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国民投票を迎えるためにも普通教育の拡充は焦眉の課題

2009年2月9日

武田晃二さん(岩手大学教授)
 私は近著『普通教育とは何か−憲法に基づく教育を考える』(共著、地歴社、2008年10月)において、今日のわが国の教育状況を抜本的に打開していくうえで、日本国憲法第26条第2項に示されている「普通教育」の理念を明確にし、その制度の拡充を図ることが、焦眉の課題であることを訴えました。この課題は同時に、いわゆる国民投票法に基づく国民投票が実施された場合、その結果を、国民の大多数が納得できるものにするうえでも、きわめて重要であると思います。ここでは、国民投票を迎える状況をあえて想定し、それと普通教育との関係について述べてみたいと思います。
 国民投票法は18歳以上のすべての国民が改正案ごとに投票することになっています。かりに10年後に投票が行われるとすれば、現在8歳(小学校2年生)の子どもたちも投票に参加することになります。今日、子どもたちがおかれている状況は、一般的には、競争原理や能力主義を原理とする教育現実のもとで、孤立を強いられ、その結果として政治的無関心や右派的な政治的気分、非合理主義的な価値観、他者への無理解、直情的な行動などが広がっているとも言われております。このような状況を放置したままで、国民投票を迎えた場合、私たち国民にとってきわめて不幸な結果となる可能性は否めません。このような状況を大きく変えることはできるのでしょうか。その鍵は普通教育制度を抜本的に拡充できるかどうかにかかっているといえます。
 憲法に言うところの「普通教育」という概念は、「憲法の指導精神」とむすびついて、憲法に導入されました。「憲法の指導精神」といえば、「人類普遍の原理」に基づく国民主権原理、平和的生存権、基本的人権などのことです。これら主権もしくは権利の内実はどこでどのように形成され、育成されるのでしょうか。現実には、資本主義的原理に立脚した大人社会の生活諸過程の中でも形成されています。同時に、学校などの教育の世界でも、さまざまに形成され育成されています。子どもたちの主権者としての内実、人権主体としての内実は、この分野でも、現実社会の影響を強く受けて形成されていますが、同時に、憲法理念に基づく教育、とりわけ普通教育の在り方に強く規定されています。私は、上記拙著において、「排除と誤解の経過」というフレーズを用いて、憲法と結びついた普通教育の理念が幾重にも抑圧されてきたことを指摘しました。
 普通教育とは「人間を人間として育成する社会的営み」のことです。普通教育の理念は近代民主主義思想とむすびついて生成しました。しかし、そこには基本的に相異なる2つの立場が見られます。一つの立場は、コンドルセ(1743-1794年)に見られるように、普通教育を「市民の育成」と捉える見地であり、そこでは子どもたちは「市民」として育成されることが期待されていました。もう一つの立場は、ルソー(1712-1778年)に見られるように、「人間の育成」を普通教育と捉える見地です。「人間の育成」とは、子どももまた人間であるとしたうえで、人間としての理性の根拠を、大人の中に求めるのではなく、子ども自身の諸能力に内在しているとし、これらの諸能力をそれらの成長・発達の法則性を洞察しながら、「人間の理性」あるいは「大人の理性」にまで育てていくこと、を意味するのです。
 普通教育をめぐる2つの立場は、それぞれにおいて、独自な発展をしていきます。「市民の育成」にたつ普通教育論は、その後、国民教育論(これもさまざまですが)とも交錯していきます。「人間の育成」に立つ普通教育論は、資本主義批判という政治的文脈の中で、発展していきます。
 ルソーは民主政治を実現することと普通教育の関係を深く解明しました(『社会契約論』、『エミール』、ともに1762年)。エンゲルス(1820-1895年)は「行政における民主主義、社会における友愛、同権、普通教育は、経験と理性と科学がつねにめざしているつぎのより高い社会段階をひらくであろう。それは古代の氏族の自由、平等、友愛の復活-ただしより高い形態における復活となるであろう」(『家族、私有財産および国家の起源』、1884年、太字はエンゲルス)と述べています。また、わが国においても、明治前期、国会開設を控え参政権の内実を確保する観点から、自由民権派に属する人々は「普通教育」を主張しました。普通教育の思想は民主主義を実現する見地から表明されてきたのです。そして、日本国憲法は、国民主権原理のもとに、「教育を受ける権利」を有する国民が、同時に、18歳未満の、障害の有無にかかわらずすべての子どもたちに対し、無償の普通教育を受けさせる義務主体であることを定めたのです。
