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今週の一言

 

『長沼事件 平賀書簡』から司法改革を語る

2009年6月8日

大出良知さん(東京経済大学教授)
伊藤真(法学館憲法研究所所長)


■「司法の危機」

(伊藤)
 大出さんはこの程、『長沼事件 平賀書簡 − 35年目の証言』を著されました。
 私の塾(伊藤塾)の塾生たちは、法律家をめざして勉強していますので、長沼ナイキ訴訟で憲法9条のことを、そして平賀書簡問題で司法権の独立を学びます。また、刑事訴訟法では日本の刑事司法の問題点を学びます。大出さんの本は、これらは決して別々のことではなく、歴史の大きな流れの中でつながっているのだということを示してくれました。大出さんはこの本に平賀書簡問題の論文を載せ、当時の裁判官たちの座談会をリードされました。平賀書簡問題についての大出さんの基本的な問題意識からお聞かせください。
(大出さん)
 私は大学生の時に「裁判制度ゼミナール」という、多分私の大学にしかなかったゼミに所属していました。その時期に、平賀書簡問題(1969年)、そして宮本判事補再任拒否事件(1971年)が起こり、それらをウォッチすることになりました。以降、私は今日までずっと司法問題に関わってきました。
 1960年代当時、司法と政治との間に厳しい緊張関係が生じていました。60年安保闘争が高揚し、裁判官たちが憲法の考え方をふまえた判決を出す状況になりました。それは公務員の争議権や公安条例をめぐる裁判などにあらわれました。また、恵庭事件においても自衛隊の違憲判断が出るのではないかと言われました。そのような動きを受け継ごうとしていた若い層が、青年法律家協会(青法協)に所属する裁判官達でした。そのようなこともあってだと思いますが、自民党は1967年くらいから青法協裁判官攻撃に乗り出したのです。
 1969年、自衛隊の合違憲性が問われる長沼ナイキ訴訟の裁判長になった福島裁判官に対して札幌地裁の平賀所長が干渉しました(平賀書簡問題)。それは裁判官の独立を犯すとして平賀所長は処分されましたが、事件発覚後わずか2週間後に鹿児島地裁・飯守所長が所信を発表しました。それは福島裁判長が青法協に所属していることを問題視するものでした。以降、メディアや自民党が青法協攻撃を展開し、最高裁判所も裁判官は政治的団体への加入は慎むべきとの立場をとるに至りました。こうして最高裁判所による裁判官の統制が強まっていくことになり、1971年、青法協に所属していた宮本康昭判事補の再任が拒否されるという事件がおきました。
 戦後の日本の司法と裁判官をめぐる状況を理解する上で、「司法の危機」と言われた、これらの経過を正しく理解していくことは不可欠です。

■「司法の危機」の新たな展開

(伊藤)
 平賀書簡問題以降の日本の司法の推移とその問題状況についてもお聞かせください。
(大出さん)
 1971年に宮本判事補の再任が拒否されましたが、それ以降に同じような再任拒否事件はおこりませんでした。ただ、最高裁判所による裁判官の統制は、再任拒否という露骨な方法がなくなっただけで、実質的な統制が強まることになりました。任地や給与といった人事を通して青法協に所属していた裁判官を差別しました。差別された裁判官たちの間で“しぶしぶと支部から支部へと支部まわり、四分の虫にも五分の魂”という戯れ歌が読まれたりしました。
1970年代から80年代にかけては、裁判内容についての事実上の統制もすすめられました。たとえば公害問題の行政訴訟などで住民側が勝訴できなくなっていきました。長良川水害訴訟では同じ決壊個所から発生した二つの裁判で、最初の裁判が住民側勝訴になった後、二つめの裁判では裁判長が判事と検事の交流システムで法務官僚として国を勝たせる論理を検討して裁判所に戻ってきた者に交代させられ、住民側が敗訴となりました。重要な裁判については最高裁判所が裁判官を集めて、事実上の「指導」をするようになっていきました。

