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今週の一言

 

「自由な社会」であるために――メディアの使命と「マスコミ市民」の役割――

2005年11月28日


石塚さとしさん(月刊「マスコミ市民」編集長)

1、はじめに:メディアは「表現の自由」の担い手か
今日まで「マスコミ市民」が果たしてきた役割を一言で述べるならば、その時代時代において、常に“マス・メディアの「いま」”を検証し続けてきたことです。“市民の視点から情報を発信し、市民とその情報を共有する”、そのことを38年間続けてこられたことを、最大の誇りに思います。もちろん、雑誌の編集、出版、流通を支えてくださった多くの協力者の汗と力なくしては、このことが結実してこなかったことは言うまでもありません。
ではなぜ、私たちは、時には世論と対峙しながらも、”マス・メディアの「いま」“を問い続ける必要があったのでしょうか。この問いかけは、メディアが表現の自由の担い手となり、市民の「知る権利」に応えてきたのかという命題に行き着きます。本来、権力のチェック機能をもつはずのメディアが、その役割を十分に果たせないがゆえに、市民サイドから粘り強く啓蒙していこうという動機です。
市民は、政治や経済、教育や社会的分野、また地域の課題や国際関係にいたる様々なカテゴリーにおいて、メディアを通して多くの情報を享受しています。一方のメディアは、強固な組織力と豊富な人材・資金力で、広範かつ莫大な情報を市民に提供しています。しかしこれらの情報は、必ずしも正確なものではなく、しかも無知、無理解、偏見などによって誤った情報が発信されていることも、決して少なくはないのです。

2、メディアは権力のチェック機能をもちえたか
30年ほど前の事件ですが、「ロス疑惑」の三浦和義氏に対するバッシング報道は、誰もが彼を犯人だと確信するにたりるほど凄まじいものでした。10余年前の「松本サリン事件」では、河野義行氏に対する「思いこみ報道」で、善意の市民を犯人に仕立て上げてしまいました。最近では、アルカイダとの関係を疑われた無実の外国人男性の平穏な生活を、警察庁のリークを鵜呑みにした記者たちの加熱報道によって、崩壊させてしまいました。しかもメディア側は、これらほとんどの事件について、真摯な謝罪や充分な訂正報道をしていないのです。
反面、権力が行った暴挙や冤罪、過度の権力行使などについて、メディアはどのように伝えてきたのでしょうか。
「オウム真理教事件」の加害者に対して、弁護などする必要はないという風潮がありました。そして自治体の首長が、オウム信者の住民登録を拒否する事件もあったのです。このような重大な憲法違反を、どのマスコミも問題にしてはいません。
またJR浦和電車区の「でっちあげ・えん罪事件」についても、ILO(国際労働機関)の勧告が出ているにもかかわらず何らの措置もとらない当局に対して、メディアは無批判に過ごしています。
さらに昨年、「イラク反戦ビラ」を自衛隊の官舎に配布したことが住居侵入罪に当たると逮捕・起訴された事件がありましたが、それが無罪と判決された数日後に、今度は共産党の議会報告をマンションに配ったことが同じ容疑にあたるとして、当局は恣意的な権力行使を繰り返しました。これについても、メディアの権力批判は弱く、警察発表を「たれ流す」のみでした。
極めつけは、小泉首相がイラク派兵の根拠を国会で問われたとき、憲法前文の国際協調主義を持ち出したときの答弁です。「前文」は、第二次大戦の反省を糧として生まれ、武力によらない国際の平和を希求しているにもかかわらず、首相は「自国のことのみに専念し、他国を無視してはならない」という一節を派兵の根拠として悪意に曲解したのです。このような稚拙な屁理屈に対しても、メディアは何ら知的ヘゲモニーを発揮することはできませんでした。

