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ふたたび被爆者をつくらせない

2006年7月31日

岩佐幹三さん(日本被爆者団体協議会事務局次長)

―――岩佐さんは61年前に広島で被爆し、その後核兵器廃絶のたたかいの先頭に立ってこられました。まずは、岩佐さんの被爆の体験をお聞かせいただけますか。
(岩佐さん)
私は16歳の時に爆心地から1.2`の自宅で被爆しました。倒壊した家の下敷きになった母を助け出すことができず、迫る火に追われて生きながら焼け死ぬのを見捨てて逃げました。今でも心に重くのしかかっています。女学生1年生だった妹は、爆心地近くに学徒動員されて被爆し今なお行方不明です。妹を探し歩いた私は、放射性降下物や残留放射線で体外・体内に被爆して、1ヶ月後に急性症状で病床に伏しましたが、叔母の必至の看病で回復できました。アメリカ占領軍や日本政府が、原爆被害を隠したために、広島・長崎で年内に20万人以上の被爆者が何の救済策も受けられぬまま死亡しました。

―――大変悲惨な体験をされたわけですが、岩佐さんはその後「ふたたび被爆者をつくらせない」運動をすすめてこられました。その思いをお聞かせください。
(岩佐さん)
原爆は、爆風・熱線・放射線などによって、人類史上未曾有の被害を人類にもたらしました。それは想像を絶するものでした。その被害は今もなお被爆者を苦しませ続けています。
原爆被害は単に記憶されるべき過去の出来事ではありません。核保有国が増え、核軍拡が進むかぎり、いつふたたび人類の上にふりかかるかわかりません。それは人類の滅亡につながります。被爆の実相を語る被爆者の体験を、人類の未来に対する警鐘として受け止めて、語り継いでいって欲しいのです。

―――岩佐さんは原爆投下の教訓をどのようにお考えでしょうか。
(岩佐さん)
原爆投下は、あってはならない犯罪的な戦闘行為でした。原爆が非人道的で国際法違反の兵器だからだけではありません。当時日本の陸海空軍の戦力は壊滅状態でした。その日本に対してあえて強行したのは、アメリカが、戦後の対ソ戦略での絶対的な優位性の確保をねらったからです。ヤルタ会談で、ソ連はドイツ降伏3ヶ月後の対日参戦を米英と確約していました。また膨大な予算を使った開発計画で、何の成果も示さなければ、戦後米議会で詰問を受けることは必須でした。だからソ連の対日参戦前に原爆という新兵器の威力を試したのです。
トルーマン大統領の米兵の犠牲を最小限に抑えるためという正当化論は、世界を欺くものです。日本政府も戦争を起こした上に、いわゆる国体護持に固執したために、原爆投下を招いたのです。そのために非戦闘員をふくめて数十万人の犠牲を出したのです。広島・長崎は、アウシュビッツとならんで人類史上最大の汚点です。日米政府の責任は許しがたいものがあります。

―――原爆投下をめぐる歴史を教訓化しなければいけないということですね。
(岩佐さん)
同時に、原爆の被害の問題がその後どのように扱われたのかも検証される必要があります。
戦後、アメリカは原爆による被害を軍事機密とし、その隠蔽をはかりました。当時のアメリカ原爆傷害調査委員会(ABCC)は被爆者の検査を実施しましたが、それは治療のためではなく、原爆の効果を確かめることが目的だったのです。
日本政府もまた、占領軍やアメリカ政府に迎合して原爆被害の隠蔽に協力し、被爆者を放置し続けたのです。日本政府は戦後アメリカの核のカサの中で生きていくことを選択した結果、原爆被害を、軽く、小さく、狭いものと過小評価してきたのです。

―――しかし、被爆者の皆さんはからだ・くらし・こころの全面にわたって苦しみをかかえ、病苦や死の不安とたたかいながら生きてこられ、そして「ふたたび被爆者をつくらせない」運動を続けておられますね。
(岩佐さん)
原爆被害の実態を認めようとはせず、私たちに被害の受忍を強いている政府に対して、私たちは現在原爆症認定集団訴訟を全国的にすすめています。この運動は原爆症認定制度の抜本的な改善と被爆者の援護体制の確立をめざす運動ですが、運動を通して原爆被害の実態を明らかにし、国家補償を拒否し原爆被害の受忍を強いている政府の政策、ひいては核兵器廃絶に消極的な国の政策の転換に道を開くことにつながる運動でもあるのです。
私は、1945年8月6日・9日は人類が核兵器とのたたかいの歴史の歩みを始めた日だと考えています。被爆者はその生き証人なのです。

―――日本国憲法は二度と戦争を起こさないという日本人の願いの中で生まれましたが、岩佐さんの憲法についてのお考えをお聞かせください。
(岩佐さん)
私は日本国憲法の制定とその内容を歴史的にとらえる必要があると思います。憲法の前文で、「人類普遍の原理」と言っているのは、人類が長年の歴史的な苦難の戦いの中から作り上げてきた自由や民主主義、国民主権などの考え方を、日本国憲法は継承していることを示しています。そして第2次世界大戦におけるアジアの人々、また日本国民の犠牲の上に憲法、そして第9条が制定されたのです。今全国各地で「九条の会」が活動していますが、私は、国民が国の主人公(国民主権の主体)として目覚め、声をあげ、動き出しているのだと見ています。

―――ありがとうございます。最後に訴えたいことをお話しください。
(岩佐さん)
私は自分の被爆体験にもとづいて被爆の実相と核兵器廃絶を訴えてきました。私は多くの人々に、自分もそのような被害に遭う危険性がある、そうしたらどうしたらよいだろうか、ということを考えてもらいたいと思います。私はこの問題を一人一人が自分の問題として考えて欲しいと思っているのです。
そう考えた時、私は本当に多くの人々に対して胸に響くようなお話しをしてきたのかと自問することになります。まだまだ人々に十分に問いかけていないのではないかと反省しつつ、これからも頑張っていきたいと思っています。

―――岩佐さんの姿勢には頭が下がります。私どもも平和主義など憲法の考え方を広げるために、あらためて決意を固めたいと思います。本日はありがとうございました。

◆岩佐幹三(いわさみきそう)さんのプロフィール

1945年8月6日、16歳の時に広島の爆心地から1.2kmの自宅で被爆。金沢大学教授・法学部長として教育・研究にあたりながら、被爆者運動を続けてきた。現在、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長。原爆症認定集団訴訟運動推進委員長として、自らも被爆症とたたかいながら、運動の先頭に立って奮闘中。

 


 
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