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今週の一言

 

戦争は人権を奪う

2005年10月10日

鈴木陽子さん(原爆の図丸木美術館事務局)

原爆の図丸木美術館はその名の通り丸木位里・丸木俊夫妻の描いた「原爆の図」という絵画作品を中心として展示をしている美術館です。
その始まりに描かれているのは広島における原爆被害の様子です。服も皮膚も熱と爆風に奪われ、群をなした幽鬼のようにさまよう人々を描いた「幽霊」、襲いかかる炎の中で人々が逃げまどう「火」、川まで逃げた末に死んだ人々を描いた「水」。いずれも1950年に発表された「初期三部作」と呼ばれるこれらの作品は、いったいあの日、広島にいた人々がどんなふうに死んでいったかを想像する手がかりとして、あまりある大きな力を持って観客に迫ります。
夫妻の行動は絵を描くことにとどまりませんでした。そもそもが少なすぎる報道にしびれを切らして描き始めたのですから、多くの人に見てもらいたいと、「原爆の図」を背負って旅に出ます。1950年2月から11月の間に、全国で64万人もが「原爆の図」三部作を見たと言います。
報道管制が厳しかった当時、たくさんの人たちが初めて目にした「原爆」が、この「原爆の図」だったのです。その衝撃はいかばかりのものだったか、想像も及びません。
その後も丸木夫妻は「原爆の図」連作を描き続けます。描く過程で出会った様々な人たちの話は夫妻の視野を広げました。
「原爆の図」で死んだのは日本人だけではなかったということに気づいたのもその一つです。強制連行され、長崎の三菱造船で働いていた朝鮮人とその家族、約5千人も死にました。
日本人は死後も彼らを差別したので、死体は放置され、カラスがついばむにまかされていたという「からす」(第14部)は、「原爆の図」連作の中で最も人間のむごさを描いた作品かもしれません。「米兵捕虜の死」(第13部)では、原爆で死んだと聞かされていた米兵捕虜が、実は市民に虐殺されていたという事実を描いています。
こうして日本人の被害から加害へと視野を広げた丸木夫妻は1975年、「南京大虐殺の図」を描きます。
アメリカで「原爆の図」展を主催したアメリカ人に「アメリカであなた方の絵を展示するのは、中国人が持ってきた南京の絵を日本で展示するようなものです」と言われ、「中国人の画家が持ってこないのだから私たちが描かなければ」と思ったそうです。
1977年には「アウシュビッツの図」、1984年には「沖縄戦の図」と制作は続き、日中戦争から第2次世界大戦の間の3大虐殺(南京、アウシュビッツ、ヒロシマ・ナガサキ)を描いたということが1995年のノーベル平和賞ノミネートの大きな要因となりました。


幽霊 (1950年)

からす (1972年)

戦争について語るとき、私たちはたいていその犠牲者に目を向けます。「原爆の図」で言えば折り重なった死体や炎に包まれた赤子、傷ついた体で抱き合う少女たちの姿に目を奪われます。
もし自分の家族だったら……と想像して痛みを覚え、平和の大切さを感じます。こんなに人が苦しむのだから、戦争はいけないことなのだ、という思いを強くします。
現実の戦争で言えば、イラク戦争において、家や家族を失ったイラクの市民、とりわけ子どもたちの姿が目に浮かびます。罪のない、なぜこんなことになったのか知るすべもないままに死んでいく子どもたちの姿は、私たちの心に深く深く刻み込まれています。
その一方で、被害がある以上、そこには必ず加害者が存在しますが、それがいったい何なのかということについては、あまり語られてきていないように思います。
「加害」を最も大きく、それも強烈に描いているのは「南京大虐殺の図」ですが、画面の中でひときわ目を引くのは、日本刀を振り下ろした瞬間の兵士です。周囲を取り巻くのは陵辱の光景や無数の死屍で、正視できないようなむごい絵ですが、私はいつもこの兵士の顔に目を奪われ、見入ってしまいます。そしてその表情を「美しい」と思うのです。
もちろんそれは決して心地よいものではなく、狂気のあらわになった「醜悪」と言い換えた方がふさわしいような美しさです。その醜悪さに心を乱され、なぜこれを美しいと思うのかという混乱に陥ります。
この兵士の心を想像すると、恐慌にも似た感情を覚えます。なぜなら、そこには人間性を全く見いだせないからです。たとえるなら草木も生えないような荒野、それは原爆直後のすべてを破壊され吹き飛ばされたヒロシマ・ナガサキの光景に似ているかもしれません。
さらに恐ろしいのはこの兵士が生き続けると想像することです。
戦場を離れれば狂気からは解放されるかもしれません。頑丈な精神の持ち主であれば人間性を失った記憶や感覚を忘れ、生活することもできるかもしれません。
あるいは二度と心の平安を得ることのできない日々が待っているかもしれません。その果てに自死を選ぶようなこともあるでしょう。
そのどちらもが異常で恐ろしい人生ですが、そのような思いを味わった(または味わっている)元兵士は想像の産物ではなく、今でも、あるいはこれからも現実に存在するのです。
私には、犠牲者としての家族や自分の姿よりも、この兵士のような、人間性を全く欠いた存在になってしまった姿を想像することのほうがつらく堪えがたいように思います。
戦争は人権を奪います。被害者の人権も、加害者の人権も、そこに関わるすべての人間の人権を奪います。しかも加害者は人権を奪われていることに気づかない。これ以上の人権侵害があるでしょうか。


南京大虐殺の図 (1975年)

日本国憲法は、とりわけ第9条はこの国の宝だという言い方があります。他の国に類を見ない「戦争を放棄する」という明らかな言及は、まさに大切な宝であり、それを護るのは私たち市民をおいて他にありません。
その大切な宝が今、生まれて初めてといってもいいほどの危機にさらされています。
私たちは宝を持っていることを忘れ、なおかつその価値さえ見失いかけています。重荷や足かせと感じるのか、「よりよい変容」の可能性を信じるのか、それは人それぞれでしょうが、いずれにしても「戦争を放棄する」という明言以上のものが存在するでしょうか。憲法第9条は国が誰によって動かされるにしても、「軍隊」がどれほど膨張したとしても、日本が戦争に向かうことは金輪際ないという決して破られることのない約束です。
憲法を護るのが市民なら、それを危機にさらしているのもまた市民に違いありません。「憲法改正」とは、誰かによって憲法を奪われることではなく、私たち自身の手によってそれを放棄することであり、それは自らの人権の放棄にほかならないということを、改めて肝に銘じなければなりません。

◆「原爆の図 丸木美術館」について

「原爆の図 丸木美術館」は1967年、広島出身の画家丸木位里・丸木俊夫妻が共同制作した『原爆の図』を常設展示する美術館として、埼玉県東松山市に設立されました。
この美術館には『アウシュビッツの図』『水俣の図』など、大量虐殺の歴史や公害、人権などをテーマとした丸木夫妻の共同制作なども展示され、折々にシンポジウムやイベントも行われています。詳しくはこちらへ。

 


 
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