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化学兵器CAREみらい基金 〜「未来世代」が支えたい〜

2007年1月15日

塙真智子さん(化学兵器CAREみらい基金 事務局)
■戦争の置き土産
みなさんは、戦争の置き土産、負の遺産というと何を思い浮かべますか?

被爆者、中国残留孤児、難民、空襲の被害者、不発弾、地雷、クラスター爆弾、環境汚染等色々あると思います。化学兵器CAREみらい基金は、その中のひとつ、(中国における)毒ガス兵器の被害者をサポートしようと2005年12月にスタートした市民による基金です。

もともと毒ガス兵器(以降化学兵器)は、1931〜45年の日中戦争中に日本軍が中国に配備し、終戦前後に置き去りにしたもので(*1)、現在も約30〜40万発(【内閣府遺棄化学兵器処理担当室発表の推計値】)が眠っています。そして、戦後遺棄化学兵器の被害に遭った中国人は2千人以上とも言われています。(中国政府の発表による)


■2003年の中国での出会いが始まり
私自身、全く知らなかったこの問題にぶつかったのは、中国での一つの出会いでした。
2003年、知人の映画監督海南友子さんに誘われ、軽い気持ちで中国のハルビンに旅行に行きました。ハルビンは日本の傀儡政権だった旧「満州国」の版図の中に位置します。そこで、戦後に旧日本軍の遺棄化学兵器による事故で被害に遭った人たちにたまたま出会いました。
戦後、しかも日中国交回復後にも多くの遺棄化学兵器被害者がでていることを知り、私はほんとうにショックを受けました。現在進行形の被害であるため、単に理不尽な被害に遭った人たち というふうに片付けられないと感じました。
そして、日本の同世代にこのような事実を知ってもらいたいと思い、前述の海南友子監督作品「【にがい涙の大地から】」完成後は、一時期宣伝営業や上映会のスタッフとして関わりました。

一方で、そういった中国の遺棄化学兵器の被害者をサポートし続けていた日本の弁護士や市民のところに集まっていた寄付を被害者のために有効に活かそうと、それらが発展的に合流し「化学兵器CAREみらい基金」がスタートしました。そこで、私も出来る範囲で関わろうと決めました。私がこの問題を知ってから既に2年が経っていました。


■「未来世代」の被害者を「未来世代」の私たちが支えたい

現在の中国では、北京や上海といった大都市に関わらず、各地で土地開発が進んでいます。中国に旅行に行くと、至るところで道路工事やビルを建築中のクレーンを目にすると思います。遺棄化学兵器による被害は、そういった地面を掘り返す工事現場などで起きています。2003年8月には、チチハル市で40名以上が被害に遭う事故が起きました。被害者の中には10代の子どもも、一家の大黒柱だった男性も多数います(【参考1】【参考2】)。その後も残念ながら広州、トンカと事故は続きました。
このように現在被害に遭っているのは戦争とは直接何の関わりもない若い人々です。戦争中から見れば、未来の世代にあたる人々が、戦争の置き土産で苦しんでいます。今後も事故が起きれば、さらに未来の世代が苦しむことになります。

傷つけられるのが未来の世代ならば、彼等を支えるためにアクションを起こすことができるのも、戦後の日本、今の日本に生きる「未来世代」の私たちではないでしょうか?化学兵器CAREみらい基金は、「未来世代」の責任として、この古くて新しい問題に取り組んでいます。このような問題を解決することが、よりよい東アジアの未来にもつながると考えています。


■これまでの活動
この一年間で延べ約60名の被害者の方への検診、またその一部の方へ医薬品の提供を行いました。被害者を支援している弁護士や市民が、これまでに何度か被害者の人たちを日本に招いていますが、その際、化学兵器CAREみらい基金からは検診費用を提供する形で協力しています。
また、2005年7月に中国の広州で起きた遺棄化学兵器事故に関して日本の弁護士が実施した調査にも調査費を提供しました。
2006年3月に実施した集団検診では、次のようなことが分かりました。
1970〜80年代の被害者の多くは、被毒後20〜30年が経過した現在でも、皮膚のびらん・痒み、皮膚のケロイドと知覚過敏、脱毛、流涙、視力低下、口渇、呼吸困難、咳、痰、血痰、胃腸の不調、力が入らない、疲れやすい、風邪を引きやすい といった症状が続いているのです(【参考:毒性及び症状】)。