 普通教育という概念自体、そのようなエネルギーを秘めているのですが、それが日本国憲法に位置づけられたことで、いっそうパワーアップされたのです。日本国憲法が掲げる「普通教育」概念は、詳細は上記拙著に譲りますが、全体として「人間の育成」を理念とするものです。憲法の教育条項を具体化した教育基本法の前文にも「人間の育成」が謳われています。当時の文部省が発行した『新教育指針』(1946年)にも「教育は人間を人間らしく育て上げることを目的とする」と明記されています。
 だからこそ、支配層は国民投票を控え、教育基本法の「改正」を強行し、憲法改悪を実現しようとしているのです。改正教育基本法は、教育理念を「人間の育成」から「国民の育成」に転換したうえで、「普通教育」という文言を「義務教育として行われる普通教育」に改め、戦前的な義務教育観のもとに「普通教育」を抑え込もうとしています。改正教育基本法はその意味で違憲性が強いと言えます。また、ここに支配層のアキレス腱があるのです。
 戦後、政府・文部省は「学習指導要領」の発行あるいは告示という形で、教育課程制度に対する統制権を確保することに成功しました。その後、政府・文科省は今日に至るまで、憲法理念に反し、「日本人の育成」もしくは「国民の育成」の見地に立って、教育政策を強行してきました。その結果、政府自身も認めるような教育の危機が現出しています。
 ところで、「憲法の指導精神」を生かす普通教育とは、具体的には、どのような教育なのでしょうか。
 自分たちの生活において共通に大切なことは、自分たち自身で考え、判断し、決定していくという知性、日常生活でいじめなどさまざまなトラブルに遭遇した場合、それらが生起する原因をお互いに探求しあい、その原因除去や再発防止のために話し合い、平和的に解決しようとする知性、あるいは、人間らしく生活すること、自分の考えや要求したいことを表明すること、などを、お互いに権利として認め合うという知性、などの育成をめざし、基本的な教科の学習を中心とする教育活動を全面的に推し進めることです。成長するにつれ、子どもたちは政治社会の基本原理や現状について、道徳的側面を含むさまざまな角度から、真に自分たち自身で判断し、主張し、行動していくことができるようになるのです。
 フィンランドの教育や犬山市の教育などが注目を集めています。そこでは、いろいろ問題があるにせよ、事実上、普通教育の理念が追求されています。また、今日、「交流授業」、「協働学習」あるいは「学びあい」などの名のもとに、普通教育の理念に接近する授業実践も少なからず行われています。中学校の滝口正樹先生(社会科)は、自著『人間を育てる社会科』(地歴社、2008年)で、「交流授業」での成果を挙げながら、そのためにも「とくに憲法第26条(普通教育)の内実(内容的な意味)を探求することが不可欠」と述べています。学習方法だけではなく、各教科の内容を中心とする教育課程全体、さらには学校制度、教育行財政の在り方なども、普通教育の見地から改変されなければならないのです。
 私たち国民は、教職員、保護者、地域住民、教育行政関係者等と一緒になって、憲法理念や普通教育の理念のもとに、連帯し協働していくことが強く求められています。
 改憲をゆるさない他のさまざまな事業とともに、普通教育制度を拡充していくことが、国民投票で素晴らしい結果を出す確実な保障となるのではないでしょうか。  

以上


◆武田晃二(たけだこうじ)さんのプロフィール

 1943年 北海道生まれ
 1966年 北海道学芸大学札幌分校卒業
 1968年 北海道大学経済学部卒業
 1976年 北海道大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学
 現 在  岩手大学教授(教育学部、教育学専攻)
      「憲法に基づく教育をすすめる岩手県民共同の会」代表
 著 書  『子どもと教育基本法』第1集(共著、2002年)、第3集(共著、2004年)、第4集(単著、2006年)および『普通教育とは何かー憲法にもとづく教育を考える』(共著、2008年、いずれも地歴社)など。

 


 
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