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今週の一言

 

「重慶爆撃とは何だったのか」

2009年2月2日

一瀬敬一郎さん(弁護士)
■−−今年『重慶爆撃とは何だったのか』(高文研)という6人の筆者による共著が出版されました。一瀬さんは、その筆者の一人で、現在、重慶爆撃の被害者たちが被告日本国に「謝罪と賠償」を求めて提訴した裁判の原告代理人をつとめておられます。まず重慶爆撃について簡単にご説明下さい。
(一瀬さん)
 重慶は盧溝橋事件から間もない1937年10月下旬より中国国民政府の臨時首都となり、以後日本敗戦まで国共合作下の中国と連合国の対日戦争の拠点でした。日本軍は、地上軍派遣が不可能な重慶に対して、航空機による大規模な無差別爆撃を数年間繰り返しました。これがいわゆる重慶爆撃です。
 重慶爆撃の意図は、中国の臨時首都となった重慶市民の生命・財産に対する徹底的な破壊攻撃を執拗に繰り返すことによって重慶市民の抗日戦争継続の意志を押しつぶし、これにより国民政府を瓦解させることにありました。これを戦略爆撃といい、前田哲男氏が名著『戦略爆撃の思想』(2006年新訂版・凱風社)で詳細に分析されています。

■−−重慶爆撃の期間や回数など、また爆撃被害の状況について教えて下さい。
(一瀬さん)
 戦略爆撃としての重慶爆撃が集中的に行われた期間は、1939年から1941年8月までです。この始期と終期は、日本が漢口を占領し航空基地を設置して陸海軍が連携を取るようになった時期と対米英戦争に転換する時期に対応しています。
 爆撃回数は、現在の直轄市重慶の範囲で言いますと、2百回を超えています。また当時の重慶市で集中的に爆撃を受けた地域は、長江とその支流嘉陵江に挟まれた半島状の重慶市街地部分とその2つの川の周辺地区でした。
 爆撃被害は、中国側の最近の研究によると、直轄市重慶の爆撃被害は死傷者総数5万5千人(うち死者2万4千人)と推計されています。
 なお訴訟では、現在の直轄市である重慶市の範囲と現在の四川省の範囲をあわせた地域全体への爆撃を「重慶大爆撃」と呼んでいます。

■−−重慶爆撃裁判の提訴時期や原告数、さらに弁護団の抱負を語って下さい。
(一瀬さん)

原告の周永冬さん。
 1940年8月9日の爆撃で右足の膝から下を失う。2008年12月に裁判のために来日し法廷で意見陳述を行う。
 重慶大爆撃裁判は、これまで3回に分けて提訴され、原告は合計107人になっています。第一次は、2006年3月で現直轄市重慶(34人)、四川省の楽山市(5人)及び自貢市の爆撃被害者計40人が日本国に損害賠償を求めて東京地裁に裁判を起こしました。第二次は、2008年7月で四川省成都市の爆撃被害者22人が提訴しました。第三次は、同年12月で四川省楽山市(43人)、自貢市、濾州市及び重慶市の爆撃被害者計45人が提訴しました。 
 第一次訴訟は現在までに8回法廷が開かれました。今年の6月ころ第4次訴訟を起こす予定です。一審判決は3年後くらいになる予定です。
 重慶大爆撃の当時、すでにハーグ陸戦法規や空戦法規案があり、国際慣習法からも無差別爆撃は禁止されていました。荒井信一教授が『空爆の歴史』(2008年・岩波新書)で詳述されているように戦後のジュネーブ議定書は一層厳格な空爆規制を定めています。しかし、そもそも軍事目標主義なるものは実際には虚構性に満ちたものですし、20世紀後半から21世紀の現在まで無差別爆撃による残虐な空爆被害を繰り返し生み出しています。弁護団は、この現実を直視し、重慶大爆撃裁判を通して、航空機による爆撃の普遍的な残虐さ・無差別爆撃性を明らかにし、〈無差別爆撃の全面禁止→空爆の全面禁止〉を確立していきたいと考えています。東京地裁で原爆投下の国際法違反を認定させた半世紀前の原爆訴訟をさらに前進させたいと思っています。

■−−重慶大爆撃は、戦後の東京裁判で裁かれたのですか?
(一瀬さん)

重慶市の中心街にある1941年6月5日の日本軍の重慶爆撃で発生した大隧道惨案の犠牲者を追悼する慰霊碑。

 もともとアメリカは、日本が爆撃を行っていた当時、重慶爆撃は無差別爆撃であり国際法に違反すると非難していました。しかし実際には東京裁判の訴因に無差別爆撃は含まれませんでした。これは、その後に米軍が行った日本各地への空爆や広島・長崎への原爆投下が戦争犯罪として批判されるのをおそれたからだと思います。英軍のドイツへの空爆の違法性も問われるおそれもあったでしょう。これは731部隊の犯罪行為や細菌戦が東京裁判で裁かれなかったのと同じ事情(一種の隠蔽)だと思われます。

■−−重慶には重慶爆撃直前まで日本租界があったと聞きましたが本当ですか。
(一瀬さん)
 本当です。36年間、重慶には日本租界がありました。もともと日本の重慶との関わりは日清戦争の講和条約(下関条約・1895年)に遡ります。日本は同条約で重慶に領事館を設置する権利や日本国汽船の航路を重慶まで拡張する権利を得たのです。翌1896年に日本は重慶に領事館を開設し、5年後の1901年には日本租界が開設されました。
 その後中国で租界廃止運動が広がり、一時閉鎖されたこともありました。1937年7月に盧溝橋事件が起こると、数万人の重慶市民が抗日集会を開いて「重慶の日本人を拘束し日本租界を回収せよ」と決議を上げるなどの動きが起こり、同年8月には日本は重慶租界を放棄し日本人も重慶から退去しました。最初の重慶爆撃の半年前のことです。

