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今週の一言

 

「そんなの関係ねえ」??

2008年5月5日

浦部法穂さん(名古屋大学教授・法学館憲法研究所主席客員研究員)
 4月17日に、名古屋高裁は、イラクへの自衛隊派遣について、その活動を違憲とする判決を出した。判決は、イラク戦争の経緯・現状を、各種の証拠資料にもとづいて詳細に検討し、イラクがなお戦争状態にあること、航空自衛隊の輸送活動が戦闘地域への米軍の兵員輸送を中心とするものであることを認定したうえで、イラクでの自衛隊の活動は他国と一体となって武力行使をしているものと評価せざるをえず、このような活動は、「イラク特措法」にも違反するものであり、憲法9条1項に違反するものだ、としたのである。
 これは、「武力行使をしない」、「自衛隊の活動地域は非戦闘地域に限る」などとした、「イラク特措法」制定過程での政府の説明が、いかにインチキだったかを、法的な観点から鋭くついたものということができる。実際、同法制定過程では、当時の小泉首相は、「どこが戦闘地域でどこが非戦闘地域かなんてことは、私に聞かれたってわかるはずがない」とか、「自衛隊が行く所が非戦闘地域だ」など、およそ無責任な開き直り答弁に終始してきた。このようないい加減な姿勢のままで法律を成立させ戦地に自衛隊を派遣した政治に対して、この判決は、司法の立場から重い警告を発したものとして受けとめられなければならない。
 ところが、政府の側は、これを重く受けとめるどころか、「傍論だ」として無視を決め込み、航空幕僚長にいたっては「そんなの関係ねえ」と公言した。お笑いタレントの流行ギャグを借りて一蹴できる程度のものとしか受けとめていないのである。航空幕僚長は、数日後に「不適切だった」と釈明したようだが、「そんなの関係ねえ」は本音であろう。憲法がどうであれ、裁判所の判断がどうであれ、軍にとっては「関係ねえ」。軍のトップがそういう意識でいるとしたら、こんな恐ろしいことはない。
 それと同時に、裁判所の判断を、政府が、自分たちにとって都合が悪いからといって平気で無視するというのも、やはり同様に恐ろしいことだといわなければならない。司法の判断を政治部門が平気で無視するような国は、とうてい「法治国家」とはいえない。裁判所の判断に従い難い場合であっても、政府の側は、少なくともそれに真剣に対応し、従い難い理由をきちんと説明する責任がある。イラクでの自衛隊の活動が違法・違憲ではないと言うのであれば、裁判所が違法・違憲とした理由の一つ一つについて、そうではないとする根拠をていねいに説明すべきなのである。そのことは、たとえ下級審の判断であっても、また、いわゆる「傍論」中の判断であっても、変わりはない。
 ただ、いわゆる「傍論」中の判断は無視してもいいという空気をつくり出した責任の一端は、私にもありそうだ。2004年4月7日に福岡地裁が小泉首相の靖国神社参拝について判決理由の中で傍論的に違憲とする判断を示した際、その翌日の朝日新聞朝刊に、この判決について私がインタビューを受けた記事が、かなり詳細に掲載された。その中で、私は、記者の質問に答えるかたちで、この違憲判断について、「法的には、裁判官の独り言のようなもので、後の裁判を拘束する力はない」旨の発言をしていた。そのあと、おそらくこの記事を読んだのであろう、自民党のある議員が、「裁判官の独り言で拘束力はないから、靖国参拝をやめる必要はない」という趣旨のことを言っているという報道があった。また、靖国参拝推進派の機関紙などでも、「護憲派の浦部でさえ、裁判官の独り言で拘束力はないと言っているのだから、そんなものをとらえて違憲判決だと騒ぐのはおかしい」といった趣旨のことが言われたりした。そうして、2005年には、今度は大阪高裁が同様に違憲の判断を示したが(9月30日)、小泉首相は「さっぱりわかりませんねぇ」の一言でこれを無視して、その直後に(10月17日)靖国神社参拝を強行した。
