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今週の一言

 

人間として生きる根源的な要求を支える憲法

2007年5月28日

上条貞夫さん(弁護士)
私は弁護士として様々な労働事件に関わってきました。これまで多くの労働者がリストラや労働強化を強いられてきましたが、それに対して労働者がたたかい、人間としての最低限の生活と権利を守り抜く姿を見てきました。私はその根本に憲法があったということを、あらためて感じています。その労働者のたたかいの具体的な事例を紹介したいと思います。

「なんでうちらがクビなんよ」(不動信金争議)

1999年、大阪の不動信用金庫(以下、不動信金という)は経営破綻を理由に9つの信用金庫に分割事業譲渡され、160名の労働者は全員解雇される、と発表しました。それは政府の金融ビッグバン、金融機関整理統合政策にもとづくものでした。そこで、不動信金の事業を引き継ぐ9つの信用金庫には合計213億円の公的資金が供与されることになっていました。ところが不動信金の労働者は一人の雇用も承継されないというのです。「なんでうちらがクビなんよ」と不動信金従業員組合は立ち上がりました。
労働者たちは、「本当に信用金庫が潰れてしまって解雇になるなら仕方ない。だけど看板が変わるだけで店は新しいところが引き受ける。なのに、なんで自分たちが首になるのか」と怒りを爆発させたんです。
私たち弁護団は裁判の場で徹底的に法的な追及をしました。しかし、日本にはEU諸国と違って、事業譲渡の際に元の労働者の雇用を直ちに承継させる法制度がないんです。それで経営側は、雇用を引き継ぐかどうかは事業譲渡の企業間の契約の自由だ、だれを雇うかは譲受企業の採用の自由だ、と言い張りました。このことは日本の裁判所の判例ではまだ決着がついていない問題でしたので、裁判所も動揺を重ねました。その状況は、労働者たちが、よし、それなら争議で勝負を決めようと決意させることになりました。
争議は1年、2年と続くことになりましたが、45名の組合員(うち19名が若い女性)は、文字通り人間の尊厳をかけて一歩も引かず、一人の脱落もなく、スト、ピケ、抗議行動、支援要請など、たたかい続けました。地域の業者、住民や全国からの支援も受ける中で、ついに2002年、裁判所で勝利の和解が成立しました。組合の委員長を含む4名を大阪府信用協会の関連職場に雇用し、譲受信金は5000万円、不動信金は100万円の解決金を支払うという内容でした。213億円の公的資金援助と160名の全員解雇、雇用承継ゼロがセットになった金融ビッグバン政策(国の「企業再編」政策)に風穴をあけたのです。
裁判は和解となりましたので、この事件は判例集に掲載されているわけではありませんが、それはまさに憲法の原理(生存権、労働権)で労働者がかちとった見事な成果なんです。

「よし、職場の意向を聞こう」(第一火災争議)

 2000年5月、保険会社の第一火災は乱脈経営によって破綻し、受皿会社への保険契約移転計画が発表されました。第一火災の労働組合は2000人の労働者の雇用を守るため、社長に交替した保険管理人に団体交渉を申し入れましたが交渉は進展せず、2001年に入ると、保険管理人は3月31日で2000人全員を解雇すると通告してきました。労働組合は保険契約者の契約を引き継ぐ保険契約者保護機構に対して団体交渉を申し入れましたが、機構は使用者ではないという理由で団体交渉に応じませんでした。
その頃、私たち弁護士はすごく苦しみました。この解雇は違法であるということを裁判で認めさせる可能性はありましたが、裁判は長期間かかります。当の労働者たちは結論を3月31日以降まで待つことはできません。いったいどうしたらいいのか。
その時、労働組合の上部機関である全損保本部から提案がありました。「よし、職場の意向を聞こう」と。断固たたかおうという意見もあるだろうし、もう解雇は諦めて退職金の上積みを目指そうという意見もあるだろう。本音の要求を出してもらい、それぞれの異なる要求を、一体として労働組合が守る、この方針でした。この方針のもとに、3月31日の解雇が目前に迫っていながら、2000人の団結はいささかも揺るがず、一段と強化されたことが分かりました。そこから労働委員会提訴を契機に交渉の糸口が開かれ、その結果、保険契約を引き継いだ機構と同業他社に合計1000人の雇用を確保することができました。賃金削減分の回復支給、再就職希望者800人の一定の支援策も実現しました。
これも本当に教訓的です。保険会社の破綻に際して、保険契約者を保護する法律はあっても、その中に保険会社の労働者を保護する規定はないんです。そこで労働者たちは、生存権、労働権など憲法にもとづく運動によって生活と権利を確保したのでした。

「過労死させられる」(北都銀行争議)

