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外国人犯罪が増えてるって本当!?

2005年2月7日
寺中誠さん(アムネスティ・インターナショナル日本 事務局長)

(聞き手)
 今回は、アムネスティ・インターナショナル日本の事務局長である寺中誠さんにお話を伺います。最初に、アムネスティ・インターナショナルについて、簡単に紹介していただけますか?

(寺中さん)
 アムネスティ・インターナショナルは、全世界にサポーターをもち、人権に関して国際的にキャンペーンを展開する世界最大規模の人権団体です。日本ではとくに、死刑廃止や政治犯の釈放に尽力する団体というイメージが強いようですが、世界人権宣言に書かれている人権すべてが世界各国で守られるように活動しています。各国の人権状況の調査や事件の調査を踏まえて、専門性に裏打ちされた基準に基づき、各国政府へ働きかけを行っています。
 そもそものはじまりは、1961年にロンドン在住の弁護士が感じた疑問をきっかけにしています。彼は、ポルトガル軍事政権下で自由のために乾杯をした三人の学生が逮捕され、7年の刑を受けたという記事を読み、大変な事件が起こっているとショックを受け、また、たったの三面記事にしかならなかったその事件を自分自身もやがて忘れてしまっていたことにも衝撃を受けました。世間から忘れ去られるということは、そもそもその事件が起きていなかったということと同義になってしまいます。それは場合によっては、社会的な「死」をも意味する。そこで彼は、その年の5月に、忘れられた囚人たちという広告を出し、同年12月には、運動体を成立させました。
 アムネスティ・インターナショナルの基礎となっているのは、個々の政治的信条とは別に、どのような思想や言論にもかかわらず表現の自由が重要であり、それらをいかなる人に対しても守っていこうという一つの考え方です。これは、ヘイト・スピーチとは違います。そのような表現の自由を、国家の責任として具体的に要求し、法的拘束力のあるガイドラインや基準づくりをすすめています。
 日本においては、1970年に設立され、1979年に、非欧米圏におけるものとしては初めて現在の形にまとまり、現在、7000人強のサポーターがいます。こういう形での会員組織を有する包括的人権を視野に入れた人権団体としては、日本でも最大のものです。

(聞き手)
 昨年の4月以降、アムネスティでは多文化共生のキャンペーンに力を入れていますね。どのような経緯で、多文化共生キャンペーンを行うようになったのでしょうか? また、最近の外国人犯罪をめぐる報道、外国人犯罪に対する市民意識、政府の対応などをどう思われますか?

(寺中さん)

院内集会で発言する寺中さん
 アムネスティとしては、外国人の人権から入ってゆくのが基本なのでしょうが、今回は日本において治安が悪化しているとされる状況をもっと冷静に捉える必要があると、このキャンペーンをはじめました(参照、http://www.amnesty.or.jp/multiculture/)。
 アムネスティのサイトにある「統計から考える外国人犯罪」をぜひ参照していただきたいのですが、警察庁のまとめた統計などを見てみると、検挙人員は、ほぼ一定しており、漸減傾向にあります。一方で認知件数は増大しており、その結果として検挙率が下がっています。検挙人員数がほぼ一定なのに、認知件数はここ数年極端に増加していて、これはむしろ認知件数の増大のほうに何かの理由があると考えたほうがよい。つまり、検挙率の低下というのは、治安の悪化と直ちに結びつくわけではありません。ところが、「なぜ低下したのか」、「治安が悪化しているのでは」という主張が一人歩きをはじめ、「外国人が増えたから」という悪玉探しに落ち着いてしまったのです。
 外国人の検挙人員は、安定して2%強です。残りの97%は日本人によるものです。にもかかわらず、「犯罪が増えたのは外国人犯罪が増えたから」といわれている。ピッキングなど、誰でも行いうるものを外国人犯罪の特徴のように報道する姿勢も顕著です。外国人受刑者はいま4%くらいで、たしかに増えています。しかし同時に、圧倒的多数は、日本人の、それも高齢者や累回受刑者です。まさに弱い立場にしわよせが来ているということが見て取れます。
 ここからは一つの構図が見えてきます。社会的に不安が醸成されるときには、社会のつまはじきものであるマイノリティ、つまり外国人がクローズアップされます。社会的にも文化的にも「外国人」という特殊化の括りには注意が必要です。彼らを排除することによって得る安心感。一種のスケープゴートのような効果があるのです。誰かに罪をきせることによって自分たちが安心を得るという排除の構造をなんとかしたいし、現在まさにそういう状況にあるのだということに警鐘をならしたい。日本においては、不法滞在者イコール犯罪者というイメージが強いですよね。不法滞在というのは行政手続上の問題であり、それ自体は殺人とか強盗といった類の犯罪とは異なります。そうした形式的・手続的な問題なのに殊更に犯罪者として強調してしまうというのは、差別的な意識を後押しするおそれがあると思います。
 この問題は結局のところ、この社会に外国人をどのような形で受け入れてゆくのかという多文化共生の話につながります。多文化共生を進めてゆくときに、外国人に対する差別、差別を助長するようなシステム、政府の施策、そういったものに目を向ける必要があります。同様な状況はアメリカにおいても見られます。捜査過程で人間の身体的特徴をデータベース化してゆくというプロファイリングの問題などがそうです。9/11以降の「テロとの闘い」のなかで行われているレイシャルプロファイリングに対して、アムネスティは批判し続けています。日本だけでなく、世界的にも人種差別が助長されるような傾向にあるというのが、アムネスティの認識です。

