法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

今週の一言

 

憲法改正とメディア

2006年10月2日

田島泰彦さん(上智大学教授)
<以下は『日本の科学者』(日本科学者会議)41巻9号(2006年9月号)に掲載されたものです。田島さんと発行者の了解を得て掲載します。(法学館憲法研究所事務局)>


国民投票法案が国会に上程され、与野党から改憲提案が示されるなど憲法改正に向けた動きが強まりつつある。これらには憲法21条の表現の自由を改変する提案も含まれており、メディアに重大な影響を及ぼすおそれがある。また、今日の改憲動向に先導的な役割を果たした読売新聞社の改憲試案は、ジャーナリズムの観点からも多くの問題を内包している。

はじめに

 本稿ではメディアやジャーナリズムとの関わりから憲法改正の問題を検討してみたい。このテーマには、提案されている改憲のプランは、メディアやジャーナリズムの基盤である表現の自由にどういうインパクトを及ぼすのかという問題と、憲法改正問題をメディアやジャーナリズムはどういうスタンスで論じ、報じてきたかという論点が含まれる。まず、議論の前提として、改憲をめぐる最近の動向を簡単にフォローすることから始めよう。

1 憲法改正をめぐる動向

 政党や国会を中心に憲法改正に向けた動きが強められつつあるが1)、特に昨2005年は、大きな進展が見られた。まず注目すべきは、設置以来5年間審議を続けてきた衆参の憲法調査会が相次いで最終報告書を取りまとめ、公表したことである。両院とも、共産、社民両党が反対したものの、自民、公明、民主の賛成多数で議決された。報告書の内容は衆参で同じでないが、両院とも改憲の方向を打ち出している点では共通している。プライバシー権など新しい人権を明記することなどとともに、焦点の九条めぐって、自衛権と自衛隊につき憲法上の措置を求める意見が多数である旨が衆院の報告書には書き込まれた。
 昨年はまた、政党レベルでも改憲へのステップがさらに踏み出された。民主党が新たに「『憲法提言』の策定に向けて」と題する文書を公表し、改憲案作りに向けて歩を進めたが、何よりも自民党が改正のプランを条文の形で初めて示した「新憲法草案」を取りまとめたことが注目される。そこでは、自衛軍の保持や国際協力活動への自衛軍の参加など、九条の大幅な改正が打ち出されている。
 さらに、憲法改正の手続き面での準備も着々と進んでいる。現行憲法は、憲法を改正するには衆参各々総議員の三分の二以上の賛成に加えて、国民投票による過半数の賛成を求めているが、この国民投票の法律は制定されないままになっていた。昨年の自民党圧勝の総選挙を受けて、この国民投票法案を審議する特別委員会の衆院への設置が自民、公明、民主などの賛成多数で可決され、法案の策定が進められた。この点では、かねて与党はメディア規制条項を含む法案に合意してきたが、総選挙後与党と民主党が協議を本格化し、共同提出を目指す動きが一時強まったものの、民主党の軌道修正により、2006年5月、結局与党と民主党は独自に別個の法案を国会に提出することになった。
 このような改憲動向の背景には、イラクへの自衛隊派兵や有事法制の整備などに示されるような「戦時」に急速に傾斜するこの国の状況がある。こうしたなか、9.11直後に成立した防衛秘密法制をはじめ2)、放送局を指定公共機関として政府の有事体制に組み込む仕組みや検閲を含むイラク自衛隊への取材・報道ルールの策定など軍事的な観点から言論・情報統制が強められるだけでなく、個人情報や人権の保護3)など市民的な価値を掲げた表現・メディア規制も広がりを見せている4)。さらに、監視カメラの増殖や住基ネットの稼動、共謀罪導入の企てなど、日本の監視社会化も強められつつある5)

