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過去と向き合うこと、未来を創り出すこと〜映画『カルラのリスト』より

2007年11月19日

東澤靖さん(弁護士・明治学院大学教授)
旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)、高いフェンスで囲まれた要塞のようなその建物に始めて足を踏み入れたのは、1998年のこと。司法の都と言われるオランダのハーグ、観光客が絶えない平和宮(国際司法裁判所)から、トラムで二つめの停留所にあるICTYは、その街には似つかわしくない国連の兵士が入り口を守り、厳しいセキュリティチェックを経ることなく中に入ることはできなかった。
私がICTYに立ち寄ったのは、計画されていたことではない。その前日まで、常設の国際刑事裁判所(ICC)の設立を決めたローマでの国連の会議に出席していた。
紛争下の国際犯罪に対する不処罰の文化を終わらせるという世界中の理想に燃えた、国々の代表、国際機関、そしてNGOがそこに集まり、私も日本から数少ないNGOの代表として、その熱狂の渦の中にいた。その時、何人かの参加者から、ICTYを訪れてみることを勧められた。そして、南国ローマから一転、オランダに降り立ち、ICCの先例となるべきICTYの、困難を極める捜査と裁判の実際を目の当たりにすることとなった。

ICTYは、90年代のはじめに旧ユーゴスラビアの解体の過程で発生した、戦争や内戦における犯罪を裁くために、国連安全保障理事会によって93年に設立された。
第2次世界大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判から、約半世紀を経て、国際社会は再び、ジェノサイド犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪といった国際犯罪を裁く場の必要性に迫られたのだった。翌94年には、ルワンダでの民族間の大量殺害を裁く、ルワンダ国際刑事法廷(ICTR)を設置する。
旧ユーゴスラビアの悲劇、とりわけボスニアにおけるセルビア勢力のイスラムの人々に対するすさまじい「民族浄化」は、その当時日本でもしばしば報道された。停戦後次々に発掘される大量墓地、生還した女性たちの証言から明らかとなる「民族浄化」の手段としての強かん、強制妊娠、そして性奴隷制。そうした報道を目にし、難航する和平協定を耳にしながら、私たちは、誰に向けてとはなしに問うた、「なぜ、人が人に対してこのようなことができるのか?」その問いは、残虐行為に関わった民兵が、しばしば被害者の隣人であり、職場の同僚や部下であり、顔見知りであったことを知り、増幅された。そして、紛争が終息を迎えた後、国際社会は次なる問いに直面しなければならなかった。残虐行為を指導した者たちは、正義の裁きを受けなければならないのではないか。しかし、どのようにして?
スイスの司法長官であったカルラ・デル・ポンテは、1999年、ICTYとICTRの捜査と訴追を率いる検察官に任命された。この時期は、ICTY設立から6年を経て訴追や公判がそれなりの軌道に乗りながらも、それに対する批判が現れ始めたころである。大物の戦犯は当該国の非協力のもとでなお逮捕されずにいる、連日開廷にもかかわらず審理は長期化する一方である、年間予算は1億ドル(国連通常予算は当時約12.6億ドル)に迫りなお増大の傾向にある。彼女の就任後、ICTYは、セルビア元大統領ミロシェビッチの逮捕という快挙を実現させた(2001年6月)。しかし、他方で安全保障理事会は、2004年3月、ICTYの第1審の裁判を2008年までに、そしてその全体の活動も2010年までに終了させるという「出口戦略」を採択した。
ボスニアのセルビア人勢力の指導者であったカラジッチとムラディッチ、その他の大物戦犯に対する国際社会、とりわけ被害者たちの、裁判にかける思いは強い。夫や子どもを失った妻そして母、自らも言葉にはできない傷を負った女性たちが、ICTYに託す思いは、壮絶である。カルラ・デル・ポンテが語るように、「戦争犯罪人は一国家の法体系を超え、国際正義の名のもとに起訴されるべきである」、それは人類社会が実現しようとする正義であろう。しかし、それを取り巻く国際政治は、その正義の実現にとって生やさしいものではない。国内ではなお根強い戦争犯罪人への支持、それがもたらす関係諸国の非協力、そして国連自身からも「出口戦略」を突きつけられ、彼女の正義を求める闘いは孤独である。映画では、無念の被害者、そして人類社会を代理するICTY検察局が、最後の戦犯リストを前に、期限が迫る中でくりひろげる正義を求める闘いを描いている。彼らが裁きから逃げおおせるとしたら、誰が正義を信じるだろうか。