(聞き手)
 多くの国民のなかでは、外国人をスケープゴートにしているという自覚がない一方で、統計とは別の次元で、主観的に治安悪化を皮膚感覚のレベルで感じるという場面が増えてきているということはないでしょうか? このことは、生活安全条例の制定や監視カメラの設置などにもつながりますが、確かに防犯自体がけしからんという話ではない一方で、ただ隣人に対する不信感ばかりが増大し、セキュリティへの渇望からその守り手として国家などの権力を要求するという意識傾向の変化が伺えるような気がします。

(寺中さん)
 防犯自体は市政レベルで対応が可能なものもあるでしょうし、また国家の刑事政策による対応が必要とされる場面もあるでしょう。よく体感治安といわれますが、具体的には、1970年代くらいから「Fear of Crime」(犯罪への恐怖)という言葉が使われはじめ、犯罪そのものよりも、むしろ犯罪への恐怖感に対応するべきだという議論があります。犯罪に対してタフであるという、イギリスのサッチャー政権時などの対応を彷彿とさせるものです。当時、これらを主張していた主な人たちというのは、圧倒的に中産階級でした。そして、それらの対策に追われた結果、貧困層に対するきちんとした社会政策が減退したというアンバランスを生み出すことになりました。
 日本においても同じような問題を生み出しつつあります。犯罪の一番の被害者は貧困者に集中する傾向にありますが、実際に練られる対策は中産階級のためのものですから、犯罪対策として効果的なものとはなりえないのです。富裕層が居住している空間にきちんとした防犯体制を確立するため、その空間を隔離し、外部に対しては監視するという対策。地域の安全は確保されるかもしれませんが、排除されるという意味で、異質な人、異分子に対する排除をその特徴とする監視社会であることに変わりありません。統制への強化として機能するそれらの安全対策、その効果として生み出されるのは、お互いがお互いを監視するという社会なのです。
 昔は、いってみればお互いが物理的に監視しあう社会でした。近代社会になるにしたがって監視者が見えにくくなり、誰が監視しているかわからなくなりました。最近非常に強くなっているのは、誰も監視していないのに誰かに監視されているというケースです。クレジットカード、基本情報のデータベース化など、手軽で便利ですが、自分の情報を際限なくさらけ出すのと同じです。私たちは、プライバシーを守る権利を、実は失いつつあるのです。お互いが監視される社会への転化。私たちは、便利さとひきかえに、自分たちの主体性を失い、結果的に権利を失うというところまでいくのではないかと思います。
 本来、近代社会の根幹には自由があったはずです。いま、自由をあきらめることにより全体的奉仕へ身を捧げるという状況が生じています。グローバリゼーションによる経済格差が覆い隠されるだけならまだしも、自分たちのつくり上げてきた権利体系が崩され始めていると思います。

(聞き手)
 そうですね。そして、その状況が問題であると認識していない人が大多数だということも、この問題をさらに深刻化させているように思います。

(寺中さん)
 認識を促す訴えというのは簡単ではありません。しかし、外国人と一緒に暮らす社会は望ましいのだと多文化共生キャンペーンをはじめたように、様々な分野の人たちが人権という一点で共通の想いをもつことは、大きな意味があると思います。国際的人権、国際的価値というものを打ち出す難しさは、常にあります。しかし、モノカルチャーに対して、そうではない考え方を提起していかなければいけないと考えています。
 日本国内ではときどき、鎖国でもするのかと思うような感性がみられます。外国人が日本に来ることに嫌悪感をもつ人。「従軍慰安婦」や南京虐殺などを否定する人たち。ホロコーストなどはなかったというのは、ヨーロッパでもときどき出てくる言説ですが、日本においては大手出版社でそれが出てきます。そのような日本のマスメディアがもつ圧倒的多数の読者に対する影響力を考えると、恐ろしいですね。結局、排外主義的な発言を許さない、たとえ政府がそのような状況を許そうとしても市民が許さないという、本当の市民社会が存在していることが理想なのです。支配されることを望む大多数の人たちに対して、多文化共生という対抗軸を打ち出してゆく重要性は、ここにあると考えています。

