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今週の一言

 

戦中・戦後の戦争体験とその教訓

2009年8月17日

信太正道さん(「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」代表)

 

1.なぜ海軍兵学校を受験したか?
 旧制中学は5年制でしたが、上級校の受験は3学期末にありました。しかし海軍兵学校は青田刈りで4年生の夏休みに試験のチャンスがありました。私はよくいえば腕だめし、本音は冷やかしで受験、不幸にも合格してしまいました。私の小学校以来の憧れは裁判官でしたが、人生の出発点で道を間違えてしまいました。

2.なぜ神風に選ばれたか?
 成績不良だったからです。45年3月25日に海兵卒業。1000人の同期生の中、成績優秀な50人は戦艦「大和」に配属されました。大和は4月6日奄美沖で撃沈されています。7月15日に神風希望の有無を用紙で問われ、1名を除き全員が熱望しました。7月25日に海軍少尉に昇進し、翌日神風の指命式が行なわれました。航空班200名の中、36名が指命され、和田司令によって「神風特別攻撃隊古鷹隊」と命名されました。指命された者はしょんぼり、指命されなかった者は「よかったな!俺は後に続くぞ」と言って指命された者達に握手しました。

3.指命後
 翌日、偶然に面会に来た両親に隊門前の旅館で会いました。昨日特攻隊に指命された事を告げると父は「そうか」とだけ言いました。軍人ならみんな特攻隊だと、軽く考えていたのでしょう。詳しく説明すると両親は顔面蒼白、2階の居室に連れていかれ、襖をしめると母は、「断ることができないの」と絶叫しました。
 その翌日から特攻訓練が始まり、ある日、天候不良のため訓練中止となり、一旦士官宿舎に帰りました。命がけの訓練をした私たちが不意に帰ってきたのを見て、特攻隊に指命されなかった同期生たちはあわてて碁盤や将棋盤、トランプを片付けました。
 8月12日、遺書を書かされました。両親の悲しみを知っている私は本音を書けないことは勿論です。知覧特攻会館などに展示されている嘘の遺書を書きました。
 8月15日、攻撃基地「百里原航空隊」に移動の途中、仙台駅前で敗戦の玉音放送を聞きました。私たち36名の特攻隊員は三々五々プラットフォームに帰ってきました。誰かが言いました。「負けたらしいな」。その者の目を見つめました。なんとも言えぬ安堵がただよっていました。他の36名も同じです。

4.帰省
 9月中旬、帰省しました。庭で私を見つけた母は裸足で飛び出し、「生きている、生きている、正道が生きている!」と絶叫し私にしがみついてきました。
 その夜、家族がそろって夜食を祝いました。となりに座っていた弟は「馬鹿な戦争をしたもんだ」とつぶやきました。それを聞いて私は激怒し彼の頭を殴り、彼は私の手に噛みつき、母は「殴るのなら私の頭を殴って、噛むなら私の手を噛んで」と泣きました。

5.海上保安庁時代
 50年に京大を卒業し、8月に国家公務員上級試験に合格しました。しかし、職業軍人は公職追放のため官吏になれません。人事院を訪ねたところ、海上保安庁の掃海部に嘱託として勤めたらどうか。朝鮮戦争は6月に始まった。やがて嘱託を解除されるだろうと悪知恵をさずけてくれました。米軍の要請によって特別掃海隊が編成され憲法違反の朝鮮掃海が命じられ1名が戦死しました。この事実は極秘として葬られました。私は第2次朝鮮掃海に参戦しました。私の戦死により中央本部からも戦死者が出たと、現地の不満を押さえる為でしょう。

6.海上警備隊創立準備室時代
 隣室に芦田均の長男の富が勤務していました。彼は海兵の同期生です。ある日、大森の自宅で父親に会いました。彼は言いました。「憲法9条2項に『前項の目的を達するため』の文言を入れたのは私だ。軍隊のない国家は国家と言えない。それにしても交戦権の否定は言語道断。やがて憲法を改正しなくてはならない」

7.ベトナム戦争時代
 日本航空の機長時代、何回となく北爆の米軍機とニアミスしました。彼らには航空法が適用されません。目茶苦茶な操縦です。通常4機編隊です。しかし、ベトナムから撤退の75年頃には帰りの編隊は3機か2機でした。撃墜されたのでしょう。
 米軍は朝鮮戦争で3万人、ベトナム戦争で5万人の兵士を失っています。しかし、日本兵はゼロ。憲法9条のお陰です。戦死者が出たのでは憲法改正は困難になります。その代わり、改悪後は、どんどん戦死者が出なくては困ります。日本を守ってくれているアメリカ国民に申しわけないからです。さりとてアメリカ国民は日本国民に「憲法改正せよ」と命令できないでしょう。日本国憲法は彼らが押しつけたというトラウマを持っているからです。彼らは日本人による改憲を熱望しています。いよいよ関が原ですね。

8.なぜ厭戦庶民の会を立ち上げたか?
 海上警備隊創立準備室時代にハリス米海軍少将から統率学の真髄を学びました。「勝利の為の3要素はハード(武器)、ソフト(法律)、モラール(モラルではありません、戦意)である」。これは私の類推ですが、米国指導者は戦意昂揚のため、卑怯なJAPの真珠湾攻撃を徹底的に利用したな、と。
 海上自衛隊が創立して間もなくの53年春にスターリンが急死しました。全自衛隊員にとって大ショックでした。また失業かよと。脅威の消滅は最悪の脅威、脅威は努力してつくるものだということを学びました。90年のソ連の崩壊による彼らの苦悶は想像ができます。ところが幸いに湾岸戦争、9.11事件、北朝鮮のミサイル発射など彼らに希望の光がさしてきました。ホップ・ステップです。間もなく憲法改悪のジャンプがくるかもしれません。だがしかし、たとえそれが実現したとしても国民の2割が面従腹背の厭戦主義なら戦争屋は戦争ができません。私たちは2000年12月に「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」を立ち上げました。どんどん増えています。面従腹背ですよ。こわいですよ。

◆信太正道(しだまさみち)さんのプロフィール

1926年生まれ。86年に日本航空を定年退職後、居住地の池子米軍住宅建設反対運動はじめ反戦・平和運動に専心。不戦兵士の会・会員。ゴラン高原PKF違憲訴訟原告団代表、厭戦庶民の会代表。
著書「最後の特攻隊員・二度目の遺書」高文研



 
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