3、NPO「マスコミ市民」が果たすべき役割
残念なことに、日本の社会は市民革命を経ておらず、人権と民主主義を市民の力で勝ち取った経験を有してはいません。したがって、メディアの醸成も不十分であることは否めません。しかし大手メディアを構成する人材の中には、正義や人権の普遍性を深く理解している記者も少なくはありません。そこに期待の灯を見出しながら、私たち「マスコミ市民フォーラム」は、既存のマス・メディアが十分に伝えてこなかった事実や誤って発信してきた報道をさらに批判・検証していくことで、市民が正しい世論の形成者となりうる環境を整備していく手助けをしたいと考えます。
「沖縄密約事件(西山事件)」が提起した課題を例にとり、考えてみたいと思います。
「西山事件」とは、1972年の沖縄返還の際、アメリカが支払うべき軍用地復元補償費用400万ドルを日本が肩代わりする密約文書を、当時「毎日新聞」の記者であった西山太吉氏が入手、社会党議員に渡して国会で追及がなされました。外務省が入手ルートを調査した結果、電信文の決済印から漏洩もとの女性職員が判明し、彼女が国家公務員法の守秘義務違反、西山氏が「秘密漏洩をそそのかす罪」で逮捕・起訴された事件です。西山氏は、一審では「正当な取材行為」であるとして無罪でしたが、二審で有罪判決が出て(最高裁で確定)、氏は記者生命を断たれました。
当初、国民の「知る権利」や「報道の自由」が大きく議論されましたが、東京地検特捜部が「ひそかに情を通じて秘密文書を持ち出させた」という起訴状を書いたことで問題の本質をすりかえられ、週刊誌などの「男女のスキャンダラスな報道」に終始していったのです(月刊「マスコミ市民」60号、61号参照)。
2002年、アメリカ公文書館の機密指定解除に伴い事実が明らかになりましたが、それでも国は文書の存在を否定し続けているので、本年4月、西山氏は「国家的組織犯罪は許されない」と損害賠償と謝罪を求めて国を提訴しました。
この訴訟は西山氏の個人的な勝敗の問題ではなく、日本に正義と民主主義が存在するかが問われる事案です(月刊「マスコミ市民」9月号参照)。法務省の役人が裁判の過程で偽証をし、虚偽公文書を作成・行使しても罪には問われていません。公文書館で実物が明らかになっても、官房長官や外務大臣は国会で虚偽答弁を繰り返しています。嘘をつき通しても何のお咎めもない、こうした不正が許される社会を、私たちは黙って見ていてよいはずはありません。

4、おわりに:「自由な社会」であるために
ここ数年、日本の社会は「いじめ」や「バッシング」が横行し、「優しさ」や「思いやり」がなくなりました。イラクでボランティアをしていた善意の若者が人質になったとき、私たちは彼(女)らに「自己責任」との罵声を浴びせたのです。アンマンで拘束された香田証生青年を、「テロには屈しない」という暴言で見殺しにした人物が、この国の指導者なのです。
また同時に、「市民的自由」が制限された息苦しい社会になったと感じます。宅配ピザのビラをまくことは差し支えないが、(前述のとおり)「反戦」を唱えるビラをまくことはご法度なのです。人生の先輩は、「大正デモクラシー」の余韻は残っていたが、戦争への道を突き進んで行った昭和の初期と、現在の雰囲気がそっくりだというのです。
盗聴法や国民保護法制という美名の戦争協力法が制定され、また共謀罪の新設の策動など、市民の権利を極力制限し国家の力を誇示する動きが、昨今余りにも強くなってきました。先般の自民党「改憲草案」でも、「自由および権利には責任が伴い・・常に公の秩序に反しないよう自由を享受」するのだといっています。公権力の暴走を防ぐべきはずの憲法を逆手に取り、国民の権利と自由を制限する規範を提案してきたのです。
私たちの国は、すでに「北朝鮮」のことを批判できない社会になってしまったと思います。数々の人権制限立法の制定のみならず、イラク石油利権のため「人殺し」の共犯になり、事実上の戦時体制をつくりました。このままでは取り返しのつかない事態になります。
「自由な社会」を失わないためには、間違ったことを正しく批判できるメディアを取り戻すこと、そして大きな声を発する権力者に対して怯むことなく警鐘を鳴らす市民の勇気、これこそが求められているのではないかと思います。


◆石塚さとし(いしづかさとし)さんのプロフィール

NPO法人マスコミ市民フォーラム理事・月刊「マスコミ市民」編集長

 


 
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