 朝日紙上での私のくだんの発言は、全体のごく一部に過ぎないし、なによりも、「法的には」ということで、法的な位置づけを説明したものだったのだが、「法的には」という部分が無視されて、「裁判官の独り言」、「拘束力はない」というところだけが都合よく利用され、傍論中の判断は無視していいという空気を広めるのに、どうやら一役買ってしまったようである。法律の素人には、「法的には」ということの意味がおそらく全然わからなかったのであろう。立法を担う国会議員や法律の執行を担当する内閣のトップ(首相)が法律の素人だったというのも妙な話だが、ともかく、その点に思いがいたらずに発言した私が軽率だったというべきなのだろう。
 だが、私は、くだんの発言においても、政治が無視していいという趣旨のことは、いっさい言った覚えはない。憲法および法律にもとづいて政治が行われるというのが「法の支配」、「法治国家」の基本である。そうでなければ、政治は、権力者の意のままの独裁政治になる。そして、司法は、憲法や法律を忠実に解釈・適用することで、憲法や法律を無視した政治が行われていないかどうかをチェックするという役割を負っている。だから、裁判所の判断を政治が無視することは、「法の支配」、「法治国家」の基本を否定することになるのである。もちろん、裁判所の判断も完全無欠ではありえない。誤りはありうる。しかし、その場合にも、政治の側は、間違いだといって無視するのではなく、裁判所の判断は間違っていると考える理由・根拠をきちんと示す必要がある。間違いだ、の一言で無視したのでは、結局、ときの権力者の意のままの政治になってしまうからである。そういう意味で、裁判所の判断を政治が無視することは許されないのである。それは、いわゆる「傍論」であっても同じである。判決の理由の中で述べられていることであっても、その事件の結論には直接関係しないことがらが、いわゆる「傍論」といわれるものだが、その事件の結論に直接関係しないことでも、裁判所が、憲法や法律の忠実な解釈・適用という観点から、政治に対するチェックの役割を果たすうえで必要と考えて述べたことなのだから、政治が無視していいというものではないのである。
 さて、今回の名古屋高裁の判決についても、政府が、「傍論」だからといって無視を決め込むのは、やはり、「法の支配」、「法治国家」の否定に等しいものといわなければならないが、判決の論理を仔細に検討してみると、イラクでの自衛隊の活動を違法・違憲とした判断を「傍論」と決め込むこと自体が、じつは必ずしも正確な理解とはいえないように思われる。
 この訴訟で原告側は、自衛隊のイラク派遣の差し止めや、自衛隊のイラク派遣により「平和的生存権」が侵害されたことを理由とする各1万円の損害賠償などを求めたが、名古屋高裁は、結論的には、原告側の訴え・請求をすべて認めなかった。結論的に原告側の訴え・請求をすべて認めないということなら、自衛隊のイラク派遣は違憲だと言わなくてもそうできたはずだ、というのは、たしかにそのとおりである。そのかぎりでは、違憲という必要はなかった、という言い方もできる。今回の名古屋高裁判決の違憲判断を「傍論」だとする見方は、要するに、原告側の訴え・請求をすべて認めないという結論を出すためには違憲と言う必要はなかったはずで、この違憲判断は結論にとって必要のない判断、つまり「傍論」だ、というとらえ方をしているのだろうと思う。
 しかし、原告側敗訴の結論を出すためには違憲と言う必要はなかったはずだ、というのは、この判決の論理とは別の論理をとることもできたはずだ、ということを意味しているに過ぎない。原告側の訴え・請求をすべて認めないという結論は、たとえば、自衛隊のイラク派遣を合憲とする論理をとっても導き出せるし、イラク派遣の合憲・違憲の判断にはいっさい触れずに、原告側が請求の根拠とする「平和的生存権」なるものは法的な権利ではないという論理をとっても、やはり同様に導き出せる。しかし、名古屋高裁判決は、このいずれの論理も採用しなかったのである。合憲としても、あるいは、合憲・違憲の判断をしなくても、同じ結論を導くことができるのだから違憲判断は「傍論」だ、というのは、乱暴な議論のほうの「暴論」である。「傍論」かどうかは、判決の論理に即して判断されるべきものであって、判決が採用していない論理を基準に判断されるべきものではない。