■刑事司法改革の進展

(伊藤)
 その頃は死刑確定者が再審で無罪になるようなこともありました(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)が、全体的には刑事事件でも被告人の権利が守られない事態が進行したと思います。東大学長を務めた平野龍一博士は「日本の刑事裁判はかなり絶望的である」とまで指摘されました。1980年代以降、刑事司法改革についてはいろいろな展開がありましたよね。
(大出さん)
 私は刑事訴訟法が専門でもあり、1980年代からは刑事司法改革と刑事弁護の活性化に関わってきました。1990年に日弁連が刑事弁護センターを発足させ、弁護士が手弁当で被疑者をサポートする当番弁護士制度をはじめました。弁護士会のこのとりくみが今日の司法改革につながっているのです。
 今日の司法改革は新自由主義政策の一環としてすすめられたという側面があることは否定できませんが、政治家が司法改革をすすめるにあたって一番参考にした意見は日弁連が中心になって長年蓄積してきた改革案であったことは間違いないと思います。最高裁判所や法務省などはもともと司法を大きく変える必要はないという立場でしたから、私たちが求める司法改革がこんにち100%実現しているわけではありません。しかし、こんにちの司法改革が日弁連をはじめとする連綿とした運動によって築かれてきていることを是非知っていただきたいと思います。

■裁判員制度の開始

(伊藤)
 司法改革の大きな課題の一つである、裁判員制度も今年5月にスタートしました。私は司法への国民の参加は積極的に評価されることだと考えますが、問題も多く残しており、特に刑事裁判や裁判員の役割・あり方を正確に国民に伝える努力が必要だと思っています。刑事裁判の本来の役割は、被告人は有罪であるとの検察官の主張に疑いはないのかどうかをチェックする、ということなのです。私はものわかりのいい裁判員ではなく、口やかましい裁判員になってもらいたいと思います。
裁判員制度については、裁判員は裁判の様子を外部に漏らしてはいけないとされますが、私は必要以上の守秘義務を課されていると考えます。裁判員制度についての大出さんのご意見をお聞かせください。
(大出さん)
 裁判員制度開始にあたって、伊藤さんの仰るように刑事裁判の本来の役割を国民に広げなければなりません。また、裁判員に課せられている守秘義務は厳格すぎます。伊藤さんの仰る通りです。私も政府の検討会のメンバーに入った時に同じ主張をしました。残念ながらこの点は引き続きの課題になっています。
 このような問題があるのですが、裁判員制度は刑事司法改革にとってきわめて重要な意味を持っています。戦後の刑事司法は平野博士が言ったように絶望的な状況で、起訴された被告人は99.9%が有罪となってきたのです。取調べの可視化などがすすめられることによって、そしてこの刑事裁判に国民が参加することによって刑事司法改革に風穴を開けうる状況になっています。裁判員は有罪・無罪の判断においても、量刑についても、これまでの裁判所の「基準」に従う必要はなく、市民としての常識的な判断を主張すれば良い、そういうメッセージを私たちは発信していかなければなりません。

(伊藤)
 こんにちの司法改革の意義と課題について歴史的な経過をふまえて問題提起していただきました。司法改革についてはまだまだ多くの課題と論点がありますので、ぜひあらためてお話をお聞きしたいと思います。本日はありがとうございました。

◆大出良知(おおでよしとも)さんのプロフィール

1947年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得中途退学。静岡大学、九州大学、同大学法科大学院長などを経て、現在、東京経済大学現代法学部教授・九州大学名誉教授。
専攻は刑事訴訟法、司法制度論。
『現代刑事訴訟法』(共著・三省堂)・『刑事弁護』(共編著・日本評論社)・『裁判を変えよう』(共編著・日本評論社)など著書多数。

<法学館憲法研究所事務局から>
当研究所は「司法の危機」に直面した裁判官の方々の連続講演会を開催しています。下記の通りです。多くの方々にご参加いただきたく、ご案内します。
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(名古屋でも9月8日に開催します。いずれも当WEBサイトにて案内致します。)

 


 
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