■−−中国人の戦後補償裁判に関して、2007年4月27日に最高裁判所は西松建設強制連行・強制労働事件などで、中国人の戦争被害関連の個人賠償請求権は日中共同声明第5項で放棄され、裁判上訴求する権能は失われた旨を判示しました。この判決をどのようにお考えですか。
(一瀬さん)

重慶市渝中区の原告団事務所にて

 今回の4・27最高裁判決は、従来の複数の下級審が日中共同声明5項は個人請求権を放棄していない旨を判示した法理論の水準にも及ばない極めて粗雑なものです。すでに『法律時報』(2008年4月号)などで理論的な批判が行われています。
 一点だけ指摘します。4・27最高裁判決は、日中間の講和問題の処理を専らその「サンフランシスコ平和条約の枠組み論」で処理しようとしていますが、これは歴史を無視した暴論です。そもそも中国政府は、1950年12月、1951年5月、8月、9月、さらに1952年5月の計5回、周恩来外交部長がサンフランシスコ平和条約に対する反対声明を出していますし、同条約中の賠償放棄条項にも批判を加えています。従って、中国と日本との講和問題のために、日本の最高裁判所が一方的にサンフランシスコ平和条約の枠組み論を中国に適用するなどということは、著しく歴史を歪めるものであり完全に間違っています。

■−−原告たちの訴訟を決意したお気持ちはどんなものですか。
(一瀬さん)
 重慶大爆撃裁判の原告団は、活動の目的を「真相」「正義」「賠償」「平和」であらわしており、日本人に次のようなメッセージを伝えていますのでご紹介しておきます。

    *

 “我々が訴訟を起こした目的は「真相」「正義」「賠償」「平和」を実現する為だ。
 「真相」は重慶大爆撃の加害と被害の全ての真実を歴史に残すことである。我々は爆撃を許すことはできるが決して忘れない。忘却は歴史への犯罪である。爆撃の事実を記録し永遠に忘れないことこそが二度と重慶大爆撃を繰り返させない道だと確信している。
 「正義」を実現する第一歩は、日本政府が重慶爆撃が違法な犯罪行為であることを認めて、我々被害者に謝罪することである。
 「賠償」は爆撃被害者に賠償することであるが、これによって「正義」の実現を完成させることができる。お金は我々の苦しい記憶を消すことも、精神的な損失を補うこともできない。まして肉親をよみがえらせることもできない。しかし賠償を通じて日本政府は真剣に歴史を反省し、教訓をくみ取るべきである。かつて日本のある野党の政治家が「謝罪のない賠償は道義に反する。賠償のない謝罪は偽りである」と言ったのはまったく正しい。日本政府に賠償を通じて真剣に歴史を反省させ、歴史の教訓をくみ取らせるのだ。賠償を求めないのは、民族の恥であり、臆病の現れである。
 「平和」は、歴史を鑑にして、中日両国の人民が子々孫々友好的につきあい、戦争といさかいのないアジアと世界を実現することである。私たちは、良心的で目覚めた日本人民はアジアに対する侵略戦争中に犯した過ちを深く反省し、二度と他国を侵略することなく、中国人民とも友好的につきあっていけると確信している。平和こそは我々の最終にして最大の目的であり願いである。”

■−−日本はすでに戦後生まれの世代が全人口の8割に達し、重慶爆撃については事実すら知らない日本人が多いのが実情です。弁護団の皆さんはどのような認識で裁判に取り組んでおられますか。
(一瀬さん)

1939年8月19日の楽山爆撃被害者を追悼する慰霊碑。楽山爆撃の状況を描いた絵を掲げる楽山原告団長の故趙樹信さん(左)と画家の李雲さん

 重慶大爆撃裁判の弁護団長の土屋公献弁護士は、『弁護士魂』(2008年・現代人文社)の中で、アジアの戦争被害者が提起している戦後補償裁判について、多くの日本人がもっている“今さら半世紀以上前の戦争被害を持ち出すのはどうか”、という認識に対して、次のように指摘されています。
 “日本が国家として60年、70年経っても、戦争被害者にまだ何もやっていないことこそ問題だと思う。世界の平和を実現するためには、まず戦争を起こした加害国の政府が被害者に加害の事実を認め、心から反省し謝罪することである。戦争の真実を忘却したとき、次の戦争の第一歩は始まっている。”
 先ほど紹介した重慶大爆撃裁判の原告団の皆さんの裁判を決意した気持ちに照らしても、この土屋弁護士の指摘は全く正しいと思います。
 憲法論から言っても、日本国憲法の9条と平和主義は、強制連行・強制労働、戦時「従軍慰安婦」及び重慶大爆撃などの日本の軍や企業が犯した戦争犯罪行為の犠牲者に対して日本が「謝罪と賠償」を最優先に行うことを予定しているのではないでしょうか。
 このような認識に立って、私たち弁護団は弁護活動を行っています。(以上)

重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京
731細菌戦訴訟のWebサイト


◆一瀬敬一郎(いちのせ けいいちろう)さんのプロフィール

 1981年、弁護士登録。重慶大爆撃裁判の弁護団事務局長。
 共編著:『裁かれる成田空港』(社会評論社)、『目撃証言の研究−法と心理学の架け橋を求めて』(北大路書房)
 共著:『誤判救済と刑事司法』(日本評論社)、『裁判と歴史学 七三一細菌戦部隊を法廷から見る』(現代書館)など。

 


 
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