 この点、名古屋高裁判決は、その論理に即して見るならば、自衛隊のイラク派遣を違憲とする判断から原告側の訴え・請求を認めないとする結論まで、論理としては、切断も矛盾もなくつながっている。その意味で、違憲判断は、結論に直接関係しない判断だったわけではない、といえるのである。判決の論理は、筋立てを追ってみると次のようになる。
 (1)イラクはなお戦争状態にあり、とりわけ首都バグダッドはイラク特措法にいう戦闘地域と認められる。(2)そのバグダッドへ米軍の兵員を輸送する自衛隊の活動は、他国の武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったと評価を受けざるをえない行動であり、このような自衛隊の活動は、イラク特措法に違反すると同時に憲法9条1項に違反する。(3)このような憲法9条違反の国の行為によって、個人の生命・自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして、裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合がある。(4)しかし、イラクへの自衛隊派遣によって、本件原告らがこうした具体的な侵害を受けたとは認められない。(5)したがって、原告らには派遣の差し止めを求める原告適格はなく、また、損害賠償請求には理由がない。
 いかがであろうか。(1)から(5)まで、論理は切断も矛盾もなくつながっている、といえるのではなかろうか。要するに、イラクでの自衛隊の活動が違憲だから、原告らの「平和的生存権」に対する具体的な侵害があったかどうかを審理・判断する必要があり、その点の審理・判断の結果、本件では原告らの「平和的生存権」に対する具体的な侵害があったとは認められず、したがって原告らの訴え・請求は斥けられたのである。だから、この判決では、(1)(2)の違憲判断の部分は、(5)の結論にいたる論理において必要な部分だったのである。その意味で、これを当然のように「傍論」だとするのは、判決の正確な理解とは言い難いのである。
 先ほども言ったように、「傍論」だから無視していい、というのは、政治がとるべき態度ではない。だから、今回の名古屋高裁判決の違憲判断が「傍論」かどうかは、それ自体が重要な問題だというものではない。だが、「傍論」だという理由で無視を決め込む政府に対して、「傍論」という言葉を濫用するな、ということは、ひとこと言っておきたいところである。もちろん、「傍論」云々も、所詮は表向きの理由で、本音は「そんなの関係ねえ」なんだろうことは、見え見えなのだが。

◆浦部法穂(うらべのりほ)さんのプロフィール

1946年、愛知県に生まれる。
1968年、東京大学法学部卒業。
      神戸大学大学院法学研究科教授・神戸大学副学長等を経て、現在、名古屋大学大学院法学研究科教授。
      法学館憲法研究所主席客員研究員。
      特定非営利活動法人「人権・平和国際情報センター」理事長。
主著
『違憲審査の基準』(勁草書房、1985年)
『注釈 日本国憲法(上)(下)』(共著)(青林書院、1984年、1988年)
『憲法キーワード』(編著)(有斐閣、1991年)
『「憲法改正」批判』(共著)(旬報社、1994年)
『入門憲法ゼミナール』(実務教育出版、1994年)
『ドキュメント「日本国憲法」』(共編著)(日本評論社、1998年)
『全訂 憲法学教室』(日本評論社、2000年)
『いま、憲法学を問う』(共編著)(日本評論社、2001年)
『法科大学院ケースブック 憲法』(共編著)(日本評論社、2005年)
『憲法の本』(共栄書房、2005年)など多数

浦部法穂さん動画メッセージ(約10分。2007年4月21日収録)はこちらから。

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