(聞き手)
 ある意味、日本には「情緒」共同体とでもいいますか、そういった感性的な共同体意識が強いようにも思えます。他方で、人の移動という意味でのグローバリゼーションを所与のものとした批判の危うさというのも指摘できるのではないでしょうか? ある種の緊張感が大事だとも思いますが、この点はどうでしょう?

(寺中さん)
 グローバリゼーション自体が悪だとは必ずしも思いません。ただ、弱者に対する保護が弱められる形でグローバリゼーションが進められてゆくことが問題なのです。発想や権利のグローバル化というのは、一方ではとても必要です。グローバル化してゆく過程で何が主張されているのか、何が求められているのかについて検証してゆく必要があります。
そして、多文化共生を主張した場合にしばしば見られる、自分たちの文化が誰かによって汚されるという発想も問題です。これは、海外で生活して相互干渉を受けたときには吹き飛ぶ話なのですが、日本社会においてはいまだに根強くあります。それが差別につながるということを、きちんと認識しなければなりません。一定の属性を取りあげて犯罪者扱いすること自体が不当なのです。
 日本はそもそもモノカルチャーではありません。そのなかでモノカルチャーたらんとすることで、どこに自分のアイデンティティを置くかということを恣意的に選んできているのだと思います。多文化という問題は一筋縄ではいきません。うまくいっている事例もたくさんあるし、各国によって温度差はありますが、ヨーロッパ連合は、国家連合という形でそれを実現しようとしている面で評価できます。日本は、自分たちの文化以外はすべて排除しようとしている点でかなり特殊です。日本のなかにいる在日外国人、東南アジアや中国から来た十分な生活レベルを送っていない人たちに対して、ぼんやりとした怖い存在という意識があって、それが差別につながっています。

(聞き手)
 現在、異分子を排除するという方向性や国によって選択されたカルチャーをモノカルチャーとして制度化しようということにこだわる動きが、「日本」的価値観の憲法への書き込みという動きに連動しているようにも思えます。それらを規範化しようとする動きについてはどう思われますか?

(寺中氏)
 本来的に押しつけても構わないのは人権だけだと思います。ただ、モノカルチャーは規範化できるような価値観を提示してはいますが、提示することにより規範化されたカルチャーとは何だろうと思いますね。社会のなかで、こういう価値観をもて、といわれた場合には、とりもなおさず国際人権法違反です。憲法に書き込むことによる規範化という発想は、内心の自由に大きく踏み込んでゆくものだし、近代国家において認められるべきではありません。
 90年代のアジア的人権論は、人権論としての体裁を一応は整えています。しかし、人権に優越をつけようとする傾向がみられるなど、人権そのものに対する理解も同時に問われています。人権に優劣はつけられません。人権侵害というのは常に複合的だし、対抗するには統合的アプローチが必要です。日本においても、誰が何を侵害されているのかを、まず具体的に見なければなりません。そして、忘れてはならないのは、人種差別撤廃条約の名宛人が基本的には国家であるということです。人権の自己目的化は非常に危険です。人権はあくまでもそこで確保されるべき価値を実現させるためのツールでしかないのだという視点を失ってはならないと思います。

(聞き手)
 今日はお忙しいなか、大変貴重なお話を伺うことができました。どうもありがとうございました。

◆寺中誠(Makoto TERANAKA)さんのプロフィール

1960年生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士課程修了。東京経済大学非常勤講師。現在、社団法人アムネスティ・インターナショナル日本事務局長。http://www.teramako.jp/
著書(共著)に、『外国人包囲網』(現代人文社、2004年)、『平和・人権・NGO』(新評論、2004年)、『日本の死刑廃止と被拘禁者の人権保障』(日本評論社、1991年)などがある。

アムネスティ・インターナショナルとは:
世界人権宣言が守られる社会の実現をめざし、世界中の人権侵害をなくすため、国境を越えて声を上げ続けている国際的な市民運動。人権基準の批准、人権保障の促進、人権教育、人権への意識喚起などにつき、世界中で活動している。
国連やヨーロッパ評議会との協議資格を持つNGOであると同時に、世界140ヶ国100万人のボランティアで構成される不偏不党の人権団体である。
http://www.amnesty.or.jp/



 
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