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今週の一言

 

日本の民主主義の歪み 〜代表民主主義と司法の関わりを中心に〜

2010年5月31日

福田 博さん(弁護士、「西村あさひ法律事務所」顧問、元最高裁判事)

 

1.多くの国に採用される「民主主義」

 現代の世界では、約6割の国で民主主義が採用されているという。このように多くの国で民主主義が採用されているの何故であろうか。突き詰めるとそれは、代表民主制の下にあっては、有権者の多数は、選挙において、試行錯誤を重ねつつも、中長期的には正しい選択を行い、国の将来を正しい方向に導いていくであろうという仮説の上に成り立っているといえよう。しかしこのような利点が生かされるためには、いくつかのきわめて重要な前提がある。その主たるものは、次の通りである。
(1) 報道の自由、言論の自由があること。これが無いと有権者は十分な情報やいろいろな考え方に接することが出来ないため、自分の意見を正しく形成することが出来ない。
(2) 公正な選挙制度の下に選挙が行われること。公正な選挙とは、自由で秘密の投票が確保され、投票の結果がそのまま正確に公表されることを含む。
(3) 投票価値が平等であること。性による差別を無くすことはもとよりのこと、有権者の投票価値が平等でないと、何が多数かは解らない。平等な価値を持つ投票による多数決は、現代民主主義体制の基本的仕組みの一つ。
(4) 三権分立されていること。三権がお互いにチェックし合うことによりバランスを保ち、政治権力が恣意的に行使されることを防ぐため考案されたものである。

2.日本の民主主義

 日本は第二次世界大戦後民主主義国となったが、次のようなことが特徴として挙げられる。
(1) わが国の民主主義制度は、国民が勝ち取ったものではなく、いわば与えられたものである。しかし、憲法に定められた基本的人権の尊重などは、国民の広く受け入れるところとなっており、三権分立、代表民主制も今やわが国の統治システムの根幹を成すことについて疑いを持つ国民は少ない。しかし、与えられたものは勝ち取ったものに比べ、脆弱なところがある。
(2) 立法、行政、司法の三権についてみると、わが国にあっては長きに亘り、行政の力が強い時代が続いてきた。立法についてみても、成立する予算や法律の多くは、行政府提案のものが多い。(司法については次項)

