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憲法9条の碑にこめた私の想い

2006年12月25日

杉本平治さん(石川県中能登町議会議員)

憲法9条の碑
 一昨年の初夏、私は石川県中能登町に憲法9条の碑を建てました。
 この碑は、縦60cm、横1mの黒御影石でできていて、日本国憲法9条の全文が書いてあります。建てたのは、町道1号線と県道志賀鹿西線が交差するところのすぐ横で、以前に私の家が建っていた跡地です。揮毫は、金沢市在住の知人に頼みました。私がなぜ、憲法9条の碑を建てようと考えたのか、皆さんにお話ししようと思います。

 私は1981年に郵便局を途中退職し、鹿西町(当時)の議会選挙に立候補しました。町民の皆さんから多くの支援をいただいて当選し、今日まで7期25年の議員活動を行っています。
 太平洋戦争がはじまった1941年(昭和16年)、私は国民学校の5年生でした。その頃の教育は軍国主義教育で、私は戦争については何らの疑問も持たない少年でありました。国民学校を終え、国民学校高等科2年になったら、一年間は学徒動員で工場で働きました。
 父は日中戦争に2回動員されて、中国東北部へ出兵していました。母はその月日は、一人で子ども2人を育てるために、農業と織物工場へ行って働いていました。私が働くようになった時に、その時代の苦しかったことを話していました。
 1945年(昭和20年)、高等科2年の終わりのことでした。学校の先生から、中国東北部−その当時は「満州国」と言っていました−の満鉄(南満州鉄道株式会社)にぜひ入社するようにと言われました。満鉄は単なる鉄道会社ではなく、炭鉱の開発や製鉄、港湾、ホテルなどの広範な事業を行っていた国策会社であり、かいらい国家「満州国」の支配に大きな役割をもっていました。
私は、父母にも相談せずに入社の返事をしました。すぐに支度金として10円と、満州までの切符がわたされました。
 それを知った母は、県の出先事務所に行きました。母がどのような話をしてきたのかは分りませんが、私の満鉄入社は中止になりました。今から思うと、5ヶ月後に敗戦です。母がその時に満鉄入社に反対してくれなかったら、私は中国でどうなっていたのだろうか−そう思うことがたびたびあります。
 その時代の教育は、政治と一体になって、先生が子どもにまで戦地動員をしていたのです。現在、国会で教育基本法の改悪が議論されています。教育が、その時代の政治に利用されるということが、あってはいけないと考えるものです。
 今考えると、私の子ども時代は戦争の時代でした。戦争で何も生みだされません。日本国憲法の第9条には、戦力の放棄が明記されています。そのことにより60年間、日本の国民は戦争による被害もなく、今日をみています。
 私は生まれて75年、いちばん大切だとおもっていることは、ふたたび戦争を起こさない、又そのようなことに協力しない、ということです。そういうなかで、町民の皆さんにも憲法9条を身近にしっていただきたい。そのために憲法9条の碑を建てようと考えたのです。全国に9条の碑が建てられる、そのことが戦争反対の大きな力になると考えます。
 私の家の横の水田にも、「憲法改悪反対」の大きな看板を建てました。すぐ横をJR七尾線が走っています。電車を利用している方は、すぐに目に入ります。今年5月には、その水田にたくさんの皆さんがやってきて、いっしょに田植えをしました。
 憲法と住民の暮らしとは、関係がないように思われがちですが、そうではないと思います。私はそういう気持ちで、議員活動を行っています。

 


 
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