2 憲法改正と表現の自由

 与党と民主党の法案が国会に上程されるまでに至った国民投票法案6)も、表現・報道の自由を規制し、メディアや情報を利用・操作するさまざまな措置を含んでおり批判的な吟味を必要とするが、紙数の関係でこれは別稿7)に譲り、ここでは与野党などに示される改憲プランを表現の自由の観点から検討することにする。
 改憲動向で注目されるべきは、ここに来て、メディアやジャーナリズムの最も重要な基盤であり、前提となる表現の自由を改変する声が公然と上げられ、それを保障する21条そのものが改憲のターゲットとアジェンダに正面から据えられようになったことである8)。改憲問題は表現・メディア規制の観点からも吟味される必要がある。
21条改変には、大きく三つの手法が確認できる。一つは、もっともストレートで露骨な改正の主張で、これはプライバシーや青少年保護、あるいは人権保障などを理由に、21条の規定を直接改正し、21条をかつての明治憲法の規定のように(「法律の範囲内」の制約を伴っていた)、制限付きの条項へとドラスティックに変えてしまおうとするものである。たとえば、自民党はプライバシーや青少年保護などの理由から21条に制限を加えるべき旨を主張していたし(特に、かつての「憲法改正草案大綱(たたき台)」など)や民主党も表現の自由が人権の観点から制約を受ける旨明記すべきと主張している(「憲法提言中間報告」、特にその要約版)。ただし、この提案はあまりにも露骨なため、国民的な合意を取り付けるのが容易でなく、その後の改憲案では前面に出されることはあまりないが、改憲派の狙いがここにあることは留意しておく必要がある。
 二つ目の手法は、プライバシーなどいわゆる「新しい人権」を導入・明記し9)、これが表現・メディア規制として現実に機能するおそれである。プライバシーの導入・明記は、自民、民主、公明の改憲案や衆院の憲法調査会報告など多くの改憲提案に盛り込まれ(もっとも衆院の報告書には反対論も併記されているが)、広範なコンセンサスが形成されつつある。
 一般論としてプライバシーの保護10)やメディアへの市民のアクセスの拡充11)、報道とプライバシーの適切な調整についても異論がない。しかし、プライバシーをめぐる改憲論での議論の立て方には根本的な疑問がある。憲法調査会などでの論議を見ると、プライバシーは国家権力を縛りそれへの対抗法理としてではなく、メディアの牽制や情報化社会状況などをもっぱら念頭に置いた議論になっている。プライバシーを含む人権が国家権力を拘束し、制限する規範であることを没却し、表現・メディア規制の一環として構想されていることが露骨に出ている。これは、プライバシー観念の不当な政治的利用、歪曲に他ならない。
 さらに重大なのは、このようなプライバシー観念を自己情報コントロール権的なものとして、さらには個人情報保護の保障として規定する提案さえ現れていることである。たとえば、衆院の憲法調査会報告書では、「マス・メディアに対する自己情報コントロール権」を認めるべきとの意見が述べられたことが記されているし(363頁)、表現の自由とプライバシーの調整につき法律に基づく規制機関の設置が必要との意見さえ載せられている。昨年11月公表された自民党の新憲法草案では、「個人情報の保護等」とのタイトルのもと、「何人も、自己に関する情報を不当に取得され、保有され、又は利用されない」とする条項(19条の2)の新設が提案され、民主党もその「憲法提言」(2005年10月)において、プライバシーについて、「自己情報の観点から再整理を行い、その権利性を明確にする必要がある」と指摘している。また、読売新聞社は、その憲法改正試案のなかで、名誉・信用等の人格権の明記(20条1項)に加え、「自己の私事、家族及び家庭にみだりに干渉されない権利」としてのプライバシーの権利(同条2項)を定めるとともに、「個人情報は、濫用から保護される」との規定を表現の自由を保障する条項中(23条第4項)に設けている。
 このように自己情報コントロール権や個人情報保護の保障として拡大強化されたプライバシーが、公権力ではなくもっぱらメディアや市民の表現に向けられたとき、今広範に進行しつつある表現・メディア規制は合憲なものとして追認されるとともに、更なる規制が導入・正当化され、表現・報道の自由や知る権利は名実ともに息の根を止められることになろう。
 プライバシーの権利は裁判でも保護・救済されてきたし、憲法上も人権の一般条項(13条の幸福追求権など)を通して保護されているとの理解が有力である。メディアへのアクセスやプライバシーとの調整も、放送界のBRC(放送と人権等権利に関する委員会)や新聞各社の第三者機関などの自主規制の取り組みが強められることによって、一定の成果もあげつつある。読売新聞社の改憲提案も同じく、プライバシーの権利や個人情報の保護規定の導入を提案しているが、表現・報道の自由をもっとも大切にしなければならないはずのメディア自身がこのことの意味と効果に対する想像力を欠落させているのは驚くべきことである。
 最後に、自民党や読売新聞の提案などに示されている改憲論の有力な方向が、自衛隊を軍隊として正面から認め、国際協力や集団的自衛権などの理由で海外に派遣し、武力の行使もできるようにし、緊急権や国防の義務(責務)の規定も設けるなど、軍事や戦争によりコミットしていく提案であることは明らかだが、このことが表現・報道の自由にもたらす重大な意味である。すなわち、こうした「国家の安全」に深く関わる事態は、表現・報道の自由を制限する究極の正当化根拠となることを忘れてはならない。この点でも、メディアである読売新聞の改憲試案が、表現の自由や報道の自由の制約根拠を提供する軍事拡大措置を率先して主張しているのは理解しがたいものがあると言わざるを得ない。