3.わが国の司法の特徴

(1) 現在の憲法では、全ての事件についての裁判権は最高裁判所を頂点とする司法に一元化され(例外は弾劾裁判所)、その体系は、明治以来の大審院(刑事事件、民事事件を所管した)を頂点とする裁判所を基礎に構築されている。
(2) 戦前は行政事件については行政裁判所が別に存在し、また、憲法裁判権は全く存在しなかったことを背景にしているのであろうか、行政事件ついてはやや慎重に、また、憲法裁判については著しく消極的な対応をしてきているといえる。
(3) 憲法81条に、最高裁判所が違憲審査権を有する終審裁判所であるという明文の規定がありながら、どうしてこれを積極的に活用しないのであろうか?その消極性は、選挙の際の投票価値の不平等の是正を求める訴訟において、特に顕著である。その結果、投票価値の不平等が存在し続けるため、国会の構成に歪みを生じ、国政の選択が偏ったものとなっている。
(4) 国政選挙における投票価値の不平等を正当化する理由付けはいくつかあるが、その一つに憲法47条の規定がある。そこには「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」と規定しているので、投票権の平等の問題について、国会は「広い裁量権」を持っているという論法である。しかしこれは、投票価値の不平等を認め続ける理由にはならない。なぜなら、当選した国会議員は、当選したときの選挙区割りで当選したのであるから、それを変えたいとは思いもしないし、他方、沢山の票を得ながら選挙区が違うという理由で当選者扱いされない候補は、議員として国会の討議に参加できず、投票価値の不平等について文句を言うことは出来ないからである。
  不平等な選挙区割りで利益を得ているメンバーによって構成されている統治機構(国会)に対し「広い裁量」を認め、問題解決(すなわち投票権の不平等の是正)の措置を一任する方途を選択し、それで司法の責任が果たされているというのは、統治システムの一翼を担う司法(特に最高裁判所)がとるべき対応とは思われない。
(5) 憲法は、三権分立を定めるが、どうして最高裁判所(または国によっては憲法裁判所)が最終的な違憲審査権を持つのであろうか?この点については特に米国で様々な研究が行われてきたが、結局のところ、自分の利益を守るために代表民主主義体制を歪めようとする勢力は常に存在するので、民主主義体制を維持し、それが歪まないようにするためには、統治システムの中で権力欲が最も少ない存在であるはずの司法に、統治システムの歪みを少なくさせる役割を担わせるのが最も良い、というのが、最も説得力が感じられる。この説明によれば、司法は謙抑的であることを期待されるものの、同時に憲法で与えられた憲法判断に関する責務はきちんと果たさなければならないという、重要な役割を担っている。
(6) 投票価値の不平等は、「多数決により議員を選び政策を決定していく」という民主主義体制の最も基本的な考え方の、前提を否定するものである(投票の価値が平等でないと、何が多数かは分からない)。しかしこれまでのところ、最高裁判所は(投票価値の問題について)その権限を極めて不十分にしか行使しておらず、結果として、代表民主主義体制に重大な歪みが生じてしまっている。
(7) 私の計算によると、現行選挙制度の下では、投票に行く有権者の投票の少なくとも2割は、全く意味が無いものとして扱われている(注:当選者として扱われる候補よりも多くの投票を得ながら、選挙区が異なるため当選者として扱われない候補者に投ぜられた投票の、総投票数に占める割合)。米国では、1960年代前半に連邦最高裁判所の画期的な判決がいくつか出て、投票価値の平等は侵すべからざる有権者の権利であるという考えが確立している。私が連邦最高裁判事や大学教授らから聞いた話を総合すると、米国で現実に許容される不平等の限度は、議員一人を選出する有権者の平均から4%以内ほどで、これは日本で用いられる格差に換算すると、1.08倍に当たる。
(8) 投票価値の平等を重要視しないもう一つの論理として、いわゆる「一票の格差」論がある。 この論理の基本には「先ず選挙区割りありき」の考えがある。そして、2つ以上の選挙区割りがあって、その間の有権者数の「格差」が「何倍か」を検討し、それが6倍(参議院の場合)または3倍(衆議院の場合)を超えたときに、初めて有権者の投票価値の不平等が憲法問題になる(違憲になる)というのが、従来の最高裁判所の判決である。6倍または3倍という部分について数字的説明は無く、「国会の裁量の範囲内」というのみである。これでは、国会が有権者の平等な代表で構成されている機関であることを保障することは、現実には出来ない。
(9) 一票の「格差」の考え方は、ある程度の投票価値の不平等の存在を「所与の前提」としており、次の2点において、わが国の民主主義国家としてのあり方そのものを変えてしまっている。
 @ 民主主義の基本原則の一つは「多数決」であるが、投票価値が平等でないと、何が「多数」か解らない場合がある。格差論で展開される議論は、わが国民主主義体制における多数決論理そのものを否定する可能性が無いとも言い切れない。
 A わが国の選挙区割りが「都道府県」を基本として行われていることを以って、格差論を用いて投票権の不平等の存在を是認しようとする考えがある。しかし、都道府県はそれぞれの特性を持ちつつも、所詮は中央集権国家の行政区画に過ぎず、県境も法律の手続きで変更できる。したがって、選挙区割りの基礎を都道府県に求めることは、国民の持つ最も重要な権利である投票価値の不平等を是認する根拠とはならない。
  今日に至るも、わが国の裁判所は投票価値の平等の問題を「一票の格差論」を介して論じている。「格差論」を、合憲性の根拠を説明する理由に採用したため、最高裁判所は国会の生み出してきた代表民主主義体制の歪みを是正する役割を、ほとんど果たせていない。
  冷戦終了後の20年の間、わが国の世界における地位は見る影も無く低下してしまっているが、その大きな原因の一つは、最高裁判所のこのような判決が積み重ねられてきた結果、「多数決による国会議員の選挙と政策の選択」という代表民主主義体制の持つ基本的な利点がうまく働いてこなかったことが、国の地位の大幅低下という形で、いよいよ大規模に顕在化したものといえるかもしれない。
(10) ある米国の研究者によると、現在の日本は明治維新、第二次大戦での敗北に次ぐ「第三の国家危機」に直面しているという。しかも、@国家の統一的意思の欠如、A制度的改革の遅れ、B膨大な国の借金と少子高齢化、という三点において、以前よりも厄介で克服しがたいものである。
 私は、国の運命を最終的に決するのは、その国の国民の「民度」であると考える。しかし今の選挙制度は、多数決が歪んでしまい、民度が正確に反映されていない可能性が高い。
 無駄な公共投資で地元にお金を落としたとしても、合法的である以上やむを得ない。しかし、投票価値の不平等の結果少数の人口に対して多額のお金を使うことは、決して効率的とは言えない。それは、民主党政権のようにコンクリートから人へ、であったとしても同じである。人口比率に合致しないシステムでは、国のお金が適切に使われるとは限らない。そうして生じた非効率が、国の借金や失業など、経済へも影響を及ぼすことになる。
 代表民主制の利点を十分に利用できない体制の国になってしまった、わが国の将来がどうなっていくのか?これが私の現在考えている最も大きな課題である。

(本稿は、2010年5月22日に伊藤塾東京校で行われた「明日の法律家講座」でのご講演およびレジュメ資料をもとに、その内容を要約し、再構成したものです。)

福田さんの最新の論稿です。
「日本の民主主義」福田博(2010年5月14日)PDF
「ソブリン・デッドに関連して」福田博(2010年6月21日)PDF

◆福田博(ふくだひろし)さんのプロフィール

1935年生まれ。東京都出身。東京大学法学部、イェール大学ロースクール卒。
1960年外務省入省。在米日本国大使館参事官、外務省条約局長、駐マレーシア特命全権大使、外務審議官などを経て、1995年9月最高裁判所判事就任(〜2005年8月)。「愛媛県玉串料訴訟」「在外邦人選挙権訴訟」などに関与。「一票の格差」をめぐる訴訟においては、少数意見として違憲判断を書き続けた。
2005年8月 最高裁判事を定年退官。その後、弁護士登録(第一東京弁護士会)。
2006年3月 西村あさひ法律事務所 オブカウンセル就任
主な著書に「世襲 政治家がなぜ生まれるのか? - 元最高裁判事は考える -」(日経BP社)などがある。



 
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