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軍事力による「国家の安全保障」ではなく、「人間の安全保障」を

2006年6月19日

大久保史郎さん(立命館大学教授)
<*以下は法学館憲法研究所講演会「日本国憲法を多角的に検証する」(2006年5月28日)での大久保史郎さんの発言をまとめたものです。大久保史郎さんには法学館憲法研究所編『日本国憲法の多角的検証 〜憲法「改正」の動向をふまえて』に「人間の安全保障と日本国憲法」という論文をご執筆していただきました。(法学館憲法研究所事務局)>

今日、憲法改正についての議論が喧しくなっています。ここでは、今後の日本の将来をどうしていくのかが問われます。私は、憲法改正を唱える方々には、日本をどこに導こうとしているのか、これを明確にして議論していただきたいと思っています。というのは、自民党は昨年新憲法草案を公表しましたが、そこには、現状に都合が悪い、現状にあわせる主張だけがあって、将来の日本のあるべき姿、構想がないからです。
これに対して、現行の日本国憲法は、前文で、日本の過去・現在・未来を明確に語っています。明治以降の日本は戦争に継ぐ戦争の時代であったとことを明確にし、戦争のない日本にするための展望を示しています。つまり、戦前の天皇主権をやめて国民主権とし、民主主義の国家・社会にして、そして、国際的な協調の中で平和を求めることにしたのです。過去をふまえて、未来を構想し、現在をどう生きるかを示しました。
ところが、自民党の新憲法草案は、この日本国憲法の根幹の考え方を否定し、「現状」に合わせるだけです。その「現状」とは、国と国は、所詮、経済、政治、そして軍事であい争い、それを凌いでいく以外にはない(=パワーポリティクス)のだと認識されています。結局、それは力ずくの抗争―戦争への道ということになります。
今日の日本社会の過去と現状を分析するとしたら、その出発点をどこか。それは第二次世界大戦直後ということになると思います。第二次世界大戦直後、日本の求めたものが前文にある「恐怖と欠乏からの自由」―「free from fear and want」でした。これは日本だけではなく、世界が求めるものでした。「free from fear」は戦争やファシズムなどの恐怖をなくすことです。「free from want」はいわば貧困を克服するということです。この言葉は、チャーチルとルーズベルトによって1941年の大西洋憲章に盛り込まれ、ここで、ファシズム・軍国主義とたたかう民主主義勢力はこの考え方で団結しようと呼びかけたのです。米英はこれによって世界の支持をえました。
戦後も、この考え方が国際連合の結成の基本になりました。当時、日本を占領統治した連合国最高司令部―GHQの人たちの間では、この「free from fear and want」が常識になっていて、当然のごとく、日本国憲法の原案に盛り込んだのです。この考え方が、戦後日本において、9条の基礎にある平和的生存権の思想として確立したのです。戦後の日本社会は、保守の考え方の人たちも含めて、この平和的生存権の思想を重視してきました。今日、私たちは、この思想を守るのか、ひっくりかえすのかという岐路に立っているのだと思います。 
この「恐怖と欠乏からの自由」=「free from fear and want」の考え方を現在の社会に具体化するものが「人間の安全保障」=「human security」です。「国家の安全保障」ではなく、一人ひとりの「人間の安全保障」という考え方は、1994年に国連の国連開発計画(UNDP)の提唱に始まります。当初、この考え方はあまり広がりませんでしたが、1990年代の終わりごろから、21世紀を展望する考え方と位置付けられるようになりました。2000年のミレニアム(新世紀)宣言では、その原点として、国連創設期の「恐怖と欠乏からの自由」が指摘されています。「人間の安全保障」は、人間の経済的な生活、食料、医療、環境、犯罪・暴力からの保護、地域社会の安全、政治的自由などの人権保障など、「人間」の「安全」を広く、積極的に守るもので、そのためのいろいろな努力が進められています。
「人間の安全保障」という考え方は、包括的な観念ですから、時には悪用され、西欧諸国による発展途上国に対する「人道的介入」を軍事的に進める論拠にもされるのですが、今日の世界の大きな動きとしては、世界各地の貧困の解決をはかるための「人間の安全保障」のとりくみが重要になっていることです。いま、発展途上国の貧困な人々からみれば、富める国、とりわけアメリカに対する憎悪が強くなり、「テロ」がおきる状況があります。アメリカはこれに軍事的な攻撃をするだけで、問題の根本―「恐怖と欠乏からの自由」をどのように実現するかの立場に立っていません。むしろ、イラク戦争のように、事態を悪化させています。日本政府は、「人間の安全保障」を外交政策のひとつに位置づけているのですが、その一方で、アメリカに深く追随しており、国内外から、日本の基本政策と理解されるにはほど遠い現状です。
いま、アメリカは「9・11ショック」の中で極端な軍事国家になり、イスラム社会が敵だととらえて、軍事力で倒そうと躍起になっています。ここ5年のアメリカの変わりようは凄まじいものです。アメリカは、すでに、第二次世界大戦直後のような自由・民主主義の輝きを失いました。世界全体がアメリカはおかしい、とんでもないと考えています。日本では、この世界の動きが伝わっていません。南アメリカの国々がこぞってアメリカに抵抗するようになり、イスラムの人々の抵抗も激しくなっています。アジアでも、ヨーロッパでもそうです。これに対して、日本はアメリカと同じ道を行くしかないという雰囲気に陥っています。最近のマスメディアが流す情報にはひどい偏りがあり、多くの人たちがそれを信じ込まされる状況にあります。世界各地では、紛争の軍事的な解決ではなく、その原因―根本に取り組む貧困の解決など、「人間の安全保障」のための努力が行われています。そこに目を向けていかなければならないのです。
ぜひとも多くの方々に世界の大きな動きの中で日本の将来を考え、また様々な情報について注意深く考えていっていただきたいと思っています。

◆大久保史郎(おおくぼしろう)さんのプロフィール

立命館大学法科大学院教授。アメリカ憲法理論、戦後憲法史などを研究。『人権主体としての個と集団−戦後日本の軌跡と課題』(単著、2003年、日本評論社)、『現代憲法講義1[講義編][第3版]』(共著、2002年、法律文化社)、『グローバリゼーションと安全保障ー「人間の安全保障論」と平和的生存権論』(単著、2002年、日本評論社・法律時報臨時増刊『憲法と有事法制』)など多くの著書・論文がある。


 
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