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枝川朝鮮学校取り壊し裁判で問われる日本社会

2005年3月7日
 師岡康子さん(弁護士)

今なぜ朝鮮学校取り壊し裁判が起こされたのか

2003年12月、東京都は、江東区枝川にある東京朝鮮第二初級学校(以下、枝川朝鮮学校)に対し、校舎の一部を取り壊し、校庭を明け渡せ、使用損害金として約4億円を支払えとの裁判を起こしました。
地方自治体が、今、60人の子どもたちが現に学んでいる学校に対し、壊して出て行けと要求する信じがたい裁判です。放り出される在日コリアンの子どもたちのことは一顧だにされていません。
私はこの裁判は、相手の学校が日本の私立学校だったら、また、仮にインターナショナルスクールだったら、到底起こされなかったと思います。相手が朝鮮学校だからこそ強行された、2002年9月17日以降現在まで引き続く、排外主義的な朝鮮バッシングに乗っかったものです。
教育機関に対してこのような裁判を起こすこと自体、国際人権法上および憲法上人権として保障されている、在日の子どもたちの教育を受ける権利を侵害するものともいえましょう。

枝川と朝鮮学校の歴史

さらに、枝川の歴史、朝鮮学校の歴史、枝川朝鮮学校と東京都との交渉の経緯などをみれば、この裁判の提訴が幾重にも不当なものであることがわかります。
枝川は、戦前、ごみ焼却場と消毒場しかない、東京都が埋め立てたばかりの荒地、陸の孤島だったのです。当時、土地収奪などの植民地政策の結果、朝鮮の人たちが現江東区の塩崎や浜園町に居住していました。1936年東京でオリンピックを開催することがIOCで決まったことを契機に、1941年、都は枝川に粗末なバラックの共同住宅を立て、居住地から立ち退かせて強制的に移住させたのです。雨のたびに共同トイレから汚水が道にあふれ、常時ゴミの悪臭がただよい、ご飯にハエがたかって真っ黒になるほどの不衛生な環境で、とても人間が住むところではなかったそうです(資料・「増補新版 東京のコリアン・タウン 枝川物語」江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会・樹花舎、「新版 許せない!枝川朝鮮学校取り壊し裁判Q&A」枝川裁判・支援連絡会編・樹花舎)。朝鮮人というだけで、このような場所においやられたのです。皆さん、どうか自分がそういう目にあったらどういう気持ちになるか考えてみてください。憲法の保障する人権は、すべての人が国籍・民族・性などにかかわりなく、生まれながらに等しく平等であるとの理念が根幹であって、他の人のおかれている立場に自分をおいて考えてみることがすべての出発点だと思います。
戦後、日本政府と東京都は、植民地支配への償いとして、枝川の朝鮮の人たちの住宅環境を真っ先に整備すべきでした。しかし、逆に、都は住宅管理を一切放棄し、住民たちが自力でガス・水道設備など整えてきたのです。
また、戦後直後から、日本の植民地支配により民族の言葉を奪われた朝鮮の人々は、子どもたちに民族の言葉を取り戻そうと、自力で各地で朝鮮学校を作りました。1946年の時点で全国で600近くものの学校が設立されたそうです。枝川の朝鮮学校も、枝川に強制移住させられた朝鮮の人たちが、自力で1946年1月に設立したものです。
この点も、本来、植民地支配への償いとして、日本政府と都は真っ先に朝鮮の人たちに対し、朝鮮語の教育を保障すべきでした。
しかし、逆に、政府は、戦後一貫して現在まで朝鮮学校を敵視し、抑圧しつづけています。1948年と49年、文部省(当時)は、在日朝鮮人が当時まだ日本国籍を保有していたことを理由として、在日の子どもたちが朝鮮学校で学ぶことを禁止する通達を出し、暴力で朝鮮学校を閉鎖しました。1949年、東京都は朝鮮学校廃止の告示をだし、都内に15校あった朝鮮学校を強制的に接収して都立朝鮮学校とし、日本人の校長・教職員を派遣し、朝鮮語は課外授業としてしか認めないとの方針をとりました。1952年サンフランシスコ講和条約発効に際し、政府は一方的に朝鮮の人たちから日本国籍を剥奪し、一転して在日の子どもたちに日本の学校で学ぶ権利はないと主張しました。都も1955年3月に都立朝鮮学校を一方的に廃止し、今回被告となっている学校法人朝鮮学園が学校を引き継いだのです。
その後も政府は、1965年には朝鮮学校は学校教育法1条の学校としても、各種学校としても認めるべきでないという朝鮮学校の存在意義自体を否定する通達をだし、1966年以降は朝鮮学校つぶしを狙いとする「外国人学校法案」を3度にわたり提出しました。
他方、東京都をはじめとする地方自治体は、在日コリアンおよび日本人の住民たちの働きかけに後押しされ、文部省に従わず、1975年までにはすべての朝鮮学校を各種学校として所在地の都道府県が認可し、70年代以降は金額は少ないものの、多くの地方自治体が補助金を出しています。