秋田県にある北都銀行での労働者のたたかいも紹介します。
1989年2月から銀行など金融機関の職場で完全週休二日制が導入されることになりました。その時、銀行側は週休二日制実施と引き替えに平日の労働時間を延長したんです。年間のトータルでは労働時間は増えないという形にして、強行したんです。北都銀行の労働者は裁判を起こしました。もともと要員不足で残業が慢性化していたところ、土曜の休日が増えても平日は却って労働強化になり、土曜は休みになっても疲れ切って何もできない。その上平日の所定労働時間の延長の結果、残業に対する割り増し賃金が削られ、収入減にもなる。これでは過労死させられるのではないか。これが提訴の理由でした。
労働者側は一審で敗れ、二審では勝ったんですが、最高裁では敗けてしまいました。ところが、最高裁判決のわずか半年後、なんと銀行は北都銀行労組との交渉で平日の労働時間延長を白紙撤回したんです。
実は、北都銀行には労働組合が二つあり、多数派の第二組合は週休二日制とセットの労働時間延長に当初から同意していたんです。ところが、第一組合が裁判でたたかってきた10年間で職場がだんだん変わってきました。第二組合の方も、平日の労働時間延長は不合理だから改めてほしい、という要望書を銀行に提出するに至りました。それは最高裁判決の出る半年前の春闘のことです。
それまで10年間、第一組合は第二組合員にも共通する職場の様々な要求を守る運動を続け、職場全体に訴えてきました。そのことが第二組合の要求に反映したのです。
ここまでくると、銀行としては、最高裁判決で勝訴しても、10年前の労働時間延長を白紙撤回せよ、という要求は銀行内で押さえ切れないと判断したのでしょう。最高裁判決で10年前の労働時間延長は正当だった、というお墨付きを手にしながら、その判決と逆の労使合意に応じたのは、そのためだったと思われます。
これは最高裁の判決を乗り越える解決がはかられた例です。労働者の共通の要求が実現した背景に、憲法の生存権、休息権の理念が支えになってエネルギーを発揮したことを痛感します。同じ時期、北都銀行労組と並んで函館信用金庫従組も、共通の事件で最高裁判決を乗り越えました。

たった1回の残業拒否で解雇(日立・田中争議)

 日立に勤めていた田中さんに対して、ある日、終業時刻間際に残業命令が出されました。友人との約束があり残業はできないと上司と口論になった田中さんに対して、会社は、今後残業を拒否したらいかなる処分にも応じるという誓約書の提出を迫りました。田中さんが、そこまでの誓約書は書けないと拒否したところ、1967年、田中さんは懲戒解雇されてしまいました。
 田中さんは裁判でたたかい、仮処分事件の一審では敗れましたが、二審では逆転で勝ちました。つづく本訴の裁判も一審で勝ちました。それが二審で逆転敗訴。その最高裁も敗訴でした。解雇から最高裁判決まで、24年間かかっています。しかし争議はつづきました。田中さんに対する全国的な支援の輪も広がっていきました。そして、田中さんのたたかいは全国各地の日立の職場での様々な争議に結びついて行ったんです。女性差別や思想差別などに反対する争議が続々と起こりました。田中さんは国連の人権委員会にも行って訴えました。すると、田中さんの事件は、残業を一回拒否するだけで解雇されるような人権後進国の象徴だと、諸外国の人々が注目することになりました。2000年、ついに田中さんを含めた73人の日立争議団が勝利解決を果たしました。
私は田中さんの33年間のたたかいを通して、日本の民主主義は決して底が浅いものではないと実感しました。田中さんの勝利も裁判の判決によるのではなく、人間として生きる根源的な要求が憲法の基本的人権の原理によって支えられ、実現したんです。

教師の努力を地域が支える(教育の自主性を守る)

労働事件ではないんですが、北海道・旭川学力テスト事件も私にとって印象的です。
私が弁護士になったばかりの頃、1961年、当時の文部省の主導によって全国一斉学力テストが実施されました。当時多くの教育関係者はその実施に反対し、運動に立ち上がりました。その実施の強制は、子どもの競争を強め子どもと学校をランクづけするもので、それでは自主的な教育は破壊され子どもたちの苦しみが増すばかりで、学力向上には全く役に立たないことが、はっきりしていたからです。
子どもの未来を、教育の自主性を守れという要求は、教育関係者だけでなく、日常の仕事が教育とは関係ない数多くの労働者にも支えられました。のちに最高裁判決までいった旭川学力テスト事件の、一審旭川地裁の審理の冒頭、支援共闘会議のメンバーで起訴された、国鉄労働者の意見陳述を鮮明に思い出します。それは、前年(1960年)の安保闘争の国鉄ストで中学校の修学旅行の列車が遅れたことを生徒たちに謝ったところ、生徒たちは「おじさんたちが悪いんじゃない。岸(首相)が悪いんだ」と。それを聞いたとき、なぜ当時多くの国民が安保改定に反対したのかを子どもたちに正しく伝える先生がいることに胸が熱くなり、そこから私は学力テスト問題に真剣に取り組むようになったのです、と。
北海道学力テスト事件では、第一審・二審が、全国一斉学力テストは教育基本法に違反して違法だと判断しました。その判断は最高裁で逆転されましたが、しかし、その最高裁判決が原則論として述べた部分、つまり教育内容に対する国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される、とした判旨は、昨年9月21日に東京地裁で出された「国歌・国旗」の強制を違法とする判決の中に、引用されているのです。時代を経て、いまの社会にも生かされているんです。その根本に憲法があるんです。憲法の理念をいまこそ大切にしていかなければならないと、多くの方々にお伝えしていきたいと思っています。

◆上条貞夫(かみじょうさだお)さんのプロフィール

1958年、弁護士登録。1975年から1984年まで法政大学法学部講師を務める。現在、日本民主法律家協会理事、自由法曹団常任幹事、日本労働弁護団常任幹事。著書に『司法と人権』(2003年、法律文化社)がある。


 
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