3 メディアの憲法論−読売新聞改憲試案を中心に

(1) 新聞の憲法問題へのスタンス
 それでは、日本のメディアは憲法改正問題につきどのようなスタンスを取り、どのようにこれを論じてきたのか。ジャーナリズムの憲法問題への対応12)を、読売新聞社の改憲試案を中心に、その概要を整理しつつ、提案の憲法上、ジャーナリズム上の意義と問題点を検討するとともに、憲法報道でジャーナリズムに期待されるものは何かも考えてみたい。
 まず、改憲・護憲をめぐる新聞のスタンスの全体的状況を確認しておくと、2005年の全国紙、ブロック紙、県紙、準県紙の5月3日前後の憲法問題に関する社説の論調の調査によると13)、社説等で憲法問題を取り上げている43社のうち、護憲論が16社、護憲的論憲が15社、まったく無色が3、改憲的論憲が4、改憲論が5と分類されている。無色を除いた40紙のうち、護憲と護憲的論憲の合計は社の数では31、新聞発行部数の割合では60%が護憲論的論調にある一方、改憲と改憲的論憲は、社の数では約四分の一の9、部数では40%を占めるという。なおここで、論憲とは「国民的議論をしよう」と結ぶ議論を指し、その方向性に応じて護憲的論憲と改憲的論憲の二つに大別されている。
 この大きな傾向は、2006年でも基本的には変わらないものと推測されるが、全体的には新聞社の数から言うと、護憲的論調が圧倒し、部数の上では改憲論調も四割を占めるものの、なお護憲的論調が優勢であることがわかる。注目されるのは、この中での全国紙とブロック紙、地方紙との傾向の違いである。全国紙では読売、産経、日経の三紙が改憲を明確に主張しているのに対して、朝日、毎日の二紙はそうした立場には与せず、基本的には護憲的なスタンス・論調を維持していると考えられ、このように全国紙の上では改憲論が優勢な状況にあり、全体的趨勢とは際立った違いを見せている。この逆が、地方における護憲論的な論調の圧倒と、改憲論的論調の際立った少なさである。いずれにしても、こうした新聞の憲法論議における中央と地方の大きな落差には留意が必要で、全国紙だけ見て新聞の憲法論議の潮流を安易に語るべきではなかろう。
 改憲論の中心である読売新聞社の改憲論については節を改めて検討するが、護憲的論調に立ってきた朝日新聞と毎日新聞のスタンスについて一言触れておくと、朝日新聞の護憲論的立場をもっとも包括的に提示したのは、読売新聞による改憲試案が初めて公表された翌1995年5月3日に発表した大型社説「国際協力と憲法」だった。そこでは、「非軍事こそ共生の道」と題された総論のもと、[1]国際協力法の制定を[2]平和支援隊をつくれ[3]九条は改定しない[4]自衛隊を改造する[5]冷戦型安保の脱却を[6]国連改革の先頭に、という六つの提言を行っている。これに対して、毎日新聞はいわゆる「論憲」の立場を明らかにしてきたが、これは、従来の改憲論、護憲論の「どちらの意見にもくみ」せず、憲法を根本的に全否定して「全面的に直すべきだとする反憲法的態度に反対」し、不都合が生ずれば、多くの国民が納得の上「改正を全否定しない論憲の立場」と説明されている。