ICTYやICTRで植え付けられた芽は、いま、国際刑事裁判所(ICC)によって、一方では引き継がれようとしている。ICCは、将来に向けた時間や地域の限定がない常設の国際裁判所として、ハーグの地で2003年に活動を開始した。ICTYとは違い、安全保障理事会ではなく条約(ローマ規定)によって作られたことにより、政治からの独立をより実現できると期待されている。地球上の重大な国際犯罪―ジェノサイド犯罪・人道に対する犯罪・戦争犯罪・そして将来には侵略犯罪―は、関係する国家が放置する場合には、今後このICCで裁かれることになる。しかし、安保理から離れた組織であることは、国際政治の抵抗も受ける一因ともなっている。自国の兵士を守りたいとするアメリカは、ICCに当初から強い反対をしてきた。常任理事国中国とロシアも参加していない。それでも、ICCでは多くの事件の捜査や裁判が開始されている。コンゴ民主共和国、ウガンダ、中央アフリカ、スーダンのダルフール地方。ICTYやICTRが実現しようとした正義は、ICCにおいて引き継がれていく。しかし、どのようにして?関係する国々の力や協力が十分ではないもとで、どのように権力に近い容疑者を逮捕し、裁判を受けさせていくのか。報復をおそれる被害者や証人からどのように証拠を集めていくのか。ICTY国際検察官カルラ・デル・ポンテの苦悩と闘い、国際的な捜査と訴追を行う困難さ、それもまた同じようにICCに引き継がれていく。

日本は、2007年10月にようやくICCの105番目の加盟国となる。ローマ規定が採択されてから10年近く、日本の加盟がここまで遅れたのはなぜなのか。それは、アメリカなどへの遠慮よりも、政治、そして社会の無関心であったという。世界地図のどこにあるかもわからない地でのできごとに、日本がなぜ関わっていく必要があるのか。そうした無関心は、加盟を決めた現在においても、それほど変わってはいない。日本が加盟するのは、経済・政治大国であり、安保理の常任理事国入りをめざす国として、地球上のどこかの「失敗国家」の出来事の処理をお手伝いするだけなのだ、日本はまかりまちがってもICCのお世話になるようなことはありえない、と。
しかし、日本やアメリカなど自分を成功国だと考える国が、アフリカやアジアなどの南側の失敗国に法と正義を適用する、その考えこそがICCの足もとや正統性を掘り崩しかねない、危険な考え方なのだ。
戦争における国家や軍隊の狂気、権力や武力を手にしたときに人間の集団が自らの政治スローガンに酔いしれて行う数々の犯罪。どのような国家や人もそうした狂気とは無縁ではないことを、われわれは第2次世界大戦を通じて突きつけられたのではないだろうか。アジア地域で初の国際軍事法廷となった東京裁判において、裁かれた犯罪はなんだったのか。そして裁かれずに来たものは。植民地からの大規模な強制連行、南京大虐殺をはじめとする侵略先での暴虐行為の数々、「慰安所」や性奴隷制が示した最低限の人間的道徳の衰退、そして広島と長崎への原爆投下。われわれは、世界史の中で成功例と目され、よく組織された近代国家が、狂気や犯罪とは無縁ではないことを、身を以て体験したのではないか。

国際検察官カルラ・デル・ポンテが背負う責任は、その意味では何ら特別なものではない。人類社会になお存在し続ける狂気と犯罪と向き合い、正義を実現することは、人類の一員として誰もが持つ責任だろう。
過去に向き合うことは、未来を創り出すことなのだから。

◆東澤靖(ひがしざわ やすし)さんのプロフィール

弁護士・明治学院大学教授・国際刑事弁護士会(ICB)理事
近著に「国際刑事裁判所 法と実務」(明石書店、2007年)

* 文中のカルラ・デル・ポンテの仕事を追った映画「カルラのリスト」のロードショーがはじまっています。「カルラのリスト」については当サイトの「シネマDE憲法」でも紹介しています。また、当研究所の伊藤所長(=伊藤塾塾長)も推薦しています。(法学館憲法研究所事務局)


 
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