえれば、「敵」という言葉をあえて使うならば、日本の主権の「敵」は北朝鮮でも、中国でも、ロシアでも、韓国でもなく、日本を半ば占領している米軍だ、という意見です。国の安全保障とは、そもそも国の独立自立を保障するものであって、それを阻害しているものを除去することこそが、まずなすべき安全保障である、その観点からするならば、米軍は、撤退させる以外にない、ということが私の意見です。外国軍隊がいない国が「普通の国」「独立国」なのです。

ここで、一言しておかなければならないことは、現在の「自衛隊・防衛省」なるものが、米占領軍の指令で創設された警察予備隊(1950年8月10日)の流れをくむ、米世界戦略の1部隊であり、日本の独立を妨げる役割こそ持っていても、日本の独立を守る「自衛力」ではまったくない、という事実です。米軍をその従属軍に置き換えたところで変わりはありません。

 日本国憲法がサンフランシスコ条約発効後は、沖縄県を除く日本においては最高法規になりました。憲法は前文で「政府の行為によって戦争の惨禍が起こることのないように」とのべ、第2章戦争の放棄、第9条で「戦力(軍隊)の不保持」を決めました。そのことによって、外国軍である米軍が「政府の行為」(安保条約の締結行為とそれにもとづく米軍へのさまざまな便宜の提供)によって日本国内に駐留していることは、戦力不保持条項に明確に違反しており、在日米軍は、明白に憲法第9条に違反する「戦力」です(東京地裁伊達判決1959年)。
 この意見は、もちろん世界支配を維持し継続しようというアメリカ帝国にとって、極めて都合が悪いので、51年前、マッカーサー米大使は、極秘に藤山外相と田中耕太郎最高裁長官と密会し、在日米軍は「憲法上その存在を許すべからざるものと言わなければならない」と判決した、伊達判決を跳躍上告によって最高裁で葬り去ったのでした。(この点については、拙著『米軍違憲』をご参照ください)

在沖日米軍の撤退こそが最大の安全保障

 日米安保条約による在沖日米軍と自衛隊の存在は、日本国憲法へのクーデターであって、法の支配を市民的常識と考える私にとっては我慢ならぬ「憲法への反乱」としか見えません。憲法の支配が実現していない国家は、近代市民国家と言えません。さらに自民党・民主党が実現しようとしている改憲案は、米帝国の世界支配維持のための「憲法へのクーデターの完成」でしかありません。

違憲の外国軍の撤退で、法の支配へ前進を

 今回の参議院議員選挙では、普天間基地固定、辺野古新基地建設強行政党民主党は大敗しました。しかし、その得票数はそれほど減少はしていません。他方、基地反対政党の議席後退と得票数減少は、目を覆わんばかりです。外国軍基地が、日本ほど多数存在している国は、独立国とはとうてい言えません。米国の「属国」であり、半占領下にあるということこそが真実です。この常識は、トマス・ペイン流にいえば「まだ十分に普及していない」状況です。しかし、「時の方が議論よりも考えをかえさせるもの」です。
 戦前、絶対主義天皇制は永久不滅の様に見えました。いま、日米軍事同盟は永久不滅のように見えます。しかし、戦前の天皇制の様に、必ず日米軍事同盟には終わりが来ます。
 自公政権も民主党政権も、10年以上不可能であった移設先探しという無能力と無責任な軍事同盟優先政策によって、世界一危険な普天間飛行場を事実上固定し、普天間第2小学校の子どもたちを、今現実にさらされている重大事故の危険から守る能力がないのです。いかなる困難があろうと、いかに絶望的に見えようと、国民の間違った常識を変えて、国民的団結で、そのような政府を、変えなければならないのです。子どもたちの命を守るために。

 絶望から希望へ、ということを私は強く言いたい。沖縄県民を先頭とする日本国民は、間違った常識にいつまでもとらわれている国民ではありません。オバマ米大統領は、少なくとも50年は「日米同盟」(という名の対米従属・軍事同盟)を続けると最近述べました。とんでもないことです。すでに58年間、半占領下にある日本は、あと50年を待たず、基地のない真に自立した独立中立の平和国家、憲法を実現する、法の支配の下にある国に変わっているでしょう。これは、憲法実現革命とよんでもいいのです。私たちは、必ずそうしなければなりません。トマス・ペインのいう常識を実現して、大英帝国から独立した米合衆国国民と同じように。世界史は教えています、滅びなかった「帝国」はない、と。

 読者のみなさんお一人おひとりにも、それぞれお持ちのライフワークに加えてもう一つの国民的ライフワーク「憲法の実現」「独立日本の樹立」「真の安全保障の実現」を加えていただきたい。それは、「米軍基地なくす9条の会」へのご参加などをふくむ、国民の団結、組織化によってのみ実現するのです。

◆平山基生さんのプロフィール

 1938年、日本基督教団東京山手教会を創立した平山照次、秋子牧師の長男として東京に生まれる。故松井やよりさんは実姉。(財)沖縄・基地問題研究室沖縄問題研究室長、ユーラシア研究所運営委員、(財)沖縄・基地問題研究室付属東京大空襲・戦災資料センター募金委員などを歴任。
 1996年、基地のない平和な沖縄をめざす東京の会を設立し、会長。2000年、沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動を設立し、運営委員長・共同代表として現在に至る。
 著書・論文に「琉球開発金融公社論」「レイプされ続けるヤポネシア(沖縄をふくむ日本)」「ヤポネシア賛歌」「米軍違憲」など。

連絡先
〒150−0042 東京都渋谷区宇田川町19−5 山手マンション1001
           草の根運動内 米軍基地をなくす9条の会 気付
           TEL&FAX 03−3416−5758
           http://www.kusanone.org


<事務局より>
平山基生さんの御著書『米軍違憲――憲法上その存在を許すべからざるもの』(本の泉社マイブックレット 2009年12月刊)は、こちらで紹介しております。

 
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