■今後の展望
化学兵器CAREみらい基金は、まだスタートして1年しかたっていません。まだまだ、会員が少なく、被害者へのサポートは非常に限定されています。
今後は、より多くの市民のみなさんに、基金の目的や活動内容を理解し支援していただけるよう、一層の努力が必要と考えています。
平行して、中国の医療関係者や市民に、私たちの活動について知ってもらうことも重要なので、特に中国側の医療関係者との人脈作りにも力を入れたいと考えています。
また、被害者の人たちは、仕事が続けられなくなり家にこもりがちになっているという報告もあり、被害者の心をケア(CARE)するための、被害者と会員の交流(文通等)もサポートしていきます。

この問題に「関心をもち(CARE)」、「被害者の心と体をケア(CARE)する」ために、一層活動内容を充実させていきたいと考えています。

皆さまからのご支援よろしくお願いいたします。

◆背景1:日本軍と毒ガスの歴史
第一次世界大戦(1914-1918)のヨーロッパの戦場では、様々な新兵器が投入されましたが、毒ガスもその一つでした。日本は遅れてはならないと、1917年から陸軍での毒ガスの研究を開始します。
アジア・太平洋戦争の末期には陸海軍あわせて30箇所近くの関係機関で、毒ガス兵器の研究・実験・開発・生産が行われました。その拠点は東京、千葉、神奈川、広島(大久野島)、福岡、旧「満州国」など各地に広がっていました。(*2)
しかし、終戦後の東京国際軍事裁判(東京裁判)では、日本軍の毒ガス戦が追求されたものの、最終的には免責となりました。(*3)
そして、1980年代半ばに歴史研究者によって関連資料が発見されるまで、人々の目に触れることがなかったのです。

◆背景2:化学兵器禁止条約と遺棄化学兵器処理事業
戦後45年が経った1990年、中国政府は日本政府に非公式に中国における遺棄化学兵器の問題解決の要請をしました。その後、外務省による現地調査や【化学兵器禁止条約】に日中両国が批准、1997年に同条約が発効し、日本は同条約に基づき中国における遺棄化学兵器の廃棄を行うことになりました。
最近(2006年12月)、日中両政府は、両国共同の「日中遺棄化学兵器処理連合機構」を2007年の早いうちに設立し、遺棄化学兵器の処理、回収事業を加速化させる方針を確認したと報じられました。新たな被害を出さないよう、1日も早い廃棄が望まれます。(*4)
一方で、この遺棄化学兵器処理事業そのものとは別の場所で、事故が起き被害者が出た場合の被害者への医療支援、生活支援については何ら保障の枠組みがありません。
戦争中、広島県大久野島で毒ガス製造に従事したため被毒し、今なお苦しんでいる国内の毒ガス被害者への国による救済措置は1950年に始まりました(【参考:毒ガス障害者援護のしおり】)。
しかし、中国の毒ガス被害者は、この救済措置の対象外なのです。

*1、*3)吉見義明『毒ガス戦と日本軍』(2004、岩波書店)に詳しい。
*2)松野誠也『日本軍の毒ガス兵器』(2004、凱風社)に詳しい。
*4)本稿掲載時点で遺棄化学兵器処理事業に関する最新の政府見解は【こちら】でご覧になれます。


◆塙真智子(はなわまちこ)さんのプロフィール

化学兵器CAREみらい基金事務局。 
1977年生まれ。大学では、日本近現代史を専攻。卒業後は、違う世界を見てみたいと思いSIベンダーに就職。4年半勤めて退社し、日本国際ボランティアセンターで東京事務所のインターンを半年経験。その後再び会社員として勤務。
2002年以降色々な出会いを経て、化学兵器CAREみらい基金の運営に関わるようになる。実際の運営には週末のみ参加。他に3名の非常勤事務局スタッフがいる。

会員募集中!(月500円から) >> 

化学兵器CAREみらい基金
Fax:03-3498-2260
メール:info@care-mirai.net
ウェブサイト:http://www.care-mirai.net/


 
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