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「疑」を胸にひめて−−植木枝盛のリアリティ

2007年4月23日

水島朝穂さん(早稲田大学法学部教授)
http://www.asaho.com/
古典のよさは、いつ読んでも新鮮な驚きと発見があることだろう。自宅書庫で、学生時代に読んだ岩波文庫と「再会」したとき、妙なところに線を引いたものだと赤面し、あるいは気づかず読み飛ばしていた記述を見つけ、ハッとしたこともある。
岩波文庫創刊80年記念『図書』臨増号(2007年4 月5 日,岩波書店)の原稿を依頼され、私も「思い出の3冊」を挙げて、コメントを付した。そのうちの1冊が、家永三郎編『植木枝盛選集』である。
植木の熱い文章は、昔読んだときよりも、いまの方が心に響くような気がする。例えば、「人間は男女を合わせて始めて真に之を一人と謂ふ可し」(「無天雑録」1878年1 月)。封建意識が支配的な時代に、突き抜けたような気合を感じるのは私だけではあるまい。「人は宇宙を以て大学校となすべし。学問とは己が智力を以て事物の理を究むる所存なれば、人は常にその智(思想観察の力)を働かして一事一物に逢ふ毎に必ず相戦闘すべし」(同・1877年11月)。学問の原点は、「根本」を問うこと。知的冒険心を失わず、問いつづける姿勢は維持したい。そして、「民権を張らざれば国権を張り独立を保つ能はず、専制の政治は国を亡し国を売るに至る事」(「民権自由論」1879年4 月)。国家権力が暴走し、民衆を抑圧することのないよう、民衆は常に権力を監視し、制約せねばならない。そのために、憲法がある。

 土佐出身で、自由民権運動の理論的指導者だった植木枝盛は、近年あちこちで注目されている。彼の私擬憲法草案の「東洋大日本国国憲案」は220 カ条もあり、市民革命期の憲法コンセプトを粗削りで提示する、みずみずしさと勢いをもつ。男女同権から家族制度改革論、万国共議政府による国際平和と軍備縮小など、実に興味深い。「日本ノ人民ハ何等ノ罪アリト雖モ生命ヲ奪ハサルヘシ」(国憲案45条)。明確な死刑廃止条項である。「政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ニ従ハザルコトヲ得」(同70条)。これに続いて革命権まである。
 その植木が書いた「世に良政府なる者なきの説」(1877年11月)は、短い文章だが、インパクトがある。「…専制の政府には先ず第一に国憲を立定するがその自由を保つ道なれども、すでに国憲を立てたる者の如きは、またこれを保持確守する事なくんばあるべからざるなり。…人民にして政府を信ずれば、政府はこれに乗じ、これを信ずること厚ければ、益々これに付け込み、もしいかなる政府にても、良政府などいいてこれを信任し、これを疑うことなくこれを監督することなければ、必ず大いに付け込んでいかがのことをなすかも斗り難きなり。故に曰く、世に良政府なしと」。
 これは、アメリカ独立宣言の起草者トーマス・ジェファーソンの言葉、「信頼は、どこでも専制の親である。自由な政府は信頼ではなく猜疑にもとづいて建設される。われわれが権力を託さなければならない人々を制約的な憲法によって拘束するのは、信頼ではなく、猜疑に由来する」(「ケンタッキー州議会決議」1798年)とも響き合う。

 歴史が教えるように、「人民政府」ができても、それは人民の政府とはならず、しばしば人民抑圧の政府となった。東欧の「人民民主主義」は、旧ソ連の「戦車と盗聴器」によって押しつけられたものだった。近年の資料発掘で、1953年「6 月17日事件」は、「ドイツ民主共和国」に対する人民の不信任表明だったことが明らかになっている。その人民蜂起から36年後の1989年10月、ライプチッヒで“Wir sind das Volk.”(私たちが「その」人民だ)と叫んで、数万人がデモを敢行。その1 ヵ月後「ベルリンの壁」が崩壊した。
 アジアに目を向ければ、世襲「人民共和国」の惨状は、指摘するまでもないだろう。一党独裁と急速な資本主義化で「格差社会主義」へと転換しつつある、もう一つの「人民共和国」もある。「階級」をなくし、「平等」が実現したはずの「人民共和国」で、なぜ、新たな「階級」(ノーメンクラトゥーラ)が生まれ、恣意的で、苛烈な格差社会が生まれたのか。根本的で、深い総括が必要だろう。