契約交渉の経緯

現在の枝川朝鮮学校校地の貸付契約は、東京都による、在日の子どもたちの教育を受ける権利を保障する観点からの朝鮮学校支援政策の一環として、1972年に締結されました。1955年以降、学校側は都から敷地を賃借し、1972年当時には年300万円もの賃料を請求されていましたが、支払えなくなり、東京都に無償・無期限での貸付を申し入れました。それに対し、東京都は、当時の美濃部都知事が、枝川の歴史的経緯や学校の財政難を考慮し、賃料が支払えなくなった1970年にさかのぼって20年間無償で貸付け、1990年の時点で学校が継続していたら協議し善処するとの文書を作成しています。
また、1990年以降も、2003年7月まで、東京都と学校は賃料や払い下げも含め誠実に交渉を続けてきました。しかも東京都は、交渉中、次の土地貸付契約を締結しなおすまでの間の使用料は不要とまで言ってきたのです。
それなのに、東京都は、かかる歴史的経緯や交渉過程において形成されてきた信頼関係もすべて覆し、突如裁判を提訴してきたのであり、権限濫用・信義則違反であって許されません。

枝川朝鮮学校裁判に取り組む意義

枝川朝鮮学校の歴史を考えたとき、植民地支配の結果として日本で生活することを余儀なくされ、劣悪な環境と差別を強いられてきた在日コリアンが子どもたちのために身を削って築き守ってきた朝鮮学校を、日本人こそが歴史的責務として守らなければならないと思います。本来日本政府や自治体が補償する責任があるのに、逆につぶそうとしていることを座視しては、私たち日本人一人一人もつぶす側に加担していることになります。不平等を放置することは、自分自身が無意識でも特権者の立場に居座ることになってしまうでしょう。
この裁判のもうひとつの意義は、この裁判が、在日の子どもたちが民族教育を受ける権利が憲法上および国際人権法上保障されているか否かを争うはじめての裁判だということです。憲法第13条の幸福追求権、第14条の平等権と第26条を考えあわせると、子供が自らの民族の言葉を学び、その言葉で普通教育を受ける権利が憲法上保障されていると解することができます。子どもの権利条約や自由権規約、社会権規約、マイノリティの権利宣言など、国際人権法によれば、その保障はさらに明確です。これはコリアンの子どもたちだけでなく、在日ブラジル人、在日中国人など、どの民族の子どもたちにとっても保障されるべき権利であり、この裁判で権利保障を確認することは大きな意義があるとおもいます。

最後に

来る3月27日午後1時から、この問題を広く知ってもらうため、枝川朝鮮学校(最寄り駅・有楽町線豊洲駅徒歩数分)において、トーク&コンサート・出店等の催しをやります。そこで、市民が枝川朝鮮学校を支える枝川基金発足の呼びかけも行う予定です。裁判や支援の取り組み情報は、枝川支援連絡会のHPを随時ご覧ください。また、授業はいつでも参観できますので、ご希望の方は枝川朝鮮学校にご連絡ください。
次回の裁判は5月13日午後1時半に東京地裁631号法廷で、傍聴歓迎です。毎回、裁判終了直後、弁護団が裁判の説明会も行っています。
東京都が今までの支援政策をも覆して朝鮮学校をつぶそうというなら、東京都民をはじめとする日本の市民が結束して、朝鮮学校を支援し、在日コリアンと日本人との真の友好関係を築く第一歩としたいと心から願っています。

◆師岡康子(もろおかやすこ)さんのプロフィール

弁護士。1992年東京弁護士会登録。
日弁連人権擁護委員会国際人権部会、東京弁護士会両性の平等委員会、同外国人の権利に関する委員会人種差別禁止法制定プロジェクトチーム(前・在日コリアンの子どもたちに対する嫌がらせ問題等対策プロジェクト・チーム)、外国人学校・民族学校の問題を考える弁護士有志の会。


 
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