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国民の知る権利と人権擁護法案−「メディア規制」の危険性

2005年3月14日
 美浦克教さん(日本新聞労働組合連合〔新聞労連〕中央執行委員長)

報道で伝えられているように、2003年10月に審議未了・廃案となった「人権擁護法案」が、今国会に与党・政府から再提出されようとしています。報道機関による人権侵害を救済対象としたいわゆる「メディア規制」部分は、別の立法措置で解除するまで凍結するとの内容とされます。しかし「メディア規制」部分は「凍結」ではなく「削除」でなければなりません。朝日新聞や毎日新聞などの大手紙をはじめ地方紙、専門紙など全国の80以上の新聞社や関連会社の労働組合が加盟するわたしたち新聞労連は、「国民の知る権利」や「表現の自由」を危うくするものとして、法案の再提出に反対です。法案は、公権力による人権侵害には甘い上、人権侵害の調査・救済にあたる「人権委員会」を独立機関ではなく法務省の外局に位置付けるなど問題点が多いのですが、ここでは「国民の知る権利」や「表現の自由」からみた問題点を中心に論じたいと思います。
法案の中で「メディア規制」として問題になったのは、犯罪被害者やその家族、犯罪を犯した少年、犯罪の容疑者や被告の家族らに、放送局や新聞社、通信社などが行う取材・報道活動を規制対象にした点です。人権侵害に当たる行為として「取材するに当たり、その者が取材を拒んでいるにもかかわらず、次のいずれかに該当する行為を継続的に又は反復して行い、生活の平穏を著しく害すること」と規定し、具体的な行為として「つきまとい」や「待ち伏せ」、自宅や勤務先、学校などへの張り込み、電話やファクスによる取材や取材の申し込みを挙げています。そして、こうした報道機関による人権侵害に対して「特別救済手続」として、人権委員会による調停や仲裁、勧告や公表を規定しています。
確かにこうした取材・報道活動には問題がありますが、是正や報道被害の回復は報道機関側の自主的な取り組みに委ねられなければなりません。報道による人権侵害の場合は、救済と、それを外部機関が行うかどうかは本来、切り離して考えなければならない問題なのです。いかなる形であれ外部機関に対し、報道機関の取材・報道活動に対する規制権限を安易に認めてしまうと、民主主義社会に不可欠の「報道の自由」と、その報道の自由によって担保される国民の「知る権利」、さらには「表現の自由」を阻害する恐れがあるからです。
ましてや、法案では人権委員会は公権力そのものである法務省の外局と位置づけられています。報道による人権侵害があったかなかったかの判断を、公権力からの独立性を持たない人権委員会に委ねることは、公権力による情報統制に道を開くことを意味します。こうした民主主義の根幹にかかわる重大な問題点が厳しい批判を浴びたからこそ、法案はいったん廃案になったはずでした。
今回の「凍結」それ自体にも大きな問題があります。立法措置を講じればいつでも「解凍」できるということ自体が、公権力から報道機関への政治的圧力、威嚇になるからです。法案がそのまま成立すれば、報道機関の取材活動は恒常的に人権委員会=法務省の監視下に置かれることになります。取材・報道による人権侵害があったかどうか、ということを離れて、公権力の気に入らない取材・報道に対してのいわば「脅し」の道具に使われる恐れがあります。「人権感覚」を大義名分にすれば、公権力あるいは政治が公然と取材・報道に介入できるということです。それでは、報道機関の活動が萎縮する結果を招くことになりかねません。前回、法案が繰り返し批判を浴び、廃案に追い込まれながら、それでもなお与党・政府が「削除」ではなく「凍結」という形で「メディア規制」を残そうとするのは、まさにそうした報道機関への威嚇効果を狙うもの、と言わざるをえません。
また、法案には報道機関への直接的な「メディア規制」だけでなく、広く市民・国民の「表現の自由」にかかわってくる問題点もあります。法案では「差別誘発・助長行為」をも人権侵害行為と規定していますが、この中には「文書の頒布、掲示等」も含まれており、こうした行為に対する停止勧告や差止請求訴訟の提訴を人権委員会に認めています。人権委員会の判断で、出版や放送の事前差し止めも可能ということです。