 ひるがえって、植木枝盛没後115 年のこの国の状況はどうか。政府は、自らに対する憲法の制約を緩和することにやたら熱心で、「政府が改憲を最大課題にする」という倒錯した現象が起きている。市民には、政府に対する監視やチェックの姿勢が決定的に欠けている。これは中央政府に対してだけでなく、地方政府(自治体)についてもいえることである。「私たちの知事(市長)」を選び、支えた人々は、彼らのトップが「権力者」にあたるという自覚が必ずしも十分ではない。当選したのが、自分が「信頼」する人物であったとしても、常に緊張感を失うことなく、監視を怠らないこと。これは、けっこうむずかしい。いきおいチェックは甘くなる。その結果が、長期政権になった自治体における癒着と腐敗であった。70年代に全国に広まった革新自治体でも、問題の本質は変わらなかった。むしろ、知事のほうから「憲法を暮らしのなかに」というスローガンを掲げたケースでは、その本来の意図や狙いとは別に、「憲法は権力者を縛る規範である」という本質を曖昧にする付随的効果も伴った。憲法とは「民衆が守るものでなく、権力者に守らせるもの」ということが、当の「民衆」に広く自覚されているとはいえないのが現状だろう。

 「郵政民営化の国民投票」(武部勤前幹事長)という意図的な争点絞り込みと、「刺客」候補にメディアの関心を集中させるなかで行われた「9.11総選挙」。300 を超える巨大議席。それを引き継いで誕生した安倍内閣は、憲法改正手続法(国民投票法)を成立させるところまできた。この内閣は、首相任期中に改憲を実現しようとしている。だが、この300 議席すべてに、「憲法改正」への委任は含まれていない。本来ならば総選挙で信を問うべきものである。しかし今のところ、安倍首相の「改憲への疾走」を誰も止められない。この国では、いま、植木のいう「専制」がその姿をあらわしつつあるのではないか。
 「世に良政府なる者なきの説」の末尾は、次の言葉で終わっている。「疑の一字を胸間に存し、全く政府を信ずることなきのみ」。これは、「専制」のあとに登場する新たな政府に対してもあてはまるだろう。

 なお、この植木の文章は『植木枝盛選集』に収められているので、この機会に熟読することをおすすめしたい。編者・家永三郎は本書「解説」のなかで、日本国憲法の原案となったマッカーサー草案の作成にあたり、占領軍が日本人有志の憲法研究会の草案を参考にしたこと、その憲法研究会草案は、戦前におけるほとんど唯一の植木枝盛研究者だった鈴木安蔵が起草したものであることを指摘し、「日本国憲法と植木枝盛草案との酷似は、単なる偶然の一致ではなくて、実質的なつながりを有するのである」と書き残している。ここに、いま、植木枝盛が注目される所以とリアリティがある。

◆水島朝穂(ASAHO・MIZUSHIMA)さんのプロフィール

1953年生まれ。早稲田大学法学部教授。法学博士。憲法学、法政策論。雑誌「ダカーポ」で、「やわらか頭のユニークな法学者」として紹介される。現在、NHKラジオ「新聞を読む」レギュラーをつとめる。豊富な知識を駆使し、「真の安全保障とは何か」をわかりやすく語る。自身のホームページである「平和憲法のメッセージ」では、時々の時事問題について「直言」を毎週更新中。
水島朝穂さんのHP

【主な著書】
『現代軍事法制の研究』(日本評論社、1995年)
『武力なき平和』(岩波書店、1997年)
『知らないと危ない「有事法制」』(現代人文社、2002年)
『世界の「有事法制」を診る』(法律文化社、2003年)
『未来創造としての「戦後補償」』(現代人文社、2003年)
『同時代への直言』(高文研、2003年)
『改憲論を診る』(法律文化社、2005年)
『憲法「私」論 』(小学館、2006年)


 
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