(2) 読売新聞改憲試案の経緯と特質
 1994年11月3日、読売新聞の一面は自らが公表した憲法改正試案を大々的に報じるとともに、多くの紙面を費やし改正を施した条文を掲げ、その内容を詳細に解説した14)。新聞がこのように条文の形で自らの改正提案は示すのはきわめて異例のことであり、戦後例を見ない出来事だった。試案は現憲法を抜本的に改正する包括的な改正提案になっているが、改正の目玉は9条の改変で、戦争放棄を謳った2項を廃止し、「自衛のための組織」の保持を明記するとともに、その組織が国際協力活動に参加できる旨などを定める「国際協力」の章を新設した。そのほか、天皇の対外関係での「元首化」、「人格権」、「環境権」規定の新設、憲法裁判所の新設、一定の場合国民投票なしに国会の議決だけで成立する旨の改正条項の改変などが含まれている。
 翌95年には「総合安全保障政策大綱」が公表され、先の改正試案と一体文書と位置づけられた。そこでは集団的自衛権の保持と行使が明記され、総合安全保障会議の設置や緊急事態への対応等が提言されている。2000年には第二次の改憲試案が発表され、緊急事態条項が新設されるとともに、94年試案で提案された「自衛のための組織」を「自衛のための軍隊」と改めた。また、犯罪被害者の権利や行政情報の開示請求権も新たに加えられた。さらに、2004年には3度目の改正提案がなされ、自衛のための軍隊の国際平和協力活動の枠が拡張され、多国籍軍など国連等以外による国際活動へも協力が可能になる改正が施された。また、憲法尊重義務の転換(公務員の義務から国民の義務へ)、家族条項、社会保障における自助の理念、個人情報の濫用からの保護、国民の司法参加、政党条項など一連の規定が新設された。
 こうした読売改憲試案の特質はどういうところにあるのか。試案の基本的性格は、日本国憲法の価値・原則を全面否定して、明治憲法的なものへ復古するという方向ではなく、現憲法の価値や枠組みはそれなりに受け入れつつ、戦後の国家社会の現状を基本的には追認する現実的な路線であり、国際情勢の変化を踏まえた国際性や新しい権利の承認など市民性にも配慮が払われている。他方で、従来の9条の拘束を排除し、欧米諸国並みに「軍事」的な価値を認める「普通の国」を志向するとともに、自助を謳い新自由主義を追求し、改憲国民投票の一部除去や公務員の憲法尊重義務からの解放など権力に対する民主的な拘束を弱めようとする方向が窺える。
 具体的な特質としてはここでは以下の点を指摘しておく。まず第一は、「普通の国」へ向かう安全保障論である。ここでは、大量破壊兵器の製造・保有・使用の禁止や徴兵制の禁止など平和憲法の刻印と戦後の平和努力をそれなりに反映せざるを得なかったところも見られないわけではないが、解釈改憲の現状を追認して、自衛隊を憲法上認知するにとどまらず、「普通の国」をめざす新たな軍事化への提案となっている。具体的には、自衛のための「軍隊」の保持、集団的自衛権の承認とこれに基づく安保体制の強化、国連軍・多国籍軍・有志連合等の国際的軍事活動への自衛軍の参加、邦人救出のための武力行使の容認も含む緊急権の憲法明記と包括的な緊急事態法制の整備、などに示されている。
 第二は、その特有の民主主義論と国家機構改革論についてである。ここでは国民主権の行使を選挙に限定し、直接民主主義的なシステムを可能な限り排除する国民主権の矮小化とエリート民主主義的な立場が際立っている。裁判官への国民審査制度も廃止され、改憲の国民投票さえ各議院の三分の二が賛成すれば不要とされるのである。なお、憲法裁判所の導入は、下級審から憲法裁判の機会を剥奪することを意味するだけでなく、憲法裁判所が政策形成の役割を担う危険があることに注意が必要である。
 第三に、その人権論と表現の自由については、一つは人格権、環境権、犯罪被害者の権利など新しい人権の承認、導入である。もう一つは、当初の提案には情報開示請求権が欠如していたし、人格権・プライバシー・個人情報が一面的に強調され、軍事がもたらす情報統制への警戒が欠落するなど、メディアの改憲試案であるのに表現・報道の自由への無理解が目立つことである。