このことがはらむ危険性は、報道機関=メディアだけに限りません。広く市民、国民の自由な表現活動への脅威となることは、政治的な意思表示の手段であるビラの戸別配布をめぐるいわゆる「ビラまき逮捕事件」を考えれば明らかです。政府方針に反対する政治的な意思表示を狙い撃ちにした警察の恣意的ともいえる逮捕を追認し公判請求した検察と、人権委員会を外局に持つ法務省は事実上、表裏一体です。人権委員会に法務省=公権力からの独立性が完全に担保されないままでは、差別誘発・助長行為の規制措置は、本来の立法趣旨から逸脱して「表現の自由」の抑圧のためだけに機能する結果になりかねません。
このように、法案はメディアの報道の自由や、市民の表現の自由を抑圧する恐れが強い反面、拘置所や刑務所、入管施設などで実例が多数指摘されている深刻な公権力による人権侵害の救済、防止への実効性については、幾多の疑問が指摘されています。真の人権擁護、人権救済を考えるのならば、一度廃案に追い込まれた問題の多い法案を押し通そうとするのではなく、人権侵害の実態を踏まえた国民的な議論こそ必要です。
前述のように、メディアが取材・報道にあたって人権侵害のないように努めるのは当然のことです。また、取材・報道による人権侵害の是正、救済はメディア自身の自主的な取り組みを原則にしなければなりません。
例えば、事件や事故の関係者に取材が殺到するいわゆる「集団的過熱取材(メディアスクラム)」では、現在では報道機関各社がその都度、自主的に取材ルールを決め、共同の記者会見や代表取材で対応するようになりました。以前のような無秩序の混乱状態の中で、各社がわれ先にと取材を争うような光景は減ってきました。また、新聞・通信各社はそれぞれ外部の有識者を招き、取材・報道に際しての人権面での配慮も含めた検証を定期的に行い、結果は紙面にも掲載しています。メディア自身の人権尊重の取り組みは進んできていると言っていいと思います。
しかし、取材・報道の本来の在りようとのかかわりで難しい問題もあります。例えば、メディアスクラム防止のための共同の記者会見や代表取材は、必要最小限にとどめられなければなりません。報道とは本来、取材者の一人ひとりが自由な視点で自由に取材し、自由に記事を書くのが原則だからです。そうすることで、多様な価値観、多様な言論が社会に担保されるからです。
また、事件事故の報道でも被害者や関係者からの取材がなければ、警察など捜査機関の情報に依拠した報道に終始することになりかねず、それは別の人権侵害を引き起こしかねません。実際に、関係者の話を取材して初めて、捜査機関が不利な情報を意図的に隠していると分かることもあるのです。そうした取材が可能になるには、市民の側にメディアへの信頼がなければなりません。
残念ながら、今も報道による人権侵害は皆無ではありません。しかし、何が人権侵害に当たるのかは、単純な外形的行為だけで判断されるべきではなく、ましてや公権力に判断を委ねてはなりません。今、メディアに必要なのは、人権侵害の防止へ自主的な取り組みを一段と進めていくことと同時に、市民に信頼されることです。
公権力による「メディア規制」の発想は、人権擁護法案だけではなく、当初は個人情報保護法にも盛り込まれていました。そうした発想が出てくること自体の背景として、やはり市民、あるいは世論の側にメディアへの不信があるのではないかと、わたしは考えています。その市民の信頼をどうやって取り戻すのか。それは、メディアが「知る権利」や「表現の自由」を守り、正しく行使し、市民の側に立った報道を続けていくことができるかどうかにかかっていると思います。

◆美浦克教(みうら・かつのり)さんプロフィール

1960年10月生まれ。2001年8月から02年8月まで共同通信労働組合委員長、新聞労連中央執行委員。04年7月から新聞労連中央執行委員長、同年10月からは日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)議長を兼任。


 
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