(3) 改憲試案の役割とジャーナリズム
 改憲試案は1994年に発表されたときジャーナリズムや学界では正面から論じられるというより、むしろ無視された嫌いがある。しかしながらその後の長い射程で見ると、試案は改憲動向に大きなインパクトを与え、重要な先導的役割を果たしたと言える。改憲勢力が国会を圧倒的に支配し、9条改正はいまなお改憲と護憲が拮抗しているとはいえ、改憲世論が多数を占めるという現在の状況から程遠かった当時に果敢に改憲の提案を大胆に行い、今日のような改憲状況を作り出してきた上で試案の意義は計り知れないものがある。
 そのように役割を担えた理由の一つは、試案が現代的改憲論のベースを提示し、改憲論の決定的転換の先導役を果たすことができたからである。すなわち、試案は、単純な復古ではなく、「護憲的」トーンを基調とした新自由主義的な現代改憲論の先駆をなすものであり、日本国家が向かいつつある欧米並みの「普通の国」を志向する改憲論であったからである。
 試案は、改憲へ向けた世論の創出と誘導、改憲論議の議題設定という点で重要な役割を果たしと思われるが、それは、政党やその他の政治、社会集団とは異なり、メディアによる改憲論として固有のインパクトを発揮し得たからである。一千万の読者を擁し、公正報道を掲げるジャーナリズムが掲げる改憲の提案は政党等による提案がもちえない広い基盤と特有な効果をもつと考えるのが自然である。しかも、試案による条文の形での具体的な改憲提示という異例のスタイルは強烈なアピールを発揮した。いずれにしても、憲法調査会も出来ていないはるか以前から今日のような改憲論議へと議題設定が転換していく上で、試案が果たした役割はきわめて大きいものがあったと考えてよいだろう。
 それではこのような読売の改憲試案はジャーナリズムの原則からみてどのような問題をはらんでいるのだろうか。一つは客観報道にかかわる原則から逸脱していないか、問題となる。報道機関は、社会的出来事の自らアクター(当事者)としてコミットしてはならないのであって、あくまでも第三者の立場からさまざまなアクターの動きを客観的に伝えることが基本であり、原則である。新聞が憲法や改憲について社説等で論陣を張り、一定のスタンスを明らかにするのは、言論機関としてもとより許されるし、当然ともいえよう。しかしながら、具体的な条文の形で改正の提案を行うのは、憲法問題のアクターとして舞台に登場することを意味し、もはや客観報道の立場を踏み越えるものではないか。読売新聞社はこの手法は提言報道という新たなスタイルだとして正当化を図るが、自ら当事者に躍り出てしまうことは、ある種の政治運動へと変質することを意味し、ジャーナリズムの立場とは両立しがたいと言わなければなるまい。
 事実報道と主張・論評とは区別されなければならないことも、客観報道原則にも関わって重要なジャーナリズムのルールである。ところが、読売新聞は改憲試案を社説とは銘うたず、自らの憲法提案を大きな出来事として一面等で大々的に報じている。改憲試案は読売新聞の社論としての実質を持つものであるとすれば、客観的な事実報道とは区別して、社説として論ずるべきではないか。自らの社論をあたかも客観的な事実であるかのように伝えるのは大いなる欺瞞といわなければならない。
 さらに、こうした条文まで伴っての改憲提案が示され、しかも社説の枠を超えて報道として扱われるということになると、憲法をめぐる関連の報道が試案の立場で狭くわく付けられることにならないか危惧が生じても自然である。逆に言えば、これだけ明確な改憲提案が社説の枠も超え、提言報道として提示されるなかで、これに疑問や批判を示す意見や動きを事実として伝えることは果たしてどのように可能なのだろうか。報道が客観性を失い、社論によって歪められるとしたらもはやそれは報道機関とは呼べず、プロパガンダの装置に堕してしまうことになる。そうならないように、読売の論説や報道で改憲試案への異論や反対意見を提示し、反映する機会が確保されているという証拠を見出すのは困難である。
 第四に、このような試案の提示は、読売も含め、新聞社がこれまで掲げてきた、公正、不偏不党、中立などの原則に反しないかも問題となる。新聞倫理綱領も読売信条もともに報道の「公正」を謳っているが、こういう原則を一方で掲げながら、社説の枠も超えて詳細な改憲提案を提示するのは整合性をもちえていると言えるか、疑問が残らざるを得ない。
 第五に、紙面だけではなく、読売新聞社で社内民主主義が維持されているのかも重大な懸念がある。異論や批判も含めて社内で十分な議論が尽くされ、これらの意見も反映されたという痕跡はとうてい窺い知ることはできないからである。
 このように、読売の改憲試案の手法はジャーナリズムの見地から重大な問題を抱えているが、他の新聞の憲法報道にも問題を感じるところがある。護憲、改憲などの論の提示も必要かもしれないが、新聞にもっとも求められているのは、憲法の論点をめぐる多様な判断材料の提供である。とりわけ、人権であれ、平和であれ、憲法が置かれた現実を丁寧に取材し、問題を抉り出し、社会に提起することである。そういう現状批判としてのジャーナリズムの役割こそ、いまもっとも新聞やメディアに求められているのではないか。

注記は最小限にとどめた。
※本文の該当部分へ戻るには「戻る」ボタンを押してください。
1) 憲法改正についての最近の動向については、特に以下を参照のこと。法律時報増刊『憲法改正問題』(2005年)、「特集・憲法調査会報告書を検証する」法律時報2005年9月号。
2) これについては、拙稿「テロに乗じた『防衛秘密』保護法制の創設」原寿雄=桂敬一=田島泰彦編『メディア規制とテロ・戦争報道』(明石書店・2001年)91頁以下を参照。
3) この点については、拙稿「総論・『プライバシーと表現の自由』の問題状況と論点」法律時報2006年4月号25頁以下参照。
4) 表現・メディア規制の全体については、特に以下の拙著、拙稿を参照されたい。『人権か表現の自由か』(日本評論社・2001年)、岩波ブックレット『この国に言論の自由はあるのか』(岩波書店・2004年)、「表現・メディア規制批判」愛敬浩二=水島朝穂=諸根貞夫編『浦田賢治先生古稀記念論文集/現代立憲主義の認識と実践』(日本評論社・2005年)398頁以下、「表現規制の現局面とメディアの課題」月刊民放2006年7月号6頁以下。
5) 監視社会の法的批判として、特に以下を参照。田島泰彦=斎藤貴男=山本博編『住基ネットと監視社会』(日本評論社・2003年)、「特集・『監視社会』と市民的自由」法律時報2003年11月号、田島泰彦=斎藤貴男編『超監視社会と自由』(花伝社・2006年)。
6) 国民投票法一般についてはさしあたり、報道・表現の危機を考える弁護士の会編『憲法を決めるのは誰?』(現代人文社・2005年)、井口秀作=浦田一郎=只野雅人=三輪隆編『いまなぜ憲法改正国民投票なのか』(蒼天社出版・2006年)など参照。
7) 簡単な検討は、拙稿「広がるメディア規制と脅かされる表現の自由」月刊民放2005年5月号24頁以下、前掲注1)の拙稿418頁以下で行ったが、より詳しくは前掲注4)の月刊民放論考参照。
8) 改憲と表現の自由については、前掲注7)の拙稿29頁以下、前掲注1)の拙稿419頁以下、拙稿「"プライバシー"から"個人情報"の保護へ」田島泰彦=山野目章夫=右崎正博編『表現の自由とプライバシー』(日本評論社・2006年)49頁以下でも考察した。ここの叙述は多くこれらに基づいている。
9) プライバシーなど新しい人権についての私の見解は、参議院憲法調査会で参考人として示す機会があったので参照されたい。参議院憲法調査会会議録第155回国会第4号、『参議院憲法調査会における参考人の基調発言』(平成17年4月・参議院憲法調査会)207頁以下。
10) プライバシーと表現の自由については、拙稿も収める前掲注8)の『表現の自由とプライバシー』を参照のこと。
11) メディアへの市民のアクセスについては、特に以下の拙稿を参照されたい。「放送への市民のアクセス」法律時報1995年7月号16頁以下、「『訂正放送制度改定』がつきつけた放送局への宿題」放送レポート135号(1995年)40頁以下。
12) ジャーナリズムとの関わりで改憲論を検討したものとして、座談会・藤川忠宏=藤森研=田島泰彦「改憲とジャーナリズム」放送レポート191号(2004年)2頁以下、座談会・桂敬一=田島泰彦=原寿雄=藤森研「改憲潮流の中のメディア」世界2005年7月号239頁以下を参照。
13) 前掲注12)の世界座談会で示された藤森研氏の調査による(242頁以下参照)。
14) 読売新聞の憲法改正試案の批判的検討として、以下を参照。対論・原寿雄=田島泰彦「読売新聞『憲法改正試案』へのこれだけの疑問」放送レポート132号(1995年)2頁以下、座談会・中野邦観=小田原敦=田島泰彦「読売改憲試案とメディアの役割」法学セミナー486号(1995年)6頁以下、同「メディアの提言する憲法と軍事力」同490号(1995年)22頁以下、前掲注12)の世界座談会。
※本文の該当部分へ戻るには「戻る」ボタンを押してください。

◆田島泰彦(たじま・やすひこ)さんのプロフィール

上智大教授。専門は憲法、メディア法。97年から「放送と人権等権利に関する委 員会(BRC)」委員、現在、毎日新聞「開かれた新聞」委員会委員。
『人権か表現 の自由か』(日本評論社)、『この国に言論の自由はあるのか』(岩波書店)、『個人情報保護法と人権』(明石書店・編著)、 『表現の自由とプライバシー』(日本評論社・共編著)『現代メディアと法』(三省堂・共編著)、『新版・報道される側の人権』(明石 書店・共編著)、『情報公開法』(日本評論社・共編著)など著書多数。

 


 
[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]